目の前にシャドウさんが居る。
名を呼ばれたから彼がそこに居るのだと判った。そうでなかったら気付かなかったかもしれない。
わたしはずっと、顔を俯けたまま膝を抱えていたのだから。
一体いつの間にとか、そういうのは彼に対してする質問でもない。
シャドウさんはそもそも職業柄、気配を消すことに長けている。
共に旅するようになって数ヶ月経つわたしでも、その気配を掴みきる事は難しい。それに元々、そうする必要も特にない。
顔を上げたわたしは、そのままシャドウさんを見上げた。表情も変えず、声も出さないまま。
リアクションをする余裕が無かったので、この辺はどうか許して欲しいと思う。
いつもの好調な時のわたしなら、何か一言二言くらいはこちらから言葉を掛けるのだが。
シャドウさんは立ったままでわたしを見下ろしている。
わたしの反応が鈍い事、わたしがゆっくり深い呼吸を繰り返している事に気付いたらしく片膝を床に下ろす。
わたしを静かに、もう一度見る。
どうした。
決して口を開くことなく、シャドウさんは目だけでそう問うてくる。
だからわたしも目だけで言う。何でもないと。
何でもないわけではない。
それは、彼も判っているはずだ。
そうでなければ、こんなところで小さく蹲っている必要がない。向こうは無言で、その事を指摘しているようだった。
……わたしの事なんて放っといてくれればいいんだけどな。
そう思いながらも、ふっと口角がわずかに上がる。そうするくらいは出来た。
さて、どうやってシャドウさんをやり過ごそうか。
彼をどうにかしたら、後は時間が経つのを待っていればいい。もうじき効いてくるはずだし。
ひとまず目の前のこの人に何て言えばいいかなぁ、などと考え込む。
しかし、そうするとさっきから断続的に続いていたズキズキが、一際強く頭の中でわたしを圧迫した。
思わず額の辺りに手をやったので、彼には判ってしまったようだった。
「……頭が痛むのか」
「……ええ、まあ」
のろのろと、一言一言を口から押し出した。別に、大した事はない。
さっきまでは、わたしは遊戯室にいた。
夕食の後片付けも済んだ、思い思いに自由に時を過ごすゆったりとしたひと時。
みんなでひとしきりカードゲームに興じていたし、さあもう一勝負、というところで自分の具合の変化に気が付いた。
じくりとした痛みらしいものが脳内を刺した。
あれ、なんか痛い? そう思った。
最初こそ 「少し経てば勝手に治るかもしれない」 と思ったものの、時間を経るにつれて痛みは引くどころか徐々に増し、遂には一瞬吐き気までせり上がってきた。
これはちょっとマズい。この場を退避する必要がある。
ゲームの方は負けがたまたま続いていたので「今日は調子悪いから」と告げて早々に抜けてきた。
背後で今日は珍しく勝ち進んでいたロックが
「俺に勝つ自信がついたら戻ってこいよ、相手してやるぜ」
と言葉を投げてくれたが、セッツァーさんの喋り方を真似していたので直後、何か鋭いものが空を切る音がした。
カードかダーツ辺りを投げ付けられたらしいが、わたしにはあまり関係ないので確かめはしなかった。
ひとまずダイニングまでやって来て薬箱を漁る。
飲みやすいタブレットタイプのがあれば良かったのだけれど、どうも粉薬しかないらしい。
少なくともストックされていたのはそういうのだった。
粉は苦手だ。オブラートでもあればいいのだが、残念ながらそれらしいものがない。
この世界自体に存在しないのか、それとも買い置きしてないだけか。……あとで、買出しの際にでも確認しておこう。それはいいとして。
仕方がないので白い粉末を一気に水で流し込んだ。
苦かった。最高に苦かった。どうしようもなく苦かった。飲み込んだ後は何度も口をゆすいだ。
これで効いてこなかったらどうしてくれよう。
とはいえ、薬は効き目が出るまで少し時間が掛かる。早くても三十分は掛かるだろうか。
しかしこのままここに居るのも辛い。このファルコン内で宛がわれている自室にひとまず戻りたい。
そう思ってダイニングを出て少し歩いたところで、また一段と強いズキズキがわたしを襲った。
少し頑張ったのだけれど、しかし動く事が困難だというのが判ったわたしはその場にしゃがみ込んだ。
不幸中の幸いか、吐き気は収まっている。しばらく此処で待とう。
そうして薬が効いてきたら、その隙に自室に戻って、それからベッドに横になろう。
そう思いながら、膝を抱えた。顔を伏せて、そのままただただ、時間が過ぎるのを待っていた。
「」
最初は直ぐに顔を上げられなかった。聞こえてはいたけれど、ひどく億劫だったので。
「……」
もう一度呼ばれて、ようやくそちらを見る。
声でシャドウさんだというのは理解していた。
ただちょっとばかり想像と違ったのは、空のグラスを手にしていた事か。
ああ、そうかと思う。
丁度ここは、甲板へ上がる階段のすぐ傍だ。シャドウさんは時々独りで星見酒をしている事がある。
きっと今日もそうだったんだろうなぁとぼんやり思った。下りてきたところに丁度わたしが居たわけか。
失敗した。場所をもう少しずらしておけたら良かった。今更だけど。それに動こうとしても厳しいけれど。
そうしてぐるぐると思いを掻きまわしていると、地味に痛みはズキズキと存在を主張してくる。
思わず眉間に皺が寄った。深い口呼吸を繰り返す。
シャドウさんは片手のグラスを適当にその場に投げ置いて訊いてきた。
「痛みはひどいのか」
「……大した事ないです、よ? それに、薬も、さっき飲みましたから……もうちょっとしたら、効いてくると思いますし……だから」
お気になさらずに、と続けようとしたところでグンと身体の高さが急に変わった。
「……あの、シャドウさん……」
「大人しくしていろ。もう今日は休んだ方がいい」
それだけ言うと彼はそのまま歩き始める。
とても静かな歩き方だ。それというのはもしかしたら、頭痛中のわたしを気遣ってくれていたからなのかもしれない。
横抱きされるという普段のわたしなら恥ずかしくて喚くような体勢だが、今はただ身を任せるしか術がない。
彼の装束の冷たさに、外の空気が思ったより冷えていたことを知る。寒かったんじゃないだろうか。
思いつつ、ひやりと伝わってくる温度が気持ちいい。
今まで彼が嗜んでいたらしい強めのアルコールの香りさえ何故だか不思議と心地よい。
やさしい人だなと思う。
それはちゃんと知っていた事だったのに、また思った。
自分が少し気弱になっている時だから、だからこそそう強く感じるのかもしれない。
相変わらずズキズキと痛む頭ではあるけれど、その中で少しだけ思った。
たぶんきっと、たまには、こういうのも悪くない。
わたしの部屋に入ると、シャドウさんはわたしをベッドに下ろしてくれた。
「すみません、……シャドウ、さん」
「……謝る必要は、ない」
「じゃあ。……ありがとう、ございます、シャドウ、さん」
笑顔を浮かべてみせる事は何とか出来た。その間も口で息をする。
ようやく薬が効いてきたのか、ほんの少しだけ痛みが薄れつつある。同時に何だか、妙に眠たい。
薬に眠気を催す成分が入っていたかもしれない。
「なんだか、寝そう、なんですけど……」
「そのまま眠れ。明日、様子を見に来る。それまで休んでいればいい」
また「すみません」と口走りそうになったけれど、それを寸でのところで止める。
微かに肯くことで意思を伝えて、そのまま目を閉じる。
その時にはもう意識が夢の世界の方に落ちかかっていた。とろとろと現実との間を行き来する。
そうして、完全に意識が落ちる前。
そのままだったなら、すとんと眠ってしまっていたはずだった。
何かが額に触れた。おでこに張り付いた髪の毛をかき上げられるような気配。
そのせいでほんの少し、わたしは現実世界に留まった。
夢なのか現実なのかを意識しないまま、ただ、今されている行為に何の意味があるんだろうと朦朧としながらも思う。
「……おまえは」
溜息交じりの声が聞こえた。
「自分から助けを求めない。……たまには、求める事を望んでみたらどうなんだ」
それは貴方から言われたくはないなあ人の事言えないでしょうとか、別にそんなつもりはないんですけど、とか。
何処かでそう思っているとまた、何かが触った。
さらりとした質感は覚えがあるもののような気がする。
確か、誰かの装束、身に着けている漆黒の布と同じ。
額に下りたその感じは、けれどどこかしら熱を伝えてくる。
あたたかかった。優しさに満ちている気がした。直ぐに離れてしまったのがひどく惜しく感じられるほどに。
最後に小さく何事か呟かれて、耳に忍び込んできた言葉は何だったか。
それを確かめることも出来ないまま一日が終わっていく。
最後に思ったのは、明日のことだった。
明日、さっき言ったとおり、シャドウさんはきっと様子を見に来てくれるだろう。
頭痛が治っていればそれに越した事はない。
けれど、もし治っていなかったら、それはそれでいいかもしれないなぁなどと、馬鹿げたことを考える。
たぶんきっと、たまには、こういう日があるのも悪くない。
微妙……。
シャドウさんと甘くしてみようかと思ったんですが、無理でした。甘いの難しいです。
と、判りづらかったと思うので補足を。
最後のほうは、シャドウさんから夢主へおでこにちゅーです。マスクしたまま。
外さないままでキスって萌えませんか。
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