控えめなノックにどうぞと言いかけて、やめた。
時刻は深夜をとうにまわっている。こんな夜更けに自分の部屋を訪ねてくるのは彼しかいない。
椅子から立ち上がり扉に手をかける。
隙間から漂うわずかなアルコールの芳香と、わからないものにはわからない金属臭……血のにおい。

「シャドウ……!」

慌てて開け放った扉の向こうにはシャドウが立っていた。

「……時間はあるか?」

無くても作ると答えながら、扉を閉め、彼の全身を確かめる。
衣服は乱れていない。怪我らしい怪我は、両拳と、唇の端。

「何があった?」

両手をぬぐい薬を塗り包帯をする。切れるほどに殴ったのなら、相手のほうが傷は深いだろう。
口をあけさせたが、歯は無事だった。
とりあえず冷やしておこうと濡れタオルと氷を用意する。

「……こちらから手を出す口実のために一発もらっただけだ」
「……」
「……殺してはいない」
「……」
「……すまない……?」
「……」

何をそんなに怒っているのかわからないという表情で見つめてくるシャドウに、ため息しか出なかった。
あと、とりあえず謝っておいた方がいいのかと思っている態度も気に障った。
だからもう一度ため息をひとつ。

「何があった?」

もう一度聞く。たいした話ではないのだろうと思いながら。

「飲みに行った店で、女に絡んだ客の足を引っ掛けた。大勢の前で恥をかいたと殴りかかってきた。一度は避けたが、まだかかってきてな。面倒だから、もらってやって、立てなくなるまで殴った。それだけだ」
「……」
「……」
「……女はあの歌姫だ」
「……じゃあ、仕方が無いか」

一人で行ったというのは悔しかったが、自分には仕事があったのだから仕方が無い。
それに、あの歌姫に絡んだ狼藉者を片付けたというのなら、溜飲が下がる気がした。

「次は誘え」
「ああ」

ジュリアの歌を近いうちにもう一度聞きたかった。シャドウのピアノとともに。
……そういえば今回だけだと言っていたが、俺を誘わなかった罰だと言えば、仕方なしに弾いてくれるに違いない。

「で、時間があるかと聞いたな。怪我の手当てが用件じゃないだろう?」
「……久しぶりに、食い散らかしたい気分なんだ」

戦闘とも喧嘩ともいえない中途半端な運動が、彼の体に火をつけた。
そのあからさまなお誘いに、乗らないわけにはいかない。
たとえ明日、お互い寝不足で、まともに動けないのがわかりきっていても。

「なら俺も、食い散らかすとしようか」

すでに血の止まった唇に接吻する。
彼の命の味がした。






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