妙に静かな朝だった。
飛空艇が停泊し、航行音がないだけではない。
人の気配も少なく、ほとんどの者が街に降り立っているのだろうと思えた。
個室で朝食を食べ終え、流しに膳を置こうと部屋を出れば、艇内は実際に誰の姿もないようだった。
しかし無人の船にするわけにもいかず、数人は必ず残り、留守を預かることになっている。
炊事場に赴くと、流しに立っていたがこちらを振り返り微笑んだ。
「あ、シャドウさん、食器ありがとうございます。……丁度お茶淹れようとしてたんですけど、如何ですか?」
「……ああ」
テーブルは既にきれいに片付き、彼女の分のカップが出ているだけだった。
湯が沸く間にもう一つカップを取り出し、茶葉をポットに入れ、沸騰した湯を湯冷ましに注ぐ。
そんな動作を黙々とこなしていたは、椅子に腰かけてからも幾らかの間、黙ったままだった。
黒髪の娘は、元々そう多く喋る方ではない。
しかし先程の微笑みはとうに消え、微かに表情が曇っているのは、気のせいではないようだった。
「……今日は」、
まるで意を決したかのように、けれどいつもとそう変わりない口調で、彼女はそっと口火を切った。
「皆さん夕方にならないと多分戻れないって言ってました。もしかしたら明日まで、このまま逗留するかもしれないそうです」
「この辺りに留まる理由があるのか」
一行のこれからの行程は、食事の時などに話し合われる事も多い。
大勢の前で食事を取ることをしない俺は、から伝達を受けてその内容を把握するようになっていた。
しかし、この辺りは街こそあるが、既に情報も集め終え、特に長居をする理由は見当たらない。
それどころかほとんど世界のあらかたを巡り、力も蓄えた。
いつ瓦礫の塔に攻め入るかという話が出始めていた頃合い、何か対処するべき問題でも出たのかと一瞬思ったが、
「ああ、いえ――」、
俺の表情を見ては直ぐに打ち消すように手を振った。
「深刻な事態とか、そういうのじゃないんです。……その、マッシュさんが」、
の口から、あの金髪のモンク僧の名が飛び出て何かと思えば、
「ガウをおめかしさせるって、仰ってて」
意味の分からない言葉が続いたものだから、俺は自分でも己の目が細まるのをはっきりと感じた。
しかし聞けば、その内容はそうそう浮かれていられるものでもないらしい。
ガウの父親と思しき人物に心当たりがあるのだと、マッシュが言っていたようなのだ。
そして瓦礫の塔に向かう前に、何とか対面をさせてやりたい、という思惑らしい。
「それで、皆さんまずはガウの身なりを整えようって、服を見立てに行ってるんです。その足で、そのままガウのお父さんの所に行くそうですけど……」
そうは説明する。
「自分は服飾やこの世界の流行などには疎いから」と、留守番を買ってでたのだと。
話を聞きながら、溜息をつきたくなる。
如何にもあいつらの考えつきそうな事だが、果たしてそれがどんな結果を生むのかを、本当に見越しているのだろうか。
そう詳しく聞いてはいないが、ガウは幼い頃に獣ヶ原に捨てられ、そのまま其処で育ったという事だけは伝え聞いた。
どんな経緯かは知らないが、その親子が再び相見える。……想像すらしたくなく、俺はその思いから内心目を背けた。
目をやった窓の向こう、空は雲が多く立ち込めていて、光は白く褪せて見える。
音のない時間が、刻々と刻まれていくようだった。
「……ハッピーエンドになればいいんですが」
ぽつりとそう言うの表情は、言葉とは裏腹に晴れないものだった。
この娘も憂いているのだろうか、これから起こるであろう事の行く末を。
沈黙が落ちた。
は浮かない顔をしたままカップの中身をただ見ている。
「不安か」
「どうでしょう。わたしがどうこう言う事ではないんですけど……」、何か逡巡するような間が一拍あった。
言った。
「親子って、難しいじゃないですか。いろいろ」
それで、なんとなく、大丈夫かなって。
それだけ言うと、大分熱の取れたカップの中身にようやく口をつける。
彼女に倣って飲み下せば、ぬるい温度が食道を緩やかに通り過ぎていった。
「そういうシャドウさんも心配ですか、ガウのこと」
「何故俺が」
「だって、お顔にそう書いてますもん」
「…………」
「シャドウさん、やっぱり優しいですね」
ようやく最初に見たような笑みがに浮かんで、小さく溜息をつく。
半分方残っていた茶を、ほとんど流し込むように呷る。
空になった器をテーブルに置くと、慌てても両手でカップを傾ける。
こちらに追い付こうとする子供のような様は、一瞬、遠い記憶の中にある小さな幼子の姿を連想させた。
まだ物心もつくかつかないかの小さな娘は、食事の時よく母親や父親の真似をしようとスプーンを握りしめ、しかし結局振り回して遊んでは窘められていた。
記憶は、驚くほどはっきりとした姿を保ったまま、自分の中に残されている。
開けてはならない記憶だった。……そうする事も、俺には、許されない。
頭を振って、その尾を振り払わねばならなかった。
彼女が最後の一口を飲み干す、その前に。
夕食の席で、俺は独り考えあぐねていた。
今日、ガウを父親に会わせてきた。
皆でガウをめかし込んで、言葉や仕草も付け焼刃ながら練習をして。その上で会いに行った。
立派な子に成長したこと、何より、無事に生きていることを伝えたかった。
しかし、結果は思っていたのと違っていた。
……思えば、あの男は初めて会った時から会話が通じていなかった。
けれど、きっと大丈夫だという根拠のない自信があった。
そして結局のところ、父親は子供を受け入れられなかった。
それでもガウはしあわせだと言う。
親父が生きている、それだけでしあわせだと。
……俺がしたことは、ただの自己満足だったのだろうか。
悶々と考えながらカレーのスプーンをかき混ぜていると、
「マッシュさん」、
と声が掛かった。
声の主であるは、「どうぞ」、と言いながら手にしていた水をテーブルの上に置いた。
「ああ。……あんがとな」
「あんまり食欲、ありませんか?」
「いや、そんな事ないぜ。いつも通り美味いし」
「じゃあ、今日のことですか」
「ああ、……まあ、そんなとこだ」
無理に小さく笑って見せると、も同じように微かに口の端っこを持ち上げた。
俺の思い付きに皆を付き合わせ、には留守を預かってもらって、そして此れだ。
何とも言えないような顔のは、そのまま何も言わずに下がろうとする。
見れば、ガウはとっくに食事を済ませて何処かに駆けていった後だった。他の皆もぽつぽつと席を立ち始めている。
「なあ、」
「はい?」
「…………ちょっと、聞いてくれるか。俺の話」
は飛空艇に残っていたから、今日の出来事を知らないままでいる。
簡単に「どうなったのか」くらいは話しておいた方がいいと思い呼び止めれば、彼女は小さく肯いて傍らの椅子に腰を下ろした。
改めて話そうとすると、ほんの少しの言葉でしか伝えられない。
これっぽっちじゃ足りないのに、それをどう表現すればいいのかわからなかった。
俺の短い話が終わると、しかしは、何処かホッとしたような表情をしてこう言った。
「そうですか。……じゃあ、結果的には良かったんじゃないでしょうか」
「良かった?」
「はい」
肯いて、彼女は続ける。
「ガウはお父さんに会えて、お父さんの方も事情はどうあれ、ガウが元気でいるって事を知ることが出来たんですよね」、と。
だったら、良かったと思っていいんじゃないでしょうか。
そんなふうには言う。
……そうかもしれない。
何かを互いに、失ったわけでもない。
けれど、……俺はまだ何処かで、これで良かったのかという思いを捨てきれないでいる。
今になって、ガウの気持ちを本当に思いやったのかどうかさえ、自信が持てなくなっていた。
「珍しいですね」、
そうが言うものだから、思わず顔を上げる。
「マッシュさんがそんなふうに考え込むの」
「そりゃあ……まあな」
「ガウのこと、大事に思ってるんですね」
本当にそうだろうか?
俺は、ガウが父親に会いたいのかどうかについて、真剣に向き合っただろうか。
勝手な思い込みで、勝手に感動の再会を思い描いていただけではないだろうか。
堂々巡りが続いていたが、それでも、がそう言ってくれるだけでも救われるような気がした。
けれど、少しばかり沈黙した後にが言った台詞にドキリとする。
「親に無事を伝えてあげられるのは、いい事だと思いますよ。わたしはそれさえ出来ませんけど」
ハッとする。
見れば、目の前に居るのはいつも通りのだが、そしてこうして馴染んでいると時折忘れてしまいそうになるが、はこの世界に迷い込んだ別の世界の人間だ。
家族だって、もちろん居た筈だ。なのに、帰る術が見当たらない今、自身の無事を伝える事も叶わない。
「……ごめん」
「えっ? いえ、あの、何か謝って頂くようなこと、言いましたっけ」
「いや……その、何ていうか」
「変なマッシュさん」
がいつものように笑うので、俺も笑い返す。
……そうか、と思う。これで良かったんだな、と。
例え受け入れられなかったとしても、ガウの父親にとって今日の事が夢現のものだったとしても。
ガウが元気でいること、そして仲間に囲まれて過ごしていることを俺は知らせる事が出来た。……これで、良かったんだな。
思っていると、とてとてとて、という独特の足音が廊下の向こうから近付いてくる。
走って現れたのはついさっき食事を済ませたばかりのガウで、
「! マッシュ!」
言いながらぴょんと目の前まで跳躍してくる。
「腹へった!!」
「お前、さっき食べたばっかだろ!」
「走ってたら、また腹へった!」
こいつはこいつで、てんでいつも通りだった。
脇でが笑いを噛み殺しながら、
「じゃあ、おかわり食べる?」とガウに訊ねる。
尻尾を振らんばかりの勢いでを振り向き、
「おかわり! かれー、おかわり!」と目をキラキラさせるガウに、俺は改めて安堵を覚えていた。
直ぐにガウの前にカレーが差し出されるが、ガウはスプーン片手に頬張ろうとして一瞬、ピタッと動きを止めた。
「いただきます!」
「わあ、お行儀いいね、ガウ」
「はう。のかれー、おいしい!」
「うん、ありがとね。それと」、
にこにこしながらは言葉を繋げた。
「今日のカレーは、シャドウさんと一緒に作ったカレーだからね」
「はう、後でシャドウにもおれー言う!」
そこまで言うと後は食べるのに専念し始めたガウだったが、俺は内心(へえ)、と思う。
「シャドウと一緒に作ったのか?」
「ええ。シャドウさん、野菜切るのとかすごく上手なんですよ!」
まるで我が事のようには胸を張って言う。
ふうんと思いながら止まっていたスプーンをひと掬いして口に運べば、やっぱりいつも通りに美味かった。
「うん、……美味い」
「わたしとシャドウさんの愛が詰まってますから!」
当然というようにさらっと言ってのけるので、流石の俺も少し吃驚する。
此方の反応にどうしたのかという顔をしただったが、すぐに言葉足らずを察したようで、慌てて弁明し始める。
「あ、えっと、あのっ、家族愛とか仲間愛とかそういう意味で、その、変な意味じゃないですからね!」
ほら、カレーって、幸せな家族の象徴って感じじゃないですか。
ごにょごにょと続けるだったが、周りに既に俺たち以外誰もいないのが幸いだったと思う。
もし他の誰かが残っていたら、人によっては大層揶揄われたに違いない。
今此処に居るのは俺と、それにガウの三人だけで、何の問題も……
「ごちそうさま!!」
大きな声で言うガウを思わず見やれば、皿はカレーが盛られていたとは思えない程きれいにピカピカしている。
昨日のうちにテーブルマナーも少し齧らせたが、「皿は舐めない」という基本は今のところどうにか守っている様子だった。
その上でどうすればこうなるのか、俺は逆に感心しそうになった。
「うまかった! シャドウにもおれー言う!」
「……うん、じゃあ、行ってらっしゃい」
ガウのにっこり顔に引き留めるでもなく肯くだったが、ふとその表情が固まった。
ガウを呼び止め、訊ねる。
「シャドウさんに、何て言うの?」
「えーと」
廊下に飛び出す寸前のところで足を止めたガウは、考え込むように頭を捻る。
ぽん、と手を叩くとを振り向く。
言った。
「とシャドウのあい、うまかった!」
「ちょっと待ってーーー!!」
既に通路の向こうに消えかけているガウを追って、の絶叫が木霊した。
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