ティナは確かに其処に居た。
最後に目にした時と変わらない姿のままだった。
此処へ辿り着くまでに力を使い果たしたのか、今は立ち上がる事も出来ないくらいに消耗していた。
聞こえてくるのは唸り声だ。コルツ山で修行していた頃によく耳にした、獣のようなそれ。
けれどその声色は弱々しく、ともすれば泣き声と言ってもよかったかもしれない。
そんな声を漏らしながらただただ震えるばかりの姿が、ひどく痛々しかった。
「怯えているのだ」 と言ったのは、ラムウと名乗る老人、いや、幻獣だ。
どう見ても人間のように俺の目には映るが、ラムウは自身を 「そういう見た目をしているだけだ」 という。
ふうん、と思う。俺には、難しい事はよくわからない。
「ティナも、幻獣なのか……?」
そう問いを発したのは兄貴であり、その目の表情は鬼気迫るものがあった。
目の前にいるのは、人間の姿とそう変わらないラムウという幻獣だ。ティナはどうなのか、兄貴はその事を訊ねている。
けれどラムウは目を瞑って、我々とはどこか違う、とだけ言う。
……俺は、ティナはティナでいいじゃないか、と思う。
一緒に旅したのはほんの少しの間だが、ふつうの可愛い女の子だと思う。もし幻獣だったのだとしても、それならそれで、いいじゃないか。
胸の内で呟くが、実際のところはそう簡単にいかない事も、俺は俺なりに知っていたつもりだ。
何よりティナ自身が、自分が何者なのかを知らず恐れて、苦しんでいる。
部屋の中は静まり返っていた。
気付けば、ラムウの姿は何処にもない。
その立っていた筈の場所には白い靄のようなものしかなく、やがて其れが晴れた時、不思議な輝きの石だけが残されていた。
魔石。
ラムウがそう口にしたものだろう。幻獣が死ぬ時に、その力だけを残したもの。
ラムウだけでなく、かつて帝国から逃げ出してきた時の仲間だという他の幻獣たちの魔石も其処にあった。
今までずっと黙っていたがそっと歩み出て其れを手に取ると、バチッと何か青白い電流みたいなものが散った。
「! 大丈夫か!?」
「あ、平気ですよ」
本人は案外けろりとしている。そうして
「これで、魔法が使えるようになるんでしょうか」 と誰へともなく呟いている。
「流石にすぐには無理だと思うわ。私も魔導の力を注入された直後は、コントロールするのにとても苦労した……」
「ケアル」
ふわっと微かな白い光の粒が舞った。
目を見張るセリスの前で、たった今魔法を発動させたらしいが
「あ、出来た!」 と小さく歓声を上げている。
何度か目にした事があるそのやわらかな白い光は、そういえばティナやセリスも操っていた治癒の魔法だったように思う。
へえ、こんなに簡単に魔法を使えるようになるのか。
そう俺は感心して、が持っていた魔石をひとつ借りてみる。
……が、見よう見まねで呪文を唱えてみても、彼女と同じように光が舞う事はなかった。
セリスが言うには、魔法の習得には相当の時間を要する筈であるらしい。今がして見せたように、すぐさま会得するなど考えにくいとも言う。
「じゃあ、が今使えたのはどういうわけなんだ?」
俺は思ったままを問うが、セリスはますます難しい顔をして首を振る。わからない、という事だろう。
何とも言えない空気をあっさり破ったのは、他でもない本人だった。
「いいんじゃないですか? 悪いことじゃないんでしょ?」
のほほんとした物言いだった。
「逆に、習得にすごーく時間が掛かる、とかじゃなくて良かったですよ」
なんて口にするのを聞いて、眉間に皺を寄せていたセリスも苦笑いしながらひとつ息をつく。
「あなたといると、調子が狂うわ……」
「そう?」
「ええ、こっちまで脱力してしまいそう」
は軽く肩を竦めるようにしながら小さく笑んだ。
「セリスは普段から、もう少し力を抜いてもいいと思うけど……」
「私は元帝国将軍、そういうわけには」
「今は違うんでしょ?」
のその言葉に続きの台詞を呑み込んだらしいセリスは、何か考えるようにそれきり黙りこくってしまう。
ぽん、とは両手を合わせて隣の黒衣を振り返った。
「それより、これでこれからは、戦闘でもシャドウさんのお役に立てますね! なんていったって魔法が使えるようになったんですから」
「……おまえは、無理に戦う必要はない」
「えー」
いつものように交わされる会話の中に居ながらふと隣を見れば、兄貴はジッとティナを見つめている。
未だ幻獣のような姿を身に纏ったままで身体を横たえられたティナは、今は力を休めているのか深く眠っているように見える。
帝国のこと、フィガロのこと、これからのこと、……ティナのこと。
兄が今何を考えているのか、兄弟なりに、俺はなんとなくだが分かるような感じがしていた。
けれど、今は国を離れた身の自分と、国の頂点に立つ兄とではてんで立場が違っている。
俺は、今こそ兄貴の支えになりたい。
胸の内で呟くと、俺は拳をぎゅっと握りしめた。
帝国の魔導研究所に捕らえられている幻獣達なら、ティナを救えるかもしれない。
ラムウがそう残した言葉に従い、俺たちは帝国に乗り込むことを決めた。
それには、乗り込む足が必要だ。
……そして俺たちは今、ジドールの南にあるオペラ座を訪れている。
とある問題が、今この場所で持ち上がっているのだという。
ここの劇団の女優マリアが、セッツァーとかいう奴に狙われているらしい。
そして、そのセッツァーこそが、世界に一台しかない飛空艇を所有しているのだとか。空路なら、帝国本土にも入り込めるだろう。
「なら、そいつをいただくしかないな」
にやっと笑って言ったのはロックだ。
ナルシェで待機していた皆と一度合流し、帝国行きを話し合った結果パーティーを組み直す事となった。
セリスは 「帝国の内部事情には詳しい」 という理由で自ら名乗りを上げ、それにロックも続いた。ロックの軽い身のこなしは、監視体制の厳しい帝国でもきっと役立つだろう。
逆に、兄貴は顔を知られる立場である。この少しの間国を離れていたこともあって、一度フィガロに戻ることになった。
フィガロとナルシェは程近く、何かの際には兄が居た方が早く行動に移せるだろう。
故に、俺とセリスとロック、そしてシャドウとがこの場に居る。
今のところシャドウ達はまだついてきてくれているが、おそらく帝国行きに加わってはくれないだろう。
兄貴の提示した条件は 「ティナの救出が成功するまで行動を共にすること」 だった。
しかし、帝国本土に乗り込むとなればシャドウにとって話は別だ。
を危険に晒しかねない、きっと此処で別れを切り出してくるだろう。
ちらと思うが、思うだけにひとまず留める。
何しろ、今目の前では劇団の団長がオーバーリアクションなくらいに肩を落とし、頭を抱え込んでいたので。
「セッツァーが現れたら、その時に出て行って捕まえれば……」
「やめてくれ! 芝居が台無しになればクビにされる!」
団長が悲鳴に近い声で叫ぶものだから、受付にいた客が何事かというふうに振り返っている。
いろいろ大変なんだな、と思うが、俺はそれが一番手っ取り早いと思う。
と、がその手を挙げて 「あのー」 とこぼす。
「例えばですけど、その人が出てきたら、こっそりシャドウさんに仕留めてもらうとか……あ、勿論気絶とか、その程度で」
「駄目だ駄目だ! もし失敗したら、芝居の後が続かない!!」
「む、シャドウさんの腕を見くびっていらっしゃいますね!」
がほんの少しばかり、顔を顰め面にした。
「シャドウさんが本気出したら凄いんですから! どんなふうに凄いかっていうと」
「おい、、落ち着けって。……似てるんだろ? セリスとマリアさんは」
ロックの急な振りに、目を瞬かせるセリスはキョトンとしている。
聞けば、ロックはセリスを女優マリアに変装させ、わざとセッツァーに攫わせるという作戦を考えていたのだという。
この作戦ならマリアに被害が及ぶことはない。それに戦い慣れしているセリスの事、そうそうセッツァーにどうこうされる事もないだろう。
そのまま俺たちを手引きしてくれれば、そのまま飛空艇に入り込める。
そしてやりようによっては、ある程度、劇中の話を不自然に途切れさせる事もないという。
……この辺は、俺にはよく解らなかった。まあ、どうにか上手いこと、話を繋げるんだろう。
なるほどなあと思っていると、此方がたじろぐ程の勢いでセリスが狼狽し出した。
文字通り右往左往し、真っ青になったかと思うと真っ赤になり、泡を食ったかのように挙動不審な動きを繰り返しながら口を開く。
「そ、そんな! 私は元帝国将軍よ。そんなチャラチャラしたこと、できるわけ……」
「セリス」
やんわりと彼女を押し止めたのはだ。
「女優さんも立派で大変なお仕事なのに、チャラチャラって言い草はあんまり良くないかも……」
「え、あ……」
さっきまでの勢いが急速に窄まり、セリスはシュンと項垂れた。
……と思うや否や、すぐさま足早に別室の方へと消えてしまった。一言も発する事もなかった。
どうも、舞台に立つという事自体に抵抗があるのらしい。
まあ、急ごしらえの作戦だ。
マリアと相談する必要もあるんじゃないかと思うし、「状況を整理する方がいい」って兄貴なら言うところかもしれない。
と、ロックがセリスの後を追い、消えた部屋の扉に耳を押し当てているのが見えた。
しばらくそのままの姿勢でいたのが、突然、声を押し殺しながらも笑いを堪えきれないといった感じでその場にしゃがみ込む。
聞けば、はっきりとその耳に、セリスが歌の練習をする声が届いたのだという。
俺は、なあんだ、と思った。
何だかんだで、結構やる気満々じゃないか、セリスの奴。
ふと、壁に例のオペラとやらのポスターが大きく貼り出されているのに気付いて、目を向ける。
公演まで、時間はあまり残されてはいないようだった。
劇場は大勢の貴族たちで溢れかえっていた。
ほとんどがジドールから訪れた者だろう。客席が賑わっているのを俺は上から見下ろしていた。
団長が特別に、上階を貸切り状態にしてくれたのだ。勿論、例の作戦のために。
セリスは女優役を務めるため控室に籠もりきりで、もうじき出番だという。ロックはその様子を見にさっき出て行った。
そわそわと落ち着かなげに作戦の成功を願う団長以外は、皆いつも通りだ。
シャドウは壁を背にしながらただ目を閉じている。
インターセプターがその足元に控え、は席に座ったまま未だ珍しげに辺りを見回している。
「……の世界には、こういう所はあったのか?」
「外国の方にありますよ。わたしは行った事ないですけど」
俺は広いがらんとした空間、目の前に空席ばかりが並ぶ中、取り敢えずの隣に座った。
あんまり離れて座るのもおかしなものだ。
「じゃあ、やっぱり珍しいか」
「そうですねえ、珍しいですよ。それにすごく広くて大きいですよね」
ぐるりと首を巡らせて、天井から舞台、舞台から下の客席までを彼女は見た。
「わたしの地元の公民館の、幾つ分くらいになるかなあ……」
そんなふうに彼女は言う。
……俺は、最初に会った時に約束したことを告げなければと思っていた。
兄貴やロック達に、彼女の故郷についてを訊ねたのだ。何とかを故郷に帰してやる術はないだろうかと。
結果はてんで情報皆無だ。それを伝えなければいけないのは、俺にしたって気の進まない事だった。
しかし、実際にそれを口にしてみると、
「まあ、そうですよね」、と何とも気の抜けた反応が返ってくる。
「そうだろうなとは、思ってました」
「……悪いな、力になれなくて」
「いえいえ、却って」、彼女はいつもみたいに小さく笑んで、続けた。
「言いにくい事をお願いしてしまって、申し訳なかったです」
「……でも、ほら! これから先、もしかしたらって事もあるかもしれないしさ」
「そうですねー」
にこにことは笑っている。
なのに、その口から出るのは意外な言葉だった。
「帰れるとまでいかなくても、何か向こうと連絡出来る手段だけでもあれば、いいんですけどね」
「え?」
俺はその意味が直ぐに理解出来なかった。
それというのは、つまり、帰れなくても構わないという事だろうか?
心を読まれたかのように、は俺の思った事を肯定した。
「わたしは、帰れなくてもいいんですよ。此方の世界も楽しいですし」
「でも、戻る方法を探してたんじゃ」
「マッシュさん」、微かに彼女は目を細めて言った。
「……わたしにだって家族はいますよ」
ああ、そうか。……そうだよな、と思う。
は、ただ其れだけを気に掛けていたんだなとようやく気付く。
遠くで流れる劇の音楽が、やわらかに何処までも流れていくみたいだった。
ちらと見れば、シャドウは気にする素振りもなく、此方を見るわけでもない。けれど、会話は聞こえていただろう。
そうだよな、と俺は口の中で繰り返す。
は、もうこの世界でいろんなものを見つけている。だったら、きっと大丈夫なのだと思う事が出来た。
「……そういえば」
俺は、彼女に訊ねてみたいと思っていた事を唐突に思い出す。
彼女は、自身は、自分たちのように感じた事はないのかどうか。
俺たちが互いに、前に何処かで会った事があるかのような、そんな既視感を覚えた事がないかという事を。
それをにも訊いてみたい。
「、あのさ」
「はい?」
「……俺たち、ずっと前に何処かで会った事があるような気がするって、皆で話してたんだけどさ」
「何だか、コーリンゲンでのエドガーさんみたいですね」
「兄貴のことはさておき、さ。……は、そんなふうに感じた事、一回も無いか?」
「わたしですか?」
一度だけ瞬くと、彼女はあっさりと即答した。
「ありますよ」
「! そうか、も……」
「ダンチョー、皆、大変だ!!」
続けて訊こうとしたところを、飛び込んできたロックの声に阻まれた。
その顔には焦りが浮かんでいて、何か問題が起きたらしいのは直ぐ分かった。
何者かが劇の邪魔をしようとしている、というのはロックの話ですぐに解したが、その予告状らしい紙切れに書かれた名にぎょっとする。
団長が目敏くそいつに気付き、俺たちはあんぐりと口を開けた。
事もあろうに、舞台の上の足場にいるのは見覚えある紫ダコで、そいつは足元目掛け馬鹿デカい金属か何かの塊を落とそうとしている。
その真下には、セリス演じるマリアの姿があった。
「一体どうやってあんなところに……!」
「あの場所には裏方さんに頼まなければ入れません! 急がなくては……」
「でも、今からじゃ間に合うかどうか!」
俺とロックが焦りを滲ませていると、がその手を挙げて言った。
「じゃあ、わたしが裏方さんにお願いしてきます」
その間に、マッシュさん達は足場のある扉の前で待機しててください。
団長の話では、裏方がスイッチ操作してくれれば舞台の上へと続く扉が開くという。俺たちは肯き合い、二手に分かれる事にした。
シャドウは何も言わなかったが、と一緒に行ってくれるだろう。そうする間にも、紫ダコの方はじりじりと重りに力をこめている。
俺たちが同時に駆け出した時、劇では何か対決のシーンなのか、緊迫するような音楽が流れ始めていた。
ちくしょう、今の俺たちにピッタリだ!
走りながら、チラッとそんな事を思った。
結果は、俺でさえちょっとばかり目を覆いたくなるようなものだった。
何とかタコを止める事は出来たものの、俺たちはタコもろとも舞台に落下してしまったのだ。
ああ。これは、不味いだろ。どう考えても。
思ったが、ロックがどうにかこうにか機転を利かせ、結局は無理矢理に話を繋いでしまった。
その成果あってか、不意にスポットライトがセリス扮するマリアに浴びせられ、突如現れた銀髪の男セッツァーに彼女は連れ去られたのだ。
セリスを追おうとする直前、ふと上階の方を見ると、が笑んで手を振っているのが見えた。
傍にシャドウが立っていたが、奴は踵を返して視界から消える。
慌てたように目で其れを追うと、は此方にぺこりと頭を下げて同じように姿を消した。
……今回は、ちゃんと別れを言えなかったな。
思うが、今はセリスとセッツァーだ。
俺はそう考えて、ロックと共に二人を追った。
達には、きっとまた会えると思ったのだ。その時にまた、いろんなことを話したい。そんなふうに思っていたのだ。
……それだというのに。
時間が経過した。
俺は今、ロックとティナが向かったという大三角島に降り立ち、一つの村に足を踏み入れている。
あれから目まぐるしく事態は急転した。
ティナが幻獣と人との間に生まれた子だということ、幻獣の暴走、帝国の皇帝からの和解の申し出、そして裏切り……。
兄貴の情報力がなければ、寸でのところでの脱出は叶わなかったかもしれない。
とにかく、離れて行動していたロックとティナが無事である事にひとまず安堵する。
しかし俺は、ギョッとした。
インターセプターが怪我をして手当を受けた様子に気付いたのだ。そしてその主らの姿は此処にはない。
どういう事だ?
聞けば、ロックとティナ達は途中からシャドウやと合流し、この地にやって来たのだという。俺はその事を知らなかった。
少し前にシャドウ達とは別れ、別行動を取っていたそうだ。其処に、大怪我をしたインターセプターだけが帰ってきた……。
「帝国はきっと、仲間の筈のシャドウまで……」
「なあ、ちょっと待ってくれ。それじゃあ」
目を伏せるロックやティナの姿に、俺は薄ら寒いものを感じていた。
何か、嫌な汗が背中を伝っていく。口の中が渇いて、喘ぐみたいに俺は声を絞り出した。
「は――?」
誰からも、返事が返ってくる事はない。
冷たい風だけが、音を立てて通り過ぎていった。
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