冬の早朝。
館の中とはいえ、寒さは沁みるようなものだった。
石造りの建物の中は、頭が痛みそうな程に冷えている。
わたしは思わず両手を擦り合わせて、その中にふうと息をかけた。
数瞬のあたたかさが、すぐに空気に消えていく。残るのはただただ冷たい温度ばかり。
ゴンドールも、冬はやっぱり寒いんだな。
そんなことを思いながら、ボロミアさんの執務室へと赴く。
彼の部屋の扉をノックすると、ほんの少しばかり手が痛んだ。
冷え切った手にとっては、僅かな刺激も痛覚を通り過ぎていく。
わたしはその手にまた息を吹きかけ温めながら返事を待つけれど、応答はなかった。二度目のノックにも全く反応がない。
……どうしたんだろう。まだ、執務の準備ができていないんだろうか。
わたしはあの人のことを考えた。
今日は外出の予定はないはずだった、ここに居ないとなれば、自室でまだ着替えか何かしているのかもしれない。
ほんの少しの思案の後、ボロミアさんの私室の方へと足を向けてみることにした。ここから然程、遠くない。
着いて、再びノックする。

「ボロミアさん、いますか」
か」

確かな反応が、中から返ってくる。
声は、中に入るようにわたしを促した。
細く開けたドアの隙間、その中に滑り込むと、中は施された暖房で程よく暖かい。
けれど、何処からか静かに流れ込んでくる冷気があった。
広い室内の遥か向こう、ボロミアさんの立つバルコニーからのものに違いなかった。
全開に開け放ったそこから、外気が遠慮もなしに侵入を果たしている。
わたしの立つ扉側は灯された炎も近くに有り温かいけれど、しかし彼の居るバルコニー側は全く逆だ。
空気の入れ替えにしては、豪快すぎやしないか。まあ、彼らしいとも言えるような気はするけれど。

「何してるんですか?」
「何、少しな。……ああ、すまない。もう執務の時間になるな」

そう言いながらこちらを見る彼は、しかしマントを身に付けている。
外での用事などないと聞いていたけれど、急な予定でも入ったのだろうか。
それにしては、自分の部屋で幾分時間を過ごしていたみたいだけれど。

「何処かにお出かけですか」
「まあ、そんなところか。……そうだ、。こちらに来てくれないか」
「何でしょう」

何の疑いもなく歩み寄った。
どんどん冷気が近くなり、もう一枚上に何か羽織って来た方が良かったかなという気分になる。
突然、白く冷たいものが頭から浴びせ掛けられた。
思わずぎゃあと喚いて跳び退ると、ボロミアさんは大笑いした。
彼の両手袋に残るそれが、冷たいものの正体に違いない。

「ちょ……っ、何ですかボロミアさん、不意打ちなんて卑怯な、ひどいっ、最悪!」
「私相手だからと油断するからだ」

そう言って彼はまた噛み殺すように笑った。
笑みの零れる口元から白い息が上がり、背景の一面の白に溶け込んでいく。
ボロミアさんの手の中の雪が、ほんの少し地面に散った。
ゴンドールは中つ国全体から見れば南に位置すると聞いている。
それでも、数えるほどではあるけれど雪が降り積もることはあるのだと、ファラミアさんから教わっていた。
わたしが初めてここに来た時は春先の頃だったので、この世界の雪を目にするのは今日が初めてだった。
それだけの時間が経過したのだ。
ボロミアさんはひとしきり笑い終えると、
「いや、悪いことをした」 とちっとも悪く思ってなさそうな調子の声で言う。

「……ボロミアさん、本当は全然悪いと思ってないでしょう」
「そんなことはない」
「本当かなあ」
「なら、詫びにこれを贈るとしようか」

そう言って、彼は足元からそれを拾い上げ、わたしの方に差し出してきた。
思わずまじまじと見る。
形状から、一つの名称が思い浮かんだ。

「……これって、雪だるまですか」
「ニホンでは雪が降れば、こういうものを作るのだろう?」

言って、彼はそのまま手のひらサイズのそれをわたしに押しつけた。
以前にそういう話をしたことがあったのは覚えているけれど、しかし、それを今まで記憶していてくれたのか。
見れば、しっかりと雪玉には彼の指の跡と思しきでこぼこが残っている。
あまり丸っこさもなく多少不格好ではあったが、とにかく、雪だるまだった。
わたしが黙っているのでボロミアさんは少し不安になったのか「何処かおかしいのか」と訊いてくる。
首を振って、おかしくないことを伝えた。

「強いて言うなら、本当はもっと大きいってことくらいです」
「ほう、どのくらいの大きさだ」
「ボロミアさんの腰くらいもあれば、立派だと思います」
「そうか。――しかし、それにはここの雪だけでは足りんな」
「あ、いいえ、このサイズの方がいいです。可愛いですし」

言うと、そうか、と彼は肯いた。
次いで、ボロミアさんはしゃがみ込み、両手で足元の白をいっぱいに掬い上げる。
また不意打ちで頭上に雪を掛けられるのかと、わたしはガード体制を取ろうとした。
けれどしかし、そうではなかった。

ボロミアさんは自らの上に手を持っていくと、サラサラとそれをこぼし落とした。
花びらのような白の欠片が、その人の上に降っていく。
頬に当たる冷たさに、気持ち良さそうにやわらかく瞼を下ろしている。
彼の伏せられた睫毛の先に、もう融けてしまったその白の名残が透明に色付き、再び目が開かれるとその雫も静かに散った。

少年のようだ、と自分の中の何処かで思う。
どうしてこの人は、こんなにも真っ直ぐなのだろう。鮮やかに眩しく、輝かしい光に満ちている。
そんなことを思いながらその人を見ていると、ボロミアさんは、さて、と息をついた。

「久方ぶりに雪も降ったことだ、様子を見に街に下りるとするか」
「えっ、お仕事は」
「民達が突然の雪に何か困っているやもしれぬではないか。それを目で確かめるのも仕事のうちだ」
「……ファラミアさんが、書類の決裁をお願いしたいって昨日言ってましたよ?」
「直ぐに戻れば、問題ないだろう?」

そう云って彼は室内に戻ると炎を消し、手早く外出の準備を済ませた。
ボロミアさんの中では既に、今日の仕事開始は数時間後になることに決定しているらしい。
わたしは軽く息をついた。

「じゃあ、できるだけ早く戻ってきてくださいね。ファラミアさんには上手く言っておきますから」
「助かる。では、行ってくるか」

彼は笑みを残すと扉の向こうへと姿を消した。
残されたわたしは一つ溜め息をつきながら、ボロミアさんは何時頃戻って来てくれるのだろうと考える。
ふと、ぽたりと水滴が足元の毛の深い絨毯に染みを作ったのに気が付く。
わたしはふと、手の中の小さな雪だるまのことを思い出してオタオタした。
雪だるまだ。雪だるまだ。ボロミアさんが作ってくれた雪だるまだ。
このまま水という形に還してしまうのには惜しすぎる。
そうだ、わたしの部屋の窓辺に置くことにしよう。毎日それを見て過ごすことができる。
融け始めてきたら、雪を足してあげよう。出来るだけ長くその形を保っていてもらいたい。
また、ぽた、と水滴が滴った。

「わわ、どうしよう、融ける融ける!」

わたしは全力ダッシュでその場から立ち去った。
後には誰も居なくなったわたしの主の部屋、絨毯に点々と落ちた水滴の跡。
そして炎の残した温度だけが残った。








もしもボロミアさんと夢主が裂け谷に旅立たず、冬までミナスティリスに居たら、たぶんきっとこんな感じ。





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