The Twilight World
その日は仕事をするには最適な夜だった。
静かな暗闇。闇に溶け込んだ黒を纏った男は今夜が好機だと相棒の黒毛の犬――インターセプターと共に夜の街を駆けた。
此度の依頼も公では為せない暗部の仕事。暗殺だった。
依頼内容は街一番の富豪の一人娘の命を奪うこと。
どういった経緯で何が目的なのか興味などなかったが、恐らく娘の命を奪い悵然する父親を失脚させる魂胆でもあるのだろう。
依頼の裏にどんな思惑があろうと、彼は報酬さえ貰えればそれで良かった。ましてや標的になど微塵の欠片も心を動かされることはなかった――はずであった。
何故こんな事態に陥ったのか。シャドウ自身も不可解だった。
確かに部屋に侵入した時に娘はベッドで寝息を立てていた。しかし、寝入っているはずの娘は起きていて、自分の背後から声を掛けてきたのだ。
暗殺者たる者が素人に背後を取られるなど前代未聞。己の沽券に関わる失態である。
「それ、人形なんですよ。良く出来てると思いません?」
なんとも間の抜ける声調。今目の前にいるのが暗殺者だと知ってか知らないでか娘はにこにこと自分の代わりにベッドに寝ている人形を指した。
無用心というには度が過ぎる程の警戒心のなさにシャドウは脱力せざるを得なかった。気配に気付かなかったのは娘が気配を殺そうとしていない所為かもしれない。
素人が下手に気配を消そうとすれば余計に存在をアピールしてしまう結果になるが、彼女の場合空気のように当たり前に、極自然にそこにいた。それは精練され神経を研ぎ澄まされた者にとっては却って厄介な相手でもある。
「父が私の命を狙っている者がいるかもしれないから、こうして人形を身代わりにしておきなさいって私にくれたんですよ」
とどのつまり、自分が暗殺者だと彼女はわかっているのだろうか。あまりの警戒心のなさに毒気を抜かれたシャドウは持っていた得物を娘へ向けて“暗殺者の顔”で問い掛けた。
「俺が何者かわかっているのか?」
「えぇ、存じてるつもりですよ」
尚も笑顔を絶やさず娘は毅然としていた。
「怖くはないのか?」
「……怖がらせたいんですか?」
その問いに娘は暫し思案したが、すぐにまた笑顔を浮かべた。その柔らかで整った形の唇から次いで出た言葉は信じ難いものだった。それは「怖くない」と答えたのと同じ。一体どこの誰がこんな真夜中に現れた黒尽くめの男に刃物を向けられ怖くないと言うのか。しかし、目の前の娘はそれを言って退けたのだ。
変な娘だ。シャドウはそう思うと仕事をする気力がすっかり失せてしまい彼女に向けていた刃物を懐へ仕舞った。
その様を見ていた娘は嬉しそうに両手の平を合わせると「お茶でも淹れましょうか?」と微笑み掛けた。
客人でもなくただの侵入者で、尚且つ暗殺者にお茶を出すなど聞いたことがない。
呆れ返ったシャドウはただただ閉口するしかなかった。
「貴方のお名前を伺っても宜しいですか?」
「……シャドウ」
今思えばなんとも馬鹿正直に答えたものだと思う。けれど、彼女の柔らかな微笑みには逆らう意思を起こさせない不思議な魅力があった。
「シャドウさん……ですか。素敵なお名前ですね」
シャドウの名を反芻する仕草がとても優美に感じた。流石街一番の富豪の令嬢とだけはある気品の持ち主だ。それでも厭味っぽさや高飛車な態度を取ることがないのが、貴族を苦手とするシャドウにも好感が持てた。
「噂に聞いていたのとは大分違うんだな……」
依頼主の話ではこの家の主である娘の父親はかなり意地の悪い男だと聞いていた。その娘なのだからさぞかし破綻した性格なのだろうと推測していたのだが、良い意味で期待は裏切られた。
「ふふ、父はあんな性格で敵を多く作ってしまいますからね。ですが、私への教育はしっかりしているんですよ?」
娘の大らかさにもしかしたら血が繋がっていないのではないかとシャドウは思わず疑念を抱いてしまった。
若い娘らしい、けれど品のある無垢な表情で娘はシャドウのマスクで覆われた顔を覗き込む。
目が合った瞬間にこりと微笑んだ彼女にシャドウはどきりとした。
「それで、お仕事を遂行なさらなくて良いんですか?」
仕事――それは娘の暗殺。それをわかっていながらも問う娘の心意が全く読み取れない。
自分が仕事を遂行すれば彼女は死ぬことになるというのに、娘は悠長に笑っているのだ。
「俺が仕事を全うすればお前は死ぬんだぞ」
「えぇ、それは致し方ないと思いますよ」
「……死んでも良いのか?」
「うーん、死にたくはないですよ」
全く読めなさ過ぎる。この問答にシャドウはすっかり参ってしまった。
職業柄読心術に長けていると自負していたシャドウも、あまりにも不可解な娘の思考を読み取るのは難解だった。
――最早長居は無用か。
仕事を断念した以上一刻も早くこの場から去るのが最善であろうと窓の戸に手を掛ける。
「名を……訊いても良いか?」
「……。と申します」
穏やかな微笑を浮かべて告げるの瞳に惹き込まれそうになるのを振り切り、シャドウは素早く窓から身を乗り出し夜の闇へと消えていった。
「……、か」
穢れを知らぬ気高い娘。本来ならば敬遠する存在だというのに、シャドウの心には深くその名が刻まれたのだった。
宵闇の中で生き続ける。今までも、これから先もそうだと思っていた彼に差した僅かな光。
彼を翻弄する娘は今日もまた深夜の訪問者を待ち星空を見上げる。
「こんばんは、シャドウさん――」
「Eolia」のきあ様から相互記念に頂きました!
っぎゃーーーーー!!! シャドウ夢ですよおおおぉぉお奥さん!!(落ち着け)
なんて素敵な贈り物して下さるんですかーーー!!?
顔覗き込まれて目が合って微笑まれてどきーなシャドウに悶絶。
もっともっと彼を翻弄して欲しい……! うぅ、読み返す度に表情筋が弛緩してしまう……。
わたしはしっとりした女の子な主人公が書けないので、とても新鮮に感じました。
きあ様、素晴らしい夢をありがとうございました!!
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