こんな話、誰にもしたこと、ないんですけど……。
いえ……そうですね。
たぶんこれからも、誰にも話すことはないと思います。みんなにも、シャドウさんにも。

誰もいない台所。
夜の片付けがほとんど終わった、ささやかな時間です。
わたしはひとり、あたたかい飲み物を用意して、人心地ついたところです。
もう少ししたら部屋に戻って、眠る準備をしようと思います。

これは、ただのわたしの独り言なんです。
一年前からずっとひとりで考えてきた、とりとめのない独り言。
わたしはそれを、ただ自分の中に横たわらせるだけ。
そもそも、この堂々巡りに答えがあるのかどうかすらも、分からないんです。
ですから……今はただ、静観するしかないんじゃないでしょうか。



わたしは一年前……ええ、こちらに来たばかりの頃ですね。
あの頃はまだ、根拠もなく、すぐに元いた自分の世界に戻れると思っていたんです。
いえ、思い込もうとしていた……が正しいでしょうか。
無意識にそうすることで、心の安寧を保とうとしていたように思います。
唐突にひとりになってしまって、それ以外に自分を守る術がなかったんです。

本当に何のきっかけもなく、気付けばこちらに迷い込んでいました。
……だったら、もし戻れるなら同じように……何処かを歩くうちに、いつの間にか向こうへと帰り着いていることだって、あるかもしれません。
或いは、眠って目覚めたら……全部が夢だったとまでは言いませんけれど、もしかしたらそこは自分の部屋だった、なんていうパターンもあるかもしれないじゃないですか。

だから。
わたしは毎朝、目覚めてすぐにここが何処なのかを確認してきたんです。一年前のあの頃から、今日までの間ずっと。
落胆? ……ええ、最初の頃はしていましたとも。
目覚める度に、(まだこの世界にわたしはいるんだ)って、正直思っていましたもの。

それでも、いつかは帰れると信じていました。

……こちらの世界で、助けてくれる人が見つかって。
飛空艇ブラックジャックのお世話になるようになってからも、それでもわたしの心は何処か、少しだけこの世界と距離を置いていたように思います。
だって、この世界の人たちと仲良くなってしまったら、帰るときに寂しくなっちゃうじゃないですか。
だから、あんまり深く関わろうとは思っていなかったんです。
彼らとも、この世界とも。

勿論、助けて頂いている手前もありますから。
それなりの礼儀を尽くして、それなりの感謝をして、それなりの振る舞いをしてきたつもりです。
けれど、心は自分の世界に向けられていました。
今頃向こうはどうなってるだろう、家族は心配してるだろうな、そんなことを何度思ったか分かりません。


たまたま何故か、魔石に宿る魔法をすぐ身に付けられると気が付いて。
みんなと本当に行動を共にするようになってさえ、わたしはまだ、離れたところからこの世界を見ていました。
いつか別れる世界のことです。そんな見方になったって、不思議でも何でもないんじゃないかなあって思います。
だから。

世界が引き裂かれても、わたしにとっては、それほどの出来事ではなかったんです。
だってここは、わたしの世界じゃないんですから。
わたしは既に、世界を失っていました。だからこの世界がこうなっても、皆さんが感じた程の衝撃はありませんでした。


時間が経過しました。
シャドウさんと共に各地を巡り、コロシアムに留まり貴方が戦い続けるうちに、みんなと再会できましたね。
この一年の間もわたしは目覚める度、自分が何処にいるのかを確かめていました。
荒れたこの世界を歩くうちに、生き残った人たちがどんな生活を強いられ、何を失くしたのかを見てきました。
そうした中で、わたしは気付いてしまったんです。

いつからかなんて、もう思い出せません。
目覚めた時、こちらの世界にまだ自分がいると分かって感じたもの。
それは、確かに安堵だったんです。
わたしは、ホッとしている自分に吃驚しました。あんなに「いつか自分は帰れるんだ」って思っていて、それを信じていたのに。

でも、仕方ありません。
……だって、こちらの世界にまだいられるということ。
それってつまり、みんなに、……シャドウさんに今日も会えるってことなんです。
それが嬉しいと、いつの間にか思うようになってしまったんですから。
あんなに離れたところからこの世界を見ていたはずなのに、おかしいですね。


でも、それだけじゃありません。
シャドウさんと一緒に各地を渡り歩き、いろんな人たちやものを見てきました。
亡くなってしまった人、そのご家族やお友達、以前とはまるで変わってしまった街並みや地形、暮れゆくような赤く染まった空に、緑の消えた大地。

この世界の人たちは、あの日から何かしらを本当に失っていました。
そんな人たちを見るうちに、(わたしは)、と思ったんです。
わたしは、自分の世界を失ってしまったと、ずっとそう思っていました。

でも、……果たして本当にそうだったんでしょうか?
確かに、元いた場所へすぐには戻れません。
けれどこの世界の人たちのように、本当になくしてしまったわけではないのです。
わたしの世界はこちらとは違い、今でも変わらない時間が流れているはずです。
それは、揺らぐことのない事実でした。
こちらがどうなろうと、向こうは平和が保たれている。……わたしは、自分の世界の平穏が担保されているんです。

わたしは世界を失ってなどいませんでした。
ただ隔絶されただけに過ぎないと、最近になってようやく気付いたんです。
やっとのことで、わたしは心の安寧を取り戻しました。
ずっと心の一部分が落ち着かなくて、さざ波みたいに水面が揺れ動いていたのがふっと止まって、静かな海になったかのような。そんな感じでした。
……なのに今度は、違う不安にわたしは苛まれているんです。

わたしはこちらにやって来た時、何のきっかけもなく突然でした。
だったら。
何のきっかけもなく突然、向こうに戻ってしまうかもしれませんよね。
今になって、(そうなってしまったらどうしよう)ってひどく憂いているんです。
変ですよね。あんなにいつか帰れると信じて、ここまでやってきたはずなのに。
はずなんですけど、それでも。
せめて、この旅が終わりを迎えるまでは、どうしてもここにいたい。
……そう思うのって、やっぱりわがままなんでしょうか?



ふと顔を上げれば、入り口のところにシャドウさんが立っています。
いつものように食事の膳を下げに来てくださったんですよね。
わたしはすぐに心の中の独り言を切り上げて、洗い桶の中に置いてもらうように伝えます。
丁度、わたしも飲み物を空にしたところでしたから。まとめて洗ってしまおうと思ったんです。
シャドウさんはすぐにも部屋に戻ってしまうはずでした。

「シャドウさん、おやすみなさい」

わたしはいつもの具合で言います。
休む前の、毎日の何気ない挨拶です。
……シャドウさんは、この戦いが終わったらどうするんでしょう。
その時には、わたしと行動する理由ももうないのかもしれません。
わたしも、いつまでこちらにいられるのか自分でもよく分かりません。
ずっといられるかもしれないし、急に明日、元の世界に戻ってしまうかもしれません。
それでも。
この旅が終わるあと少しの間だけ、

「また明日」

って言ってもいいでしょうか?

「……ああ」

微かに、その目元が細まった気がしました。
洗い物を済ませ、眠る支度を終えてベッドに入れば、今日も一日無事に過ごすことができたのを誰へともなく感謝します。
そうして次に目を開けた時、またここにいられるようにと願わずにはいられません。
好きな人たちがたくさんいて、そしてこの世界は、彼らの場所なのです。
彼らの世界を守る、その手助けがしたい。
この旅が終わるまでの、あと少しの間だけでも「また明日」が続いてほしい。
わたしはそう思っているのです。






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