砂漠の若き王エドガーと暗殺者シャドウ。

城には空き部屋がいくらでもあるし仕事にも事欠かないだろうからと、半ばエドガーに雇われるような形でシャドウは身を寄せていたが、あの戦いの後、世界は平和を取り戻しつつあるし暗殺などという物騒な仕事は無く、せいぜい足を活かしての伝令か情報集めくらいのもので暇を持て余していた。
トレードマークのような黒装束に身を包むこともこの頃では滅多になく、平穏な日常というものに染まっていこうとしていた。




(もう何日まともに眠っていないのだろう?)
睡眠時間を削らなければとうてい処理しきれない書類の山に目を通しながら、頭の片隅では別のことを考えている。
(最後にベッドで横になったのはいつだったか)
10人も殺しておいて減刑の嘆願だと? 却下。
(アルコールを口にしたのは?)
記念式典の予算などもっと低く抑えろ。中止でも構わない。再考。
(外に出たのはいつだ)
退官願いか。こいつには退職金を弾んでやらなければ。許可。
(居候の顔すら見ていない)
長期休暇願いだと? 俺が出したいくらいだ。………許可。

王なんて、聞こえはいいが雑用係みたいなものだ。面倒くささはどちらも一緒。誰もやりたがらない、替わりがいない事まで同じだ。
あのコインを投げる前から分かっていた事ではあるが。




(眩しい………)
暇にまかせて眠り過ぎた。
閉め切っていたカーテンでも遮れない光がにじんで外が快晴なことが知れた。
(頭が痛い)
眠り過ぎで頭痛なんて、以前の自分なら考えられない話だ。
(外が賑やかだな)
砂漠を渡る商隊が来ている。珍しいもの好きの女官たちのはしゃいだ声が窓の外から届く。
(オルゴール、か?)
特有の金属音がする。聴き慣れないメロディだが、音色は、優しい。
………優しい、だって? 自分のどこにそんな単語があったのだろう。
(そういえば、ここ何日も雇い主の顔を見ていない)
仕事が無くても困りはしないが、流石に暇を持て余している。
贅沢な話だ。

刃を捨てた暗殺者などただの役立たずだが、それでいいのかもしれない。
「 暗殺者シャドウ 」 を必要としない世の中になっていくのだ。
そのための戦いだったと考えれば、今の生活も悪くはない。




切実に休息が必要だ。一週間、いや2日で構わない。
時間は与えられるものではなく作るものだと言ったのは誰だったか。
2日後までに決裁が必要な書類をひたすら片付けていく。無理をすれば明け方までには終わるはずだ。否、夜中までには終わらせてみせる。そうすれば明日から、いや今夜から2日半程度は誰にも邪魔されずに休むことができる。
まず眠って、シャワーを浴びて、食事をして、また眠ろう。
今この身体に必要なのは、新鮮な外の空気でも恋人の体温でもなく、だれにも邪魔されない深い眠りだけだ。




気まぐれに外に出て、商隊が並べる珍しい織物だの妖しげな香だの手の込んだ装飾品だのに目を向けていると、美しい音色がきこえてきた。
音を発する箱を手に取ると、物売りはその曲が異国の子守唄だと教えてくれた。
箱の裏には、おそらく曲名であろう刻印が異国の文字でなされており読めなかったが、神秘的な感じはした。
宝石箱を兼ねたそのオルゴールを買うのは流石に躊躇われたが、ふたを上げる度に奏でられる音楽は後悔にも似たなつかしさを感じさせるような気がして、しばらく経っても耳から離れなかった。


城の小サロンにはアップライトのピアノがあって、弾く者のいない今でも完璧に調律がなされている。普段使うことのない部屋のため、其処にあるのはピアノとソファとテーブルと棚くらいのもので、珍しい絵画も豪華なシャンデリアもない。
滅多なことでは人は来ないし、気付かれない。
シャドウはこの小サロンが気に入っていた。


日が沈み城内から喧騒が消えた頃、シャドウは小サロンの重い扉を押し開き部屋に入った。
カーテンは閉まっており、灯りも入っていない。
それなのに、人の気配が、する。
今までシャドウ専用だったうたた寝には最適の長ソファには先客がいて、規則正しい寝息を立てていた。

暗い室内に少しだけ灯りを入れると、無防備に眠るエドガーの顔に色濃い疲労が見てとれた。傍らのテーブルにはくしゃくしゃになったマント。
一度は自室に戻ろうとしたシャドウだったが、ここ数日のエドガーの顔を見ていなかったことを思い出す。
『 王という名の雑用係 』 とはエドガーの弁だが、その名の通り面倒な仕事が詰まっているのだろう。ろくに眠っていないに違いない。
おおかた無理に休みを作ったかこっそり抜け出して来たかのどちらかで、迂闊に自室に戻れば邪魔が入らないとも限らないから何処か別の部屋で眠ることにした、そんなところだろうと察しがつく。

寝息にまじって微かに聞こえてくる音に気付き、窓辺に寄ってカーテンをめくると、外が雨なのが知れた。
明け方には、止んでしまうだろう。

砂漠に降る雨、天の恵み、休息、眠る王、平和、オルゴール、異国の子守唄。

部屋の隅に置かれたアップライトピアノのふたを静かに上げる。
薄明かりの中に浮かび上がる鍵盤に指を載せると、狂いのない音が響いた。
この程度でエドガーが目覚めないことが分かると、シャドウはまず一通り音階をさらってから、明確な意志を持って弾き始めた。
ごく、ゆっくりと、静かに。
譜面はなく運指もどこかたどたどしいが、それははっきりとメロディを奏でていた。


あのオルゴールの美しい旋律を思い出しながら弾いていると、部屋の空気が変わった。
外どころか、ピアノは反対の隅に居てさえまともに聞き取れるかどうかの音とはいえ、歴戦の英雄たるエドガーにはいささか耳障りだったのかもしれない。
「起こしてしまったようだな」
ピアノの音ではなく自分の気配のせいだろうと、エドガーを振り返らずにピアノのふたに手を掛けようとするシャドウを止めるように、
「続けてくれないか」
気だるさの残る声が返ってきた。
「ピアノなんて弾けるんだな。その曲に名はあるのか?」
振り返らないシャドウの背に向かって、エドガーが続けて声を掛けた。



いつかシャドウは自重気味に自らの手を 「 人を殺すしか知らない手だ 」 と言った。
剣を持ち、マメを作ってはつぶしを繰り返し、すっかり固く厚くなった見るからに傭兵の手といった自分の手に比べ、筋の目立たない白く長い指をしたしなやかな手。
ともすれば女の手のようで、それでいて力強さを持ち、その手を使って今まで死線をくぐり抜けてきた事がうかがい知れた。

あんな手で人を殺すのかと思った反面、あの手だったらあっさり暗殺くらいやってのけると納得もした。
その手が、その指が、鍵盤の上をすべっていく。



その声を受けたシャドウは戻しかけたふたを上げ、あの曲を再び演奏する。
今度も、エドガーにしか聞こえないように。
「異国の子守唄だそうだ」
シャドウはそれだけ言った。



おそらく誰かの手に渡ってしまったであろうあのオルゴールのことを思う。
赤ん坊を抱いて子守唄をうたう異国の女性のことを思う。
苦い記憶、甘い思い出、戻らない過去のことを思う。
このこころ全てが、雨と共に砂漠に消えてしまえばいい。



「久しぶりの休暇なんだ。もう少しだけ弾いていてくれ」
語尾は再び寝息にとけ、その願いは叶えられた。

最後の音の余韻が消える。
シャドウはピアノのふたを下ろして立ち上がり、長い脚をソファからはみ出させ着衣のまま何もかけずに眠る王に、そっとマントをかけてやった。
雨の中で眠る砂漠の若き王には、オアシスの色を湛えたマントがよく似合った。


シャドウの去った小サロンには、雨の音が満ちている。






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