時々エドガーの元に顔を出すたびにすれ違うあの男。
目の覚めるようなプラチナブロンド、左右で色彩の異なる瞳。
以前会ったことはないと断言できるのに、頭の奥ではよく似た人物を探してしまう。
城の侍女たちに聞いてみても、返ってくるのは聞いたことのない名前と王の食客だというわずかな情報のみ。
彼女たちも彼の存在に何か謎めいたものを感じているらしいが、詳しく知るものはない。
彼の纏う、どこか人を寄せ付けない雰囲気のため聞き出せないようだった。
ただかなり気に入られているらしいことは、彼女たちの表情でわかる。
あの男、何者だ。
小サロンのソファを入れ替えたのは暑い夏の夜だった。月が綺麗だったのを覚えている。
そういえば奴の誕生日のあたりだっただろう。
この俺の船を運搬船扱いするとは命知らずもいいところだが、奴ならいいかと思ってしまうのは、仲間意識のなせる技だろう。
それにしても意外だったのは、王自らがソファを部屋まで運び入れたことだ。
マントと上着を脱ぎ白いシャツの袖を捲り上げ、ソファの片端をつかむ。
「悪いが手伝ってくれ。城の人間には手伝わせたくないんだ」
「・・・しかたねぇなあ」
おそらくそう来ると思っていた。何せこんな時間を指定してきたぐらいだから。
「報酬は弾んでもらうぜ」
俺も上着を脱いで袖を捲る。
「もちろんだ」
いい年をした男2人が夜中にソファを運んでいるなんて、まったく色気のない話だ。
「ああ、ここでいい」
重厚な扉の前で荷物を下ろす。
城のずっと奥まった通路の先にある小サロン。何度か中に入ったことがあるが、豪華なシャンデリアも高価な絵画もない。
必要最低限のもの、こじんまりしたバーカウンターとかあまり金のかかっていない応接セットとか小さなアップライトのピアノとか、そんなものしかない小綺麗な広いだけの部屋だ。
「なんなら中まで入れてやるが?」
「いや、それには及ばない。悪かったな、手伝わせて。・・・1杯どうだ?」
「ありがたくいただくとしようか」
小サロンに入ると明かりが点いていて、バーカウンターに男が一人。
それが 『 彼 』 だった。
「ちょうどよかった、彼に何か作ってやってくれないか?」
城の主、砂漠の若き王エドガーが先客に声をかける。その様子から、先客がこの城の人間だというのはわかったが、なぜ 『 ここ 』 にいるのか。
しかも 『 彼 』 はなんというか、城の人間にしてはずいぶんと砕けた格好をしている。黒いシャツに黒いパンツ。襟元は大胆に開いていて、どうやらワンサイズ大きいらしい。
袖が長いからか大雑把に捲り上げられ、男にしては幾分細い腕がのぞく。
「強いのが良いんだろう?」
エドガーに尋ねられ、彼に見入っていたことに気づいた。
「あ、ああ」
『 彼 』 と目が合う。
前髪が長めだが手入れの行き届いたプラチナブロンド、右目は青で、左目は黒。砂漠の人間にしては白い肌。
その彼がおもむろに棚から取り出したのは、俺の好きな銘柄の酒。
手馴れた手つきで氷と酒をグラスに注ぐ。
俺としたことが、男とみつめ合ってしまった。
視線が外れる刹那、彼の唇が緩んだのは気のせいだろうか。
「俺には・・・」
エドガーのオーダーが済む前に差し出されたグラスには、エドガーが好む酒が注がれている。
「ありがとう」
礼を言ってグラスを手に取るエドガーに対して、 『 彼 』 は唇の端だけで笑った。
そしておそらく自分の好みなのであろう酒瓶を手に取り、一言も発することなく部屋を出て行った。
カウンターに備え付けのスツールに腰掛けてグラスに口をつける。
「奴は何者なんだ?」
酒を作ってくれたからバーテンなのかと思いきや、客の目の前で声も出さずに居なくなるとは。
「ああ、いろいろあって、城においているんだ。ま、食客って奴だな」
「………そうか………」
なんだか納得できない気がしないでもないが、エドガーがそう言うならそうなんだろう。
だが、あの男を見たのは初めてだが、よく似た雰囲気の人間を知っているような気がする。
それが誰だったかも、今すぐには思い出せない。
たっぷり2秒、目が合ったときのあの表情。
こんな感じ、どこかで。
あれから1年。
船のメンテを手伝わせようとフィガロに立ち寄った。
というのは建前で、久しぶりにエドガーの顔を見たくなった。何せこの間奴は誕生日を迎えたはずだから。
「よう、元気にしているか?」
相変わらずこの砂漠の王は忙しいらしい。
机には山と詰まれた書類、書類、書類。
「まあな、見てのとおりだ。船のメンテだったな。待ってろ、すぐ済む」
顔を上げずにひたすら紙束に目を通していく。
「それは口実。お前の顔を見に来てやったんだ。誕生日だったんだろう? 祝いの品だ。っつっても、酒だけどな」
邪魔にならないところに酒瓶を置き、ソファに腰掛ける。
「………意外にマメなんだな。なおさら急がんとな!」
小一時間後、あれほどあった書類の山は決済済みの箱に収められ、二人であの小サロンに移動した。
「まあ1杯。誕生日おめでとう」
「お前に祝ってもらうとは思わなかったな」
顔には疲労の色が濃いが、何とか王様業ってやつをこなしているようだ。
「そういえば、あんたもそろそろ嫁さんもらうときなんじゃないか?」
「………侍従長みたいなことを言うなよ………」
「もうすでに言われていたのか。でもまあそうだよな。一国の王ともなれば、早いとこ世継ぎをってなもんだろう。こんな時代だしな」
「……………」
半分ほど残っていたグラスの中身を一気に飲み干したエドガーは、深いため息をついた。
「………話はいくつもあるんだ。だが俺は……………」
「………受ける気はない、と」
「ああ」
目が据わっている。
無理もない。ただでさえ疲れているところに強い酒を一気に腹に流し込めば、いくらこの男でも参ってくるに決まっている。
「いいんじゃないか。マッシュもいることだし、急ぐ必要はないんだろう?」
「マッシュには、継がせない。俺が生きている間は。あいつもそのつもりだ」
「そうか」
以前ちらっと聞いたことがある。あの両表のコインにまつわる話。
でもマッシュは、エドガーが望みさえすれば、このフィガロを受け取る覚悟はあるはずだと俺は思う。
それが、このフィガロの双子の間にある、何よりも強い絆なのではないかと。
エドガーにそれを言うつもりはない。
おそらく誰よりも彼自身がよく知っているはずだから。
「忙しいところ悪かったな。城の奴には言っといてやるから、しばらく休むと良いさ」
たった1杯の酒で船を漕ぎ出しているエドガーをソファまで支えてやる。
そういえばあの時会った 『 彼 』 は今どうしているのだろう。
「じゃあな」
「………ろくに相手できなくて、悪かったな。酒、ありがとう」
「そのうち埋め合わせはしてもらうぜ」
「………もちろんだ」
戦士の休息といったところか。すぐに規則正しい寝息が聞こえてきて、俺は部屋を出ることにした。
「おっと、忘れるところだった」
胸ポケットに入れておいた小さな箱を取り出して、酒瓶の隣に置いた。
ひょっとすると面白いことになるかもしれないと、わずかな期待を込めて。
廊下を歩いていると、前から見知った男が歩いてくる。
『 彼 』 だ。
小サロンで眠っているエドガーのことを伝えようと声をかける。
「なあ、あんた、ここの主が小サロンで寝ている。後のことを頼んでいいか?」
以前侍女に聞いた名前を度忘れしてしまった。
いささか失礼な物言いだったが彼は気分を害した様子もなく頷いてくれた。
「宜しく頼む。………ああ、俺はセッツァー。ここの主の友人だ。あんたは?」
左右で色彩の異なる双眸を覗き込む。
一瞬動揺の色がよぎった気がした。
彼はためらいがちに俺の右手を取って、手のひらに文字を書き始めた。
白く細く冷たい、長い指だ。
再び目が合う。
「口が利けないのか?」
躊躇いがちに頷く彼は、初めて会ったときのように唇の端だけで、笑った。
「そうか。まああんたくらい別嬪なら、しゃべれないくらいのほうが魅力的だろう。………男に向かって言うようなせりふじゃない、か………?」
彼は俺の言葉に目を見開いた。それからまた同じように笑った。
扉を押し開くと、セッツァーの言ったとおりエドガーがソファで眠っていた。
カウンターの上にはあまり減っていないエドガーの好きな酒の瓶と小さな箱。
箱はおそらくセッツァーからの誕生日の贈り物だろうと想像がつく。………以外にマメなんだなと感心する。
相変わらずこの王は、何も掛けずにソファに横になる。だからこの部屋には毛布が常備されている。
毛布を掛けてやろうと近づいたとたんに、エドガーのまぶたが開いてオアシス色の瞳が現れた。
「眠ってしまったのか………。セッツァーは?」
「帰った。お前をよろしくとのことだ」
「そうか………。何か言っていたか?」
おそらく俺自身のことについてだろう。
「何も。口が利けない振りをしておいた。俺みたいな男は、口が利けないくらいでちょうどいいらしい」
「なにも秘密にすることはないだろう。あんたがここにいると知れたところで困ったことは………ないこともないか」
エドガーは肩をすくめる。
「知られたら知られたで、どうにでもなる」
彼らはともかく、俺には因縁がありすぎる。
「消すのは無しだぞ」
「考えておく」
軽い冗談だ。
「セッツァーが何か置いていったようだが」
カウンターの小箱を渡すと、エドガーはすぐにリボンを解いて(エドガーの愛用のリボンと同じもののように見えた)目を見開いた。
「香水? あいつは何を考えているんだ?」
どう考えても男が男に贈るような代物ではない。
「貸してみろ」
おもむろに蓋を開けてエドガーの首筋に吹きかける。
「………悪くない」
「…………………」
彼の首筋から漂う控えめな香りの感想を言ってみる。
普段何もつけていないエドガーにはこのくらいの香り―――――譬えるなら、オアシスの香り―――――がよく似合うと思う。
「そうか。まあ、受け取っておくことにしよう」
シャワーを浴びた彼の体から、微かにあの香水が香る。
その香りに包まれて、眠った。
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