どうしたものだろうか。そう思った。
兄が私の部屋を訪ねてくること自体は珍しいことでも何でもない。
その手にグラスと葡萄酒を抱えていることとて、
「息抜きというものも必要だろう」
そう言いながら時間の許す限り自分と過ごす夜を愉しむための必需品であり、いつもと何ら変わりないことだった。
しかし今日は「話があるのだ」と言って兄は戸を叩いてきた。
最初は雑談に始まり一杯を注ぎ合う。
それから今日の事、明日の行程についてを少々。
街で耳にした遠くの国の噂話や、少し脱線して幼い頃の思い出話を肴に数杯を酌み交わし終える。
しかしそれでも尚、向こうは「話」とやらを一向に切り出してこない。
一体何なのだろうか、その内容というのは。
「……本題は何なのですか、兄上」
そう訊ねれば口ごもり、ああ、うむ、と肯きはする。
しかし再度注ごうとして酒瓶が空になったのを知ると二本目を取りに行く始末。
その様子を少し、不思議に思った。
兄は明朗な人柄であり、それが彼たる所以のひとつである。
それなのに、今宵のボロミアはその姿を潜めてしまっているかのようなのだ。
ふわり、と夜風が窓から緩やかに流れていく。酒で火照りを覚えた肌に、冷えた空気が心地よい。
テラスから空を見上げれば、闇の中に白く浮いた月が静かな光を湛えている。
この分であれば、明日は良い日和になりそうだが、さて。
室内の方を振り返ると、ボロミアは新しく開けた酒を手に何かを考え込むようにソファの上で頭を垂れている。
どうしたものだろうか。
再びそう思ったが、兄の方がこのまま何も話さないままで良いのであれば、私もそれで構わない。
いつもの安らげる兄弟での時間として過ごすことができるのであれば、それで(向こうはそういう状態でもなさそうではあるが)。
自分のグラスに残っていた濃紫の液体をのどに流し込み一息をつく。
その時になって、ぽつりと兄が
「なあ、ファラミア」と零すように呟いた。
「何でしょう、兄上」
「……女性に贈り物をする時というのは、一体何を贈ればよい?」
私はたっぷりと十を数える程度に自分の兄の顔を見てしまった。
ボロミアの目が微かな動揺に揺れた。
「……そ、そのような顔を私に向けるな!」
「あ、ああ、申し訳ありません兄上、その、……少し驚いてしまったもので」
非礼を詫びると、兄はふいと目を逸らし片手のグラスを一時に煽る。
「に贈るのですか」
と言ってみると、ごふっ、とボロミアは咳き込んだ。
手を口元にあて何度か呼吸を整えたあとに、どうして分かったのだとこちらを見る。我が兄ながら、何と言うべきか。
内面が透けて見えやすいとでも言うのか。
兄の居ない時に当のとそういった会話をした際、彼女はあっさりとこう言ったが。
「あー、そうですよね。ボロミアさんって分かりやすいですよね」。
彼女の言葉を思い出して小さく微笑んでしまう。それを兄は誤解したようで、
「兄を嗤うのか」というような固く強張った表情をしてこちらを見た。
ああ、全くだ。全く、そなたの言うとおり。
もう一度私は兄に詫び、次いでふと浮かんだ問いをそのまま訊いてみることにした。
「しかし何故、急にそのようなことをお考えになったのですか」
「……ファラミアは、まだ聞いていないか」
「何をですか」
「明日は、の誕生日なのだそうだ」
「ほう、それは」
初めて耳にしたことを伝えると、そうか、と兄は肯いた。
「いつも通りに執務を終え、手伝いをしてくれていたを部屋に帰そうとした。その去り際にが言ったのだ、 『 お願いがある 』 と」
聞けば、「明日は自分の誕生日なのだ」と告げたという。
彼女の世界も、こちらとほぼ同じ暦の数えであるらしい。
兄はそれで、「では祝いに何か贈らせてもらおう」と言ったようで、はそれに言葉を繋いだという。
「ありがとうございます。そう、それで、わたしからのお願いなんですが」
「……それで、その願いとは?」
「それが……その」
私が先を促すと、ボロミアは口ごもり下を向いた。
何か言いにくいことなのだろうか、しかし、彼女の願いというものがそれ程難しいものだろうか。
はそのようなことを果たして兄に懇願するだろうか。上手くまだ解釈出来ず、私は続きの言葉を待った。
「そのように悩むほど、困難なことを求められたのですか?」
「……が欲しい、と」
「は?」
声が小さく聞き取りきれない。
私が思わず聞き返すと、兄は目を伏せた。酒のせいか、頬に紅が差している。
ひどく苦労して(いるように見えた)、舌を動かしながら繰り返した。
「私の……あ、愛が欲しい、と」
私はしばしの沈黙の後、思わず笑いを声に漏らしてしまった。
( 『 ボロミアさんの愛をください 』 )。
にっこり彼女らしく笑んで言うの姿、その台詞を言う場面が目に見えるかのようだった。
なるほどはある一面では真面目であるが、反面そうでもない部分も時折見せる。
今回のそれも正しくそれなのに違いない。あっけらかんと言ってのけたことだろう。
堪え切れない笑いをどうしようも出来ずにいると、予想通りの反応が兄から返ってくる。
「わ、笑うようなことではないだろう! 私が如何したものかとこの様に悩んでいるというのに」
見れば、声を上げる兄の顔は真っ赤になっていた。
この姿を彼女が目にしたらさぞ面白がるだろう、の言葉で言うなら「かわいい」とでも形容するのかもしれぬ。
普段兄などへそういった表現を当てる彼女の気持ちがほんの僅か、判らないでもないとちらりと思った。
兄の様子の原因に合点がいき、ようやく私は状況を理解した。
「わかりました。……ならば、花は如何ですか」
「花? ……彼女は食べ物の方が喜びそうだが」
「それはそれで結構ですが。しかしは兄上の気持ちの籠められたものを欲しているのでしょう、女性にとって花ほど想いの籠もる贈り物はありません」
彼女は兄上の愛が欲しいと言ったのでしょう?
そう付け加えると兄は朱の残る顔を逸らし小さく何度か肯いた。
そうか、花か、と独り言のように呟き、何杯目か判らぬ杯を一気に飲み干した。
ダン、とグラスを置くと、
「すまぬなファラミア、礼を言う」
今日は先に休ませてもらう、と続けるとボロミアは早足に部屋を出て行った。
これから明日の用意にでも向かうつもりだろうか、もう夜も深いというのにと思ったが。
さて、どうしたものか。
花以外のものを彼女へ贈るとするならば、私は一体何を選ばせてもらおうか。
残された私はグラスを傾けながら、明日へ向けての思索にゆっくり耽ることにする。
この世界で迎えるの生誕の日の祝いを、こうして夜風に吹かれながら独りで考えるのも悪くない。
月明かりのさやかなこの夜の時間は、すぐに明け朝の陽の光を迎えるだろう。
闇で輝く美しい月も、光の源の力強い太陽も私からは捧げられないが。
彼女にとって、明日が良き日になればよい。
私はそう思った。
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