素晴らしい眺めだった。
地上が今や、遥か遠くにある。
吹く風は肌を刺すように冷たいが、それさえこれから起こる事への予兆のようで心地いい。
強大な力が、目と鼻の先にある。それを手に入れる事を思うと、笑みが浮かぶのを禁じ得なかった。自分は、もうじき神になるのだ。
声を上げて笑いたかったが、自分より先に高笑いをする奴がいた。
此処には、他に誰もいないとでもいうかのように、そいつは笑い続けている。
……おかげで、折角のいい気分が台無しじゃないですか。全く。

「これが……これが三闘神の力……! 素晴らしい!! もうじき世界が我が物に――」

うるさいジジイだ。
思うが、今は取り敢えず喚くのに任せておく。
皇帝は、目の前の三闘神の像にすっかり魅入られてしまったようだ。
――リターナーへの和平の申し入れ、幻獣の探索。多くの兵やレオ将軍をも欺いて掴みかけている圧倒的な力の前に、高揚するのもまあ無理はない。
しかし、皇帝は三闘神の力だけが目的で、奴らそのものを復活させる気はないらしい。
……どうしてでしょうねえ。
これだけのパワーがあれば、世界を死と破壊で満たす事が出来るのに。ぼくなら、そうするんですけどねえ。

(まあ、その前に色々片付けないといけない事があるんですけどね)

思って、大陸の高みから隆起した岩肌を見下ろす。
リターナー共は必ずやって来るだろう。
気に食わない事に、あのフィガロの国王はそれなり頭の回る奴だ。
それにその弟とかいう、やたら図体の大きな熊男(ドマでは散々な目に遭わされたものだ、頭に来ることに)!
それだけに飽き足らず、ティナやセリスまでもが散々ボクちんの手を焼かせてくれた。
早く、此処まで来ればいい。三闘神の力を見せつけてやるのだ。その時の奴らの顔は、きっと見ものに違いない。

「……来ませんねえ、あいつら」
「…………」

わざとのんびりそう呟いてみせても、娘は何も言わなかった。
さっきから来た道をずっと気にするみたいにチラチラ見ていた癖に。奴らが必ず来ると、この娘も信じているのだ。
いや、そうでなければ、

「あなた、お名前なんて言いましたっけ。……ああ、そんな顔をするなら結構ですよ。教えて頂かなくても。どうせあの全身真っ黒けの男みたいに、何も喋らないおつもりなんでしょう?」
「…………」
「やっぱりねえ。思ったより頑固ですね、あの男が助けに来るって信じてるんですか?」
「…………」

黒い髪の娘は無表情にこちらを見返した。
封魔壁へと向かうその最中に現れた黒装束は、レオの雇い入れた 『 暗殺者 』 だった。
大三角島に向かった筈のその男が自分たちの前に現れたという事は、レオの差し金という事も考えられる。
最も、あのいい子ぶるしか能のないレオが、そういう手段に出るかというと疑問は残る。
……まあ、人間なんてのは、どこでどう変わるかわかったものではないが。
その際に、隠れていた娘を見つけたのもたまたまだったが、その場で殺さずに娘だけを此処まで連れてきたのもほんの気まぐれだ。
リターナー共の前に突き付ける人質くらいにはなるだろう。ならなかったら、その場で殺してしまえばいい。
娘にとっても悪い話ではなかった筈だ、なにしろ、神の誕生の瞬間に立ち会えるのだから。だから、

「大人しくついて来るなら、男の方は見逃してやるよ」

地に伏して動かなくなった黒装束を横目に見ながらそう言うと、娘は本当についてきたのだ。
……馬鹿な娘だ。あんな男ひとりのために、のこのこ此処までついてくるなんて。
黒髪の娘は幾らかだけこちらを見て、ふいと視線を逸らした。
此処まで、一言も発していなかった。
ただ、この宙に浮いた大陸の上、自分らと共に歩いてついてきた。
そして三闘神の像の前で今は、ただ立ち尽くしている。
……もうすぐ、その貝みたいに閉じっぱなしの口から感嘆の声が漏れる事でしょうねえ。あなたは素晴らしい瞬間に居合わせる事になるのですから。
思うけれども、娘の方は未だ何の感慨もないかのように、表情無く佇んでいる。
その顔を少し歪めてやりたくなって、こう言ってやった。

「リターナー共は助けに来るかもしれませんけどね。でも、あの黒い男。あいつは来ないと思いますよお」
「…………」

娘の眉が持ち上がり、その目がこちらを向いた。射抜くような鋭さを孕んだ目だ。
……やれば出来るじゃないですか。そうそう、そんな顔がもっと見たいですね。
もっともっと見たいんですよ、私は。

「あの男は部下が今頃始末しているでしょうからねえ。魔法で動けないとあらば、そう能のない兵たちでも止めは充分に刺せる筈ですし」
「…………わたしが、」

ようやく娘が声を漏らした。
震えを押し隠すような、低く小さな声だった。
いいですね、ゾクゾクしますねえ。もっともっと聞きたいですね、そんな声が。

「わたしがついて来るならシャドウさんを見逃してくれるって、言いましたよね……?」
「おや、そんな事、言いましたっけねえ?」
「ケフカ! 何をごちゃごちゃと抜かしておるのだ!!」

折角お喋りを楽しんでいたというのに、無遠慮な喚き声が割って入った。
内心舌打ちする。本当の本当に、うるさいジジイだ。
見れば皇帝はギンギンに血走った眼をしていて、それだけでも大層みっともないのに、更にはこんな事を言い始めた。

「これだけの力があればリターナー共などもはや敵ではない! もうその娘は用済みだ、殺してしまえ!!」

やれやれ、これだからジジイは。
げんなりして肩を竦めたくなる。あまりに早計でしょうに。
興奮するのは分かりますけどね、もっと冷静になられた方がいいんじゃないですか?
それに、この娘は僕が拾ったちょっとした暇つぶし用の玩具なんですよ。勿論殺すのは構いませんけど、今日のボクちんは直ぐにそうする気分じゃないんです。
圧倒的な力を見せつけて、リターナーの連中への餌にして。
奴らとこの娘共々、絶望の淵に落ちる顔を見てから殺そうと思っているんですよねえ。指図を受けるには及ばないんですよねえ……。
これ以上うるさくするなら、三闘神の力を試させてもらいましょうか、皇帝。貴方で。
自分の口元が笑みを形作るのが、はっきりとわかった。
そして皇帝はと言えば、こちらの意を汲み取ったのか顔を歪めると、躊躇いなく魔法を放ってきた。
おやおや、酷いですね。
今の今まで長い間力添えをしてきたこの私を消そうだなんて。あんまりじゃあありませんか、ガストラ皇帝……?
発動した筈の魔法は、呪文は、しかし、空間の中に木霊だけ残して消えた。
皇帝はまるきり事態が解っていないようで、必死になって次の呪文を詠唱する。
――無駄なんですけどねえ。ボクちんが、三闘神像の真ん中に立っているんですから。
魔法は全部、奴らに吸い取られてしまうんですよねえ。うふふ。

「ケ、ケフカ……おまえ…………」

何故、と漏れる声の最後は呻きに変わった。
まあ、僕が蹴りつけてやったからなんですけど。見下ろすと、其処にあるのは汚らしく転がるただのボロきれのようなジジイだ。
そして本当に、ボロきれのように死んでいくのだ。
皇帝陛下は横たわりながら、それでも今なお呪文の欠片らしきものをもごもご呟いている。
三闘神に魔法が吸収されている事には、まるで気付いていないらしい。
何も知らないまま死んでしまえ。
三闘神に命じた直後、劈くような轟音と共に稲妻が一閃した。
後に残ったのは、ただ其処に在るだけのカス、否、それ以下の存在だ。神が生まれようとするこの場所には不要な存在。
ズルズルとその身を引きずり、蹴り落としてやる。
ガストラ皇帝は、崩れる瓦礫の欠片と一緒にあっさりと地上に向かって落ちていった。
なんて呆気ないんでしょう。あれだけ望んでいた力を目の前にしながら退場していく気分というのは、どんなものなんでしょうね。
もう訊く事も叶いませんけど。うふふ。

「……ふふ、さあ、それじゃあ始めるとしましょうか」
「…………」

振り返ってみても、黒髪の娘は黙ってジッとこちらを見ているだけだ。
さっきまでとほとんど何も変わらない。
へえ、と思う。その辺の娘なら怖がるなりガタガタ震えるなり、それなりの反応をしそうなものですけどね。
それどころかよくよく見れば、その目の表情はさっきまでと少し違う。それは――

「……あなた、幸運ですよ。このケフカ様が神になる瞬間を目の当たりにできるなんて」
「…………」
「リターナー共も助けに来ないようですしね。それじゃあ、ゆっくり準備に取り掛かるとしましょうか」
「来ますよ、皆。……シャドウさんも」

はっきりとした口調が、音を辿った。
娘は微かに口角を持ち上げ、自信たっぷりに今、そう言ってのけたのだ。
それが、ひどく癇に障った。

「へえ? その自信は一体何処から来るんでしょうねえ……」

私自身、あいつらがそう簡単に引き下がるとは思っていない。
ただ、気まぐれに此処まで連れてきたこの娘が、見せかけとはいえ余裕ぶっているのが妙に気に入らない。
もっと眼前の神の力に戦き震えていればいいものを、たかが玩具の分際で。

「じゃあ、あいつらが此処まで辿り着いた時、あなたが無事でなかったら……どんな顔をするでしょうねえ、あのリターナー共は!」
「……試してみます?」

脅しの言葉にさえ、娘は動じなかった。それどころか、こんなふうに続けたのだ。

「出来るものなら」

一瞬、耳を疑った。
何て口の利き方を知らない小娘なのだろう!!
もう少し生かしておくつもりだったが、急に気分が変わった。望み通りにしてやろう、どんな魔法がお好みだろうか。
業火の炎か、凍える吹雪か。はたまたさっき三闘神が放ったような、鮮烈な神の稲妻か――。
ぴたりと、俺は動きを止めた。
気持ちが変わったのではない。そうせざるを得なかったのだ。

娘は、三闘神の中央に佇んでいる。さっきまで私が立っていたその場所に。

……この小娘が、三闘神の像と魔法についてをそこまで把握しているとは思えない。
ただ、たまたま其処に立っているだけだ。きっとそうだ。さっきだって自分は、皇帝にそのカラクリを明かす事はしなかった。
こんな娘が、それを知っている筈がないのだ。
なのに、黒髪の娘は其処から動こうとはしない。
浮かべた微笑みをそのままに、ボクちんから目を逸らそうともしなかった。

「……この……!」

魔法が放てないなら、力ずくで其処から引き摺り出してやる。
そう思って歩み寄る。その腕を引っ張ってやろうとしたが、驚く事にびくともしない。
こんな……自分とそう変わらない細腕の何処に、そんな力があるというのだ!

「ぐっ……」

強い力で腕を薙ぎ払われ、一歩後ろによろめく。
小娘の分際で! 思ってギッと睨みつけようとした瞬間、世界から音が消えた。
冷たく吹きつける風も、大陸の瓦礫が僅かに崩れ落ちていく音も、辺りを歩き回る魔生物たちの咆哮もない。
その事を訝しく思ううちに、風もないのに娘の黒髪がふわりと舞った。
グッと奥歯を噛む。
娘の身体から滲み出るそれは、明らかに魔力の類だ。しかも、尋常な力量ではない。その身に収まらない程の魔力が溢れ出そうとしている。
…………何だ、この娘は、一体何なのだ。
自分にさえ匹敵するかのような力を持つおまえは、一体何だ。誰だ。

「……あなた……一体何者ですか……!?」

娘の方は、僕の問いに少しきょとんとしたように瞬く。
それだけ見ればそこいらの唯の小娘だというのに、こうする間も静かに緩やかに魔力は放たれている。
娘はほんの幾ばくかの後、こう答えた。

「…………貴方と同じ、人間ですよ?」
「違う!!!」

思わず否定の言葉を叫ぶ。
幻獣の血を引くでもなく、魔力を人工的に注入したのでもない。
それなのにこれ程の魔力を抱え込む者が、ただの人間である筈がない。
そして自分は、もう人間などという存在ではない。神になる存在なのだ。なのにこの娘は、自分を 『 人間 』 だと侮蔑した。

「違う違う違う!!!」
「……じゃあもう、何でもいいですよ」

少し面倒くさそうに、どうでもよさそうに娘は言った。
実際に娘にとってはどうでもいい事なのだろう。実に頭にくる事だったが、今は手出しをする事が出来ないのだ。
ならば――
私がニヤッと笑むのを見て、娘は身構える。
すぐ傍らに鎮座している像の一つに手を掛けたところで、ようやく娘は自分から動いたが、もう遅い。
三闘神の互いの視線を逸らす事が出来れば、バランスの崩れたその力が世界を滅ぼす。
娘が一歩を踏み出したところで、炎の魔法を放ってやった。今度こそ後悔と絶望に苛まれながら、燃え尽きてしまえばいい。
決して手加減などしていなかった。
それにも拘わらず、娘は怯むことなく炎を片腕で受け止め、もう片方の手から魔導の力を放ってくる。
痺れが身体に走り、電撃を受けた事が知れるが、構わなかった。
直撃を受けた肩が焼け焦げるのをそのままに、像に力を込める。動かすのは、視線さえ逸らせればほんの少しで充分だった。
二体目の位置をずらそうとして、娘を見る。
娘の力は想像を超えるものだったが、これから起きる事は止められまい。
二撃目を放とうとしている娘にニヤリと微笑み、

ッ!!」

呼ばれた声に一瞬注意を引かれた娘に、今度は凍れる魔法を放つ。
しかし次の瞬間、娘は姿を消していた。
……離れた場所に、見覚えのある黒装束が立っている。その腕の中に娘は居た。
成程、確かに言っていたとおり、奴らは此処に辿り着いたわけですね。
見れば、他にもフィガロ国王にその弟、セリスまでもが揃いも揃って立ち塞がり、此方を注視している。
もう、何もかも遅いのですけどね。

「大丈夫だったか、!?」
「勿論ですよ、マッシュさん。それに」

すぐ傍の覆面に覆われた顔を見上げながら、娘は続けた。

「シャドウさん、ご無事ですよね」
「ああ。……すまなかった」
「いえ」

短く言うと娘は微笑んだ。

「何はともあれ、安心しました」
「……そう簡単に、殺られはしない」
「そう、……そうですよね」、何もかも解っているかのような静かな笑みを湛えたまま娘は続ける。

「――知ってましたよ」

大気が震え、闇が下りる空の中で、やがてその娘は此方を見た。
既に三闘神の力はバランスを崩している。世界が壊れていくのを奴らは見るだろう。
此処まで来ておいて、こいつらは結局、何もする事が出来なかったというわけだ。

「ヒヒッ、滑稽ですねえ……。皆さん指をくわえて、世界が破壊されていくのを見ている事しか出来ないなんて」
「…………」

皆、歯噛みする表情で此方を見据えている。
その中でも相変わらず、暗殺者の腕の中にいる娘の顔は静かだった。

「あなた。どうです、今のお気持ちは? お仲間が来たところで、これから起きる事を止める事は出来ないのですよ。もっと絶望に打ちひしがれてみてはどうですか?」
「……そうですね」

娘は微かに、その目を細めたようだった。

「やっぱりこれが、正規ルートなんでしょうね」

自分だけではなく、リターナー共も一瞬言葉の意味が解らなかったようだった。

「世界の崩壊を止めるのは勿論、本当ならドマもレオ将軍も救いたかったんですが……、何が起こるか知っているだけじゃ、歴史を変えるのは難しいみたいですね」
、何を、」
「でも」

エドガーの弟の熊男が口を挟むも、娘は聞こえていないかのように続けていた。

「世界が引き裂かれようと、どうなろうと。――わたしは、大切な人が救えれば、それでいいんですよ」

そう言って、黒装束を掴んでいた手に僅かに力が籠る。男はそれに応じるように抱える腕の力を強めた。




黒髪の娘がこちらを見ている。
全員まとめて始末してやろうという所で、像に挟まれ動きを縫い止められてしまった。
……あの熊男の馬鹿力ときたら! ドマの時といい今といい、本当に頭にくる事この上ない。
三闘神の力の暴走は、もしこの場に残ればその力をまともに受け、こいつらと言えどもただでは済むまい。
自分をこの場に留めておいて脱出を図ろうとする中で、独り、娘だけがジッと此方を見ていた。
気付いた黒装束が娘の名を呼ぶが、娘は自分を見たまま、ぽつりと言う。

「皆、何かしら覚えてるのに。……貴方は、何も覚えてないんですか?」
「何の話ですか」
「以前の記憶を。例えば」、
娘は端的に、とんでもない事を抜かした。
「貴方が、わたし達に倒された事とか」

一瞬言葉を失うが、あまりに飛び抜けた発言に、却って笑いがこみ上げてくる。
……戯言も大概にしてほしいものですね。私が、貴様らにいつ倒されたというのだ。ならば、今此処にいる自分は何なのだ。
声を上げて笑っていると、黒装束が娘の手を強引に引いた。
最後に見た娘の顔には憐憫の色が浮かんでいて、その目はまるで、自分の事を可哀想とでも思っているかのような其れだった。
……可哀想なのはそっちの方だ。お前達が生きる世界は、これから絶望に染まりゆくのだから。
ようやく像と像との間から抜け出た時には大分時間が経っていた。
大陸の端からちらと見やれば、奴らの艇らしい機体が遠目に見える。
どうやら逃げ果せたつもりらしいが、何もかもがもう遅い。

「仮に私が倒されたというなら、新しい歴史を作り直してあげましょう」

そうすれば、今度こそ完璧な死と破壊の世界が訪れるでしょうからね。
そう呟いて、改めて空を振り仰ぐ。
新しい世界の幕開けにふさわしい、美しい死の色が其処に満ちていた。






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