見たことのない通路が続いている。
三叉路だったり、二つの道に別れていたり、本当にダンジョンさながらだ。
それでも生首くんは道を知っているようで、迷うことはなかった。
わたしは彼の頭を抱っこしたまま道を進んでいた。すぐ傍を、這いばいさんが這ってついてきてくれている。

そうする中で、わたしの心は重く沈んでいた。
ようやく見つけた手がかりだった。落ちていた雑誌に載っていた記事、そこに書かれていたエレベーターのこと。
もしかしたら、やっとこの世界から出られるかもしれない。
そう思ってようやく辿り着く寸前、生首くんが連れ去られそうになっているのを見てしまった。
わたしは彼を助けて、そのままエレベーターまで行くつもりだった。
銀髪さんのいた部屋まで送り届けるには、あまりにも場所が離れすぎている。
頭の片隅に、這いばいさんに彼を預ける、という案もあった。彼なら、安心して生首くんを託すことができる。そう思っていたので。

……今になっては、どうにもならないことだった。
地震が起こったことで、部屋の繋がりが変化した。
流石にそんな想定はしていなかった。今から再び、エレベーターを見つけ出さなければならない。そして再び辿り着けたとしても、本当にここから出られるという確証もない。

気の遠くなるようなことだった。
この世界は、思った以上に広大だ。
ただそれだけならまだしも、身の危険を感じたことも一度や二度ではない。
沸々と、自分の中に濁った感情が溜まっていくのを感じる。
わたしはこの世界を憎み始めていた。元いた場所へ帰りたい。ただそれだけなのに、何度も心を挫かれそうになる。
憎悪が、わたしの中に忍びこもうとしていた。

「(どうしたの?)」

真下から声がした。
視線を下げると、生首くんが上目遣いをしているのが分かる。
そっとその首を回して、こちらに顔が向くようにする。彼は続けた。

「(君、怒ってる?)」
「(どうして?)」
「(怖い顔してるから)」
「……」

咄嗟に答えられなくて、曖昧に首を振る。
もし彼を助けずに、エレベーターへ向かっていたら。
一瞬そんな「もしも」を想像するけれど、きっと後悔していたと思う。だからきっと、これでいい。わたしは自分でこの選択をした。彼に怒りをぶつけるのは違う。
進みながら、這いばいさんもこちらを心配そうに見る。わたしは意識して、二人に微笑んでみせた。言った。

「……わたし、帰りたいんです」、
彼らには伝わらない言葉だと知っている。
敢えてそのまま、わたしはいつもの自分の言語で話した。

「ここでは、わたしは生きられないので……だから、もう一度出口探し、始めないと」

二人はよく分かっていない様子でこちらを見ている。
生首くんを持ち上げているわたしの手、そして腕に目をやれば、肌の色は明らかにおかしかった。時間が、どのくらい残されているかも分からない。
内心の焦りを押し隠して、もう一度口を開いた。今度は、彼らに通じる言葉で。

「(ごめんね、何でもないの。行こう)」
「(うん!)」

生首くんが、安堵したように笑ってくれる。
前を向かせようと手の位置を変えかけて、ふと、彼の首の下辺りが気になった。
普通なら身体に繋がる部分、彼のそこは切断されてなお皮膚で塞がっているけれど、決して滑らかではなく、爛れてざらついた感じだった。
訊いてもいいものか一瞬迷う。けれど、そうしてみようと思った。

「(痛くない? ここ)」
「(? ぼく、痛くないよ。大丈夫!)」
「(そう。良かった)」

わたしはホッとして、改めて彼の首を抱き直した。



いろんなものが、雑多に積まれている。
雑誌を見つけた部屋が、歩いた先に繋がっていた。
なるほど、本当に部屋の繋がりが構造的に変化するらしい。どういう仕組みかは知らないけれど。
ゴミ捨て場と違って、嫌な臭いがするわけでもない。落ちてくるものが、そもそも捨てられるゴミではないからだと思う。
そのほとんどが、よく見ればまだ使えそうなものだったりする。本当に、ただ偶然何かのきっかけでこの世界に落ちてくるのだろうか。
改めて眺めているうちに、ふと目に留まるものがあった。

「(少し待っててくださいね)」

生首くんを這いばいさんに持たせて、彼にそう告げる。
二人は(何を見つけたんだろう)というふうに待っていてくれる。
どうにか引き上げてみれば、それは車椅子だった。試しに少し押してみるけれど、特に問題なく使えそうな印象だ。
少し前に、一人で探索をしていた際に出会った人物を思い出す。
車椅子に座った、この世界の住人。彼を見た時の最初の感想が(ここにも車椅子ってあるんだな)、というものだった。
予備があれば使わせてもらいたい人がいたけれど、見当たらなくて残念だな、と思ったのを覚えている。
でもきっと、ここで拾ったものなら使っても大丈夫だろう。

「(座ってみてほしいです)」
「(僕?)」

這いばいさんに向かって言えば、彼は微かに首を傾げた。
肯いて、生首くんをこちらにもらい、片手で車椅子のシートの部分を示してみせる。
そろそろと、這っていたその手が伸びてくる。彼が座り終えるまで片手でハンドルを支えていれば、意外とすんなりとその身が収まった。
ただ、正面に回って見てみれば、サイズがぴったりとはお世辞にも言えそうにない。
普段は身体を折りたたんで座り込んでいることが多い彼だけれど、改めて這いばいさんを見れば、彼は結構な長身だと分かった。
脚も長いので、乗せる部分に収めてみればどうしても窮屈そうになってしまう。
ダメかなあ、と思いながらも訊ねてみる。

「(これ、嫌ですか?)」
「(嫌ではないよ)」

その返事に、ひとまずホッとする。
車椅子を押すには両手が塞がってしまうので、生首くんを這いばいさんに再び預けて抱えてもらう。
わたしがゆっくり押して進んでみると、目線の高さが違うのが二人とも新鮮みたいで、両者から笑い声が上がった。

「(これ、面白い!)」
「(楽しい!)」

そう言う彼らは純粋に楽しそうで、わたしはつられて自分も少し笑っていることに気付いた。
このままこうして、出口を探すのもきっと悪くない。
思うけれど、例えば悪意のある怪異に襲われた時はよろしくないだろうな、とも思う。実際少し前に、大きな顔の怪異にちょっかいを出されていたので。

幸い、しばらく進んだけれど、そんな場面には出くわさなかった。
直面したのは階段だった。傍にスロープがあるわけもなく、そして見たところ長く先が続いている。
少しの距離なら折り畳んで抱えていける。ただ、目の前の階段はそうするには難しそうだった。

「(これは置いていく方がよさそうだね)」

たぶん、這いばいさんはそう言っている。
単語の羅列は「置く」「べき」「これ」といったものだった。だからきっと、口語にすればそんな感じだと思う。
そしてわたしは、そうすることを少し渋ってしまう。
黙っていてもそれが伝わったらしく、彼は車椅子に座ったまま身を捩って、(どうしたの?)とこちらを見る。

「(君は、これが好きなの?)」
「…………」

わたしは車椅子が動かないようにロックして、正面に回った。
しゃがんで、口を開くより前に床の様子を見る。
その空間によっても違うけれど、砕けたコンクリート片や細かな砂礫が落ちていることも少なくない。ずっと前から、気になっていることだった。
顔を上げて言った。

「(貴方は進む時、手や足が痛くないですか……?)」
「(心配してくれるの?)」

きれいに口角を持ち上げて彼は笑った。
向こうはそうやって笑うけれど、手のひらや足裏にそれらが触れるのを想像すると、どうしても(痛いんじゃないかな)と思ってしまう。
階段なんて、段差にすねをぶつけたら相当痛いに決まっている。
思うけれども、向こうはそれよりも心配する気持ちを嬉しがっているみたいだった。
大きな手が伸びてきて、時々してくれるように頭を撫でてくる。

「(僕は大丈夫だよ、心配してくれてありがとう)」
「…………」

大丈夫、というのはきっとそうなんだろうなと思う。
彼はずっと以前からここにいて、這って移動するのが普通なのだろうから。
だから、わたしはその言葉を信じるより他にない。
しゃがんだ姿勢で彼を見上げていると、こちらに手を伸ばした這いばいさんの長い黒髪がさらりと肩から落ちてくる。
髪に隠れた目元は、見えなくても細められているような気がした。
……目。今なら、訊いてもいいのかもしれない。

「心配ついでに、もう一つ訊きたいんですが」
「(…………?)」
「えーっと……(もう一つ訊きたいことがあります)」
「(何?)」
「(貴方の目、痛くないですか?)」

ずっと心配だったんです。
自分の言葉と彼らの言葉をまぜこぜにしながらも、わたしは訊ねてみる。
そっとその目の辺りに指を伸ばす。触れはしなかった。痛いのかもしれないから。
ただ、ずっと前から気になっていた。赤黒くなって爛れた皮膚、その容貌は最初の頃こそ恐ろしかったけど、思い返してみれば、彼がどういう存在なのか、それ自体が窺い知れないからこそ怖かった。

今は違う。
彼はたくさんのことを教えてくれたし、守ってもくれた。こうして今なお、わたしに付き添ってくれている。
彼を知れば知るほど、心配なことが増えていった。
ついて来てくれるのは嬉しかったけれど、元いた場所に帰れなくならないかなとか、裸足や素手で移動して痛くないのかなとか。
その目はどういう理屈か視えているようだったけど、潰れていてひどく痛々しかった。……大丈夫なのかな、とか。

ほんの少しの間があった。
顔の傍で触れないようにしていたこちらの手を、すっと大きな手が覆った。
そのまま頬にすり寄せられる。彼の低い体温と、ひたりと触れる肌の感触が伝わってきて内心ドキッとしたけれど、彼はいつもの調子で言葉を紡いだ。

「(君が心配してくれるの、すごく嬉しい)」
「…………」
「(僕は本当に大丈夫だから。痛くないから、安心して)」
「(……分かりました)」

肯いて、生首くんをこちらに預かる。
片手で這いばいさんの手を取って、車椅子から下りるのを助ける。折り畳んで邪魔にならないように階段の脇に置いておくことにした。
ふと見ると、生首くんがこちらを見てニコニコしている。

「(どうしたの?)」
「(君、優しい。ぼく、君好き!)」

唐突にそんなことを言い出すので、わたしはちょっと笑ってしまう。

「(どうしたの、急に)」
「(君、ぼくのこと痛くないか心配してくれた。彼にも! 君、優しい!)」
「(僕もだよ! 僕も君が好き)」
「(ふふふ、ありがとう)」

そう応じてみるけれど、心の中で(そうかなあ)と思う。
彼らの方が、ずっと優しかった。言葉も分からずにいた人間に、根気よくひとつひとつを教えてくれた。
良くしてくれた相手が困っていたら助けたくもなるし、痛いところがあればできる限りのことはしたい。
ただそれだけのことだったし、ごく普通のことだと思った。

ふと、(やっぱりこの選択をして良かった)と思う。
あの時、生首くんを見捨てて脱出できていたとしても、ずっと負い目を引きずっていただろうから。誰かの犠牲を踏み台にするのは、仮に無事に戻れていたとしても間違っている。
それにこうして、一緒にいてくれる彼らがいる。だからわたしは、まだ大丈夫だと思うことができた。

「大丈夫、大丈夫」

小さく声に出してみる。
あれほど沈んでいた重い心が、いつの間にかとても軽くなっている。
それというのは、彼らと交わした言葉があたたかかったからだと知っている。
大丈夫、嬉しい、安心して、ありがとう、好き。なんて明快な、シンプルな言葉だろう。それらにわたしは、今どれだけ救われているか分からない。
何だか急に、足取りが軽くなるような気持ちになる。わたしって単純。
「そうですよね」、とわたしは独りごちた。

「出口なんて、また見つければいいんですもんね。よーし、じゃあ改めて、元気出して行きましょうか!」
「「(???)」」
「えーっと……ああもう、これでいいや!(みんな行くぞー!)」
「「(おーーー!!)」」

拳を作って上に突き出してみせると、真似をしてくれる二人がいる。
這いばいさんは片腕を高々と掲げて、生首くんは声を揃えて。
そんな小さな儀式を終えて、わたし達は三人、再び歩き出した。

大丈夫。ここは光の乏しい場所だけれども、わたしを気に掛けてくれる彼らがいる。
だから、と思う。
だからもう、この世界を憎むのはやめよう。
彼らだって、この世界の一部なのだ。だからわたしは、二度とこの世界を憎んだりしない。
心の中で、わたしはそう呟いた。






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