ロスロリアンをもうじき経つ。
そう告げられて、いよいよかという気持ちになる。
休息というには、充分すぎるくらいの時間があったように思う。
残り少なくなったこの場所での、憩いの時間。
エルフの深い森では、穏やかな時間がただ静かに流れ続けている。

この守られた森で過ごす間、確かに皆のこころと身体は癒えていたと思う。
ガンダルフさんがいなくなって、ずっとフロドの表情は沈んだままだった。
それでも少しは、……本当にほんの少しは、いつもの色を取り戻しつつあるように思える。
サムはそんな彼を見て、微かながらも安堵しているようだった。
元気を失いかけていたメリーとピピンも、いつの間にかいつもの調子に戻っている。

レゴラスさんは時々、姿を見せない時がある。
彼はエルフだし、ここのエルフ同士で何か交流しているのかもしれない。
ギムリさんはそれがあまり気に食わないらしく、何処に行ってしまったのかとひとりごちている。
分かりやすい寂しがり方を、他の皆は微笑ましいとさえ思って見ていた。もちろん、わたしも。
エルフとドワーフは、本当に旅の中で友人となり得たのらしい。

そしてアラゴルンさんもまた、居たり居なかったりしていた。
森の周辺を探っているという。居たかと思えば、座ってパイプを燻らせているという具合だった。
彼は彼なりに、休息を取っているのだろう。

皆がそれぞれ、ここでの時を過ごしていた。
時間はとても平穏なのだと思う。少なくとも、表向きには。



メリーとピピンが手を振っている。
木立の奥へ向かう途中に、こちらに気が付いてくれたらしい。
わたしは立ち上がるでもなく、座ったまま片手を振り返した。正午を迎える、少し前だった。

ホビット二人は「また後で!」と言ってそのまま向こうへ駆けていった。
それを見送りながらふと頭上を見上げれば、木々の隙間から、太陽のかけらが見え隠れしている。
金色がきらきらと輝いていて、(きれいだな)と思う。

静かだった。
遠くからハープか何かの音色が微かに流れてくるのを除けば、風の音くらいしかない。
雪山に地下坑道と、厳しい道のりを乗り越えた後に与えられた休息の時間。
充分に休んだ。身体の疲れはとっくに取れていて、いつでも出立できる。
けれどそれにも拘らず、心はどこか不安定だった。

(どうして、こんなに不安なんだろう……)

その正体は、ある程度のところ、見当がついている。
それについて思い巡らせようとしていると、土を踏む音が近付いてくることに気付く。
振り返れば、向こうからボロミアさんが歩いてくるところだった。

「ここに居たのか。寒くはないか」
「いいえ。……寧ろ、今日は暖かいくらいじゃないですか?」

そんな応酬をしながら、わたしは目の前の人のことを考える。
ボロミアさんも、時折姿が見えない時があった。
かと思えば、こうしてふとやって来てはわたしに構ってくれる。……近くにいない時は、どう過ごしているんだろう。

ついこの間まで、そう思っていた。
そして先日、たまたま散策をしている時にひとりでいるボロミアさんを見つけて、名を呼ぼうとして……止めた。
彼は木の根に座ったまま、ジッと地面を見つめていた。
何か思い詰めた顔をしていて、わたしでも声を掛けるのは憚られるような、そんな気がして。
何気なく、わたしの主を窺う。……今は、そんな素振りは見当たらないようで、少しホッとする。

(それにしたって)

わたしはすぐ傍までやって来て腰を下ろすボロミアさんを見ながら、内心呟いた。
何がこの人の心を、それほどまでに奪うんだろう?
暗闇に落ちたガンダルフさんのことを、彼は彼なりに今も悲しんでいるんだろうか。それとも、離れてしばらく経つゴンドールのこと?
……魔法使いさんには申し訳ないけれど、正直に言うなら後者のように思える。
焦り、焦燥。
それが彼の中にあるのは間違いないのだと思う。
けれど、果たしてそれだけだろうか?
……分からない。何か他にも、ボロミアさんの心を蝕むものがあるんだろうか。

。その……」
「はい?」
「いいか?」

向こうは、そう短く訊ねてくる。
少し前までのわたしだったら「何がですか?」とでも口走っていたかもしれない。
でも今は、全部を言わないまでも、ある程度は察することができる。
小さく笑って「どうぞ」と両腕を広げれば、彼は笑ってこちらを抱きしめてくる。わたしも応じて、そのまま身を預けた。

未だに、気持ちがふわふわしている。
はっきり言葉にして好きだと言われたわけではなかったけれど、額に口付けてくる熱は以前までのものとは違う意味合いだと分かる。気持ちが通じ合っているのが分かる。
大きな身体に包まれながら、(ボロミアさんってこんなに甘えたさんだったっけ)、と思う。

ここ最近、こうする時間が増えていた。
ボロミアさんは面倒見がよく、ゴンドールの人間ではないわたしにも優しかった。年も少し離れていたし、今までずっと頼りきりだったと言わざるを得ない。
そんな尊敬もしていた主と今こうしているのが、今でも少し信じ難かった。
正直言うならすごく嬉しいし、間違いなくしあわせだと言い切れる。
そのはずなのに、どうして、

「……?」

どうしてこんなに不安なんだろう?
こちらの顔を目の当たりにして、ボロミアさんの表情が急に曇った。

「私とこうするのは嫌だったか?」
「えっ……どうしてですか?」

そんなわけ、ないじゃないですか。
たぶん赤くなってる顔を見られるのは何度目かのはずだけれど、どうして今日に限ってそんなことを言うんだろう。
思わず言い返せば、わずかに向こうは沈黙した。
言った。

「悲しそうな顔をしているように見えてな」
「えっと…………」

ドキリとする。
漠然とした不安が、押さえきれないでいる。
ただ変な誤解をしてほしくなくて、ひとまず取り繕うように捲し立てた。

「き、緊張とか恥ずかしいのとか、色々ごちゃ混ぜになって変な顔になっちゃうんですっ」
「…………」
「それにそのっ、ボロミアさんとこうするのが嫌なわけないじゃないですか、だってずっと」
「…………ずっと?」

繰り返されて、うっと詰まる。
だって、ずっと前から、ボロミアさんが好きだったんですから。
いざ文章にしてみると、気持ちが通じ合っているとはいえ初めて言うには勇気がいる。
けれど、本当にそうだった。ずっと前から――ずっとって、いつからだっけ――もういつからなんて、思い出せないけれど――まあ、とにかく。

「な、何でもないです!!」
「……そうか」

詰まって固まっていたこちらを深く追求するでもなく、小さくボロミアさんは笑ってくれる。
そうして、もう一度抱きしめてくる。
互いの不安を、互いの存在で埋め合っている。
ふと、そう思った。
たぶん、今はそれでいいのだと思う。……大切な人の支えになれるのなら、いくらでもそうしようと思える。
ボロミアさんの匂いに包まれながら、その想いが伝わるように背中に回した両腕に力を込めた。

押し潰されそうなくらいの、漠然とした暗い恐怖。
それが自分の中にあったとしても、この人と居られるのならいつか打ち勝てる。
わたしはそう信じた。






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