夢を見た。
暗闇がミナス・ティリスを呑み込んでいく夢。
見慣れた景色、街並み。そこに暮らす民達。
道行く人も、鳴き声をあげる家畜も、そびえ立つ石の塔も、流れゆく雲も、揺れる花も、降りてくる光でさえも。
全てが黒く塗りつぶされていく、そんな夢だった。
私は夢の中で、呆然とそれを見ている。何をどうしたらいいのか判らない。
そうしてただ立ち尽くしているうちに、自らもまた、その闇の好餌となる。
足元から膝に達し、その果てなく暗い色は、いつの間にか私を腹の辺りまですっぽりと覆ってしまっているのだ。
そして、声が聞こえた。
何を言っているのかまでは聞き取れない。
私は必死に、その声に耳を澄ます。
けれどやがて、私を侵蝕していた闇がついに腕へ、顔へ、そして頭の先までを覆う。後は、一面の暗闇。
残されたものはただ、それだけだった。
そこで、目を覚ました。
一瞬詰まった息を、ゆっくりと吐き出す。ああ、という呻きにも似た声と共に。
私は顔に両手を当てた。
──今日も駄目だった。
夢を見るようになったのは、数週間ほど前のことだった。
最初はただ、嫌な夢だとしか思わなかった。しかしだんだんと、奇妙だ、と感じるようになった。
続けて見るにしては、あまりにその回数が多すぎた。
何しろ、最初に見たときから今日まで、ずっと毎日繰り返して現れるのだ。その夢は。
そして必ず聞こえてくる声もまた、気に掛かった。
男の声か女の声かも判別できない。けれどそれは自分に掛けられているものだ。
何かを伝えようとしているのかもしれない。或いはそうでないのかもしれない。
とにかく、私はその声が何を告げているのかを知りたい。
次こそはと思う。
次にこの夢を見たなら、その声をつきとめたいと思う。しかし、次も駄目かもしれぬとも思う。
私には、あの声をこの己が耳で受け止めることができないのだろうか。
頭を振った。
私は立ち上がって簡単に着替え直し、それから静かに寝室を出た。
館の中は、静まり返っていた。
時たますれ違う見張りの兵と言葉を交わす。
彼らと私の声や足音、衣擦れの音以外には響くものがほとんどなかった。
まだ夜明けまで間があるのだ。
明かりは所々に灯してあるのだが、しかし、どこまでも暗がりが続くように思えた。
夢の光景が──闇が、現実にまでその足を伸ばしているのではないかと不安になる。
昨日の終わりでもなく今日の始まりでもないこの時間が、そうさせるのだろうか。
しかし、また眠る気にはとてもなれなかった。
「──……?」
ふと、足を止めた。
当てもなく彷徨い歩いていたのだが、行く先に人影がよぎったのを認めたためだ。見張りの者ではない。誰だろうか。
向こうが何のきっかけもなく、こちらを振り返った。
「……ファラミアさん?」
相手は少々驚いたらしく、いつもより目を大きくしたのが判った。私の反応も似たようなものだっただろうが。
私から先に、に訊いた。
「どうしたのだ、こんな時間に」
「ちょっとお手洗いを借りてました。その帰りです」
「そうか」
「そういうファラミアさんは」
問いを返され、私は刹那、夢のせいで目を覚ましたのだと言おうかと思いかけ、止めた。
につまらぬ心配を掛けたくはない。
館内を見回っていたのだと告げ、そのまま彼女の部屋まで送ることにする。
正面の大窓を横切ろうとした時だった。
「もうすぐ夜明けですね」
彼女の言うとおり、外の景色は夜から朝へと表情を変えつつあった。
まだ闇色は濃く残っていたが。
ぽつりと私は漏らした。
「夜が解けていくな」
「ファラミアさん、詩人みたいな表現しますね」
そう言って、互いに小さく笑い合う。
けれど私は内心、心の底から安堵していた。
夜が明けなかったら。暗い夜が、いつまでも居座り続けたとしたら。
そんなあり得ないことを思い描いて、そしてそのことを恐れていたのだから。
「──それからいくと、この色は 『 夜が溶ける色 』 ってところですか」
私の思うところを知らないは、そんなふうに続けていた。
この色、と指したのは、窓から覗くミナスティリスを包んでいる重めのブルーだ。
そうかもしれないと、私は同意を示した。
時を引き継ぐために、夜はその色を溶かし、次来る朝へと譲るのかもしれないと。
なんとなく私達は、その場に留まった。
そのまま二人で、景色を眺めた。緩やかに時間が朝へと傾いていく。
「……この色に染まってるミナス・ティリスも、綺麗でいいですね」
一言、がそう言った。
綺麗だ、と。
私が恐れた闇を薄めたその色を、綺麗だと彼女は言った。
不思議なことだった。
その時まで私の中にあった怖れの残滓は静かに消え、私も思ったのだ。
どこまでも定まらぬ、移ろいゆくその色彩を美しいと私は思った。
そしてその色が包んでいるこの国も、傍らに立つ彼女もまた、存在として美しいと思った。
愛すべき、そして守り抜くべき存在。
そうだな、と私も言った。そうしながら、思った。
私はきっと次来る夜にまた、あの夢を見るだろう。そしてあの声を聞くだろう。
けれど、恐れることはないのだ。夢を現になどさせはしない。
目覚めた時には暗闇ではなく、夜の溶ける色が辺りを包み込んでいるはずなのだ。
今その色は、また緩やかに朝へと近付き始めていた。
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