飛空艇の搭乗口扉を閉めてしまうと、あたたかな空気がわたし達を迎えてくれました。
外は晴れていましたが、そして決して寒い季節ではない筈でしたが、ひどく肌寒さを覚える温度だったんです。
……北の地、だからでしょうね。
ナルシェ程とは言いませんが、まるで雪でもチラつくんじゃないかと思えるようなそれです。
わたしの元居たところでも、北と南では大きく寒暖の差がありましたから。多分そのせいでしょう。
異常なのではないかと思えることであっても、きっと全てが、世界の崩壊のせいではないのだと。
わざとそう考える事にして、わたしはふうと息をつきました。
暗くなり掛けていた夕暮れ時です。わたし達が戻ってきたのは。
頭上にあるのは灯された明かり、白色の光のそれは、夕闇に紛れ始めていたわたし達にとってとても安堵出来るものでした。
一緒でいた皆もそれは同じように感じていたようで、外の寒さで少し強張っていた表情がいつの間にか和らいでいます。
おそらくわたしも、そうなっていたでしょうね。
今日あった出来事、ファルコンに残っていた他の皆に伝えるべき事、補充が必要なもののおおまかな確認、明日の行程について。
口々にそんな事を言い合いながら一本道の通路を行き、そして分岐路のところで、銘々の部屋に一度戻るため一旦別れたんです。
すぐさま、炊事場に隣接した広間に集まるつもりでした。
ほとんどの人はいつも、夕食はあそこで取っていますしね。
わたしは脱いだ上着を片手に、それを部屋に置くつもりで独り自室に向かいました。
その途中です、シャドウさんを見つけたのは。
壁に寄りかかって腕組みをしながら、その傍の窓から外の景色を眺めていました。
足元で身体を休めていたインターセプターの目が開き、鼻がぴくりと動きます。
シャドウさんも、此方にその目を向けてくれました。
「戻りました、シャドウさん」
「……ああ」
「もうすぐ夕ご飯の筈ですから、後で部屋にお膳持っていきますね」
「…………」
わたしとシャドウさんの、いつも通りの応酬です。
昨日や一昨日、或いは明日や明後日にも交わされるかもしれない、そんなごくごく短いやり取り。
そんな一刹那が、わたしはすごく好きでした。
……お互い、無事に今日を終えようとしているからこそ、設ける事の出来る時間ですしね。
とにかく、それだけを告げて、シャドウさんの前を通り過ぎようとしました。それだけのつもりでした。
ですので、後ろから腕を掴まれた時は吃驚してしまって。
見れば、いつもと変わらない色を宿した目が此方を見下ろしています。
一瞬、言葉に詰まりました。
シャドウさんの意図が、よくわかりませんでしたから。
思わず沈黙のまま見返すと、淡々とそちらは仰いましたけど。
「肘から」
「……はい?」
「出血している」
言葉の意味を解釈するのに、普段の倍ほど掛かりました。
そうしてようやく自分のそれを見やると、確かに言われた通り、赤い色が滲んでいます。
「あ、あれっ?」
「……気付いていなかったのか」
「えっと……、そ、そう言えばちょっとピリピリするかなぁとは、思ってましたけどっ」
傷を認識した途端、急に肘が痛み出してきたような気がしました。
ええ。
わたし、確かに鈍い方ですから。
この日も何度か怪物との戦いがあり、そのうちのどれかで多分痛めた傷です。
上着の外側にまで血が滲んでいたら、流石に気付いたと思うんですけど。
そうではなかったのもあって、全く自分では気が付きもしていなくて。
え? ……はい。そうですよね。
自分の身体の状態を把握しておくのは、重要なことですよね。仰る通りです。次から、気をつけます。
ええっと、……話を、戻しますね。
口上で言い繕いながら、改めてそれを見下ろします。
大した傷ではなさそうだと考えているうちに、乾き始めた血が張り付いた肘の上に、シャドウさんの手が置かれました。
ほんの僅かな一時です。
ふわりと静かな発光が終わった時には、微かな痛みは消え去っていました。
乾いた血だけはそのままでしたが、傷自体は治ってしまっているでしょう。
「……後はよく洗っておけ」
「はい。……あの、ありがとうございます!」
御礼を言って頭を下げてから、わたしはその場を後にしました。
洗面所で血を洗い流し、上着の内側に付着していた其れも水で擦り落として、それからの事です。
改めて自室を出て広間に向かおうとすると、さっきの場所にシャドウさんの姿は既にありません。
……いえ。
実は一瞬、貴方がまだ其処にいるように思えて、ちょっとハッとしたんです。けれど、それは別の人でした。
先程のシャドウさんと同じように腕を組み、壁にもたれて窓の外を見ている人。
ええ、ゴゴさんです。
わたし、少しばかり立ち尽くしてしまいましたよ。
全然シャドウさんとは、……まあ、顔を隠しているところですとか、その辺りは別にしても、似ても似つかない筈のゴゴさんが。
先程までのシャドウさんになり切っているんですもの。
最初こそ言葉もなくそうやって見ていたものの、わたしはだんだん、何だか可笑しく思えてきて、息を噛み殺しながらですけど笑ってしまいました。
ああ、シャドウさんのものまねをしているんだなぁって。そう思って。
ゴゴさん、面白い人ですよね。わたしはまだ、詳しくは知りませんけれど。
この間一緒にパーティ組んだ時は、モグが踊ってる時コケちゃったのをものまねしてましたよ。真似るポイントが読めないというか。
……でも、何というか、本職ですね。
空気が、シャドウさんのそれにひどく近いもののように感じられましたもの。
だからほんの一瞬とはいえ、貴方かと錯覚したんだと思います。
まあ、それはそれとして。
「ゴゴさん、そろそろ夕食ですよ? 下に行きません?」
声を掛けると、隠された顔の中から唯一覗く目がわたしを捉えました。
ああ、確かにさっきのシャドウさんも、こんな目の向け方をしていました。
という事は、シャドウさんとわたしとのやり取りを、彼(彼女かもしれませんが)に何処かから見られていたんでしょうか。
なんて思っていると、ゴゴさんは黙ったままその目をわたしの肘に落とします。
「傷は」
「あ、シャドウさんがケアル掛けてくれたので」
大丈夫です、と言い終わるかどうかのところで、無造作にわたしの腕は持ち上げられました。
黙って見ていると、淡い光が再び傷のところに施されます。
微かに跡が残っていたのが、今度こそ跡形さえ残さずに消えてしまいました。
「これも、シャドウさんのものまねですか?」
「…………」
「ものまねでも、嬉しいですよ。ありがとうございます」
御礼を告げると、ただ肯いてゴゴさんは歩き出しました。
広間のある方向です。わたしもそれに続きました。
……考えてみると、ゴゴさんと会話らしい会話というものを一対一で交わしたのは、きっとこれが最初だったかもしれません。
それにきっと、シャドウさんのした事を、そのまま真似ただけでしょうしね。
……ゴゴさんがもう少し背が高くて、インターセプターを連れていたら完成度、高かったと思うんですけど。
それはさておき。
――ええ、そういう事だったんです。
肘の傷跡がもう消えてしまったのは、ゴゴさんからもケアルをして頂いたからです。
わたし、もう傷跡のことは忘れかけていたんですけど。シャドウさん、すごいですね。よくお気付きになるなぁって。
……え? たまたま目についただけ? ……そうですか。
えっと……、じゃあ、そういう事にしておきますね。
長くなりましたけど、ただ、それだけの事でした。
広間に向かうまでの間も、ゴゴさんとは特に何を話したわけでもなかったですし。
でも、ふつうに、その、嬉しかったですよ。何がって、シャドウさんのケアルも、ゴゴさんのケアルも、両方です。
シャドウさんはいつもお優しいですし、ゴゴさんも、そうだといいなあって。
だって仲間ですし、いい人であるのに越した事ないですよね。
わたしは、ものまね師というのがどういうものなのか、よくは知りませんけど。
ただゴゴさんが例え真似事でも、ケアルしてくれて単純に嬉しかったなって。
そういうふうに思った、それだけの事なんです。
――ああ、もうこんな時間ですね。
あまり長くなると、明日に響きますよね。ごめんなさい。でも、いつもわたしの話を聞いて下さって嬉しいです。
明日は、もう少し南に向かうって夕食の時に皆が話してたんです。此処より暖かいといいですね。
それじゃあ、今日は、これで。
ゆっくり休んでくださいね。では。
……おやすみなさい、シャドウさん。
俺のところに客人とは珍しいことだ。
いや、お前が俺を訪ねてきたのはこれが二度目か。
最初の時、俺はあの洞窟の奥に居た。何年も何年もそこに居た。
ものまね師として俺がゴゴという名を持ち、そしてどれ程経った時だったのか、俺にももう判らない。
ただ、突然お前達は現れた。そしてその中にお前もいた。
世界を救う旅か。……そんなものまねをする事になろうとは、流石に考えたことはなかったが。
しかし、お前達についてきた事は後悔などしていない。
こうして複数の人間達と行動を共にするのは初めてのことだ。俺はものまね師だから、その対象となる者が多くいるのは良い。
何故なら――
……そんな話はどうでもよい?
そうか。なら、お前は何をしに此処へ来たのだ。
……自分のものまねはもうするな?
そうか。それは、俺自身考えていた事だ。
俺は、お前の行動のまねを控えようと思っている。全て、ではないが。
……そう怖い顔をするな。全てとは約束しないと言っているだけだ。
俺はものまね師であり、お前は暗殺者なのだろう。
お前は暗殺者でなくなっても存在出来るだろうが、俺はそうではない。
俺は、ものまねをしなければ存在する事が叶わないのだ。
だからといって、そのためにものまねをしているわけではない。
俺自ら望んだ事でもあるのだ。この、ものまね師という俺自身を。
俺がお前のものまねをしなくなる時は、俺が死ぬか、お前が俺の目の前から消えた時だ。
……夕の刻、お前を見かけた。も見かけた。
俺はものまねする相手を気紛れに選ぶことも多い。今日お前を選んだのも、そうしてみるかと思ったからだ。
お前は直ぐに立ち去ったが、少し経つとが戻ってきた。
俺はお前をまねたが、しかしそれが完全でない事にすぐに気付いた。
ものまね師は、対象を完全に真似てこそものまね師なのだ。それにも拘わらず、だ。
しかし、それは仕方のない事でもある。俺はその理由を知っていた。
簡単なことだ。人間が制御することの叶わない感情までをも、俺は真似することが出来ないのだから。
お前のあの娘への行動を、俺が完璧にものまね出来ないのは其れが理由だ。
感情を伴う真似事を、ものまね師が真似することなど不可能なのだ。
しかし、それ以外の事であれば可能だ。
言っただろう? 俺はものまね師であり、そうする事で己を保っている。
普段の行動や戦いの中で、俺は俺として、お前達として、ものまねをし続けるだろう。
お前の事も真似ることがあるだろうが、しかし、お前が今此処へ来た最低限の目的は成し得ているのではないか?
……そうか。ならば良い。戻って休め。……言われなくてもそうする? そうだな。それが良い。
……お前達について来た事を後悔していない、と言ったのを覚えているか。
後悔どころか、良い選択をしたと考えている。世界を救う云々、というのは俺にとって、どちらでも構わなかった。
もしお前達が 「世界を破滅に導こうとしている」 、とあの時答えていたとしても、俺は其れを真似するだけ、それでもお前達についていったかもしれない。
単にお前達が、俺にとってものまねのし甲斐がある者たちだった。
故に俺は、お前達と行動する事を選んで良かったと思っているのだ。
もう、行ってしまったか。
構わん。一人でいる事には慣れている身だ。
明日はお前か、それともか、或いは他の誰かか。俺がものまねをする相手は誰か、俺自身まだ知らない。
しかしこの空飛ぶ船に乗っている限り、俺はお前達をまねし続けよう。
そうする事こそ、俺がゴゴとして存在する術であり、お前達に出来ることなのだ。
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