ボウルの中の、泡立てたいっぱいの生クリームみたいな……。
実際、そうだったらどんなにか良かったでしょう。
吹きだまりのあの辺の陰影なんて、結構それっぽいと思うんですけど。
……あ、シャドウさん、泡立てたクリームとかそういうの見たことありません? そうですか、すみません。
まあ、わたしも自分で作ることなんてそうそうないんですけど。

そういえばわたし、ここまでの雪を見たのは、こちらの世界に来て初めてだったんです。
目の前に広がる白はただただ夥しく、冷気が静かに流れ込んできます。
風こそ今は吹いておらず、耐えられないような寒さではありません。けれど、……昨日とは比べ物にならないほどの雪が降り積もっていたんです。

とにかく、扉を閉めます。
その扉だって、開けるのに多少難儀した程です。
雪の重みで戸を押しやるのが容易ではなく、力を込めて少しずつ、やっとどうにか、といった具合でしたし。



世界が破れ、シャドウさんとインターセプターと共に世界を廻って。
辿り着いたナルシェ、そこにこれといった手がかりは見当たりませんでした。
到着したのが日没近くだったこともあり、人々が集まる館で一晩を過ごして……そうして朝を迎えてみれば、この状況です。
雪深い炭鉱の街、一つの館に閉じ込められた――とまでは言いません。
冒険者に手厚いらしいこの館には食料も燃料も十分備蓄されていましたし、モンスターがうろつくように変わってしまった街であっても、ここにいる人達は決して希望を失くしてはいないようでした。
だから、閉塞した感じはほとんどなかったんです。

ただ、……すぐにも出発することを考えていたわたし達にとって、この積雪は障害でしかありません。
泊めてもらっていたこの館は、たまたま街の入り口に近い立地でした。
どうにか雪を漕いで、街を出られないか……そうも思いましたが、いい考えとも言えないですよね。

幸い、館には人手も多く、除雪にも当然慣れているようです。
防寒着を着込んで出ていく何人かの中には、シャドウさんの姿もあります。
少しでも早く、次の目的地へ赴きたいと思っていましたもんね。人手は、多いに越したことはありませんから。
勿論、わたしも貴方の後に続くつもりでいました。
玄関脇に立て掛けられた除雪用のスコップは、まだ数がありましたし。
それを手に外へ出ようとすれば、振り返ったシャドウさんがこちらを見下ろしてきます。
なんだろう、と思って見上げれば、ふっと左肩に手が置かれます。厚い手袋越しでしたが、シャドウさんの手は明確にこちらを押し留める意思がありました。

ほんの数秒のことです。
言葉も何もありませんでしたが、ただ静かな目がわたしを制止していました。
思わず見返す形になって、リアクションをする前に扉は閉じられていたんです。
……せっかくしっかり着込んだのに。
いくらかの時間が経過してから、わたしは羽織ったばかりのコートを脱ぎました。


窓の外は、本当に何処までも白が続いています。
そんな中、雪を片付けていく人たちが歩ける範囲を徐々に広げていきます。
お昼には、館周辺がすっかり空間を確保していました。
ただ、進みは遅い方なのだそうです。
それは、確かにその通りでした。だって、時折モンスターが現れるんですから。
シャドウさん以外の、この館の人たちも戦い方は心得ているようでした。それでも、全くの無傷で済むわけではありません。

お昼過ぎに、一際大きな音がありました。
窓の外が一瞬、ぱっと赤く染まります。すぐにそれが、シャドウさんの炎の巻物から出たものと判りました。
外を窺いながらも飛び出せば、モンスターの姿は既になかったんですが……。
ただ、傷を負った人がいましたから。
わたしはシャドウさんを探して、少し離れた先に姿を見つけます。
無事のようでしたし、そちらもわたしを目に留めると肯いてくれます。肯き返して、わたしは負傷した人たちを連れて館へと戻りました。

本当なら、治癒の魔法ですぐにでも治せたらいいんですけど……。
わたしは館に留まっていた他の人たちと共に介抱に当たりながら、そう思います。
包帯を巻きながら、そーっと気付かれない程度のケアルを施します。多少は、治りも早いでしょう。


――わたしの世界にも魔法はありません。
そしてこの世界でも、魔法はごく限られた人たちだけのものなんですよね。
シャドウさんから、そしてみんなから聞いていた話でした。隠れ魔導士の里の話も、帝国が魔導の力を引き出して人に注入していたというのも聞いています。

わたし達が得た魔法は、それらとはまた違うやり方のものですけれど。
……でもきっと、普通の人たちに見られたなら、どう思われるかはなんとなく想像がつきます。
だから、わたしも人前で魔法を使うのは控えていました。炎の魔法で雪をどうにかできないかって、思ったんですけどね。

だからシャドウさんは、わたしを押し留めたんですね。
館の外でモンスターと対峙すれば、わたしは魔法で戦うよりありません。
ナルシェは以前、帝国の侵攻を受けたことがあるそうですね。
ティナのことは、街の中にも理解ある人がいて、ある程度受け入れられているって聞いています。
ただ……やっぱりそう迂闊に、魔法って使うものではないですよね。


負傷者の手当てが終わって、ふと窓の外に目をやります。
引き続き除雪に当たっている人々の中に、一際目立つ黒装束を見つけられます。
その背はずっと雪と戦い続けていましたが、手袋についた雪を払ったかと思うと徐にスコップを雪の中に突き刺します。
片手を持ち手に預けたまま、立ち尽くしているように見えました。短い休憩、一休みといったところでしょうか。
……こちらからはその背中しか見えませんでしたが、シャドウさんの目には何が映っていたんでしょう。
視線の先と思われる方向を追っても、その向こうはただ遠くまで白が埋め尽くされているだけでした。



長いような短いような一日が終わろうとしていました。
館の人たちは、シャドウさんが周辺のモンスターを率先して倒してくれるので有難いと言って、あたたかい食事を振る舞ってくれます。
流石に一日で街を出るまでの道のりを作るまでは至らず、もう数日が必要そうでした。

そうして次の日も、同じように時間は過ぎていったんです。
幸い、天気は悪くありません。
片付けてすぐ次の積雪という事態には今のところなっておらず、これなら明日には道が開けるだろうという見込みです。

三日目、午後の中頃です。
外へ出ていた全員が戻ってきて、「道が開けた」と言います。
館で待っていたわたしは、他の人たちと一緒に用意していた温かい飲み物を彼らに振る舞います。もちろん、シャドウさんにも。

……疲れていたんですよね。流石に。
いつも飲食する時は、わたしからだってあまりお顔が見えないように鉢金を下ろしたり身体の向きを変えたりしているシャドウさんが。
そうする素振りもなく、躊躇いなく顔を覆っていた黒布を下げ、飲み物に口をつけます。
見てはいけないものを見てしまったようで、反射的にわたしの方がパッと顔を逸らしてしまいます。
……ですので、ほとんど何も見ていないんですけど。
ただ、本当に人心地ついたような、息をつく音が耳に届いたことだけは確かでした。



出立を明日に控えて、夜は早めに休むこととなりました。
館の人たちは、モンスターを先陣切って倒してくれたことでシャドウさんを甚く気に入ったみたいですね。
「しばらくここに残ってくれたら有難いんだがなあ」なんて、冗談めかして言っていましたっけ。
シャドウさんに、そうするつもりがないことは誰もが重々承知でしたけれど。

ただ、ふと考えます。
この旅が終わったら、シャドウさんはどうするんでしょう。
それこそ、何処かに腰を落ち着けるような――そんな予定って、あったりするんでしょうか?
それとも、旅が終わっても変わらず、今みたいに世界を渡って歩き続けるんでしょうか?

どうなるにしても、と思い巡らせます。
わたしは、帰る道筋が見当たらなければどうしようか。いつも心の何処かにある思いが顔を覗かせます。
答えが、未だに出ていませんでした。自分なりに帰り道を探し続けるべきか、あるいは……旅が終わった時を、自分の中での「一区切り」として諦めるべきか。

考え始めると、頭の中がごちゃごちゃしてくるんです。
だから、結果的に答えが出ないんですよね。……仕方ないんでしょうね、きっと。
そうして、そのごちゃごちゃの先にいつも現れるのがシャドウさんなんです。
どういうわけだか、貴方はわたしのことを見守ってくれています。だから……どういう理由にしろ、離れる時が来たなら寂しいだろうなあ、と思うんです。

とにかく。
そんな理由もあって、シャドウさんがこの旅の終わりに、どうするつもりなのかを訊いてみたい。
ずっと、そう思っていました。
なんとなく黙ったまま視線を向けていると、そちらも目だけで(どうした)と問うてきます。

「……シャドウさん。その」
「何だ」
「えっと。……ほら、ずっと働き通しでしたし。もう一日くらい休んでから、街を出た方がいいんじゃないですか?」
「いや。また雪に見舞われないうちに街を出た方がいい」
「そうですか……」

言いたいことが言えないまま、会話は終了しました。
何故だか、訊ねるのが怖い。
漠然とそう感じていました。どんな答えが返ってくるのか、不思議と恐ろしい気がしてならなかったのです。
だから何もなかったことにして、わたしはそそくさと「おやすみなさい」を言って部屋に戻りました。



陽の光が差し込む朝、雪の反射が眩しいくらいです。
シャドウさんと館の人たちが作ってくれた道は、街の出口までまっすぐ続いていました。
けれど、西の空からは灰色の雲が流れてきます。再び雪が舞い始める気配があり、館の人たちに見送られながらわたし達は出発しました。
平らにならされた雪道は歩きやすく、足取りも軽くなります。
今はまだ何にも遮られていない太陽が明るく行く先を照らします。気持ちまで軽くなるようでした。
……今なら、訊いてみたいことを口にできるような気がします。

思って、すぐ目の前を行く黒装束の背を見つめました。
ずっと広がる白い雪原、やわらかな日差しは金の色味を帯びています。世界に希望が残されているのを感じられるような、穏やかな朝の光です。
その光の中を行くシャドウさんの姿は、


――何故か、消えてしまいそうな気がしました。


思わずその腕を掴めば、驚いたようにシャドウさんは振り向きます。
「どうした」、という言葉に応じることもできず、ただ見つめ返すのが精一杯でした。
頭がキンと一瞬痛みます。……きっと、寒さのせいです。
心臓が急速に大きな脈を打ちますが、目の前の人がちゃんと消えずにここに居てくれることが分かって、徐々にいつものペースを取り戻し始めます。
互いの白い息が、ゆるやかに朝の空気の中に消えていきました。

「あ…………ご、ごめんなさいっ」

ふと我に返って、掴んでいた手を離します。
その後は、なんて言って取り繕ったか覚えていません。
きっとしどろもどろだったに違いありません。思い出すのも恥ずかしいので、その辺はもう思い返さないことにさせてください。
……だって本当に、シャドウさんが消えてしまいそうに思えて、どうしようもなかったんです。


訊ねてみたかったことも喉の奥に呑み込んで、炭鉱の都市を離れます。
今はまだ、旅の終わりの向こうを考えなくていいのだと思います。
他の仲間を見つけて、全員が揃って。そして力を蓄えた頃でもきっといいんです。
だから。
今は、ただ一緒にいてほしい。
そう祈りながら見上げた空に、またひとひら、花びらのような白が舞っているのが見えた気がしました。






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