空は暗い。
太陽は黒雲に阻まれ、姿を隠している。淀んだ空気が辺りに居座り続けていた。
雨雲が近いのか、時折吹く風はじっとりと湿気を含んでいる。まとわりついてくるようで、ひどく不快だった。

降り出した頃には、既に雨をしのぐ場所を見つけていた。
無人のごく小さな納屋で、近くで畑仕事をする誰かのものだろうと見当をつける。
腰を下ろせば、インターセプターも同じように座り込む。大粒の雨は、ただひたすら地面を叩き続けていた。

世界は、ひどく陰鬱だ。
降りしきる目の前の雨、その音の中で茫然と思う。
常に息苦しく、聞こえるものは全て雑音で、視界に映るものはくすんで色褪せているように見える。
そんな道を何処まで歩いてきた頃か、ふと振り返ってみれば傍には誰もいなかった。
最初からそうだったわけではない。褒められるような生き方をしてきたつもりもないが、それでも相棒がいた。家族がいたこともあった。光が射したように思えた。そんな瞬間も確かにあった。……あった、気がする。

古い記憶。
何も怖いものなどないと思っていたあの頃。独りになり、彷徨い辿り着いた一つの村。そこで得た、幾ばくかの時間。
過ぎ去っていった者達の記憶が、自分の中にあるはずだった。
……今は、誰もいない。誰も。
ふと、傍らで小さく鼻を鳴らす音があった。
その音には、何処かこちらを心配するような、慰めるようなものが含まれているようだった。
(いや)、と内心首を振った。

「今は、おまえがいるな」

そう呟いてインターセプターの頭をそっと撫でる。
今の相棒は、応じるように再び鼻を小さく鳴らした。
雨は未だ、降り続いている。まるで降り止むことがないかのように。





時間が流れた。
世界が破れ荒廃する中で、かつてリターナーと呼ばれる組織に組していた奴らは相変わらず賑やかだった。
雇われて一時的に加担した際には、こうして長く付き合うことになるとは考えていなかったが。

昼食の配膳で、いつものようにが部屋を訪れた時のことだった。
扉の向こうで、騒々しく誰かと誰かが駆け抜けていく音があった。
足音と声から察するに、ガウとマッシュだろう。何があったかは知らないが、少年を追って走る大男の姿は容易に想像がつく。
も思わず「ふふふ」、と笑っていた。

「通常営業ですねえ、ガウとマッシュさん」
「……らしいな」

そう短く応じただけだったが、彼女はほんの少しの間こちらを見つめてくる。
かと思えば、もう一度明確に、は小さく笑んだ。
「どうした」と問えば、娘は言った。

「いえ、その。……シャドウさん、一年前と比べて柔らかくなりましたよね」

こう、全体的にいろいろ。
はそう言う。
この黒髪の娘は時々、思いもしない発言をすることがある。今もそうだった。その内容にやや戸惑う。
そもそも何を以て、そんな台詞が出てきたのか。思っていることが顔に出ていたのか、向こうは言葉を続ける。

「今も、目元の表情が優しかったですもん」
「…………」
「一年前……というか、初めてお会いした時は、その。今だから言いますけど……内心、ビビってたんですからね? 何ていうか、見た目とか雰囲気とか、その辺いろいろ」
「……それでも後をついて来たのは誰だろうな」
「だって。あの時わたし、こちらの世界に来たばっかりだったんですよ?」

選択肢が他になかったというか、何というか。
そんなふうに彼女は言う。
思い返せば、互いに互いを訝しく感じていたのは間違いなかった。それが、一年経って気付けばこうなっていた。
向こうも行動を共にするようになるとは、想像していなかっただろうが。

不思議なものだ。ふと、そう思う。
確かには、少ないカードの中から行動を選ぶことしかできなかったかもしれない。
しかし、決して選択の自由がなかったわけでもない。
例えば世界が破れたあの時、俺の回復を見届けた後はサマサに留まってもよかったのだ。これ以上戦うことを、彼女は選ぶ必要などなかった。
しかしそれでも、わざわざ娘は自分について来た。昔の自分を捨てて村を出たあの時の、インターセプターのように。

「サマサを出る時……」
「?」
「本当に何故おまえは、俺についてきたんだろうな」

そう小さく呟いたのも、ほんの気まぐれだった。
村を出るあの時、この娘はそれなりに「共に行きたい」その理由を口にしている。
その上で、今改めて小さく疑問に思う。どうして自分などと旅立つ気になったのかと。
あの頃はまだ、共に過ごした時間も多くはなかった。
見知った者がこちらの世界にまだ多くなかったにとっては、俺ですら引き留めたくなるほど心細かったのか。

不意に浮かび上がった、些細な疑問。
こと新しい答えなど求めてはいない。ただ自分の中から零れ出た、それだけの呟きだった。
それなのに、は決して聞き流すでもない。
彼女は首を傾げ、考えながら言葉を紡いでいく。

「えーっと、あの時言いませんでしたっけ。……ほら、シャドウさんお強いですし、ご一緒していればいつか皆と行き会えそうでしたし……? あっ、でも意外とシャドウさん、目を離すと行き倒れる率高そうなんで。その、わたしがいれば魔法の面でフォローというか、お役に立てるかなあ、なあんて……」
「……俺は信頼されているのかいないのか、どっちだろうな」

何とも言えない口上。
思わずぼやくような言葉を吐いてしまうが、すぐさま娘はきょとんとした顔になった。
言った。
「わたし、シャドウさんのこと世界で一番信じてますよ?」と。

だからこうして、今まで旅をご一緒してたんじゃないですか。
そう何でもないことのように言うので、逆に理解するのに時間を要した。
数秒の後、絶句する。
思わず目を伏せ額に手を当てれば、がやや狼狽気味にするのが声だけで十分分かった。

「えっ? あれ、あのわたし何かNGワード言いました!?」
「…………」
「あ、行き倒れる率高いってとこですか? でも実際そうですよね……あっ駄目だ二回言っちゃった」
「……分かったから、もう戻れ」

額の手をそのままに短く告げれば、娘は恐縮しきりでそっと部屋を出ていった。
しばらくの後、思わず溜め息が漏れる。
自覚のないまま発するのは如何にもらしいが、だからこそ扱いに困る。
自分に向けられるには、あまりにも似合わない言葉ばかりだった。
それでも黒髪の娘には、それが真実なのらしいが。

何ともなしに、窓の外を見る。
空は眩しい。陽が暮れれば世界の終焉のような赤で染まりゆくだろうが、それでも色と光は鮮明だ。
もし、娘の目に映る男の姿が、その言葉通りなのだとしたら。

「あいつらと、おまえのせいだ」

独り言は、部屋の中で静かに消えた。






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