もしかしたら、シャドウさんは覚えてないかもしれないんですけど………。
これからお話しするのは、何でもない日の、何でもない時間のことです。
だから、シャドウさんにとっては退屈でつまらない話かもしれません。
……あの、それでも、聞いてもらっても、いいですか?
ええと。
わたしとシャドウさんとインターセプター、まだ二人+一匹で、仲間を捜し歩いていた頃のことです。
世界が荒廃していく真っ只中でのことです。
わたし達はその時、──うーん、確か、マランダへ向かう途中だったと思います。
街を目指して、荒れ野をひたすら歩いていました。
陽が南中するくらいの時分でしたか。太陽はその頃合を伝えていましたが、時たま現れる厚い雲にその光を遮られていたのを、なんとなく覚えています。
わたしは、削れてしまったために妙に見晴らしのよい大地に目をやりながら歩き続けました。
ところどころ、干上がりつつあるようにひび割れた土が嫌でも視界に入ります。
きっと以前は緑豊かだったのだろうと思われるのですが、今は見る影もありません。
ただ、カラカラに乾ききった枯れ草ばかりがやたらとそこここに点在しています。何かの拍子に火が付いたらあっという間に火事になってしまいそうです。
そんな景色ばかりが何処までも続き、そうしてふと、「本当に世界は崩壊したんだ」と思います。
世界は、死と滅びと絶望に侵蝕されつつあるのだと。
思いますが、幸いにもわたしにはまだ、前に進むだけの力が残っていました。
……強がりなんかじゃあ、ありませんよ?
わたしはまだ失っていなかったのです。わたしの大切なものは、ちゃんとすぐ傍に存在していましたから、だからまだ平気でした。
まぁ、とは言っても、普通に歩き疲れはしますからね。
どのくらい歩いた頃か、わたし達はほんの少しの休憩を取ることにしました。
シャドウさんが腰を下ろした場所の近くに、インターセプターが寝そべります。
わたしは地面に簡単にマントを敷いて、その上に横になろうとしました。
寝るつもりではありませんでした。ただ横になって、目を閉じていようとしただけです。そうやって、少しの間休むつもりでいました。
「シャドウさん、もしわたしが眠ってしまっても、そのままわたしを置いて何処かに行ったりしないで下さいよ?」
冗談半分にそんなことを口にします。
こちらを見るシャドウさんの目が、僅かに細まるのが判りました。
「さぁな」
たった一言、言葉が返ってきます。
そっけない、抑揚のないもののように思われるいつもの口調です。
けれどなんとなく、わたしは理解していました。今シャドウさんが小さく、笑んでいたことを。
しかしわたしは今の台詞を聞いて、ワザと口を尖らせて見せます。それから、少し離れたところにいる貴方の愛犬へ、
「インターセプターはわたしを置いてったりしないよね?」
ね、頼むから置いてかないって言ってくれ、と。そう水を向けました。身を休めていた彼ですが、首を少し持ち上げて鼻を鳴らしました。
彼なりの反応を見届け、わたしは少し笑み、それからマントの上に横になります。
目を閉じると、何だかとても穏やかな気分が静かにあふれてくるような気がしました。
……不思議ですね。そうしている間にも、世界は刻一刻と破滅へ近付いているというのに。
でもその時のわたしは、小さいながらもしあわせを感じ得ていたんです。
そのせいなのか、どうなのか……、まぁ、よく判んないんですけど。
本当に寝るつもりはなかったんですよ?
傍らにいるシャドウさんが何か声を掛けてきたなら、即起き上がるつもりでいましたし。
──ああ、でも、たぶんわたし、寝ちゃったんでしょうね。
だって、夢をみましたから。
そうですね、夢をみたんです。
わたしのこんな話、シャドウさんにとってはどうでもいい事だと思いますけど……。
あの、もう少しだけ続けさせてもらっても、いいですか?
ええと……、そう、夢の中でわたしは、しばらくの後、うっすらと目を開けたんです。
現実と決して変わらない光景がありましたよ。
空も、荒れた地も、枯れ草を揺らす風の匂いも、夢の中だというのにとてもリアルで、鮮明でした。
ただ、紅く染まりつつある遠い空から、時が夕昏に差し掛かりつつあるのが判ります。
今考えると、かなり本気で現実とリンクしてたなぁと思いますよ。本当に。
でも、夢なのに違いなかったんです。
何故って?
……そうですね。えっと。
わたしは、顔をそちらに動かしたんです。シャドウさんはどうしてるのかなって。そう思って、ゆっくりと、貴方を見たんです。
丁度、雲に隔てられない太陽がシャドウさんの向こう側にありましたので、まぶしさに瞬間、目が眩みます。
それでもわたしは、そのままで静かにそちらを見ていました。
目を細めながら、それでも、魅入られたようにそちらを見ていました。
──目を離すことなんか、出来なかったんです。
貴方の、いつも付けている額当てが見当たりませんでした。
シャドウさんの顔を覆うものが、いつも風にたなびく黒布が見当たりませんでした。
わたしの知らないシャドウさんが、すぐ傍に存在していたのです。
何処か遠い地から渡ってきただろうと思われる夕の風が、ゆるやかに吹くその風が、晒されている貴方の頬を撫で、髪をなぶりやわらかく揺らしていきました。
……そうですね、まさに夢です。これは夢の話なんです。
その時は夢とも思わなかったんですけど、けれどもわたしは不思議と思ったよりも冷静で、そのままただジッと、シャドウさんを見ていました。
わたしには逆光の煌めく光と影のスクリーンの中、何処か遠くを見るシャドウさんの横顔のラインがくっきりと浮かび上がるように見えたんです。
あまりに陽の光がまぶしすぎて、シャドウさんの顔や表情をはっきりと捉えることが出来ません。
けれども、わたしは目を離すことも出来ないのです。
何かを考える事など出来ませんでした。
息をする事も忘れたまま、ただ、そのシルエットを見ていることしか。
……だから、でしょうね。
不意に、目から何かがこぼれそうになりました。きっと、目に突き刺さる太陽のせいです。
──は。泣いてなんかいませんよ、いくら夢の中とはいえ。わたし、人前では泣かない主義ですし。
ちょっと、ほんのちょっと、目の周りに滲んだくらいです。本当ですって。
……ああ。けれど。実際。その時は。
鼻の奥が、ツンとしたもので満たされるような感覚があって。
胸が熱く、何だか、どうしようもない程の何かでいっぱいになるような、そんな感じがして。
…たぶん、きっと、全て、あまりに眩しすぎる光と影のせいであるのに間違いありませんでした。
とにかく、そのままでは本当にどうにかなってしまいそうで、わたしは遂に見続けるのをそこで諦め、またゆっくりと目蓋を下ろそうとしました。
ずっと遠くを見ていたシャドウさんが不意に、わたしの方に顔を向けたような気がしましたが、その時にはもう、わたしは目を閉じてしまっていたんです。
……ずっと強い光を見続けていると、目の奥にぼうっとその残像が残ったりしますよね。
その時のわたしもそうでした。もう目を開けてはいなかったのに、その焼きついた像はしばらく消えず、わたしの中に留まったままで。それを自分の中でそっと撫でるように反芻しながら、思いました。
この感じは一体なんだろう、と。
わたしはそんな事を思います。
今自分の胸にいっぱい溢れてくるこの感情は、一体なんだろうと。
たぶん、平たく言ってしまうなら、 『 嬉しい 』 だとか 『 しあわせ 』 だとか、そういったものに通じる気持ちかと思います。
でも、それらとも少しばかり違うような気もします。
わたしは、その形容する言葉も思い付かない何かでいっぱいになりました。
世界は、死と絶望の色に満ちているはずでした。
けれどわたしには、少なくともその時のわたしには、そんなふうには微塵にも思えませんでした。
その時世界には、きっと、そんな色彩は存在しなかったんです。
だって、あんなに眩しい光の中で、一体何という名の色がその存在を主張していられますか。
形を成さない想いが自分の中にふつふつと生まれていく中、わたしは、自分の目元を何かがぬぐっていってくれるのを感じました。
ぱちっと、両の目を開けます。身体を起こします。
まだ辺りは明るいのですが、それでも夢の中で見たよりも太陽の高度は落ちています。
──ああ、結構、時間経っちゃったのかも。
まずそう思いました。果たしてこれから夜までに、ちゃんと街に辿り着けるかな、とか。そんなようなことを考えていると、
「やっと起きたか」
と声を掛けられます。
わたしは貴方の方を振り返りました。いつもどおり額当ても黒布もフル装備、きっちりと顔を隠しておいでのシャドウさんが、やれやれとでも言いたげにこちらを見やっています。
わたしは、その事をどうと思うワケでもなく、ただ、ほんの少しだけ頬を膨らませて
「寝てませんてば」
と抗弁しました。
「横になって目を閉じてただけです、眠ってなんかいませんでしたってば」
「俺にはそうは見えなかったがな」
「よく見てないだけです、それは」
ちっちっち、と指を振りますが、シャドウさんはふっと息をついただけです。どうにも信じてくれていなさげな様子です。
むむむ、と次いで何か言おうとしましたが、結局わたしはそれを諦めました。
「それより、結構いい時間じゃないですか。ちょっと休息しすぎたんじゃ……」
「誰かが眠り込んでいたからな」
「…………だから、シャドウさん」
もう一度口を開きかけるわたしを尻目に、さっさと手際よく再出発の準備を整えたシャドウさんは、同じく準備万端のインターセプターを随えて、チラとわたしに目線を投げます。
また少し目を細めたかと思うと、ふいと背を向け歩き出します。
わたしはワタワタと敷きっぱなしのマントを手に取り土を払い、それから慌てて貴方の後を追いました。
追いつく直前、ふと気が付いて、立ち止まります。
止まって、指先を、目の辺りにやります。けれどそこに水が滲んだかどうかの跡はなく、結局のところあれが夢だったのか現実だったのかを知ることは出来ませんでした。
けれど、どちらでもわたしは構いませんでした。
夢だとしたら、いい夢でした。現実だったなら……、はは、いえ、そんな事あるはず、ありませんよね。すみません、こんな話してしまって。
でも、わたしの中にはあの時見た光景の残像が思いのほか、くっきりと焼きついてるんです。それで、よく思い出すことがあって。
で、なんとなく…………その、もし、シャドウさんがこの日のことを覚えていたらと思って。
もし少しでも記憶して頂けてたら、わたしはちょっと、いえかなり嬉しいです。
何でもない日の何でもない時間の事ですが、わたしにとっては忘れたくない記憶の一つなんです。
例えそれが、夢の中での事であったとしても。
──そうでなかったと、しても。
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