――彼女は、ひっそりと其処に居た。
飛空艇内、ブリッジへと続く階段の下で、はジッと佇んでいた。
階上に灯る淡く色の落ち着いた照明がその姿を照らしている。彼女はランプの飴色の光を黙って見つめていた。
瓦礫の塔へ挑む数日前、つい先日のことだった。
とうに日付の変わる刻は過ぎていた。
何をしているのかと俺は訝った。用もなしにこんな場所で立ち尽くす理由がにあるとは思えなかった。
それも見ていれば、数分もの間向こうは微動だにしない。
俺が彼女に気付いてずっとそうなのだ、実際はもっと長い時間そうしていたのかもしれない。
それでも尚、はそのまま動かなかった。
ただ、立っているだけである。他の通路の明かりは消されシンと静まり返った夜の艇内で、この場所だけが闇の中で許された光り、だけがこの時間に許された存在であるかのようだった。
「……何をしている」
尚幾ばくか様子を見たが、やはり其のままでいるだけのに、俺は言った。
こちらを一瞥した彼女の動作は緩やかだった。僅かに目が細められている。暗がりから現れたこちらを見ても表情一つ変えなかった。
「何も」と少しの間の後に向こうは答える。
「何もしていません、ただボーッとしてただけで」
横から見るその顔にあるのは深い静。
その時までは、それ以外を読み取る事が出来なかった。
再び頭上の光源を見上げながら、ただ、とは言った。続けた。
「……あとどのくらいの間、こうして、此処に居られるんだろうって思って」
夜の冷えた空間に小さく響いた声は、微かに掠れていた。
世界の神と謳われた魔導士が君臨していた塔、その脱出道を逆に辿りながら思い返す。
あの時、何か言葉を掛けるべきであったかもしれない。
今になってはどうにもならない事だった。が口にした事は、婉曲ながらも彼女の恐れを露わにしていたというのに。
崩壊に伴う揺れのせいで地面は不確かなものだったが、それでも駆けた。
地から足が離れた次の瞬間、降ってきた岩の塊で今来た道が塞がったが、どうでもいい事だった。
黒髪の娘の事をまた思う。
あの夜耳にした言葉の意味を思う。
彼女の何があの言の葉を紡がせたのかを漠然と考える。
いつか、「この世界には自分の帰る場所がない」と話していた事を思い出す。
やはり、あの時俺は彼女に何か言うべき事があったのではないか。
考えるが、同時に、自分に何が出来ただろうとも思う。
陽の当たらない場所に身を置きながら生きてきた俺では、彼女に何かを与える事など出来ない。出来る筈がない。
不意に、彼女の声が蘇る。
「此処から脱出したら、またわたしの話を聞いて下さい」と。その娘は言っていた。まだ話したい事が沢山あるのだと。
その事を思うと胸に痛みを覚えた。
決して契りを結んだつもりなどなかった。約束などというものは嫌いだ、いつも、守れた例がない。しかし。
気付けばもう既にかなりの距離を移動している。俺は上空を見上げた。
流れていく薄くまだらな雲。その切れ目から差し込む太陽。吹き荒れる温みを帯びた風。
……満ちていく、終末への予感。全てが、あまりに眩しかった。
俺は其処に立ち尽くす。
自分が血塗れの道を歩んでいなかったなら、彼女の望むようにさせてやる事も出来ただろうか。
この世界での彼女の帰る場所になる約束を出来ない事が、辛いと思った。
眩しすぎる岐路を、再び馳せた。
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