這いばいさんとはぐれてしまった。
ぼんやりとした頭の中で、ぽつりと思う。
この見知らぬ場所で、広大な異界で、ただ一人心配してついてきてくれていた彼。

またすぐに会えるだろうか。
……きっと大丈夫。だって、前にも離れ離れになって、でも彼はわたしを見つけてくれたんだから。
そういえば、どうしてはぐれてしまったんだっけ。
記憶を辿ろうとして、一瞬視界が赤黒く染まる。頭が痛くなりそうで、思考するのを一度やめなくてはならなかった。

頭の中がぼーっとして、ところどころが思い出せない。
這いばいさんは、今、何処にいるんだろう。

頭痛の気配が少しずつ遠のいていく。そっと目を開ければ、視点がなんだか低かった。
座ったまま多少うとうとしていて、ぼんやりしていた。
にも拘らず、ハッと我に返るのはすぐだった。

(身体が小さいんだった)

両手を広げてみれば、手のサイズだって子供の頃みたいに小さめだ。
顔は、どうなってるんだろう。
子供の頃の顔になっているのか、それとも今のまま、全身のサイズだけが小さいのか。
鏡のある場所を通っていないので分からなかった。
このまま戻らなかったらどうしよう。この世界から脱出するにしても、今のままではよろしくない。
そもそも、なんでこんなことになったんだろう。……分からないことが多すぎる。あまりにも。


辺りを見回そうとして、隣にいる人物に気が付いた。
フードを目深に被った姿、その頭は下を向いたまま微動だにしない。
彼……フードさんもまた、休んでいるんだろうと思えた。

(這いばいさんもだけど……フードさんも、親切な人だな)

いや、人じゃなくて人外だろうけど。
思いながら、改めて彼を見やった。
この異界で初めて会ったのが這いばいさん、そしてその次に出会ったのが目の前にいるフードさんだ。
言葉一つ解せないわたしに、最初に言葉を教えてくれた。

思えば、彼らに最初のうちに会えたことこそが不幸中の幸いだったと強く思う。
皆とは決して言わないけれど、中には危害を加えようとしてくる人外もいた。
そうした中で、何の見返りもないのにこうして助力してくれる存在がいる。
(ありがたいな)、と率直に思う。
思うけれど、いつまでも頼りにしているわけにもいかない。

今はとにかく、この小さな姿をどうにかしなければいけない。
そして、ここを脱出して、家に帰る。
脱出の方は、目星がついている。あのエレベーター。確信があるわけではないけれど、あれに乗れたら、もしかしたら。
……となれば、今優先するべきは、元の姿に戻ることだ。わたしはそう考えた。

(後は……意識をはっきりと保つこと、かな)

わたしは心の中で、そう呟く。
この場所に来ていささかの時間が経過していた。
その中で、身体の不調や意識が危なくなる場面が出始めている。
こんな小さな身体のままで、またそうなるわけにはいかない。フードさんに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
気をつけなくては。そう思うけれど、ふと、同時にこうも思う。

(そういえば、フードさんと一緒に行動するようになってからはそういう不調が出てないな……)

…………。
どうしてだろう。たまたま?
そうかもしれない。油断していれば、また同じようなことが起こってしまうかも。
思い巡らせながら、俯いたままの彼を見つめていると、向こうがゆっくりとこちらに顔を向けた。
相変わらずの真っ暗闇がそこにある。けれど、視線らしいものは感じられた。

「(起きたのか)」
「…………」

ひとまず肯く。
そうしながら考える。
わたしの不調の出方は、単純にランダムなんだろうか。例えば、誰と共にいるかで違ってくる、なんてことがあるだろうか?
もし仮にそうなら……
顔と同じ暗闇色で染められた指先が顔に伸びてきて、わたしはちょっと吃驚した。
「なんでしょう」、思わずこちらの言葉で言ってしまう。

「何かついてます……?」
「(血がついていた。……もう取れた)」
「(……血?)」

瞬いていると、フードさんが向こうを示した。
見れば、大きなてるてる坊主みたいな何かが血塗れで天井から吊り下がっていて、見慣れてきたとはいえまずまずホラーな光景に思わず一瞬無言になった。

「…………、えーっと……?」
「(悪意ある者だ。私が倒しておいた)」
「(……なるほど)」

何と言うのか、仕事が早い。
フードさんって強いんだな、と思っていると彼は片手を差し伸べてくる。
てるてる坊主にはもう何の関心もないみたいだった。

「(行くか)」
「(お願いします)」

応じれば、フードさんはもう慣れたかのようにこちらを抱っこしてくれる。
彼に掴まりながら思う。
もし仮に、『フードさんと一緒にいればわたしは不調に陥らない』なら、それは何故だろう。どうして彼なんだろう?
何も分からない。
ただ、今はフードさんと一緒だ。そう思うと安堵することができるのもまた事実だった。



道を進むうちに、何処かで見たような通路に出た。
そして、角から顔を出したのは這いばいさんだ。
彼だけではなくて、銀髪さんに生首くんもいる。わたしに良くしてくれた彼らとの再会は単純に嬉しくて、異界に来て一番ホッとした瞬間だったと思う。

「(どうして小さくなってるの? 困ってる?)」
「すっごく困ってます……」

思わず素の言葉で言ってしまう。
けれど、今はとりあえず一息つけそうだった。
何より、這いばいさんにまた会えたのがとても嬉しい。
彼にお礼も言えないまま、もし異界を去るようなことがあったら嫌だなと思っていた。
だから、心の中の気掛かりが一つなくなったのは良かった。

近場の一室、備え付けられたベッドの上に身体を下ろしてもらう。
這いばいさんが、今なお再会できて嬉しいというのを表すようにこちらを見上げてくる。
フードさんはわたし達を見やって、何か考えているようだった。
「(ありがとうございます)」、そう伝えれば、彼はわたしの顔をしばらくじっと見つめるようにしてから、静かに肯く。
彼は言った。

「(私は行く)」
「えっ」

思わずそう声に出てしまう。
フードさんの方は、わたしが驚いたような反応をしたことを不思議に感じているようで、
「(君を助けてくれる者は他にもいる、私はもう必要ない)」
と淡々と告げてくる。

言われてみれば、そうかもしれない。
ここには這いばいさんがいて、銀髪さんも生首くんもいる。
ただ、心の中にある不安は未だ居座り続けていて、できれば彼にはまだ居てほしかった。

「(……待って欲しいです)」
「(何故?)」

(してほしい)と(待つ)の単語を繋げて、フードさんに伝える。
少しの間、紡ぐべき単語を考える。
言った。

「(わたし、人間です)」
「(知っている)」
「(人間は……ここにいると知性が変化します。たぶん)」
「(…………)」
「(わたし、以前知性がおかしくなって……)」

ああ。思い出した。
這いばいさんと一緒に、再び探索に出ようとして……わたしはおかしくなったんだっけ。
目の前が赤く染まって、血が沸くような感覚になる。全てを滅茶苦茶にしたくなるような、あの攻撃性に満ちた衝動を今、思い出せる。
あの時這いばいさんを絶対に攻撃したくなくて、必死に離れるように言って手を振った。もし彼が従わずに、わたしの傍に居続けていたらと思うとゾッとする。

「(でも、あなたと一緒にいる間は、おかしくならない気がするんです)」
「(何故?)」
「(分かりません)」

わたしは首を振った。
実際のところ、分からない。フードさんがいる時だけ正常な精神を保っていられる、ような気がするだけだ。
本当にただ偶然、そうだっただけかもしれない。そうじゃないかもしれない。
あるいは、身体が小さいことが影響しているのかも。
どれが正解かは分からない。とにかく、話した。

「(わたし、おかしくなると誰かを攻撃してしまう……みたいなんです。でも、そうしたくない)」
「(…………)」
「(出口は……たぶん、分かります。でも、……道は遠くて)」

ひとつひとつ、覚えたての言葉をつっかえながら積み重ねる。
フードさんも這いばいさんも、遮るでもなく先を急かすでもなく話を聞いてくれた。
続けた。

「(だから、あと少しだけ……一緒にいてほしいです。……助けてほしいです)」

言い終えると、しばらく沈黙が続いた。
フードさんはわたしを見つめている。何か考えているようだったけれど、やがてその手がそっとわたしの頭に触れた。

「(……分かった。君を助けよう)」

彼の言葉は、わたしの中にそう響いた。
安堵が自分の中に広がるのが分かる。わたしを助けると彼は言ってくれた。
けれど、本当は「他の皆に危害が及ばないようにするため」という意味合いの方がずっと強いのだと思う。
それでいい。わたしだって、それを望んでいる。だから、それでいいのだ。

「(ありがとうございます)」

伝えれば、フードさんはただ肯いた。
這いばいさんは「(良かった!)」と言いながら笑っている。
思った。……這いばいさんは、彼は、おかしくなった時のわたしをきっと止められない。彼は、あまりに優しすぎるから。

けれど、フードさんなら。
わたしは思う。彼ならきっと、わたしを止めてくれる。
もちろん、知性が暴走しなければそれに越したことはない。彼と一緒にいることで、本当にそうならないかもしれない。
ただ、もしそうなってしまったなら、……フードさんだったら、わたしを止めてくれるだろう。

わたしが小さく笑うと、フードさんは微かに首を傾げる。
人に雰囲気は近いけれど、心や感情の機微についてはどうしても汲み取るのが不得手なのかもしれない。
それでも、彼はわたしを助けようと言ってくれた。
それが、とても嬉しかった。

わたしは、彼らのそばで歩いていく。
あと少しだけ、この世界にいる間は。






▲NOVEL TOP