一軒家には、一人の老人しか住んでいなかった。
ナルシェへ向かう手立てを何か得られないかと立ち寄ったものの、まるで成果はなかった。
どうにもこうにも、話が通じないのだ。
修理屋だの何だのと捲し立てられた挙句、「獣ヶ原に放り出す」とまで言われてしまう始末だ。
見れば、老人の目の焦点は合う事も定まる事もなく、それ以上の会話は困難だった。
俺は玄関の戸を閉めると、一つ息をついた。
目を覚ますその前後の事が、頭の中を往復している。
兄達と共に、炭鉱都市ナルシェを目指していた。その最中に自分だけがはぐれ、川の濁流に呑まれて此処まで流されてしまったのだ。川辺で目覚めてからそう時間も経ってはいないが、此処から目的地を目指すとなると、どうしたものか。

「困ったな……」

この辺りには、他に民家もないらしい。改めて辺りを見渡そうとした時だった。
ふと、この家で使っているのだろう、少し離れた場所にある井戸の傍に、黒い髪の娘がしゃがみ込んでいるのに気付く。
一瞬、不思議な印象を抱いた。
何が不思議かと言われれば、はっきりとは言い難い。
ただ、身に付けているのは旅装束のようで、顔立ちは何処となくドマの人間を思わせた。娘の足元には大きな黒い犬がいて、彼女はその頭を撫でている。
この家の人間である可能性も考えられるが、話をしてみなければ始まらない。
俺に気付くと、犬の方が先に頭をもたげる。其れをよしよしと諌めるようにしながら、
「こんにちは!」
彼女の方からそう声を掛けてくる。
その表情は穏やかで、話の通じそうな人間に会えた事へのささやかな安堵が胸に広がった。

「あー……、この家の人間か?」
「わたしですか? いえ、旅をしてるんですが……どうかされたんですか」
「ああ、ちょっと、仲間とはぐれてしまったんだ。ナルシェに行きたいんだが」
「ナルシェ? えーっと、ナルシェ、ですか」

向こうは聞き慣れない単語であるかのように繰り返す。
それなりに名の知られる都市の筈だが、余程遠くから旅をしてきたのだろうか。
間近で見れば、少女というほど幼くはないが、自分よりは年下だろうと思える年の頃だ。いくら強そうな犬と一緒とはいえ、女の身で独り旅を?
今はもう此方に何の関心もないかのように、足元の屈強そうなその犬は黙って目を閉じている。
彼女はうーん、と小さく唸ると、少しだけ言いにくそうに切り出した。

「ご案内出来ない事もないと思うんですけど……あのー、こんな事言うのは何なんですけど、対価は頂戴出来ますか?」
「ああ、相応の礼は」
「『 相応 』だと、もしかしたら足りないかもしれませんけど……とにかく、訊いてみますね」

その口振りに俺が疑問符を浮かべていると、彼女は木々の生い茂る林の方向に向かってこう一声あげた。
「シャドウさーん! お客さんですよー!」と。
ハッと見れば、一際濃い木々の影の中に黒装束の男が立っている。
薪にするつもりか、枯れ木の枝を一山その腕に抱えていた。
顔を覆う黒布の中に浮かぶ双方の目が、静かにこちらを見やっている。

「シャドウさん、此方の方が……ええっと、ナルシェ? ……に行きたいそうなんです。シャドウさん、ナルシェっていう場所、ご存知ですか?」
「知っている」
「此処からどう行けばいいか、わかるかな」

端的にぽつりと零す言葉に、すぐさま俺は口を挟んだ。
兄達はもう、目的地に到達しているだろうか? 追い付くには急ぐより他にない。
シャドウと呼ばれた黒装束の男はごくごく平坦な口ぶりではあったが、俺の問いに答えてくれる。

「此処から向かうのであれば、ドマを抜ける必要があるな」
「そうか……。なあ、無理を承知で言うんだが、道を案内してはもらえないか? ……ああ、さっきこの娘にも言ったけど、礼は勿論……」
「断る」

即答だった。
俺の方としては確かに「無理を承知で」と言った手前もあり、そう言われる事も考えていなかったわけではない。
けれどすぐ傍でやり取りを聞いていた黒髪の娘の方こそが、男の答えに驚いたようだった。

「……シャドウさん、どうしたんですか?」

せっかくのお客さんなのに、と彼女は不思議そうに男を見る。
相変わらず足元の犬はジッとしていて、彫像か何かのように動かない。
――黒装束の男、黒髪の娘、黒い巨躯の犬。
俺は交渉の最中であるにも関わらず、一瞬この二人と一匹を順に見つめてしまう。
何というのか、不思議な組み合わせだな、と思う。
どういう関係なのだと思わないではないが、自分はあまり細かいことは気にしない方だ。
目の前の男の声が、口元をも覆い隠す黒布の下から続いていた。

「……森の向こうで、帝国兵の姿を見掛けた」

聞けば、ドマ国の近くで帝国が陣を張っている様子なのだという。
それはドマ城そのものを狙っているように推測されるのだと。
ふと、黒装束の男の話にジッと聞き入っている娘を見ると、未だ
「それがどうして頼みを断る事に繋がるのだろう」と言いたげな、不思議そうな顔をしたままでいる。
……そういう事か、と思う。
この娘を危険に晒すわけにはいかないと、つまりはそういう事なんだろう(彼女本人は気付いていないようだけれども)。
俺だって、帝国の力が蔓延るところへ無関係の誰かを巻き込む真似はしたくない。
けれど、このまままごまごしているわけにもいかないのだ。

「なあ、途中までで構わない。ある程度のところまででいいから、案内してくれないか?」
「……シャドウさん、こう仰ってることですし、引き受けられてもいいんじゃないですか?」
「…………」

男は瞬きひとつしないで、黙って娘と俺とに目を向ける。
思案しているのかいないのか、俺には判断がつかない時間が幾らか流れたが、最終的には
「俺たちが抜ける場所は、俺が決める」
という向こうの条件を承諾して交渉は成立した。
閉じていた目を開けてむくりと首を持ち上げる犬はまるで、俺たちの会話を本当に理解しているかのようだ。
主人に告げられる以前に、出発の時を解っているみたいに見える。
その頭をもう一撫でする娘は、俺の方に顔を向けると「良かったですね」、というように目を細める。
……初めて会う筈なのに、いつか、何処かで会った事があるような気がする。
そんな感覚を覚えるけれど、それがいつ、何処でだったかはわからない。そもそも、本当に会った事があるのかどうかさえも。
ともあれ、こうして一時的に俺たちは旅路を共にする事になった。
彼女の名前を聞いた時も、遠い記憶の何かを揺さぶられるような不思議な既視感は拭いきる事が出来なかったけれど、とにかく。
――黒い髪の娘の名前は、といった。




「フィガロ? ええっと、確か砂漠の国でしたっけ。そちらの出身なんですか?」
「ああ、俺自身は十年前に国を飛び出したけどな」

道中の会話は、半分以上が俺ととのやり取りだった。
シャドウは元々無口みたいで、たまにしか言葉を発する事は無い。黙々と先頭を歩いていくだけだ。
此方の会話を聞いているのかいないのか、俺にはよくわからなかった。

「そういえば、さっき俺の事 『 お客さん 』 って言ってたよな。何か商売でもしてるのか?」
「商売……になるのかどうか判りませんけど、シャドウさんは行く先々でお仕事してるんです」
「ふうん。何の仕事してるんだ?」
「そうですね……、ええっと、こうやって道案内したり、誰かの護衛とか……、あとは」
「……本業は別にある」

前方から振り向く事なく、低い声がぼそりと発せられる。ちゃんと聞いていたらしい。

「あ、シャドウさんはアサシンさんなんです!」

ぽんと手を合わせて、はにこにこしながら言う。
……アサシンという事は、暗殺者ということになる。
そういうことだよなと思うが、言った彼女はほわわんとしているし、シャドウ本人も否定もしない。
それに俺自身、だからどうだというわけでもなかった。

「でも、すごくいい人なんですよ! わたしも何度も助けてもらってますし」
「そっか。……そうだよな」

その言葉に、自分でも二、三度肯く。
成程そういうわけでの覆面かと納得もするが、事実、こうして(紆余曲折を経てはいるが)道案内も引き受けてくれている。
それに、彼女の言葉を聞く限りでは、肩書きどおりというわけでもないようだ。
目の前を行く黒い背に目を向ける。
今の会話も聞こえていたのに違いなかったが、今度は何も言う事は無いらしく沈黙を守っている。
足元を行く黒い犬さえも、主人と同じように静かに歩調を乱すことなく歩き続けていた。


アサシンだというのを聞く前でも、シャドウが戦いに精通しているのだろうというのはおおよそ察しがついていた。
それは実際の戦闘で直ぐに証明されることになったし、も旅が長いようで、モンスターと対峙をしても驚くことなく落ち着いた様子でいる。
「……は、モンスターが怖くないか?」
それでも心配で、思わず訊ねてみる。彼女は少しきょとんとしたみたいに俺の方を見ると、「うーん」、と考えてから、言った。

「慣れたというか、何といいますか……。この世界って、すごくたくさんモンスター居ますよね。最初は吃驚しましたけど、今はもう、ある程度は平気ですよ」
「そうか」

そう肯きかけて、ふと疑問がいくつか頭の中に引っ掛かる。
の言葉のあちこちに、何か不思議なものを感じたのだ。
それが何かを形にする前に、彼女は続けて俺に問いかけていた。

「そういえばマッシュさん、『 日本 』 って聞いた事、ありませんか?」
「……ニホン?」

聞き慣れない言葉だ。何かの名前か、何かだろうか。
思う間に口を挟んだのは、他でもないシャドウだ。何処か窘めるような口調ながらも、淡々としたところは相変わらず変わらない。

「……、その話はあまり人にしない方がいい」
「でも、訊かないと何も始まりませんし。もし帰る手掛かりを知ってる人に会っておきながらスルーしてたら、それこそ、目も当てられないですよ」
「おいおい、何の話だ?」
俺はちんぷんかんぷんで、ついそう話に突っ込んでしまう。返ってきたの言葉は、あっさりとしたものだった。
「あ、わたし、この世界の人間じゃないんです」

あっさりというのか、或いは、あっけらかんとも言えたかもしれない。

「――そうなのか?」

自分でも間の抜けていると思える声が、口から漏れ出た。
何故だか、そう驚くわけでもない。
それは決して彼女の言葉を疑うとかそういうものから来るのではなく、もっと別の理由からだ。
そしてどういうわけなのか、その理由が俺自身よくわからない。
まるで、ずっと前からそれを知っていたかのような、そんな感じがする。
聞けば、そのニホンこそ、彼女の故郷の国の名だという。
気付いた時にはいつの間にかこの世界にいて、出会ったシャドウとこうして行動を共にするようになったのだという。
もしドマ出身であれば、今まさに帝国の侵攻を受けようとしているところなのだ、訊かない方がいいだろうと思って触れないでいた。
しかし実際は、随分と斜め上をいく話だった。

「……そうか、じゃあ、後で俺の知ってるやつに訊いてみるよ、ニホンのこと」

俺はにそう言ってやった。
ナルシェで皆と合流すれば、兄やロック達とも会える。
兄の元には多くの情報が入るだろうし、ロックは世界を股に掛けるトレジャーハンターだと言っていた。自分よりも、世界のあれこれを知っているだろう。
それを伝えると、は小さく笑って言う。
「そうして頂けると、嬉しいです」と。
その声は何処か、半分方諦めも入り混じっているみたいなように感じられる。俺は軽くその頭をぽんと撫でてやった。
本当なら「諦めるなよ」とか、何か言葉を掛けてやりたいところだ。
けれど、軽々しく言うものではない気がして、行動で示すしか俺にはなかった。
……急に、ひどい悪寒を感じた。
何事かと見れば、前方のシャドウが此方を見ている。
……見ている、だと思う。目つきが鋭いのは元々なようだし、たぶん睨んでいるわけじゃないと思う。ではこの寒気は何なのだ。

「気のせいか……?」
「え、何がですか?」

俺の呟きを聞き取ったがそう訊ねる頃には、シャドウはもう此方を見てはいなかった。
そうして気付けば、身を貫くようだった氷みたいな冷気も失せている。気のせいではなかったらしい。
……たった、これだけの事で? ちょっと頭撫でただけだぞ?
俺は改めて、二人と一匹を見る。……面白いやつらと出会ってしまったみたいだ。それに、不思議と懐かしいような気持ちになる。
どうしてかはやっぱり、わからないけれど。
そんな事を考えながら道のりを行く。
確実に、自分たちはドマへと近付きつつあった。






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