世界は、驚くほど荒廃していた。
大地は見るからに痩せ細り、干上がってカラカラに乾いている。
草木は枯れ、通り過ぎていく風も冷え切っている。時たま出くわすのは、以前までなら目にすることも無かった異形のモンスターだ。
魔法があるからこそ、わたしもどうにか旅を続けることができる。
――もし、そうでなかったら、というのを考える。
そうでなかったなら、何処か安全な場所で待ち続けるしかなかったのだろう。この人を、そして離れ離れになってしまった皆の帰りを。
そう思いながら前を行く黒装束の背中を見る。
その先にある空が赤い色を滲ませている。ひどく眩しい、と思った。
シャドウさんとインターセプター、足すことのわたし。
世界が崩壊し、シャドウさんが目覚めた後、わたし達はあちこちを旅していた。
実際に歩いて回ってみれば、最悪の想像よりはずっと多くの人達が生き残っていて、生活を続けていることが分かった。
それというのは確実に希望であり、光だった。
これだけの人が生きているのだ、仲間の皆もきっと何処かで生きている。自分たちがそうであるように。
そんなふうに思うことに決めて、今も世界を回り続けている。
(魔法があってよかった)
心底、そのことに感謝していた。
「ふつうなら魔石に宿る魔法の習得には、相応の時間が掛かるはず」だというのはセリスの弁だけれど、どういう経緯かわたしには、触れただけですぐに会得できるというありがたい反則技があった。
故に、手に入れた魔石の魔法は優先的に最初に覚えていた。
使える魔法の数だけなら、ティナやセリスをも抜いてダントツで一番のはずだ。
魔力の強さに関してはさておくことにしても、とにかくそのおかげで、シャドウさんの役にも立てる。
「、下がれ」
そんなことを思い巡らせていた時、シャドウさんの声が低く鋭く響いた。
考えるより先に数歩退くと、既に彼の方は跳躍していた。地面を割って立ち昇り姿を現したモンスターに先制の一手。
全貌を拝んでみれば、これまた見たこともない怪物だった。
どうなっているんだろう、世界が引き裂かれてからというもの、圧倒的にモンスターの種類が増えたように思えてならない。
こういうのを研究しているというストラゴスさんが見たなら喜ぶのかもしれない。
それとも、あの人も皆を探すうちにもう既に見ているのだろうか――。
そんな思考とは別に、わたしは魔法を詠唱していた。
シャドウさんの手裏剣が突き刺さったところに追撃を見舞う。
燃え盛る炎が弾けて、そのまま怪物の輪郭が崩れ落ちそうになった瞬間、何かが聴こえた。音色のような何かが。
「!」
声を上げる暇もなかった。
敵の中には最後の一撃とでもいうのか、倒れる直前に何某かの攻撃を放ってくるものがいる。
諸にその音を認識してしまう。遅れて魔法の類だと理解した。
すぐには、何が起こったのか解らない。
そして、シャドウさんがわたしを探す声に顔を上げて、ふと我に返った。
「? ……! 何処だ!?」
「ここです!!」
精一杯の声を出してわたしは叫んだ。
そうしなければ、彼にはわたしが何処にいるのか分からなかっただろう。だって何しろ、
「…………?」
シャドウさんがふと、大きく目線を下げた。
どうにか見つけてもらえたらしい。一瞬安堵はするのだけれど、しかしそれにしたって、一体どういうことだろう。
わたしは困ってしまって、ただただ彼を見上げていた。
周囲が草むらでなくて良かったと思う。
もしそうだったら、今のわたしにとってはさながらジャングルだっただろう。シャドウさんに見つけてもらうのだって、きっと困難だったに違いない。
けれど荒れた大地、障害になるようなものもなかったので、比較的すぐに目についたようだ。
シャドウさんが目を細めて見下ろしてくる。珍しく、やや困惑しているらしい。
顔を覆う黒布の下から、彼の声が零れ出ていた。
「……どうなっている?」
「わたしの方が訊きたいです……」
本音が思わず漏れ出てしまう。
周囲の世界がとてつもなく大きくなって見えていたけれど、実際にはそうでなかった。
わたし自身が縮んでしまったらしい。所謂、小人とでもいうべきそのサイズに。
インターセプターでさえ目を瞬いて、わたしのことを見下ろしていた。
魔法でおかしくなったのなら、魔法で元に戻ればいい。
そう考えてエスナの魔法を施してみても、何の変化もない。
最初のうちこそエスナでどうにかなるかもと思って平静を保っていたというのに、これには正直参ってしまった。
「な、なんで? わたしの魔力がしょぼいからですか!?」
「落ち着け」
若干混乱して恐慌状態になり掛けていたわたしを諭すように、シャドウさんは静かに言った。
「状態異常解除の魔法も、おそらく万能ではない。……だが、時間が経てば元に戻ることも考えられる」
エスナ、万能じゃなかったんですか君。
思わず内心突っ込んでしまうけれども、言われてみれば確かにそうだ。
今までの戦いの中で毒を始め、色んな症状に悩まされてきたことを振り返る。
それらというのは、確かに必ずしも魔法や万能薬で治癒できるわけではなかった。……なるほど。
わたしは少し納得する。それにしたって、この小人状態は全く初めてのケースである。
うーん、と考える。
(でも、カッパになるよりはずっとマシだったのかな……)
わたしはちょっとそんなことを思った。
シャドウさんの前であの状態なんて、考えただけで頭を抱えたくなる。あれは無理。絶対無理。
そう思ううちに、スッと片手が差し出される。
小さい状態の視点で見ると、何だか不思議な感じがする。
乗れということだろう、手袋をしたシャドウさんのその手の上に乗ろうとして、慌てて靴を脱ごうとした。
「そのままでいい。早く乗れ」
そう言われて、だったらせめてと思い膝立ちでその手の平の上に乗っかった瞬間グンと高度が上がった。
静かにシャドウさんが立ち上がったのが分かるけれど、改めてそうされると今のわたしにとっては驚異的な高さだった。
……と思った次には、目の前が暗くなる。何かに包まれているような感覚があった。
「ジッとしていろ」
そんな声が真上から振ってくる。
ようやくのことで体勢を整えて顔を出してみれば、外の景色が一望できる。
どうも、シャドウさんの懐に忍ばされたらしい。
多分今の状況からすれば、確かに一番安全な場所なのかもしれない。
なのかもしれないが、一瞬ひえっと思う。何というのか、近すぎる。距離が。いろいろ。
わたしが強張っているうちにも、しかしシャドウさんは歩き始めていた。
自分達が目指していたのは次の目的地であるサウスフィガロだった。そう離れていないはずだ、とにかくそこまで無事に辿り着ければ、人心地がつける。
幸い、しばらくはモンスターと出会う気配もなかった。
シャドウさんとインターセプターが黙々と歩を進めている間、わたしはと言えばただ静かにしているだけだ。
そうしてほんの幾らか落ち着いてくると、……後になって思えば信じられないことに、わたしは微かにうたた寝をし掛けていた。
すぐそばにある体温がとても心地いいのと、シャドウさんの匂いがとても安心できるのとで、いつしか目蓋がくっつきそうになっていた。
(ポカポカしてあったかいな……)
そんな呑気且つ平和な思いは、轟いた一陣の風と共に一瞬で消え去った。
顔を引っ込めていたので、外で何が起こったのか分からない。
けれど、それなりの風圧は自然のものでは決してない。
「な、何事ですかっ」
「モンスターだ。すぐに終わる」
声と共に、そっと外側から押さえられる。
片手でわたしを守ってくれているらしい。
それというのは彼にとってハンデではないだろうか。すぐに倒せるような相手だろうか、魔法で支援しなくて大丈夫だろうか。
思うけれど、下手に顔を出すのも危ない気がして身を固くする。
シャドウさんお得意の投げ道具だけで片が付けばいいのだけれど――。
祈るような思いでジリジリと事態が落ち着くのを見計らっていると、
「!」
唐突にシャドウさんが身体を反転させるような気配があった。
がくんとこちらの身体までが落ち込むような感覚。しゃがみ込んだらしい、と少し遅れて気が付いた。
「シャドウさん!?」
「…………」
わたしの呼び掛けには答えず、彼はただ沈黙している。
様子を見るべきかと顔を出そうとした時、何かが弾ける音が響いた。
途端に、鼻と喉の奥がツンとするような独特の匂いが立ち込める。煙玉だと思い至った。
戦闘を離脱したのだ。
わたしはハラハラしながら、改めてシャドウさんの様子を知りたくて顔を出そうとした。
けれど、そうしようとする寸前でそれを止められた。さっきと同じように片手でやわらかく押さえてくる。
そのままでいろ、ということなのだろう。
やむなく従うことにして、ただジッと耳を澄ませる。
しばらくすると、誰かの話し声や微かな喧騒らしいざわめきが耳に入り始めた。町に入ったのらしい。
けれどわたしはそのまま動かないでいた。
シャドウさんの合図があるまで顔を出すまい。そう思って幾らかの間、静かにしていた。
そうする間もこの人が傷を負ったりしていないか不安で、こっそりと目の前にある大きな身体に両の手のひらを、そして耳を押し付けてみる。
心臓がとくとくと脈を打つのが伝わってくる。
……大丈夫、ふつうの時と変わらない鼓動なのだと思う、たぶん。
そう思いながらも何処かまだ心配で、そのままシャドウさんの心音を聞き続けていた。
入った宿の一部屋に落ち着いて、やっとシャドウさんの懐から出ることができた。
ベッドの上にひとまず居場所を決める。
「すぐに戻る」というシャドウさんはそれ以上を何も言わないけれど、何か買い出しにでも出るのだろう。
肯いてその場で見送るけれど、すぐにぎょっとした。
その背にマントを羽織ったのは、もうじき夕暮れで寒くなるからかと思っていた。
けれどドアを潜り抜ける時、マントの下の背に痛々しい傷痕があるのがほんの一瞬見えてしまった。
風系魔法特有の切り傷のように見えた。
……いつもだったらあんなふうに、背中に傷を負うことはほとんど無い。
わたしが懐にいたために、きっと思うように動けなかったのだ。それどころか、守られるばかりのお荷物だったに違いない。
わたしは激しく落ち込んだ。
こんな足手まといになるだなんて。とにかく、シャドウさんが戻ってきたらお詫びと、それから回復魔法を施さなければ。それは勿論として。
――ところでこれ、本当に時間が経てば治るやつ?
わたしは改めて考え込んだ。
魔法の施術者を倒せば解除になるパターンもあれば、本当に大分経ってから、例えば一晩寝て起きてみたら治っているパターンもある。
でももし、どっちにも当てはまらなかったらどうしよう。
頭を抱えながら、ベッドの上で思わず転がってしまう。
……この状態で、果たして旅を続けられるものだろうか?
そんなことを少し考える。魔法は使えるのだから、全くの戦力外でもないはずだ。
思うけれど、でもやっぱり、足手まといだろうなあと思う。
(そんなの嫌だな……)
「何かあったらを守れ」と言われていたインターセプターが、溜め息をつくわたしを見て何とも言えない顔をしていた。
部屋は、一部屋しか取っていなかった。
どう見ても傍目には一人と一匹なので、それは仕方がない。
微睡みの中、うっすらと目を開ける。
既に辺りには夜の帳が下りていた。シャドウさんを待つ間に寝入ってしまったようだった。
ふわりとハンカチか何かの布が、布団の代わりに掛けられているのを感じる。
それだけを確認して、再びの眠りの中にわたしは戻っていた。
しばらくして寒気を感じて、布団に深く潜り込んだことも何となく覚えている。覚えてはいるのだけれど。
状況が掴めない。
それというのは寝起きというのもある。
……シャドウさんと同じベッドに入っているのは、どういうわけだろう。
わたしは固まったまま、すぐ目の前にある伏せられた目蓋を見つめていた。
混乱の中とりあえずお互いを見てみれば、服も着てるし、向こうは相変わらず覆面のままだった。ひとまずはセーフだと安堵した。
……安堵している場合じゃない。
これはアカンやつ。
こういう時悲鳴のひとつでも上げられたなら、漫画みたいに事態は一気に進むんだろうなと思う。
けれどわたしはこういう時、そうできずにどうしたらいいか黙って考えてしまう方だったりする。
どうしよう。
グルグルと寝起きの脳内を巡らせて、とにかく早急にベッドを出ようと閃いた。
そっと、静かに、起こさないように。
音も振動も出さないようにしたつもりだった。
けれど、無意識の動揺が伝わってしまったのかもしれない。
手首を掴まれたと思った次の瞬間には、シャドウさんを見上げる形になっていた。
内心ではそれこそぎゃっと悲鳴を上げるけれど、実際には声にもならない。
その人の向こうに天井があったので、寝台に押し付けられているというのが分かった。
あ、これ、敵襲と勘違いされたパターンのやつ。
……なんてのほほんと考えられる程の余裕は、今のわたしにはとてもなかった。
「……か」
「…………」
とても何か言える感じでもなくて、コクコクと肯くに留める。
手首を離され「元に戻れたのか」と言われて、ようやく自分が小人からいつもの大きさに戻れていることに気が付いた。
しかし正直言うと、今のわたしはそれどころでない。
とりあえず身を起こすと、もう一度わたしは夜中の記憶を辿ってみた。
「えっと……わたし、夜中寒くてお布団に潜り込んだのはなんとなく覚えてるんですけど……」
「その時にはもう元に戻っていたんだろう」
ふつうサイズに戻ればとてもあの小さな布では布団にならない。
よくよく見れば、わたしが元に戻った時用らしき毛布が脇に畳まれていた。
そちらは淡々とスルーして、シャドウさんのベッドにお邪魔してしまったらしい。
というか、シャドウさんも気付かないんだな、と思った。殺気とかそういうのが無かったから? そしてさっきは、わたしが動揺してたから?
随分と敏感に察知するなあ、流石アサシン。
……などとそこまで思う余裕は、やっぱりまだちょっと無かった。
「あー……えっと、じゃあその、わたし顔洗ったらお部屋の外で待ってますからねっ」
そう平静を装って、粛々と歯磨きと洗顔を済ませて「それじゃあ」と声を掛ける。
向こうは通常営業の表情で肯くけれど、わたしは部屋を出て扉を閉めるとその場でズルズルとドアにもたれて座り込んでしまった。
何だろう、これ。
一連の出来事があんまりにもあんまり過ぎて、わたしは一人額を押さえた。
こんなんだったなら、カッパになった方がまだマシだったかもしれない。
そう本気で思い掛ける程度には、わたしは激しく落ち込んでいた。
それはそうとして。
……ところで、チェックアウトする時受付の人にどう思われるのだろう。
わたしはそんなことをふと思った。
昨日手続きをした人と同じ人かどうかは分からない。それにしたって、記帳の際には宿泊者の名前や人数をふつうは書くものだ。
人数が増えていたら不審に思われるのでは。
いやいや、別に変なこととかは何もしていないのだから、堂々としていればいい、……のかな? どうなんだろう、これ。
早朝からドアの前でしゃがみ込み一人悩んでいるわたしを、掃除係の人が不思議そうに眺めながら通り過ぎて行った。
▲NOVEL TOP