ダイニングの隅で、誰かが蹲っています。
誰か──、よく見ないまでも、その幾分細身の身体、長く伸びている緑の髪の毛はガウのものでした。
背をこちらに向けているので何をしているのかは判りませんが、わたしは特に気にしないまま声を掛けたんです。

「ガウ、干し肉食べる?」

買い出してきたものをキッチンの其処此処に納めてしまったわたしは、おやつにと買ってきた干し肉を(ジドールでは 『 ジャーキー 』 と称されて売られていましたが)手にして、彼に渡すつもりで近寄りました。
返事をするのが早いか、それとも獲物を手にするのが早いか、どっちだろう等と考えながら。
けれど、反応がほとんどありません。
あれっと思い、もう一度名を呼ぶと、彼はようやく、ゆっくりと振り向きます。
ガウがこちらに顔を向けたのを見て、わたしは動きを停止させました。
元々赤い、少し大きめの目が、いつもよりも色味を増している気がします。
瞳をウルウルさせていて、今にも涙がこぼれてしまいそうなのです。
そんなガウを見るのは初めてで、わたしは一瞬、狼狽するような気持ちになりました。


「…………」
「どうしたの? 何処か痛い?」


それでも出来るだけ、こちらは普段の調子で、やわらかめのニュアンスを含めてやります。
ガウは座り込んでいましたので、わたしも同じようにしゃがみ込みます。向こうが何か話してくれるのを待ちます。
ガウが、何やら傍に置かれているこげ茶色のものを、そっと取り出しました。
壊れ物でも扱うような手つき、それもまた、初めて見るガウの姿でした。
現れたそれに視線を落としながら、彼は呟きました。

「ガウの、生まれた時からの友だち、ケガした。……ガウのせい」

彼の手に収まっているそれは、熊のぬいぐるみです。
随分と汚れていて、全体の劣化もかなりのものです。単に経年のせいだけではないだろう事は予想できましたが、目の部分のボタンは片方が無く、もう片方もヨレヨレです。胴の部分は傷んで綿が覗いています。
そして、ガウの言う 『 ケガ 』 というのは左腕の事でしょう。胴体と腕がくっついてはいませんでした。
ただ今までの軌跡を残す、縫い付けられた時の糸が、長くだらりと伸びているだけでした。

「あー……」

わたしは大まかながら、事の事情を把握しました。
ガウと初めて会った時から、彼がこのぬいぐるみを大事そうにしているのを見ていました。
よく知るわけではありませんが、とにかく、ガウの大事な宝物、否、友だちなのだと。
そうしてそのぬいぐるみは、どういう加減でそうなったのか、 『 ケガ 』 をしてしまった(持ち主の言い方からすると、させてしまった、かもしれません)、それでガウはへこんでいるようなのです。

「……見せてもらっても、いい?」

言うと、少し躊躇うような素振りがありましたが、結局ガウは其れを渡してくれました。
手に取ってみると、思ったよりも生地自体はまだ丈夫みたいです。それだけ確認して、言いました。


「元通りに出来るかもしれないよ?」
「でも、ガウ、このあいだ覚えたケアル使った、でも治らなかった……」
「うーん。そうだね、たぶんケアルだと、治らないだろうね。この子の怪我は」
「…………は、治せる、のか?」
「やってみないと判らないけど……、どうする? わたしに貸してくれる?」


貸してくれるなら、やってみるよ? そう告げると、しばしの沈黙の後、ガウはそのままわたしに熊を預けてくれました。
わたしがその場を去る最後まで、ずっとぬいぐるみに視線を縫い留めたままでいましたけれども。





「マッシュさん。ガウ、見ませんでしたか?」
「ガウなら確か、さっき見かけたな──って、、それ」
「はい! 何とか仕上がったんで、早くガウに見せてあげようと思って」
「そうか! ええと、何処で見たんだったかな、ガウの奴」


わたしは次の日、マッシュさんを見つけるとガウの居場所を訊き、一緒にその姿を探しました。
居たのは機関室手前の小部屋。
そこでガウは、昨日見た格好のように、隅のほうで小さくなって膝を抱え込んでいました。

「ガウ、治ったよー」

丸まった背中に言葉を掛けてやると、ピクッとそれが反応を示しました。
そろりそろりと、その頭がこっちを向きます。目が、こちらを捕らえ、そのまま見開かれます。
その先に、わたしの両手のものを差し出してやりました。



結構、苦労しましたよ。
わたし、縫い物とか器用に出来る方ではありませんし、本当のところ面倒くさがりですし。
正直、いつも着ぐるみ縫ってるストラゴスさんに見てもらおうかとも一瞬思ったりしたんですけど(自分で言い出しといてアレですけど)、彼は丁度今、新作作りの真っ最中でしたから。
それに、ガウのためですしね。特別難しいものでもなかったので、少し頑張りました。
一度洗い、汚れを落とした後に、元の色を確かめるともう一度ジドールに下り、織物店に行きました。
ぬいぐるみの中のへたった綿を総入れ替えして、傷んだ部分の生地には新しい、近い色と素材の布を当て、目となるボタンも付け直して、腕を縫ってくっ付けました。
それだけです。それでも充分、ちゃんと熊は 『 ケガ 』 を治したんです。
ガウの顔が、みるみるうちに変化します。嬉しさがはっきりと見て取れます。
わたしとマッシュさんが顔を見合わせ、安心して互いに笑みをこぼし合った、次の瞬間。


ーーーーーーっっっ!!!」
「うおおう!!?」


わたしは吃驚して、咄嗟に避ける事が出来ませんでした。
ガウがほとんど体当たりに近い……というか、モロにそのまま、その通りなんですが。
わたしと熊のぬいぐるみに思い切りぶつかってきたもので、わたしは為す術もなく床にひっくり返りました。
危うく後頭部を打ち付けそうになるのを寸でのところで免れます。
わたしが下敷き、ぬいぐるみが真ん中でサンドイッチ、ガウが一番上の状態です。
そのままでガウは、ぬいぐるみごとわたしを抱き締めながら叫んでいました。


、ありがと! ありがと! ありがと! ありがと! ありがとーーー!!」
「……熱烈だなぁ」


わたしがそう呟き、マッシュさんが慌ててわたしとガウを起こしてくれようとした時でした。
わたし達以外は誰も居ないこの部屋のドアが開く、小さな軋みが聞こえたのは。
……後の説明は、ご不要でしょうか。
ドアのところでシャドウさんは、何故か硬直したままわたし達を見下ろしています。
わたし達はわたし達で、静止したポーズのままでシャドウさんを見る格好です。
仰向けに倒されているわたしと、その上に覆い被さっているガウと、そんなわたし達二人の腕を引っ張っているマッシュさん。
部屋の中の壁掛け時計が、やたらと秒針の音をその場に響かせていく中で一秒、また一秒と経っていきました。


その後のことは、もう本当に、説明がなくてもいいですよね。
…………えーと、シャドウさん?
あの、マッシュさんよりも先に、わたしを起こしてくださったのはありがとうございます、なのですけれども。
どうしてあんな怖い顔されてたんですか? ……否定される前に言いますけど、目が据わっていらっしゃいましたよ。何がお気に召さなかったのか判りませんけれど。
たぶん、いつものように、理由を話しては頂けないでしょうから、わたしもこれ以上は伺ったりしませんけれども。
この件はひとまず、そういう事として。

とにかく、そんなこんなで、ガウはまた元気になったんですよ。
ほら、あれ、また熊のぬいぐるみを脇に抱えて。
あはは、やっぱりガウは、元気な方がいいですよね。
ああ、でも、「次は無いんだからね」とガウに釘を刺しておかなきゃいけないんでした。
だってジドールの織物店で買ったあの布地、結構値が張ったんですから。大事にしてもらわないと。
……まあ、言わなくても、今まで以上に大事にしてくれるとは思うんですけどね。
ガウは、自分の仲間や友だちを心底大切に思っている、とても優しい子なんですから。






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