身体がふらふらしているのは、たぶん、気のせいではなかった。
体力も魔法の力も限界に近い。
否、もうそれさえ通り越しているのかもしれない。それはわたしだけに限った事ではない、皆、同じに違いなかった。
魔大陸全体が、軋みを上げている。
ビリビリと辺り一帯の空気が震えている。初めての感覚だった。これからどうなってしまうのかまるで想像がつかない。
何にも考えずに走って走って辿り着いたその先の向こう、其処には何もなかった。地面さえ無かった。
「行き止まり!?」
「いや、大丈夫だ! 下を見てみろ!」
眼下を見やれば、見覚えのある艇体が旋回している。ブラックジャックだ。
距離にしたらどのくらいだろう、浮遊の魔法を使えば無事に下り立てるだろうか、それだけの魔法の力が残っているだろうか。
思い巡らせる間にもバラバラと大陸の欠片が崩れ落ちていく。他の皆の声が交差していた。
「よし、行こう!」
「待って、まだシャドウが……!」
「しかし、いつまで魔大陸がもつか」
「……わたしが待ちます。皆さん、先に行ってください」
告げると、誰もが此方を振り返った。
振り返ったけれども、わたしは誰をも見ていなかった。ただ、来た方向を見ていた。
三闘神、魔導師ケフカ、皇帝ガストラ。
――足止めをしてくれたシャドウさんは、無事に戻ってくる筈だ。今は、どの辺りを疾走しているだろうか。
走るのを止めて息をつくと、ほんのちょっと、少しは、ものを考えられる程度の余裕は出来る。
わたしは傍らの荷物からボトルを取り出して水を一口だけ飲んだ。高いところだから空気が薄い、少ししんどい、そして、何より。
わたしは辺りを見やった。
空も雲も、墨を溶かし込んだみたいな色だった。
冷たい風は狂ったように吹きつけてくるし、足元の地面もガラガラと崩れ落ちていく不確かさしかない。
震える大気には、世界に何か悪い事が起きるという予兆が、大いに含まれていた。
……この世界は、これから一体、どうなるんだろう。
そんな事を思う。思うけれど、それより今は。
わたしは改めて、シャドウさんの事を考えた。
絶対に戻ってくる筈だ。ただ其れを少しでも早く見届けたい、今はそれだけを待ちたい。
……あの人が居なければ、何の意味もない。
そう思っていたので、傍で何事かをわたしに向かって喋っていた皆に(話の内容は聞いていなかったけれど、なんとなく、一緒に下で待とうという内容なのはわかっていた)、ぽつりと言った。
「セッツァーさんに、 『 後から行くんで、もう少しだけ待っててください 』 って、伝えてください」
「無茶言うなよ、このままじゃいつ此処も崩れるかわからないぞ!? あいつを待つなら、ブラックジャックでも」
わたしは首を振った。
此処に誰かが残っていれば、下に飛空艇があるという目印にもなるだろう。
それに、彼を待たずに先に行ってしまう事は良くないと、わたしは思った。そうする事を、自分の中の何かが頑なに拒んだ。
根拠らしい根拠はない。
ただ何か、そうする事が取り返しのつかない何かに繋がりそうな気がして、それがひどく恐ろしく厭なのだ。
わたしは其れを説明するのも億劫で、ただ首を振るだけに留めた。
「なあ、頼むよ」
ロックが焦りに汗を浮かべながら、諭すみたいに言った。
「シャドウだって、おまえに無事な場所で待っててほしい筈だ。下で待とう、な?」
……ロックがこれ以上ごねるようなら、彼を此処から、飛空艇に向かって落としてしまおうか。
わたしは半ば本気で、そんな事を考えた。
セリスに 「後はお願い」 と言おうか、彼女は承諾してくれるだろうか。そう思い彼女を見る。
しかしセリスはわたしではなく、わたしの後方を見て目を見張っていた。だから、
「シャドウ!」
と彼女が叫ぶ時には、既にわたしは振り返っていた。其処に、湧いて出たかのようにその人が立っていたのだ。
いてもたってもいられず、わたしはその人に駆け寄った。
「シャドウさん! 大丈夫でしたか、何処か怪我とかっ」
「心配するな、無事だ」
「なあ、何この俺とシャドウとの扱いの差……」
後ろでぼやくような声(と、その背にそっと触れてセリスが慰めているような気配)があったけれど構わず、わたしは眼前のその人を見上げた。
間近にある碧の目は鋭く、厳しい光を湛えていた。
けれどほんの一刹那、此方を見下ろすとそれが和らぎ、ふっと笑むかのように細められる。
シャドウさんだ。シャドウさんだ。ちゃんと何事もなく戻ってきてくれた。本当に、確かに、シャドウさんだ。
そっと手を取っても払い除けようともせず、黙ってされるがままになってくれている。
其処には確かにその人の手の重みがあって、わたしの両手の中に納まっている。
安堵といえるものが自分の中にあった。世界がどうにかなろうというこの瞬間だったにもかかわらず、それでも。
ぐっと、その手がわたしの腕を引き、促されるままに数歩を駆けた。
くるりとシャドウさんの身体が反転し、わたしを抱えたまま足場を蹴る。落ちる、落ちる、落ちる――。
わたし達全員が着地をする頃には、甲板上には中で待機していた皆の姿があった。
そして駆け寄ってくるのは、リルムとインターセプターだ。
「シャドウのおじちゃん、! 大丈夫だった!?」
「平気、平気」
わたしはリルムの肩をぽんぽんした。
シャドウさんはチラと彼女を見やって、次いで愛犬の頭を一撫でした。一瞬の安寧があった。
けれど、空気の震えは此処でも変わらず激しかった。寧ろ、さっきより強くなったようにさえ思う。
ぐるりと皆を見回す。
全員が、強張った顔をしていた。何が起こるのかわからない、これから世界がどうなるのかがわからない。
何も言わないまま、傍らのリルムが手を繋いでくる。
見れば、その顔は微かに青く、身体は細かく揺れを刻んでいる。わたしは黙って手を握り返した。
少しだけ離れた向こうで、ハッとティナが上空を仰ぐのが見えた。
次の瞬間、信じたくないものを見てしまった。
気付いた時には空中に放り出され、風圧を全身に受けていた。
落ちるというより、浮かんでいるみたいな錯覚を覚えそうになる。
悲鳴が、絶叫が、怒号が、あっという間に遠く離れていく。
ブラックジャックが大破してなお、わたしはリルムの手を掴んでいた。そうして反対側の手は、シャドウさんが掴んでくれていた。
離したくなかった。だから、両の手をなお強く握り締めようとして、その時になってようやく気付いた。
片方の手が濡れている。シャドウさんと繋いでいる方の手が。それは、
――ずるっと、濡れたもので手と手が滑った。
シャドウさんが目を見開いたような気がした。そんなふうに見えた気がしただけかもしれない。時間が止まったみたいだった。
けれど黒衣は、見る間に遥か遠くへと遠ざかっていく。
手を伸ばしても届かない、何も出来ない、何かを叫んだかもしれない、わからない。何も――
わたしはベッドの上で目を開けると、恐る恐る、最初に手を見た。
其処に濡れた跡はない。
けれど、あれは確かに血だったと思う。
実際、あの直後に確認した時は赤黒い色が残っていたのだ。……シャドウさんの血だ。
息を吐き出す。
シャドウさんの夢は何度も見ているけれど、映画か何かみたいに、過去のことをそのまま全く同じに夢に見るのは初めてだった。
あれから、もう十ヶ月が過ぎているというのに。
半身を起こしても、夢の残滓が消えない。……シャドウさんは、果たして無事でいるだろうか?
魔大陸での怪我を隠していたとはいえ、あの人だって癒しの魔法は心得ている。
大丈夫だと信じたい。信じたい。……探しに、行きたい。
けれど、そうする事がわたしには出来ない。何故なら、
「……? 起きたの?」
同じ空間の中で、声がした。見れば、彼女もうっすらと目を開けて此方を見ている。わたしは言った。
「おはよう、ティナ」
モブリズの朝は早い。
皆に朝ごはんを準備して、食事を済ませたら、わたしは外出の準備をする。
もうすっかり此処での生活にも慣れてしまったので、段取りにも手間取る事はない。
わたしは準備を済ませてしまうと、玄関まで出た。見張りの子が、いつも通り小さな隙間から外を窺っている。
「変わりない?」
「うん、だーれもいない。大丈夫だよ」
「そう。わたしが居ない間、よろしくね」
言うと、任せて、という意味合いらしく立てた指を示してくれる。
わたしは肯いて、少しだけ別の隙間から外の様子を眺めてみる。
皆が籠っているこの廃屋の外は、寂として音がない。今のところはいつも通りのようだった。
ティナが奥から出てきて、お茶を差し出してくれる。
「行く前に飲んでいって。ディーン、今もう少ししたら来るって」
「うん、いただきます」
有難く受け取って口をつける。
あたたかい温度が喉を通り過ぎていく間に、いろいろあれこれ、考える。
――飛空艇が大破して投げ出された後、海に落ちる瞬間のことを思い出す。
魔法の応用のおかげで大した怪我も負わず、幸い陸地にも近かったので、比較的苦労せずに上陸出来たのは良かった。
けれど手を繋いでいた筈のリルムの姿は傍にはなく、少し離れたところで海に浮いていたのはティナだった。
二人で歩いて辿り着いたのがこのモブリズだったけれど、最初は此処がその村だとはわからなかった。
それぐらい酷い荒れ様で、通り過ぎようとしたくらいだ。
「……初めてここに来た時は」
わたしは独り言みたいに呟いた。
「こんなに長い滞在になるなんて思ってなかったね」
「そうね。……でも、私、此処にいる皆の事、好きだわ」
ティナが、そんなふうに返してくる。
一晩だけ泊めてもらうつもりでいたのに、明け方になって怪物が村を襲ってきたものだから、正直言って、困ってしまった。
わたしとティナしか戦える人間がいなくて、相手をするのは大変そうだなあと思ったのだ。
倒すところまではいかずとも、追い払う事は何とか出来たけれど、とにかく。
しかし、それによってティナが村を出る事を迷い始めた。
またあの怪物が現れたら、子供たちはどうなるのかと。それに、子供達からも引き止める声があった。
それ故、今に至っている。
「さん! すみません、遅くなりました」
「今日はお寝坊さんだったね、ディーン」
奥から慌てたように出てくるディーンからも、留まってほしいというお願いがあった。
せめて、あの怪物の脅威がなくなるまでは、此処に居た方がいいのだろう。
思っていると、続けて奥からカタリーナがやってくる。
「ディーン、気をつけてね! ……さん、よろしくお願いします」
「うん、留守の間はよろしくね」
わたしはひらひらと手を振ってみせた。
此処での生活は、物資があまりに不足している。其れを補う必要があった。
村の外のモンスターは、以前に比べて手強くなってきている気がする。
最初の頃はディーンを連れて出てきたものの、腰を抜かしていたくらいだった。……最近では、大分戦闘にも慣れたように見える。
外に出てモンスターを狩るのは、ギルを稼ぐためと、彼に魔法を覚えてもらうためだった。
定期的に、チョコボに乗った行商人がやってきてくれるようになっている。その人に、生活上必要な物を届けてもらっているのだ。
お金がなければ、何も手に入らない。
わたしは彼が握り締めている魔石を見た。
ティナとわたしが持っていた魔石は少しだけで、共に既にその石達に宿る魔法は身に付けていた。
だから今は、ディーンにそれを託し、彼に魔法を覚えてもらっている。
いずれわたし達が村を出る時には、ディーンが皆を守らなければならない。
(若しくはわたしだけかもしれない、ティナがもし留まるというなら、その意思を尊重しようと思う)
「大分魔法覚えてきたね、ディーン」
「まだまだですけど。でも、さんにそう言ってもらえると、やる気出ますね」
照れくさそうに言う彼は、まだ何処かあどけなさが残る少年だった。
聞けば、あの村で生き残った人間では最年長だというけれど、カタリーナとディーンは今年で十七歳だという。
わたしの世界で言えばまだ高校生だ。それを思うと、わたしも少し迷ってしまう。
ティナを含めても、此処ではわたしが最も年長になる。皆、わたし達を慕い、頼りにしてくれている。
……彼らは、この荒れた世界を生きていけるだろうか?
「それにしても、さんの魔法には足元にも及びませんよ」
「褒めてくれても、何も出ないよ?」
「本当の事ですから。どうすれば、あんな強い魔法を使えるようになるんですか?」
「魔力を高めればいいと思うんだけど……。取り敢えずは、経験を積むことなんじゃないかなあ」
最初の頃は何処となくツンツンしていたディーンも、村を襲ってきた怪物を撤退させたのを目の当たりにしたせいか、すっかりわたしやティナに心を許してくれている。
……魔力。
わたしは答えながら、ティナのことを考えた。
村に滞在して二ヶ月を過ぎた頃から、ティナは戦いを避けるようになった。
魔力が、少し前まで魔法はど素人だったわたしにさえはっきり感じ取れるほど、弱くなっていた。
どうしてかはわからない。けれど、そんなティナを戦いに駆り出す事は出来ない。
そしてまるで反比例するかのように、わたしの魔力は気付けばとても強くなっていた。
初めて魔法を覚えた頃とは、てんで比べ物にならないのが自分でもわかる。
その事を訝っていた時に、ティナが「もしかしたら」、と言った。
「って、魔石の影響をすごく受けやすいわ。魔力を吸収しやすい、っていうのかしら。……魔大陸で三闘神の傍に居た時、その大きな力を引き寄せて、身に付けてしまったんじゃないかしら」
それが本当かどうかはわからない。
わからないし、はっきりさせようとも思わない。ただ、とにかく今は、此処に留まろうと思う。
時折、村を襲おうとしてきたあの怪物は姿を見せる。
何ヶ月かに一度くらいだ、今度現れたら、その時こそ倒してやりたいと思う。
そうして皆の不安を取り除いたら、わたしは、あの人を探しに行こう。
わたしは空を仰いだ。
世界は、褪せたような赤色をしていて、何処までもそれが続いているような感じがした。
シャドウさんは、ジッと、その場を動かない。
ただ此方を見ているだけだ。ほとんど見えない表情、それでも、その目から穏やかな表情をしている事が窺い知れた。
わたしはそっとその手を取った。振り払われるわけでもなく、シャドウさんはそのままでいてくれる。
其処には確かに温度があり、彼の手の重みがあって、その人が確かに目の前にいた。何を言っていいのかわからない。
けれどわたしは、何故かこんな事を言ってしまう。
「もし、これが夢なら――、」
目が覚めた時、すごく空しいんでしょうね。
シャドウさんは何も言わない。ただ、その目は小さく笑んでいるようだった。
そのままその人は腕を広げるので、わたしはそっとその黒装束にしがみつく。
この体温があるなら、他に何も要らない。そう思いながら目を閉じる。
いつも、わたしの見るシャドウさんの夢はこんなふうだった。
脈絡なく、その人が目の前にいる。
この世界の何処かであったり、時には、わたしの世界だったりもする。
シャドウさんがごく普通にいて、わたしは、それが夢だと見破ることが出来ない。
どうしてだろう、彼が登場しない夢では、自分はいつも、それが夢だとわかっているのに。
夢ではない事を確かめようとしても、わたしの夢はすべてを本当のことのように見せてくれる。
温度や感触も全部、この手にはっきり残っているのに。
ふと部屋の中を見ると、並んで眠っている子供達のうちの一人が目を覚ましている。
その子は女の子で、わたしの隣の隣で横になっていた。一瞬、泣きそうな顔をしていたけれど、
「どうしたの」と声を掛けるとすぐにそれも引っ込んで、昼間みんなと遊んでいる時のようににこっと笑った。
「あのね、ママとパパの夢を見たの。時々、私の夢の中に遊びに来てくれるんだよ」
その答えで、この子が泣きそうな顔をしていた理由がわかってしまった。
目覚めて、両親のいないこの世界に引き戻されてしまったその瞬間の気持ちを、声にも出しさえせず押し殺している。
大好きな人達に、夢の中でしか会う事が出来ないのだ。
わたしは他の皆を見た。
いろんな子がいる。ぐっすり眠っている子もいれば、微かに苦しそうな寝顔をしている子もいる。
時々、怖い夢をみたと言って起き出す子もいる。悪夢を見るのだと。
……この世界こそが悪夢だという人が、きっとたくさんいる。そう思った。
家族や友を失い、多くのものが消え失せ、空までもが色褪せたこの世界こそが。
わたしはその子に微笑んでから、
「まだ早いから、もう一度眠れるなら休んだ方がいいよ」、と言って聞かせた。
肯いて目蓋を下ろすのを見届けてから、シャドウさんの事を思った。
彼は休んでいる時、必ずと言っていい程魘されていたように思う。
……あの人にとっての悪夢は、夢の世界か、或いは、この現実の世界さえも、そうなのだろうか。
ほとんど無意識に、頭を振っていた。
ひどく、その人に会いたかった。けれど今は叶わない。だったら――、夢でも構わない。
会えるかどうかはわからない、それでもいい。
その人が生きているのかどうかもわからないこの世界から意識を閉じるために、わたしはもう一度目を閉じた。
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