村は、よそよそしさに満ちていた。
遠巻きにこちらを見る目には、警戒の色が塗られている。
ロックやティナが話しかければ、受け答えこそ丁寧だったがどこか白々しい。
今夜の宿をひとまず確保しようというロックの言葉に異存を唱える者もなく、宿屋へと足を向ければ宿屋の主人は
「泊まりたければ1500ギル払うんだな」と尊大な態度で言う始末だ。
宿代としてはあまりに不当な額に、自称トレジャーハンターの青年も流石に顔が引き攣っていた。
「せっ、1500……っ!?」
「あのー」
素っ頓狂な声を漏らすロックの背後から、様子を伺うようにが一歩歩み出る。
次の言葉に、その場の誰もが呆気に取られた。
「そんなに安くて大丈夫ですか?」
これには、流石の店主も固まっていた。
発言の主はといえば、皮肉を込めて言ったようには欠片も見えない。
むしろ本当に宿屋の主人を心配しているらしい眼差しで言葉を続けていた。
「ふつう、旅館でもホテルでももうちょっとしません? 採算取れます……?」
「……いやいやいや、。あのな」
「? ……あ、そっか。この世界、通貨が違うんだっけ。え、ギル? 1500ギルってどのくらい? 高いの?」
「高けぇよ!!」
主人が目の前にいることも一瞬忘れてロックが突っ込むが、
「でも、その分理由があるのかも」、とは続ける。
「食通が唸るほど美味しい食事が出てくるとか、何処かの王族がお忍びで泊まりに来る隠れ家的な宿だったりとか……そうじゃないと金額に見合わないんじゃないかなあ」
「のいたところでは、そういうものなの?」、
ティナが控えめに問い、はそれに肯いて見せた。
「その値段でもいいっていう人がいるから、その金額に落ち着くんじゃないかなあ……そうですよね?」
振り返って訊ねた相手は、他でもない宿屋の主人だ。
ぎょっとした様子のロックをよそに、娘二人はまっすぐな眼差しを相手に向けている。
向けられた方はといえば、ひどくばつが悪そうに言葉を濁していた。
根は決して悪い人間ではないというのが透けて見えるが、それにしても自分は何を見せられているのか。
何とも評し難い寸劇を前に、しかし無意識に息が漏れ出ていた。
「フッ……」
「……シャドウも笑うこと、あるのね」
「えっ、笑うような要素どこかにありました? シャドウさん」
「おまえらさあ……」
半目になりながらロックがぼやいた。
老人は、ストラゴスと名乗った。
宿を出た後に行き合った若者に幻獣のことを尋ねようとして「獣のことならあの家のじいさんに聞いてみな」とあしらわれたのだ。
示された家の前で土いじりをしていたその人物は腰もいささか曲がり、髪も白く、老いを感じさせる風貌だ。
しかし「獣に詳しいと聞いて……」としか口にしていなかったロックがたじろぐほどの勢いで目を輝かせると、その骨ばった両手で青年の肩を掴んだ。
「おお! モンスターを長年追い続けて来たわしの話を聞きたいのか!?」
「え、ええとその」
「ちょうど畑仕事もひと段落したとこじゃゾイ、さあさあ、中へ入った入った!」
話も最後まで聞かずに、そう言っていそいそと家の中へ入っていく。
互いに顔を見合わせたが、他の村の者よりは話を聞けそうだと判断したらしい。
中へ入れば既にストラゴスは茶を淹れる支度を始めていたが、その背に
「あの、獣は獣でも、幻獣について聞きたくて……」
おずおずとロックが告げれば、老人の動きがぴたりと止まった。しばしの後、「久しく聞かなかった言葉じゃゾイ」、と呟く様はほとんど独り言に近かったが、確かにそう口にしていた。
「知っているんですか?」
「いや、知らぬ!」
こちらに向き直って慌てたように首と手をちぎれんばかりに振り、ロックが聞くのを言下に否定する。
どう見ても様子がおかしいのは一目瞭然だ。
訝しげな空気が立ち込めそうになったところを、
「おじーちゃーん!!」
子どもの声が払拭した。
ぱたぱたと二階から下りてくる足音は軽く、現れた金髪の少女はたった今来客に気付いたといったようにきょとんとしている。
「おじいちゃん。誰、そこの人? 新しいお客さん? この人も魔法を使う人なの?」
ストラゴスがぎくりと顔色を強張らせたが、
「こんにちは。お邪魔してます」
黒髪の娘が言って微笑み、ティナもそれに倣った。
少女の発言を深掘りするでもなく、互いに簡単な自己紹介をし合っている。
リルムと名乗る少女を見ながら、(大きくなった)と思う。
ストラゴスは多少顔に皺も増えたが、記憶とそう大きくは変わらない。だが、少女の背は伸び、顔立ちも幼いながら成長が感じられる。
この家も、この村も、昔とそう変わらないように見える。けれど、確実に時間は流れているのだと思い知らされる。
……大きくなった。本当に。
そう浮かんだ自分の中のものを、すぐに俺は、黒色で全て塗り潰す。
暗殺者シャドウは、この村を訪れたことはない。
だから、そう思うようなことがある筈がない。あってはならないのだ。自分は今、何も感じることはなかった。何も。
ふと、少女の目がこちらを、正確には足元に控えていたインターセプターを捉えた。
「まあ、可愛い犬」
「よせ。噛みつかれるぞ」
「平気よ。ねえ、なんてお名前なの、この子?」
屈託なくそう訊いてくる少女の問いを、答えることに一瞬躊躇う。
だが、自分が言わずともこいつらの誰かが答えてしまうだろう。
大丈夫だ。何も恐れる必要はない。
「……インターセプターだ」
弾かれるようにストラゴスがこちらを向いた。
素知らぬ振りで少女と相棒の様子を見ていれば、しゃがんで目を覗き込んでくるリルムにインターセプターは何度か鼻を鳴らし、ペロリとその顔を舐めた。
「きゃははっ、くすぐったーい」
「リ、リルム! 奥へ入っていなさい」
ストラゴスが言うのに最初は渋っていた少女も、二度目に言い付けられれば頬を膨らませながらも返事をする。
「行こっ、インターセプターちゃん。リルムの部屋見せてあげる」
「これこれ、よそさまの犬を……」
「イーッだ!!」
二階へ戻っていく少女の後を、インターセプターは付き従うように付いていく。
リルムのことを、インターセプターも覚えていたようだ。
やれやれと溜め息をつくストラゴスがこちらを振り向く時には、そう思ったことを打ち消していたが。
「すまんゾイ」と謝る口ぶりは、傍目にはごく自然なものだっただろう。
だから俺も、いつもの「シャドウ」と呼ばれる男の言葉で応じた。
「構わん。人には懐かない犬なのに……」
向こうとこちらの言葉に、それ以外の意図などない。
それ以上を考えることを、俺はしなかった。
ロックたちは何か聞き出せないかと試みていたが、結局のところ収穫はまるでない。
老人の言葉の端々に「これ以上何もしないまま村を出てほしい」という空気があり、ひとまず情報収集を断念することにした。
得られたものがあるとすれば、宿代くらいだ。
宿屋の主人と知り合いだというストラゴスは(そもそも小さな村だ、村の者皆が知り合いのようなものだろうが)、早々に引き取ってほしいためか自分の名を出しても構わないという。そうすれば、無理な金額を提示されることもないだろうと。
宿へと向かう道すがらがぽつりとティナに言った。
「ティナ、この村の人たち、どう思う?」
「……も、気付いてた?」
そんな会話に、ロックが「気付くって何だ?」と訊ねる。
「なんとなく隠し事がある空気なのは、流石に俺も分かるけど……」
「うん。それもだけど……ここの人たち、魔力が強めな人が多いなーって」
黒髪の娘がごく普段通りの口ぶりで言い、ティナが小さく肯く。
「どの人も、魔力自体はあるの。でも、その強さは人それぞれだわ。今までそう思っていたんだけど……」
「でも、この村の人たち、全体的に強い気がするの。平均をもし測ったら、たぶんこの世界の村や町でトップクラスになるんじゃないかなあ、分からないけど」、
そこまでをのんびりと告げ、「ああ」、とは続ける。
「それこそさっきの家のおじいさんと、あの女の子。特に強かったかも」
「あの二人が?」
瞬くロックに、うん、と彼女は肯いた。
「だから何っていうわけじゃないんだけど」、娘がそう付け加える。
単純に思ったままを口にしているだけで、村の秘密を無理に暴こうとは思っていないようだった。
それでいい、と思う。幻獣に辿り着くために必ず必要なことでもない。
何もないままこの村を出ることを、俺は自分の中の何処かで願っている。
深い夜が、乱暴なノックと共に破られた。
返事もないうちに四人部屋のドアを開け押し入ってきたのはストラゴスだ。
聞けば、火事だという。リルムが巻き込まれたらしいことを伝えようとしていたが、あまりの慌てように要領を得ない。
人のいい奴らは手を貸すのだろうが、暗殺者シャドウは請け負った以外の仕事はしない。
俺を呼ぶ声はあったが、目を閉じていればすぐさま静かになった。身を起こして見れば、自分以外は誰もいない。
あいつらは勿論、インターセプターまでもが姿を消していた。
赤赤と燃えさかる家の屋根から入り込めば、襲いかかってくる熱気は凄まじかった。
しかし視線を巡らせれば、すぐにあいつらの姿を見つけられた。
それというのは、うっすらと青みがかった光が発せられていたからだ。
ほとんどの者が意識を失い倒れている中で、一人半身を起こしたままでいる黒髪の娘がいる。
どうやら魔法の障壁で皆を守っているようだった。
昼間の出来事を思い出す。
初めての実戦で、一度に魔法力を失ってしまうほどだった。
あれからそう時間も経っていない。よくこの短い時間で魔法のコントロールの仕方を覚えられたものだ。
障壁の中にインターセプターもいることを確認する。リルムを助けようとしたのだろう。
炎の中を駆け抜け目の前まで行けば、俯いていたのその顔が持ち上げられこちらを捉える。
ぼんやりと呆けたような表情の中に、微かな安堵が走ったように見えた。
しかし俺は、その顔を見て強張った。
ひどく憔悴しているのが一目で分かる。
頬が痩せ、何日も寝ていないかのように目の焦点がはっきり合わない。何より、生気が失せ始めている。そんな印象だった。
彼女が何をしているのかをすぐに悟り、その代償に気付いた。
命そのものを削り、無理やり魔法力に変換している――それを理解した瞬間、
「やめろ!!」
咄嗟に叫んでいたが、ほとんど同時にの身体がぐしゃりとその場に崩れた。
ふっと魔法の障壁が解ける。
焼けつく熱気が立ちこめる中で、しかし守られていた者たちには火傷一つ見当たらなかった。
ベッドの上で目を覚ました娘がこちらを見ている。
その目はしっかりと自分を映していて、顔色も悪くはない。そのことに心の中で息をつく。
はしばしの後に口を開いた。
「……みんな、無事ですか?」
「ああ」
「良かったです」
そう言って口角を持ち上げるが、無茶をした自覚はあるのだろうか。
「……体調はどうだ」
「えっと……たぶん、大丈夫です」
「あれだけ無理をしておいて、大したものだ」
「まあ、若いつもりですので」
「…………」
「一晩眠れば、大体大丈夫です」
軽口がきける程度には、回復しているようだった。
だが、まだ本調子でもないだろう。
「まだ早朝だ。もう少し眠れ」
「そうします……」
目蓋が閉ざされ、すぐにまた娘は眠りに落ちた。
窓の外に目をやれば、夜の闇が遠ざかりつつある。だが、雨の気配があった。
灰色の朝が降り立つ中、鎮火した家からは今なお煙が上がっていた。
ストラゴスは、とうとうとこの村のことを話して聞かせていた。
昨夜の火事場で、魔法を使ったがために隠し立てが出来なくなったらしい。
そして幻獣の居場所にも心当たりがあるようだ。
だが、俺はこの時点で単独行動することを決めていた。ストラゴスがついてくるという。
気付かれてはならない。自分のことを、気付かれてはならない。
暗殺者シャドウは、この村とは何も関係ない。
ただ、仕事を遂行するだけだ。
家を出れば、さっきまで降り続いていた霧のような雨は止んでいて雲間から陽の光が見え隠れしている。
自分を追って出てきたあいつらに単独行動することを告げれば、引き留められるわけでもなかった。
ただ、ロックが何か言いにくそうにしながらも「なあ」、と切り出す。
「何だ」
「いや……、その。……ありがとな、今回は助かったわ。シャドウのおかげで」
「…………フン」
「あーーーっ、なんだよその態度!?」
「いやいや、ロック分かってないなぁ」
今にも地団駄を踏みそうな青年の後ろから、のんびりとした声がした。
「シャドウさんのツンツンからしか得られない栄養というものがあってですね」
「おまえこそ何言ってんだよ……」
半目になるロックを横目に、が近くまでやってくる。
先ほど家を出る前にも言葉を交わした筈だが。そう思っていると、「忘れものですよ」と言って何かを委ねようとしてくる。
ひとまず受け取れば、手の中にあるのは昨日借りた魔石があった。
「持っていってください。持っていれば、魔法使えるようになりますから。……いいよね?」
言ってしまってから後ろを振り向く。
ティナとロックが肯いていた。
「持ってけよ。俺たちはもう覚えた魔法だから気にすんな」
「後で返してくれればいいから」
「…………」
俺は溜め息をつきながら石を懐にしまう。
俺よりも、自分たちのことを心配した方がいい。とりわけ、に至っては。
未だこちらを見て微笑んでいる娘に小さく言った。
「……もう、命を削るような真似はするな」
「……わたしだって、しなくても大丈夫だったらしてませんよ」
少し困ったような笑いを浮かべながら彼女はそう言う。
でも、と区切っては続けた。
「他に選択肢がなかったんです。わたしはまだ魔法全然ですし、でもああいう事態になっちゃって。その……小さい子もいましたし。一応、最善を選んだつもりなんですけど」
「…………」
短い沈黙が落ちた。
「だから」、と言葉が繋がった。
「わたし、魔法を使いこなせるようになるの、頑張ろうと思ってます。いろんな魔法が使えて、行動の選択肢が増えれば今回みたいなことにはならないでしょうし。……シャドウさんも、魔法っていう選択肢が増えるの、悪くないと思いますよ」
「…………そうだな」
俺は短くそう答えた。
正直なところ、娘の危うさには不安が残る。
は、いざとなれば命を使う術さえ持ってしまっている。そして、場合によっては再びそうする可能性も考えられる。
……そうなることがなければいい。そう思える程度には、俺はこの黒髪の娘を気にかけ始めている。
俺は歩き出した。
背後から聞こえる仲間たちの声が、少しずつ遠ざかっていく。
この村での騒動は終わったが、あの黒髪の娘――の言葉が、頭を離れない。命を削ってまで守ろうとするその強さと危うさ。
俺は、それを無視できるほど冷淡でもないらしい。
再び雲間から光が差し込み始めた。
ふと、懐にしまった魔石の重みを感じる。選択肢が増えることが、必ずしも悪いことではない。だが、選択肢が増えたことで、守るべきものが増えるかもしれない。
それでも、俺はこの道を進むと決めた。
「……命を無駄にするなよ」
誰にも聞こえないように、呟いた。
やがて、俺とインターセプターの影は闇に溶け込むように、遠ざかっていった。
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