「エドガーさん、エドガーさん」

の声に、顔を上げる。
ファルコン内で夕食を終え、広間で寛いでいた時だった。
足早にやって来た彼女は少々困り顔で、おや、と思う。
まるで初めて会った頃のような、久しぶりに見る表情だった。
あの当時は、彼女はまだ右も左もわからないような状況下にあり、自分や飛空艇主辺りにあれこれ訊ねてくる事が多かった。
そして一年が経ち、最近のはと言えば、自分を頼りにしてくる事がめっきりと少なくなっていた。
それは、彼女がこの世界での生活に慣れ始めたという事でもある。彼女を気に掛け見守る存在が、自分以外にも増えたという事でもある。
……子供が成長して、手が掛からなくなった時の親の心境というのは、こんな感じだろうか。
多少大袈裟かもしれないが、ちらとそう思う。
巣立つ子を見送る感慨深さだとか、その裏に小さく潜む、寂しさに似た何かだとか。それというのは、こんなふうだろうか。
思うがそれを顔に出すでもなく、
「どうしたんだい」 と訊ねてみる。
彼女は何かを手に包み込んでいるようだった。

「あの……今、お手隙ですか? お願いしたい事があって」
「言ってごらん」
「これなんですけど」

その手の中のものを彼女はそっと差し出した。
それはがいつも身に付けていた時計で、彼女が「腕時計」と呼んでいるものだった。
この世界では持ち歩くならば懐中時計が一般的で、彼女のそれは、私にとってもあまり馴染みがない型である。
そしてそれは、どの針もぴたりと動かず時を刻んでいなかった。どうやら止まってしまったらしい。

「たぶん、単なる電池切れなんだと思うんですけど、もう一年以上使ってましたし。エドガーさん、こういうのお詳しいかなと思って。……あの、この世界の電池でも動くかどうか、見てもらえませんか?」

そんなふうに彼女は言うので、ようやく合点がいく。
見れば、視界に黒装束の姿を捉えることはない。
おそらくとうに宛がわれている自分の部屋に戻ってしまったのだろうが、今この時ばかりはその人物が近くに居なくて本当に良かったと思う。
いや、残念だ、と思うべきか。ちらと少しばかり、意地の悪い事を思ってしまう。
今私は大層誇らしい気持ちであり、それを包み隠さず顔に出しているだろう。勝ち誇った笑みを、あの覆面の奥の目に向けてあげたい。
直後、投げ道具が飛んでくるのは想像に難くないが。
ともあれ機械装置に関わる事は自分の専門分野、は、私に安心して任せられると考えてくれたのだろう。
今だけは、この与えられた名誉に感謝しても構うまい。改めて彼女に向き合い、腕時計を受け取る。

「わかったよ、……そうだな、半日時間をもらえるかな? 明日の昼までにはお返ししよう」
「お願いできれば、助かります」

ようやくホッとしたように頭を下げるに、微笑み返す。
自室に戻り改めて外観を確認する。シンプルな、小さな盤面の時計だった。
ふと、初めてと会った日の事を思い返す。手荷物ひとつ持っていなかったのを、今でも覚えている。
彼女の、数少ない持ち物の一つだ。
少しの間その動かない針を見つめていた。裏返し、裏蓋を外すために工具箱を開ける。




翌日の正午。
ノックの音に彼女の出迎えをするが、は一人ではなかった。

「シャドウも一緒かい」
「はい、あの、丁度其処で一緒になりまして」

彼女の背後には、黙って此方を見る黒装束の男がいる。
相変わらず、どうも自分を見る目には冷えた温度があるけれども、もうとうに慣れてしまった。
そしてはといえば、時計の受け渡しにわざわざ彼がついて来る事に、何の疑問もないらしい。いつものように、にこにこしている。
これが他の誰か(例えばティナやセリス)であれば、このまま一緒に昼食を取りに行くのだろう。しかしシャドウに限ってそれはない。
いつもが、食事を彼の部屋まで届けにいくのは周知の事実である。
自分は余程警戒されているようだと改めて思っていると、彼女は微笑みを幾らかしまい込み、「それで」、と切り出してくる。

「どうでしょう。電池、合いました?」
「ぴったりのものは、生憎なかったね。ここまで小型のものは、今のこの世界に流通していないんだ」
「そうですか……」
「だから」

微かに残念そうに語気を弱めた彼女に、白布に包んだ腕時計を差し出してみせる。
秒針が規則正しく時を刻んでいくのを見て、は吃驚したように盤面と私の顔とを交互に見た。

「手っ取り早く、ぴったり合う電池を一から作らせてもらったよ。これで暫くは大丈夫の筈だ」
「一から作るのって、エドガーさんにとっては手っ取り早いんですね……」

心持ち感心を通り越したような目になっただったけれど、それもほんの僅かな間だけだった。
差し出した時計を受け取ると、すぐにその顔が再び綻ぶ。
矯めつ眇めつして、すごいすごいと彼女は繰り返した。

「何はともあれ助かりました、ありがとうございます!」
「どういたしまして」

微笑みながら、何気ないふりでシャドウの方を窺う。
いつ手裏剣が飛んできても対処できるように、のつもりだったが、向こうは何の関心もないように顔を逸らしている。
まだ、幾らかの会話時間の猶予はあると、考えてもいいのだろうか。

「またメンテナンスが必要になったら、遠慮なく頼ってほしいな。大事なものだろう?」
「安物ですけどね。……でも、もしもの時は、またお願いしたいです」


低い響きが、割って入った。
「行くぞ」とだけ言って踵を返すシャドウに、え、あ、と二度ほど彼女は黒い背中と自分とに視線を往復させた。
安心させるように微笑むと、ぺこりと再び頭を下げは黒衣の後を追う。
隙のない男は、やはり、そう易々と緩やかな時間を与えてはくれない。




時計を返してから四日ほどして、とパーティーを組む機会があった。
目的地にファルコンを停泊させ、他のメンバーが揃うのを待つ。
私とは早くに準備が出来ていたので、その時だけ二人で会話をする時間があった。

「ところで、その後どうかな。また止まったりはしていないかい」

何と言わずともには伝わり、静かに彼女はその腕を掲げてみせてくれた。

「安心したよ。電池を組み込んだ直後は正常に機能しているように思えたけれど、後になって不都合が出ないとも限らないからね」
「別世界のものですもんね」、ふふっと笑って、「でも」、と彼女は続ける。
「今のところ、全く問題なさそうですよ!」
「それは何よりだよ」

笑み返すと、不意にはこんなことを言い出す。

「これ、母のお下がりなんです。わたしの世界じゃ、その辺で売ってるような安物ですけど。動くならやっぱり、付けていたいなーって」
「……そうだったんだね」
「それで」、小さく口の端を持ち上げると、彼女は言う。
「シャドウさんに相談したら、エドガーさんにお願いするのがいいんじゃないかって……」
「えっ」

俄かには信じ難い言葉を聞いたような気がした。
の言う事を信用しないわけではないが、それでも、思わず驚きの声をあげてしまう程度には純粋に驚く。
あのシャドウが、果たして自分をそこまで買ってくれているものだろうか。
「自分に一番に修理の相談をしてくれたのではないのか」という小さな落胆は、この際置いておくことにする。

「……どうしたんですか?」
「ああ、いや。シャドウとは、あまり腹を割って話す機会がないものでね。そこで私の名が出るほど、彼が私を評価してくれているかどうかと思って」

幾らかオブラートに包んでそう口にすると、うーん、と彼女は小さく首を捻った。

「……シャドウさんは、エドガーさんの事ちゃんと信頼してると思いますけど」
「そうだといいんだけどね」

実際、本当に彼自身が修理の施しに自分を挙げたのなら、こちらも向こうの評価を少し変えることになる。
そう考える目の前では、が自分なりにどうしてそう思うのかを説明してくれている。
それが、彼女の穏やかな安寧のためであれ、私の知識と得手を買ってくれたのなら。

「元々、機械に精通してるエドガーさんには、ご相談するつもりだったんですけどね」
「本当かい、レディ!?」

それまでの思考がパッと弾けて思わずその手を取ろうとした時、ズシャッ、と足元に鈍く響く震動があった。
見れば地面には手裏剣がきれいに突き立っている。それも三つも。
……前言撤回。

「……シャドウ」
「すまん。手が滑った」

事もなげにそう言いながら、インターセプターを連れ黒衣の暗殺者が舷梯から下りてくる。
何をどうすればこんな形で手が滑るのか。そもそも、

「……今日のパーティーに、シャドウは入っていたかな」
「見送りだ」

感情の籠もらない言葉でしれっとそう返される。
そうするうちに他のメンバーが揃い、私達は出発する。ファルコンを離れてしばらくの後、

「本当に信頼されているのかな……」

ぽつりと零すと、「大丈夫ですよ」、とが元気づけてくれる。

「信頼してますし、今日だって、いつもみたいに優しかったじゃないですか」
「優しい?」
「だってほら、手裏剣直撃してませんし!」
「……ああ、うん、そうだね」

脱力しながら数分前に考えたことを思い返す。
彼への評価を変えることになる、だって?
……前言撤回。
今日二度目の言葉を、胸の内だけで繰り返した。






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