乱闘。
一言で言えばそうだ。
グラスの破片を踏みながら逃げ惑う客。
離れたところから野次を飛ばす酔っ払い。
おびえた表情の店員たち。
ステージに立ち尽くす歌姫。
久しぶりに飲みに出てみれば、こんな騒ぎを目の当たりにするとは。

保安員なのか店の用心棒なのか、そんな人間たちが、騒ぎを起こした連中を引っ立てていく。様子を伺っていた客らしき男に話しを聞く。
どうということはない、酔っ払い同士の喧嘩。止めに入ったピアノ弾きが巻き込まれて昏倒。そんなところだ。

店員たちが乱れた店内を片付けていく。
割れたグラスを掃き、テーブルと椅子を戻す。
歌姫もステージから降りて、テーブルにクロスをかけている。
さすがに今日は店じまいだろうと思っていたが、店主は営業を続ける意思を見せた。


「たまには外に飲みに行こう」
書類の山の間から顔を上げたエドガーはそう言って、笑った。
紙の仕事の多さからなのか、外に出る機会がなくなったからか、はたまたその両方か、エドガーの視力は昔に比べて若干落ちた。
夕方になると、軽く度の入った、フレームレスの眼鏡をかけるようになっていた。よく似合っている。
「もう終わるから待っていてくれ」
しばらくの間執務室には、紙の上をペンが走る音と彼の息遣い、時折判を押す音だけが響いていた。

街に出ると、そこそこ賑っている。
客引きが声を掛け、着飾った女たちが誘う。
人々の顔には笑みがあり、 「あの頃」 に比べればずいぶんと活気を取り戻しているように見える。……見えるだけなのかもしれない。
それでも、 「ふり」 ができるようになっただけいいのだろう。そう思うことにする。


エドガーは、金の髪こそそのままだが、およそ王には見えない格好をしている。
身分を隠して外に出るときはいつもそうだ。
青いシャツに、緩められたネクタイ、黒いパンツとジャケット。眼鏡。どこにでもいる青年の格好。彼にしてはラフな装い。女性向けの酒場にいる店員に見えないこともない。
そういう俺は、相変わらず、黒いシャツに黒いパンツ。いつもと変わらないが。
傍から見たらどういう男2人連れに見えるのだろうか。……どうでもいい。

「この店にしようか」
ピアノの生演奏に合わせて、売り出し中の歌姫が歌うようだ。
扉に近づいて、あの騒ぎに出くわした。


店はすっかり片付いていた。
お見苦しいところをお見せしてと店主はしきりに謝罪していたが、酒と料理にありつければ何の問題もない。
他の客はどうか知らないが、少なくともエドガーは気にしていなかった。たぶん、歌姫が気になっていたのだろう。
酒場で歌う歌手について詳しくは知らないが、少なくとも、乱闘の片づけを手伝うようなものは少ないだろう。

2杯目の酒に口をつけた頃。
だんだん、店内が賑ってきだした。
騒ぎを知らない客や逃げ出していた客が戻ってきたようだった。
ふと、店の隅に目が行く。
店主と歌姫、店員が何人か、なんだか話しこんでいる。
エドガーもそれに気づいたらしく、俺と目が合う。
「行ってみようか」

今日のメインはピアノの生演奏と歌姫だった。だが、乱闘のせいで、演奏者がいなくなってしまった。今からでは代打も見つからない。
もちろん歌姫が演奏なしで歌ってもいいが、そうすると、ステージ脇の立派なピアノが妙に浮いてしまう。きっと客の中にはピアノを求めるものも出るはずだ。普段からリクエストも受け付けているから。店内を見渡せば、何人か常連の姿も見受けられるようだ。
仕方がない今日のところは、と客への謝罪のためにその場を離れようとした店主を、エドガーが止めた。
「頼めないか?」
幾分申し訳なさそうに、だが確信を持って、エドガーが頼んでくる。
期待の目を向ける店員たち。
「・・・・・・今日だけだからな」

席に戻ってグラスの中身を一気にあおり、ピアノに向かう。
隣のエドガーは、いつになく嬉しそうだ。
「楽しみだ」
「あまり期待するな」

ピアノには譜面。
《 EYES ON ME 》

結局、譜面のある曲だけという条件で何曲か弾くことになった。
その間エドガーは酒と演奏と歌を楽しんでいた。満面の笑顔。
店主が俺に礼を言いにきて、やっとピアノから開放された。
客と歌姫からの惜しみない拍手。
昔では考えられないことだ。

3杯目の酒を頼むと、店員がテーブルの伝票を持っていってしまった。奢り、ということだろう。
時折客や店員に話しかけられながら、心地よい時間が過ぎる。

店を出ようとすると声を掛けられた。
「先ほどはありがとう」
女の声に振り返ると、歌姫がいた。
「ジュリアよ」
「……クライドだ。こっちはエドガー」
「演奏、素敵だったわ。お気に召して? エドガー」
「ああ、楽しませてもらった」
「よかった。また来てくださる? しばらくはこの店で歌わせてもらうから」
「もちろんだ」
「クライドも」
「ああ」
「今日は本当にありがとう」
ジュリアと店主に見送られて、酒場を去った。
彼女のあの歌が聴けるなら、もう一度行ってもいい。今度は単なる客として。


帰り道、エドガーが鼻歌を歌いだした。珍しいことだ。
《 EYES ON ME 》
俺を見る彼の瞳が好きだ。
演奏中時折彼を見ると必ず目が合って、微笑んだ。
彼はあの歌の意味を理解 したろうか。

隣を歩くエドガーの頬ををつねってやった。やさしく、でも確かに。
しかめ面をしたから、これが夢ではないと分かる。






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