意識が浮上して、うっすらと目を開ける。
眼前に誰かがいることに、すぐ気が付いた。視界いっぱいに黒髪が飛び込んできて、一瞬強張ってしまう。
けれどすぐ、(まただ)と思った。
……今回は、どうにか声を上げずに済んだ。
前回はさすがに驚いて、言葉にならない断片のような声を発してしまった。それを、向こうはただ笑って見ていたけれど。

わたしはジッとしたまま、その人の様子を静かに窺ってみる。
今日も笑って何事かを話しかけてくるのだろうか。
そう思って、(さあ来い)と心の中で身構える。……けれど、何の反応もない。
相変わらず長い黒髪が目元を覆い隠している。それですぐには分からなかったけれど、彼もまた眠っているらしい。

(この人も眠るんだ……)

それが正直な感想だった。
この場所にいる彼らは、どうにもただの人間とは思えなかった。
なにしろ、生首や手首が生きて動いて話しかけてくる具合だった。人外とでも言ってしまって、いいのかもしれない。


ここへ迷い込んで、まだそう日にちは経っていない。
窓らしいものも今のところ見当たらず、陽の光を確認できていなかった。
時間もよく分からなくて、彷徨い歩くうちに疲れていつしか眠ってしまったのが前回、そして今が二度目の起床になる。
体感的に、二日が経過したところだろうか。

休める場所がないわけでもない。
こうしてベッドの置かれた部屋がある。洗面所やバスルームも見つけた。食べられそうなものもなくはない。
彼らの中にも食事をする者はいるらしい。幸いにも分けてもらえたもので、今のところどうにか食い繋いでいる。

そんな現状をぼんやりと振り返りながら、改めて思う。
どうして自分は、ここにいるんだろう?
ここへ迷い込んだ時の記憶が、まるで思い出せない。気が付いたら、あの場所にいた。
そして、唐突に出会ってしまったのがこの黒髪の男の人だ。
……彼もまた、人ではない何かなのだろうか。姿だけ見れば、人間のように思えるのだけれど。


未だ目を覚ます気配がなく、その顔を眺めてみる。
無遠慮な行為だというのは承知している。ただ、……前回は向こうの方が先に起きていて、こちらを同じように見ていたのに違いないのだ。
だから、これでおあいこだ。
大体のところ、そもそも同じベッドにいること自体どうかしている。
前回目覚めてギョッとして、流石に抗議しようと思った。
……思ったけれど、どうにもならなかった。
言って聞かせようにも、言葉が通じないのでどうしようもない。何かをされた感じでもなかったし、向こうは笑って頭を撫でてくるくらいだ。
接し方からして、こちらをペットか何かくらいにしか思っていないのかもしれない。

一体、どうしたものだろう。
わたしは、彼に対する態度を未だ決めかねていた。
どう見ても怪しいし、正直言って、見た目がかなり怖い。
出で立ちの全てがホラーだし、目元は見えないし、口元に張り付いた笑みはきれい過ぎてやっぱりホラー映画に出てきそうな其れだ。

そんな彼は、どういうわけだかずっとわたしの後をついて来ていた。
どうしてだろう。……今のところ、危害を加えてこようとする素振りは見られない。
それどころか、何事かをよく話しかけてくる。わたしが彼らの言葉を解せないことを分かっても、それでも止める気配がなかった。
ただ、何かを教えようとしてくれているのは、なんとなく理解できる。

(いい人、なのかな……)

ぽつりと、そう思う。
いやいや、懐柔しておいて、最後に手のひらを返すのかもしれない。
安心させておいて、最後の最後でこちらをバッドエンドに突き落としてくるのかも。どんな感じかは分からない、呪ってくるのかもしれないし、食べようとしてくるかもしれない。だから、まだ油断をしてはいけない。
たかだかこれまでの短い時間で、その心を推し量ることなんてできっこないのだから。
……まあ、それは、普通の人間相手でも同じことだけど。

取り留めない思考を中断する。
ただ漫然と眺めていたその顔を、改めて観察していく。
今まで直視するのが何処か恐ろしい気がして、こうしてまじまじと見るのは初めてだった。
眠っている今は笑うでもなく、その口元は静かに閉じられている。
落ち着いてよくよく見れば、整った顔立ちをしていると思う。……隠された目元は、どうなっているんだろう。

その時、向こうが身じろぎをした。
まだ目覚めはしなかったけれど、流れていた髪がわずかに滑る。
ほんの少しだけ広がった肌を視線だけでそっと辿って、そうして、ようやく気が付いた。
その目の辺りが、微かに引き攣れていることに。
黒髪の下、目元近くの皮膚が爛れて、赤黒くなっているのが痛々しい。

(痛いのかな……)

痛くなければいいな。
……そう思ってしまう程度には、わたしは彼に、悪くない感情を抱き始めている。
ふと、その目元に手を伸ばしかけている自分に気が付いて、慌てて引っ込める。
何をしているんだろう、そもそも、寝ている男の人の顔に触れようとするだなんてどうかしている。

内心の動揺をどうにか落ち着かせようとするうちに、彼の腕がぴくりと動いた。
ようやく目が覚めたのらしい。
こちらを捉えたらしく、いつもの笑みがその口元に浮かぶ。何事かを彼は口にした。
たぶん、(起きてたの?)みたいな言葉なのだと思う。
彼らの言葉は、まだよく分からない。けれど、……少しずつなら理解していけるかもしれない。

「……おはよう」、
ございます。

区切って、自分なりに朝の挨拶をする。
まだ短い付き合いでしかない。お互いのことを、まだ何も知らない。
けれど彼がついて来てくれたから、自分の中の心細さがほんの少し和らいでいたのは確かだった。
全ての警戒心を解くには時期尚早だと、分かっている。でも今のところ、この人は自分に対して好意的なのだと思う。
だったら……こちらもそれなりには、その気持ちを返したい。
思って、少しだけ笑ってみせる。
彼に微笑みを返したのは、たぶんこの時が初めてだった。

向こうは一瞬ポカンとしたかと思うと身を起こして、パッと花が咲いたかのような笑顔になる。
刹那、(かわいい)と思ったのも束の間、彼は続けて声を上げて笑った。完全にホラー映画さながらの奇声で、思わずギャッと悲鳴を上げた。

「こ、怖いからその笑い方止めてくださいー!!」

身体に掛けていた毛布を頭から被りそうになるけれど、その前に向こうの手が伸びてくる。
寝起きのこちらの頭を何度も何度も撫でながら、今なお何事かを口走っている。
今は、なんて言っているんだろう。……分かるようになる頃、わたしは、この場所を出ることができているだろうか。
今は、先に進むしかない。
身支度も早々に準備を終えて、わたしは彼に向き合った。

「行きましょうか」

肯く彼は、今日もついて来てくれるみたいだ。
優しいな、と思う。
人かどうかも分からないけれど、そんな小さなことはもうどうでも良かった。
まだ貴方の全てを信じたわけではないけれど、できることなら最後まで、そのままの貴方でいてほしい。
わたしはそう思った。






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