彼の悪夢は、いつから始まっていたんだろう。
わたしはシャドウさんを見ながら思った。






















彼が眠っている姿は、今までにも何度か目にしている。
けれどその都度しきりに何事か呟いていたり、荒く息を吐いたり、首を振ったりという仕草があったように思う。
いつだったかは、風邪の心配をしてしまうくらいびっしょりと汗をかいていた事があった。

それはきっと、夢の中に何か厭なものが現れるからなのだろう。
うなされるというのは、そういう事だ。夢を見なければ、そうはならないだろうから。
そして今も、きっとそうなのだと思う。
シャドウさんは眠りながら、苦しげな呼吸を繰り返していた。

普段の彼からは想像しにくい姿だと思った。
覚醒している時のシャドウさんはどんな状況でも冷静でガラスのように鋭く、そしてどんな傷を負った時も、痛がる素振りを見せることはしなかった。

彼は、全てを理性で押さえ込み、その黒衣の中に押し隠してしまう。覚醒している時ならば。
こうして意識が低下している時だけ、その押さえ込んでいるものの力が緩められる。
不思議な感じだった。
彼は外へ感情をさらけ出すことをあまりしない人だったから、今目の前の彼の様子が信じ難いのだ。
幾度と目の当たりにしても、それは未だに変わらない。


わたしは静かに、シャドウさんを見守った。
インターセプターは床に寝そべりながらも、目を薄く開けて彼を見ていた。
主に向けられたそれは、何処か哀しそうな目に見えた。


起こしてあげた方がいいに違いないと思って、シャドウさんの傍へ駆け寄ろうとしたことがある。
その時に行く手を塞いだのはインターセプターだった。
近付かない方がいい。無言で彼の目がそう告げていた。
どうして。あんなに苦しそうなのに。わたしは無言でそう訊ねた。


その直後、インターセプターが正しかったということがよく判った。
それまで横になっていたシャドウさんが声もなくバッと上半身を起こし、その片手にダガーを携えていたから。
わたしは今でもあの時のシャドウさんを忘れる事が出来ない。


シャドウさんが辛そうにしているのは、一、二分の時もあれば数時間に及ぶ時もある、その時その時でまちまちだった。
そのヤマさえ越えれば、あとは静かな寝息を立てている。
起こしたら、そしてまた眠りにつけば、またもう一度その夢を見てしまうかもしれない。
だからやっぱり起こさない方がいいのかもしれない。そうでないかもしれない。わたしはどうしたらいいのか判らない。
──判らない。何も。


もうしばらく彼の様子を見やって、それから、わたしは立ち上がった。
インターセプターが反応を示して、顔だけをこちらに向けた。

大丈夫、起こすわけじゃないから。

わたしはそう小さい声で言うと、インターセプターもまた首を元に戻した。
わたしはシャドウさんのところまで来て、近くにあった椅子を音がしないように動かした。
それに座った。

近くで見ると、閉じられた目蓋のすぐ脇、こめかみの辺りを一筋の汗が流れていくのが判った。
不意に胸が締め付けられるけれど、そんなのはどうでもいいことだ。
無造作に放り出された彼の手を、起こさないようにしながらそっと取る。
手袋ごしの、大きくて指の長い手。
それを両手で包み込む。それくらいしか出来る事はないのだ。

彼の悪夢は、いつから始まっていたんだろう。
わたしは堂々巡りを繰り返す。
シャドウさんはずっと、同じ夢を見続けているのだろうか。それは一体、どんなものなのだろうか。
少し考えるけれど、考えたところでどうにもなるわけでもないし、彼にしか判り得ないことであって、わたしがどうこう出来るものでもないし、そしてそれはこれからもずっとそうなのに違いない。

その片手を握りながら、彼のことを考える。
たくさんのことを乗り越えてきたであろうこと、その中で何を感じてきたのだろうかということ。
それらがすべて、シャドウさんを形作っている。

けれどどうか、そんなに辛い苦しさを自分の中に閉じ込めないでほしい。
いろいろ思うところはあった、けれど、結局のところ、行き着く想いは一つだった。
早く彼に、心からの安息が訪れる日が来ればいい。わたしはそんなふうに祈っていた。




一時間程経って、何事もなかったかのようにシャドウさんは起きてきた。
おはようございます、と声を掛けた。向こうは微かに肯いて、それから何かを呟いたように思う。

「──」
「え、何ですか?」

わたしはちょうどその時朝食の用意をしていて、フライパンに卵を落としたところだった。
油の弾ける音に、彼の声がかき消されていた。
わたしは聞き返したけれど、少しの沈黙の後、いや、何でもないと、彼は踵を返した。
シャドウさんはそれについて、もう口にすることはしなかった。

わたしはというと内心、吃驚していた。
聞こえないふりをしてしまったけれど、本当はちゃんと判っていた。
すまなかった、という言葉だった。
それを聞いて、手を握っていたのを知っていたのかと一瞬かなり動揺した。彼は寝ていたのだから知るわけがないのだけれど。
わたしは其れを思わずスルーしてしまい、結局のところ彼の真意は判らず終いだ。
けれど、曖昧なままでいいようにも思う。

シャドウさんのことを思った。
それからわたし自身のことも思った。

彼は嬉しいとか哀しいとか痛いとか苦しいとか、そういうことをきっと本当はたくさん感じていて、また或いはそういった類ではない感情もたくさん秘めているはずで、例え彼が思うところのほとんどを自らの中にしまい込もうとしていても、それは変わりない事実のはずだし、わたしはそんな彼のことを想ってまた新たにいろんなことを感じていく。

そしてそれは当然というか、ごく自然なことなのだと思った。
何故ならわたしは人間で、そして彼もまた人間なのだから。






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