力が、一時に抜け落ちていくようでした。
体が火照りを帯びているせいか、背を伝い落ちる汗が、ひどく冷たいものに感じられます。
通り抜けていく微かな風のひとつひとつにさえ、自分の身体が持っていかれてしまいそうな。
そんな錯覚を起こしそうなくらいに、その時のわたしは力を使い果たしてしまっていました。

出来るだけ、……出来るだけ、ゆっくりと。
自分に言い聞かせて、そっと、地面に座り込もうとします。
なのに、下ろそうとした膝は言う事を聞かず、急にがくんと落ちてしまいました。本当ならそこで、何とか持ち堪えたいところでした。
それでも、そうなってしまうと、もうどうにも身体を支えていられなくて。遂にそのまま、地面に伏してしまいます。

その中でも利き手を庇ったのは、蘇生の魔法を施してもらう時、その対象がなければ意味がないからです。
手首から下は、全く何ともありませんでしたよ? ……でも、そこから先がなかったら、どうしようもないじゃないですか。
その時は、自分でもどれくらいのダメージなのか、正直理解出来ていなくて。
……でも、感覚的に、大変よろしくないという事だけは、わかってましたから。
地面に手をついて、その拍子にうっかりもげちゃったりでもしたらマズいなぁって。今思えば、何処か他人事のようですけど。
そんな具合に思っていました。


体力も魔法の力も、どちらも消耗していましたから。
直ぐには起き上がれなくて、ただ、そんな中で、ごろりと転がり仰向けになります。
ふと広がった眼前、その向こうには遠く高く青い空、流れる雲をスクリーンに、その切れ目から陽が見え隠れしています。
……ああ、いい天気だなあと。何処かぼんやり、呑気なことを思います。
風も陽の光もとても穏やかで、世界はそれらと同じ色に彩られて見えました。
ちょっと遠出して、景色のいいところで……、そうですねえ。コーリンゲンの近くに、そんなふうに過ごせそうな場所があるの、この間見掛けましたよ。空の上からですけど。飛空艇から見えたんです。
とびきり大きなレジャーシートか何かを敷いて、皆でお弁当広げて、ゆっくりまったりしたくなるような。
そんな、ひどく平和的な、とてもいい日和に数えられる一日のように思えてなりませんでした。

わたしは平穏な光景を脳裏にほんの少しばかり思い描きながら、利き腕だけを、真っ直ぐ天に、太陽に向かって伸ばします。
其処にあるのは自らの手、それはあまり見られたものではありません。
……使った魔法の反動が、どれ程のものか想像がつかなかったんです。
それでも、利き手だけで済んだのなら良かったと、何処かで安堵していました。
わたし達全員が全滅するより、ずっとよかった、と。本当にそう思ったんです。

気付けば、少しだけ声に出して、笑っていたくらいです。
どうしても、自分の口の端っこが持ち上がるのを禁じ得なかったんです。
だって、だって、嬉しくて堪らなかったんですから。
自分に与えられた力で皆を、大切なひとを護れるということの、何て素敵で素晴らしいことだろうって。
……わたしは、そんなふうに思ったんです。


赤黒く焼け爛れて未だ細く白い煙が立ち昇り、皮膚の焼ける匂いを燻らせている自らの手ではなく。
その向こうの清浄とも思える青を湛えた空を、わたしは見ていました。
世界にはまだ、希望が残されているのだと、心からそう感じられるような。そんな、きれいなこの世界の空の色でした。
わたしはそっとその色に微笑み、それから少しばかり長めに、肺の中の息を吐き出しました。

「……誰かー、」

ケアルお願いしまーす、と。
つい、間延びした言い方をしてしまいます。
目の前の怪物を薙ぎ払う事が出来たことへの安堵、急激に消耗した魔法力に比例するかのように削がれていく体力。
……目の前の、平和とも思える穏やかな色彩。それらについ、緊張を崩し、力を抜いてしまっていたんです。

一番に記憶しているのはシャドウさんです。
……あんな顔のシャドウさんには、正直言って、そうそうお目にかかることはありませんね。
いえ、あの時は、本当にありがとうございました。
シャドウさんだって、あまり魔法力は残っていなかったでしょう?
……それに、わたしの魔法のせいで、傍にいらしたシャドウさんまで吹き飛ばし掛けてしまって。
……本当に申し訳なかったです。あの時は。
なのに、それでも癒しを施してくださったおかげで、それまで纏わりついていた焼けつくような痺れが薄れました。


!! ……シャドウ、退いて!」


次に、ティナがほとんど割り込むような形でわたしを覗き込んできたのを覚えています。
彼女、炎の魔法に次いで、回復魔法が得意みたいですね。
ティナだって疲労していたでしょうに、その手から発した白い光が、わたしの手を包み込んでくれたと記憶しています。
そこまでです。覚えているのは。

……気絶なんて、していませんよ? ただ、ちょっと疲れたから寝ちゃっただけです。
そうして起きたら、ファルコン内で宛がわれている自分の部屋でした。
持ち上げて見れば、手には包帯が巻かれていました。流石に完全には、まだ治っていないという事でしょうか。
恐る恐る反対の手でそっと触れてみるけれど、予想したような痛みはありません。


「目覚めたか」


掛けられた声に、わたしはめいっぱいの、心からの安堵を覚えました。
この声を失わなくて済んで、本当に良かったと。心底、ホッとしたんです。
身を起こせば、すぐ傍にシャドウさんがいました。そうして、黒い手袋を無造作に外し、その手を此方に伸ばします。
あまり目の当たりにする事のないその素手の甲が、ひたりと額に触れて、ちょっとひんやりするような温度を感じました。


「熱はないようだが、他に不調はないか」
「ええと、……」


わたしは言いながら、そっと身体を動かしてみます。
痛みやだるさは、思ったほどは何処にも残っていないようでした。


「大丈夫みたいです。……あのう、すごく眠ったみたいな気がするんですけど、どのくらい経ったんでしょう」
「半日程だ」


言うと、手袋をはめ直したその手が此方の腕を取り、徐に包帯の端を解き始めます。
黙ってされるがままになっていると、巻かれた白の下から、ほんの僅かに色の違った皮膚が覗きます。
けれど、それは想像したような色とは逆の、生まれたばかりのそれのような、ややピンクがかったきれいな色でした。


「……魔法で、治してくださったんですね」
「礼ならティナに言うといい。俺だけでは、どうにもならなかった」
「でも、やっぱり言いたいんです。ありがとうございます、シャドウさん」
「…………」


ごく淡々と、シャドウさんは言葉を、或いは沈黙を返してくれます。
次いで、ずっと看ていてくださったのかどうかを訊ねようかとも思ったのですが(それならそれで、別にお礼を伝えたいと思いましたから)、きっとシャドウさんのことです。「たまたま様子を見に来ただけだ」とか、そんなふうにしか言ってもらえないだろうなぁと思い直し、わたしは別の事を訊ねることにします。
聞けば、皮膚組織の表面部分だけ、ダメージが大きかったみたいですね。
深いところまでは損傷がほとんどなく、だから比較的回復も早くて済んだのだと。
わたし、見た目以上にひどかったらどうしようかって、ちょっと心配してましたから。ホッとしましたよ、流石に。

まじまじと、包帯の解かれた手を見下ろします。
ゆっくり手の平を閉じたり開いたりしてみますが、既にまったく、いつも通りの感覚を取り戻しています。
それによく見なければ、色の違いだって、ほとんど元の肌の色と見分けがつかないくらいではないでしょうか。
つやつやした生まれたての肌の色に、わたしは改めて 「魔法ってすごいなあ」 、と思いました。
ここまで治してくれた友人に、感謝しなければ、とも。


「あの。ティナにも、お礼を言いに行きたいんですが……」
「……広間か、その辺りにいるだろう」


その言葉にひとつ肯いて、寝台から降ります。
わたしはシャドウさんに行ってきますを告げて、すぐさま部屋を出るつもりでした。



けれど、低音の声に名を呼ばれて立ち止まります。振り返ります。
見れば、シャドウさんの目は先程までとは少し違った、いささか厳しい光を宿しているように思えました。


「……礼を言い終えたら」
「はい」
「俺のところに来い」
「…………、」


その時点で、なんとなくですけど、シャドウさんが何を言いたいのかを解っていた気がします。
わたしは小さく、微笑みました。

「……はい」

踵を返し、そうして、シャドウさんの所に帰ってきたのは少し経ってからの事です。
皆に、心配掛けちゃいましたからね。もう大丈夫だっていうのを伝えに行ったんです。あと、ティナとも少し、話をしたので。
遅くなってしまって、申し訳なかったです。

――シャドウさん。
わたし、言いつけどおり、もう無茶はしないつもりです。当然? ふふ、そうですよね。仰る通りです。
そのためにも、わたし、今よりもっと強くなってみせますから。
あんな無理な魔法の使い方をしなくても済むように。そうして、シャドウさんを守れるようになってみせますよ。
……生意気でしょうけれど、でも、結構わたし、本気ですよ?
だから。
今はもう少しだけ、見守っていてもらえたら、わたしは嬉しいです。
今までシャドウさんがそうしてくださったみたいに、わたしも、シャドウさんを守りたい。
ただ、それだけのことなんですから。






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