たまには出かけようかと城の主が言う。
いつになく積みあがった書類の束を見ながら、ニ、三日は無理そうだなと答えると、力なく、そうだなと返ってきた。
その間、エドガーの手は止まることなくサインをし、判を押し、決裁済みの書類を片付けていく。
シャドウはシャドウで書類を重要度優先度ごとに振り分ける。
本来ならしかるべき役職の人間がする仕事ではあるが、いかんせん今は深夜である。
こんな時間まで王が仕事をしているのは決してその王付きの文官がサボっているのではない。
彼は彼で今日仕上げるべき仕事を王に割り振り、終わらせている。
単に、王の都合で徹夜なのだ。
休みを作るためである。
こんなことが数ヶ月に1度位の割合で起こる。
数ヵ月前。
腹が減ったな。
そうだな。
このやり取りは2時間前にもした。
そのときはあらかじめ頼んであった夜食を短時間で腹に収め、ふたたびもくもくと書類に向かったのだが、夜食は眠気を起こさせないために量が少なかった。
この時間では、いくら朝の早い城の料理番の下働きでもまだ夢を見ているころだろう。
「少し待て」
シャドウは立ち上がり部屋を出ていき、エドガーは去っていくシャドウの背をちらりと見やっただけでまた机の上の重要書類と格闘するのだった。
エドガーはあれから何枚かに目を通し、椅子に座ったまま背伸びをした。
体が悲鳴を上げる。
シャドウはまだ戻らない。
ぽきぽきと背骨は鳴り、脳は酸素を求めて自然にあくびが出た。
目頭をもんでいると重厚な扉の向こうから自分を呼ぶ声がする。
「エドガー、開けてくれ」
立ち上がる際に思わず机に手を突いてしまい、年寄りみたいだなと思ったのはまだ内緒だ。
掛け声(いわゆる、よっこらせ的なやつ)が出なかっただけでもよしとしよう。
「シャドウ?」
「一息入れよう」
扉を開くとそこには銀色のトレーに飲み物やグラス、軽食を携えたシャドウがいた。
あらかじめ厨房の片隅を使えるように料理人に頼んでいたのは、エドガーに言っていない。
フィガロ城には、シャドウの部屋がある。
小サロンに近い、余人があまり近づかない場所に。
普段小サロンばかり使いがちだが、一応は王の私設諜報員のような肩書きがあるため(それもごく一部の関係者しか知らないことではあるが)実は、その詰め所的な部屋もあったりする。
つまりシャドウは城内にちゃんと2部屋持っているのだ。
とはいえ諜報員もシャドウ一人だけであるし、彼に用のある人間も王たるエドガーしかいないためシャドウは自室と小サロンしか使用しない。
シャドウの自室には、広さの割りにあまり物がない。
ベッドとソファ。作り付けの本棚。バスルーム。小さな暖炉。
寝に帰るためだけの部屋に、最近、簡素なキッチンが付いた。
暖炉を改造して、火口を二つとオーブンを作り、カウンターをしつらえた。
理由はいくつかある。
小サロンでの飲酒の際酒肴は普段調理場の人間に頼んでいたが、深夜になることが多く、調理人に手間をかけてしまうため。
シャドウの食事の時間が不規則なため。
なにより、食堂まで行くのが面倒なため。
もともとシャドウはあまり食事を取らない。
栄養バランスには気をつけているが、3食やティータイムを必要としないのだ。
好きなときに好きなものを作って食べたい。
そうエドガーに言ったところ、料理ができるのか!と驚きと喜びと若干の猜疑心が混じりあった妙に味のある表情をした。
それも作ってきたのだと伝えると、ひどく驚いた様子でなにやら考え込んでいたが、きちんとうまいの一言が返ってきた。
「わざわざ厨房まで降りたのか?」
「ああ。あそこでしか火が使えないからな」
「たしかに……」
「まあ、使えたところでここまでくるのに冷めてしまうから、温かくなくていいものを作ったんだが」
サンドイッチに冷製スープ。夜食の定番。だがいかんせん、冷たい食べ物は体力を奪う気がする。
ならばということで、シャドウの部屋はリフォームされたのだ。
今日。
日付が変わるころ。
よう、と勝手知ったるフィガロ城のエドガー執務室にセッツァーがやってきた。3回のノックとともに。
エドガーが入れと声をかけると、いつものように酒瓶を片手に、まだ仕事してるのかよなどとエドガーをからかいつつもその元気な姿を喜びながらセッツァーが顔をのぞかせる。
もうすぐエドガーの仕事が片付くというので、セッツァーは一足先に小サロンに向かうことにした。
「シャドウの部屋に寄って声をかけてくれ。今日はまだ顔を見ていないが、お前が来ることは言ってある」
書類から顔を上げはしないが、気分はいいようだ。
背中にかけられた声に片手を上げて応え執務室を出たものの、
(シャドウの部屋? そういえば初めてだよな……。いつも小サロンにいるし。まあ、寝る部屋くらい必要だよな)
「シャドウ、いるか?」
セッツァーはエドガーを訪ねたときと同じく3回のノックの後に声をかけた。
シャドウの部屋に近づくにつれなんともいえないにおいが漂っていたのだが、その一言で言って「旨そうなにおい」はこの部屋からもれ出ているのが知れた。
「セッツァーか、入っていいぞ。今手が離せない」
ややあって部屋の主からもたらされた入出許可にいぶかしみながらも扉を開ける。
そこには胸当てつきエプロンをつけたシャドウがいた。
コンロにかけられたフライパンからはぱちぱちといい音がする。
「……何してるんだ?」
「……料理だ」
見ればわかることをうっかり質問してしまうくらいに衝撃的な光景だった。
「ちょうどいい、手伝え。そこの皿をここに並べてくれ。終わったらそのボウルの中身を盛り付けてくれ。3等分だ」
「いいけど、え、どんな風に?」
「センスで」
「センスで……?」
普段酒のつまみくらいなら自分で用意したりはするが、せいぜい缶詰を開けるとかただ切って皿に入れるとかしかしないセッツァーは、シャドウの大雑把な指示に戸惑う。
「ああ、手は洗えよ」
「お、おう」
普段料理はしないが、外食の多いセッツァーは料理を目で楽しむことができる。
おまけに勘もいい。その上器用だ。そうでなければギャンブラーは務まらない。
ボウルの中身がサラダだと知れると、皿とフライパンの中身を確認した。
無地の丸皿、サラダ、焼かれているのは……塊肉か。てことは切るんだよな? じゃあその肉を置くスペースを取って……あ、ソースもかかるんだよな。たぶん。じゃあ、ま、こんなもんかなとそつなく盛り付けを終えた。
そうこうしているうちに、シャドウは肉を焼き終え、同じフライパンでソースを作り始めた。
「セッツァー、今日は何か持ってこなかったのか?」
「持ってこないわけがあるかよ。ほら」
持ってきていた酒瓶をちらつかせる。
「相変わらずいいものもって来るな。ちょうどいい、空けてくれ」
「はいよ」
フライパンから目を離さずに酒瓶を受取ったシャドウは、離れていろと声をかけ、おもむろにフライパンに酒を注いだ。
火柱は一瞬だったが、それに照らされたシャドウは、セッツァーから見ても美しかった。
炎の色に染まるプラチナブロンド。
うっすらと汗ばんだ額。
料理の出来栄えに満足する表情。
これ、俺が見てたってエドガーが知ったら、いい気しないんじゃないか? ……ま、いいか。役得ってやつだ。
肉を切り盛り付けを終えた皿を、あらかじめ用意してあった別の料理とともにワゴンに乗せる。
「じゃあ俺は、エドガーを呼んでくる。主役がいなきゃ始まらないしな」
「冷めないうちに頼む」
そうして料理はシャドウにより小サロンへ運ばれ、程なくして、エドガーとセッツァーが連れ立ってやってくる。
「今日はまた、一段とすごいな!」
部屋に入って真っ先に、エドガーが感嘆をもらす。
落とした照明、控えめな香りの花々、オルゴールの奏でる耳障りのよい音楽。質のいい酒場の個室といった雰囲気だ。
今日はいつものカウンターではなく、テーブルを出し配膳してある。
エドガーの対面にセッツァーとシャドウという配置だ。
「つうか、シャドウが料理するなんて、今日初めて知ったぜ。どこで覚えた?」
「俺も最近知ったんだ。ここだけの話、城の食事よりうまい」
それは惚れた欲目だろうとは言わないでおくセッツァーである。
手伝いはしたが、味見をしていないので見た目どおりうまいかわからない。
3人のグラスに、持ち込んだ酒を注ぎながら、どうなんだと問いかける。
「見ればわかるし読めばできる」
この城に来てから、シャドウには時間ができた。
暗殺者として身に着けたさまざまな技術を、日常に役立つ技術に変える。
料理もその一つだ。
なじみの酒場の厨房に時々手伝いに入ることがある。そこで料理の腕を磨いた。
もともと潜入用に身に着けた付け焼刃の料理が、純粋に食事を楽しむ、調理過程を楽しむものになっていった。
食べる者の顔が浮かぶと、自然とそうなっていくのが自分でもわかった。
「いやいやいや、え、そういうものか?」
「さあ、わからん」
「冷めないうちに始めよう」
シャドウは言い、グラスを掲げる。
それに倣いセッツァーもグラスを掲げ、隣のシャドウと声を合わせる。
【 誕生日おめでとう 】
そう、今日はエドガーの誕生日だ。
「ありがとう。忘れかけてたよ」
フィガロでは大掛かりな王の生誕際を催したりしない。その代わり、建国記念日は盛大に祝う。
ここ何年かはそうだ。
いろいろな意味で、そんな余裕がなかったせいだ。
「ん、うまい」
さすがにフルコースとまではいかないが、前菜、肉料理、魚料理、スープ、デザートが揃っている。
やや変則的だが、給仕が出来た順に持ってくるわけではないので、温かい内に肉料理に手をつけたエドガーは素直にほめた。
中までしっかり火が通っているが、いささかも肉汁を損なわない肉の焼き加減といったら!
酒との相性もいい。
「そのソース、これだぜ」
グラスを振ってみせるセッツァーになるほどと頷く。
「それにしても、ほんとにうまいな」
前菜には、チーズやナッツ、クラッカーを盛り合わせ、魚料理には、大ぶりの貝柱を焼いてクリームのソースで仕上げた。
夏野菜の冷たいスープに、果物のパイで完成した祝いの食卓。
多国籍な感じは否めないが、イメージどおりに出来たと思う。
「ほめても何も出んぞ」
「いや、マジで」
満足そうに舌鼓をうつ二人を見ながら、まんざらではないシャドウだった。
「そういえば、手伝ってくれた礼がまだだったな。ありがとう」
「いいって、たいしたことしてないし」
「ありがとう、二人とも」
エドガーのまっすぐな礼に、目を細め口元が緩む二人だった。
「乾杯しよう!」
グラスを手に立ち上がったエドガーが、高らかに発声する。正面にいる二人を見つめ、
「かけがえのない友に」
続けてセッツァーが二人それぞれと目を合わせて、
「フィガロの王と伴侶に」
最後にシャドウは、ほんの少しの間、どこか上のほうに目をやって
「世界に」
【 乾杯 】
この日々が、少しでも長く続くように。
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