は、飽くことなく外の景色を見ていることが度々あった。

最初の頃こそ、置かれた状況にそれなりに戸惑っている様子だった。
しかし思いのほか早いうちに、彼女はここでの生活に馴染んでいた。
聞いたこともない異国の名、口にする経緯は如何ともし難いが、悪意は微塵にも感じられない。
分からぬ部分も多かったが、自身こそ、見知らぬ場所で不安も募っていただろう。
しばらくは、自分も兄であるボロミアも静かに見守ることにした。

彼女は、遠くをよく眺めていた。

ミナス・ティリスからの景色は、娘のその目にどう映っているのだろう。
城壁に手をかけて、遠くの山の稜線を見つめていたり、空をただ眺めていたり。
あるいは、目を閉じて静かにしていることもあった。
表向きには気丈に振る舞っているだったが、やはり故郷を恋しく思っているのだろうか。
その日は、もう夕暮れが迫っている時分だった。


「……ファラミアさん」

声を掛ければ、その黒髪が揺れた。
こちらを見る娘の顔は、とても穏やかだった。

「寒くはないか」
「いえ、大丈夫です。……だんだん暗くなってきましたね」、は空を仰いで言う。
「ここからの眺め、好きなんです。いつまで見てても飽きなくて」
「そうか」

空に星が瞬き始めている。
それでもなお、はそこに留まっていた。
娘の隣に立ち、同じ景色を見つめる。夕の時間は、静かにゆっくりと流れていく。
少しずつ辺りが暗がりに沈み込む中、私たちは二人で佇んでいた。
しばしの後、言った。

「……今日のは」
「はい?」
「幸せそうに見える」
「…………えっ」

きょとんとした様子で、娘はこちらを見上げてくる。
こちらとしては、思ったままを口にしただけに過ぎなかった。ふと、そう感じたのだ。
続けた。

「少し前までは、不安が見え隠れしているように見えたものだ。……だが、今は違う。とても幸せそうに見えるし、嬉しそうにも見える。何故かは分からないが」
「…………」

ほんの少し驚いたように、黙ったままは視線を投げかけてくる。
やがて、「うーん」、と小さく唸りながら娘は口を開いた。

「確かに、こちらへ来たばかりの頃はすごく不安でした。全く覚えのない場所で、わたし以外は知らない人ばかりで……。でも、ボロミアさんもファラミアさんも、それにここの皆さんもとても良くしてくださるので、最近は大分落ち着いてきたつもりですよ」
「そうか」
「でも、今ファラミアさんが仰った通りなんですけど、……何故だか分からないんですけど、時々すごく、嬉しくて堪らない気持ちになるんです」
「…………」
「なんて言ったらいいのか、難しいんですけど……」

答えを考えながら、は言葉を探しているようだった。

「わたし、ここに居ることができて……本当に、今すごく嬉しいんです」
「嬉しい、か」
「変ですよね、初めての国と場所のはずなのに……なんですけど。ずっと憧れていたところをようやく訪れることができた、みたいな……そんな気持ちなんです」

その口ぶりや様子から、何かを隠しているようには感じられない。
真には、自分でもどうしてそう感じるのか分からず不思議に思っているようだった。
彼女がそのように感じる理由は、一体何なのだろう。

「この国が……ゴンドールが単純に好きなのかもしれませんね、わたし」
「そう思ってくれるなら、私も嬉しい」

答えは、意外とそういった素直なものなのかもしれない。
静かに夜が近づく中で、私は娘に微笑んだ。
向こうも返すように一瞬小さく笑う。ほんの数拍の間の後、はこちらを見上げながら言った。

「ボロミアさんやファラミアさんとも、こうしてお話できているの……不思議だなって思います」
「不思議?」
「不思議……です。たぶん。これも、どうしてそう思うか分かりませんけど」

夜の色に染まるは、けれど普段の調子で続けた。

「どうしてでしょうね。……ずっと前からお会いしてみたかったし、お話してみたかった、みたいな……そんな感じです」
「どうしてだろうな」
「どうしてでしょう」

互いに、深く追求するわけでもない。
彼女も、言葉を繰り返しながらもう一度笑んだ。
これからへの不安が、全て消えたわけではないだろう。ただ、今話してくれたことは決して偽りのない言葉だと分かる。

「ここにいたのか、、ファラミア」

声は、少し離れたところから掛けられた。
見れば、ボロミアがこちらへ歩み寄ってくるところだった。
の表情がパッと綻んでいた。

「ボロミアさん」
「風に当たるのも悪くないが、そろそろ中に戻ったらどうだ」
「そうですね。……景色を見てたんです、つい長居しちゃって」
「そうか。ここからの眺めは私も好きだ」

言って、兄は隣に立った。
紺碧の空はいつしか漆黒に染まり、星の輝きが増していた。
ボロミアは私たちのどちらへともなく言う。

「何を話していたんだ?」
「えっとですね……」

がこちらを見ながら、最初の言葉を探すように考える素振りを見せる。
今も、彼女は幸せを感じているのだろうか。
そうだといい、と思う。
ゴンドールを好きだと言ってくれたが、今しばらく心穏やかに時間を過ごすことができるよう、私は祈った。






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