どろりと纏わりついてくるような、拭い切れない眠気の残滓──。


上手く頭が回らない。
目が開かない。目蓋を持ち上げる事が、どうしても出来ない。
……眠たい。ひどく、眠たい。
何なんだろう、夕べそんなに夜更かししたかな……。
もう既に何時間か睡眠を得ているはずなのに、どうしようもなく眠い。
このままベッドの中で、満ち足りるまでゆっくりと横になっていたい。切実にそう思う。
全身を覆うような、気だるい感覚。

ああ、疲れているんだな、とぼんやり思う。
まどろみを以ってして尚、疲れが抜け切れていない。だからきっとこんなに眠たいのだ、そう納得してみる。だって昨日は…………。いや、終わった日のことを今、思い返す必要はない。やめよう。
とろとろと、布団の中で漫然と時間を過ごす。

それでも「今は何時だろう」と気に掛けてしまうのは、辺りが夜の暗闇に埋没しきっていないからだ。
光の気配というものは目を閉じていたってなんとなく判る、例え微かなものであっても。
朝という時間に移りきっていなくとも、夜は明け始めているんだろうと大雑把な見当がつく。
そろそろ起き出して、朝食の支度をしないといけない。
朝ご飯を準備するのは当番制だが、丁度わたしが当たっている。
まあ、昨日のうちに下準備をしてあるから、然程大変でもないのだけれど。

そう思いながら寝返りを打とうとして、ふと、違和感を覚えた。
何だろう、いつもと、何かが、違う、気がする。
何が? ……さあ、何だろう。よくは判らないけれど。

独りそんな事を頭の中で思う。まだ目を開けるのは億劫だった。
あまりその違和感について深く考えもしないまま、やんわりとわたしは手を伸ばした。いつも目覚まし時計が置いてある辺りへと向けて。とにかく時間をそろそろ確認しないと。
のろのろと指を彷徨わせる。
が、何処まで宙を行き来しても、それらしい物に触れる様子がまるで無い。どこに行ったんだろう、見てみれば一目瞭然なのだけれど、ほんの何秒かだけでも目蓋を開けるのを先延ばしにしたい。

しばらくあっちこっちに手をやって、正に手当たり次第、探し物をしてみる。
いつまで経っても目的のものは指に触らない。……少し、苛立った。
ああ、もう少しだけ、こうしていたかったのに。

シーツに横顔を押し付けていたのを、僅かに動かす。
瞬間、さっき感じた違和感が再び弾けた。違う。確かに違う。
匂いが、違う。

使った寝具には自分の匂いが微かに移るものだけれども、今自分が感じたそれは、わたしのものではない。
なら、誰か。なら誰のものなのか。
知っている気もしたが、それより先に思ったのは、明らかに自分の其れとは質の違うものだという事だ。


これは、男の人に共通する匂いだ。


──まさか。
わたしは自分で思っておきながら自嘲した。
どうしてわたしの寝転がっているベッドから、そんな香がする?

当たり前だけど、自分の他に誰かがいるわけでもない。
普通の状況の範囲内で考えるとするならば、男の人の匂いなどするはずがないのだ。
わたしはやはり、あまり突っ込んで考えないことにして、ゆっくり、そっと、目を開けた。

ぼんやりと霞む視界、目を擦りながら床に足をつける。ひやりとした温度が足裏に触る。
誰にともなく欠伸を手で隠しながら立ち上がる。
そうして、周囲をやっと認識して、しばし、立ち尽くした。

「…………?」

はて。
………これは。何だかよく判らないけれど、…………変だ。
色々とおかしな点が、幾つもある。何がどうしたっていうんだろう。


十数人という大所帯でわたし達はパーティーを組んでいるけれど、この飛空艇ファルコンには各々に一部屋ずつ宛がってもまだ余るほどの小部屋が存在している。
どういった目的で作られたものなのかは詳しく聞いていなかった。
或いは、元々は人のくつろぐ個室ではなかったものを改造したのかもしれないが、とにかく。
何人かの部屋を訪ねたことがあるけれど、中はみんな似た造りになっている。
ただ、元はほぼ同じでも、そこを使う人の趣味やセンスでそれなり、異なるものへと姿を変えている場合が多い。

いつだったか食事の用意が出来たと呼びに行った際、ちらと見たロックの部屋は何やらクルクルと巻かれた紙──地図だろうか──の類や、分厚い本などが雑多に積まれ置かれていたし(ロックがあんな厚い本を読むのかと意外に思ったものだ、失礼ではあったが、しかし)、セッツァーさんの部屋は何気にシンプルで、すっきりと整えられた室内に幾つか調度品が飾られているくらいだったのを覚えている。
今わたしが居る部屋は、今まで見てきた部屋の中でもかなり殺風景な部類に入る。
ほとんどの個室が使用者の色に染め替えられている中で、此処は与えられたままの時間をほぼそのままに保っているように思えた。申し訳程度に、ベッド脇の小タンスやテーブルの上に物が少し置かれているくらい。


……わたしの部屋ではない。
そしてわたしは、この部屋を知っている。


その事にも少々、混乱を覚えた。
どうして彼の部屋にわたしが居るのだろう。室内にまで入り込んだ事は今までに無い。
ましてやどうして寝床に入っている理由があるのだ、そんな……何というか、色々とあり得ない。
普通ならそれだけで充分コンフュ状態になりそうだ。
しかし、それに拍車を掛ける妙な点がまだあった。



随分と、背が伸びたような気がする。
立ってみると物の見え方が結構違った。普段背伸びをしたって、こうはいかない。
十センチ、いや、もしかしたら二十センチ近く縦に大きくなっていやしないか。そんなふうに思える。
脚が伸びたのなら嬉しいのだけれど。
逆に、胴が伸びていたら…………うわあ。なんか、すごく嫌だなあそれ。
そう思い目を下にやる。
見れば、覚えの無いものを身に着けていた。上下、手首足首まで来る黒いピッタリとしたものだ。
ほぼ全身黒である。……何故に? シャドウさんじゃあ、あるまいし。
足の先からゆっくり、上半身まで目で追ってみる。

「…………」

えーと。
……何だか胸が平べったくなっているのは何故なのでしょう。膨らみがまるで無くなっているのですけれど。
ぺたぺたと触ってみると、少し固い筋肉の感触がした。
これでは下着は要らなさそうだなぁ、と思う。走るのやうつ伏せ寝が楽そうだ。
……そういう問題ではないとたっぷり三秒程してから気付いた。


これは、わたしではない。
何だかよく判らないが、わたしはわたしでなくなっている。
これは、男の人の身体である。


……えええええ。
勘弁して。正直、そう思った。
これから朝ご飯の仕度があるってのに、このカッコじゃあ誰かに会った時なんて言えばいいのか判らないじゃないか。そうは思いませんか、ねえ皆さん?
突然こういう事が起きると本当に困る。
せめて予告があれば心の準備というものも出来ようが、抜き打ちでは準備もへったくれもあったものじゃない。
何だというのだ、本当に。

と、その時ベッドの下からするりと這い出てきた黒いものがあった。
インターセプターだ。
今までベッド下に潜り込んでいたらしい、それで気が付かなかったのだ。

「?」

向こうは何か訝しそうに、こちらを見上げている。わたしの事が判らないのだろうか、無理もない。
いつもなら一撫でしたいところだが、今はとてもそれどころではない。
しかしやはり、インターセプターが居るという事は、此処は……。
うーん、困ったな。
わたしは本当に困ってしまった。どうしよう。何がどうして、こうなったのか?
本気でよく判らないが、全体的に変だ。変すぎる。突っ込みが追い付かない。

無意識に頭をかく。……わたしより短い髪の感覚。こんなところまで変化しているのか。
そうだ、顔はどうなっているんだろう。
やはり、男顔になっているのか。それを確かめた方が良さそうな気がする。部屋の基本自体はどれも同じだから、鏡もわたしの部屋と同じところの壁に付けられているだろう。確認するのは少々怖いけれど、しかし。
そう思った瞬間、はっきりとノックが、二回、あった。
まるでわたしが今思いついたばかりの行動を咎めるかのようなタイミングだった。

「は……」

ついいつものように「はい」と返事をしかけて、わたしは驚いて自分の口を手で覆った。
声まで、わたしのものではなかったからだ。
身体が男の人なのだから当然といえば当然なのだけれど、しかしそれは思った以上にショックだった。
目に見えているものがもしかしたら幻覚なのではないかと思いもしていたのだけれど、直に耳にする声までもが、今の自分の姿という非現実的な事実を何の躊躇いもなく突きつけてくる。

妙に空気が乾燥しているような気がしてきた。
ジリ、ジリと時間が経っていく。早いような遅いような、或いはそのどちらでも無いような時の流れ方に感じられる。わたしはその場に棒立ちになった。

……ところで、ノックがあったのはいいけれど、これにどう対応したらいいのでしょう、か。

わたしは狼狽した。
今のわたしはこんなんである、誰かに会うワケにはいかないのである。
しかしさっきの返事しかけの声で在室なのは伝わってしまっているだろう、それにこんな朝なのだ、不在というのは考えにくい。
だが、それこそこんな朝早く、一体誰なのか。
部屋のど真ん中で独りオタオタしているのを、やはりインターセプターは不思議そうに見ていた。
そうこうしている内に、またノックがされる。
さっきと同じ調子で、急かすでもなくゆったりとでもなく、トントンと。

わたしはひとまず、なんとなく忍び足でドアまで近付くと、相手を確かめようとした。
アパートの戸のように小さな覗き穴か何かがあればいいのだが、生憎そんなものはない。
しかもこの声だ、ドア越しに質問をやり取りするというのも……どうしよう。

迷った挙句、わたしは両手でドアノブをしっかりぎっちりと握った。

慎重に慎重を重ねて、薄く、狭く、恐る恐るドアを開く。
そこから覗く向こうの姿を目で見て確認するくらいしか、方法が浮かばない。
もちろん、こちらの方を出来るだけ見られないよう細心の注意を払わないと……うう、何気に結構、難しそう。

などと考えたのもそこまでだった。

ほんの少しの隙間から相手を目に捉えて──、…………。
わたしは硬直した。
ドアノブに掛けていた手が離れると、向こうとわたしを隔てていたドアはゆっくりと、大きく開いた。

目の前に、もう一人のわたしが立っている。
勿論、ちゃんと女の容姿の方の。

「…………」
「…………」

ほんの少しの間、わたしと、向こうのわたしは、互いを見つめ合った。
が。
わたしはドアを閉めた。見なかった事にしようとした。

「おい。……閉めるな」

戸越しに言われてしまった。
向こうの声はやはり、わたしのもののようだ。……ようだ、というのは、普段自分で聞いているのと若干違っているから。自分の声は、他の人に聞こえているものと自分で聞くものとでは、少し違う音声になる。それは、まあ、それとして。

「……すみません」

わたしは一応謝った。自分に詫びるというのも変な感じだ。そして男の人声なので違和感バリバリだ。
もう一度開けると、やっぱり、其処にはわたしが居る。しかも仏頂面である。
……今更ながら、如何していいのか、判らない。

「ええと、…………あの」
「……か?」
「え?」

わたしは吃驚して相手を見た。
あっちはとても静かにこちらの返答を待っていて、落ち着いた様子に見える。本当のわたしは混乱に頭がついていってない状態だというのに、この偽者ときたら。
しかし何で判ったんだろう。(というかそっちこそさんでしょうに、少なくとも、見かけだけは)
とにかく、それは当たりなので肯くことにする。

「ええと、……ああ、はい。そう、そうです」
「そうか。──まさかとは思ったが……」

そんな事を向こうは呟く。わたしの声なのに、どこか低い、独特の響きがある。
……この話し方、この空気、この感覚には覚えがある、気が、する。
この人は、もしかしたら。
わたしの中で何かザワザワしたものが広がり出した。……まさか。なんで、そんな。
何故わたしの姿なのかというのはこの際、置いておくとして、この人は……。
わたしは問いかけというよりも確認の意味で、訊いた。

「もしかして、そちらは」
「俺だ。……シャドウ、だ」

わたしの声で、わたしの容姿で、彼は、言った。
──ああ、やっぱり。
何処か人事のような思いで、わたしは心の中で呟いた。






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