目を閉じれば、あの褪せた色彩が今でも思い出される。
自分の中に今なお、焼き付いている。
濁り濁って淀んだ海、赤く染まり続けていた空、痩せた大地に落ちる黒雲の仄暗い影――。
唯一、差し込む日の光だけが荒廃する以前の世界と変わらなかったように思う。
それが今は、どうだろう。
私は目を開ける。
遥か向こうに望める海は美しく輝き、空も青く澄み渡っている。
砂漠の砂はまるで黄金のようで、世界が蘇ったことを改めて感じる。
城から一望する景色は、かつての色を取り戻していた。
あれから、十年が経った。
ケフカという偽りの神を打ち倒し、この世界が息を吹き返してからの十年。
今でもあの時の戦いをこの間のことのように思う時がある。けれど、それなりの時間が経過したとみるべきだろう。
未だ復興途上の街や村も多いが、……それでも、生き残った者たちは前を向いている。
今を、歩み続けている。
「兄貴」
声を掛けられてもなお、見上げた空から目を離せなかった。
あと少しだけ、今この瞬間の風と太陽を感じていたかったのだ。
足音が近づき、マッシュが近くまでやってくるのが分かる。
時間はもうすぐのはずだった。姿の見えない自分を探して、こうしてやって来たのだろう。
「そろそろ下に下りようぜ。……もうすぐ皆、来る頃だろ?」
「そうだな」
弟に応じるその傍から、視界の向こうにそれらしいものが映り込む。
みるみるうちに大きくなるその機体は、ファルコン以外に他ならない。
年に一度の、仲間たちが集まる日。
今日という日はそれにふさわしく、とてもよく晴れた日だった。
毎年こうして、あの時共に戦った皆が集うようになった。
最初にそう提案したのは他でもない自分自身だ。
もちろん、友人としての意味合いも大きい。そして同時に、世界各地で過ごす彼らから直接聞く話は貴重な情報源でもある。
どれほど元の暮らしに戻れているのか。足りないものは、不穏の兆しのようなものはないか。
昔話に花を咲かせながら、そういった点にも耳を傾けるようにしている。
ただ実際のところ、間違いなく世界はより良くなりつつあった。
荒廃していたあの頃と比較しても盗みや略奪は大きく減っており、治安も良くなったと耳に届いている。
何より帝国そのものが消滅していたため、誰もが漠然と抱えていた不満や恐怖それそのものが消えていた。
このまま誰もが安寧の時代を生きられればいい。そう願っていた。
「色男」
ふと、食事も終わりゆっくりしていた頃にやってきたのはリルムだった。
伸ばしているらしい金髪がふわふわと揺れているのを見ながら、(初めて会った時はまだ子供だったな)と今更のように思い返す。
あの当時から既に身長もそれなりにあった少女は、ゆっくりと成長して今や立派なレディだった。
改めて十年という歳月の長さを思い知らされる。
子供が大人になるのに、充分な時間だったということなのだろう。
「なんだいレディ」
「スケッチをね、……ほら、毎年渡してるやつ。ファルコンの中に置いてきちゃったから。ちょっと席、外すね。取ってくるから」
そう言って部屋を出て行こうとする。
サマサに戻った天才画家は、それでも時々世界を巡っては、その目に映した様々なものの絵を描き続けている。
そんな彼女のラフスケッチを目にするのは、純粋に楽しみの一つだった。
だからリルムは、こうして会う度にスケッチブックを持ってきてくれる。
「もう夜だ、外は寒い。明日にしたらどうだい」
「すぐ傍だもん。大丈夫」
「……なら、せめてエスコートさせてもらえないかな」
そう言って立ち上がれば、彼女は何も言わずに肩をすくめた。
何とはなしに、ちらと室内を一瞥する。
夜が更け始めており、何人かの姿は既に見えなかった。
「先に休む」と告げて早々に充てがわれた部屋に戻った者もいるし、何も言わずに部屋に引き上げた者もいるかもしれない。
それでもまだセッツァーやロックといったカードゲームに興じる手合い、それには加わらずに話している何人かもいる。
その中に一人、静かに椅子に座っている女性がいた。
近くにいるティナやセリスの話に耳を傾けているようだったが、何処かぼんやりしている。
一瞬何ともいえないものが胸をよぎったが、すぐにリルムを追おうとして、気付く。
リルムもまた、彼女を見ていた。自分が今胸騒ぎを感じた、黒髪の女性を。
何も気が付かないふりをして、互いにすぐに歩き出す。
広間を離れれば、打ったように静かな空間が自分たちを迎えた。ひやりとした夜の温度がそこにある。
「ストラゴスは、最近どうだい。身体の具合は」
「相変わらず。本当は、毎回一緒に来たがるんだけどね。まあでも大したことないよ、心配しないで。……全く、本当に口ばっかり達者でさー」
「何よりだよ」、
そう言って微笑んで見せる。
「会えないのは残念だけど、それなら一安心だ」
数年前に病気をしたというストラゴスは、その年から集まりに来なくなった。
けれどリルムから聞く限りは、それなりに穏やかに過ごしているようだ。
彼も、孫の土産話として皆の様子を聞くのを楽しみにしてくれているという。
そんな会話を交わしながら、彼女と歩みを進める。
リルムのその足が、ぴたりと止まった。
彼女を振り返る。
自分たち以外は見張りの兵も、給仕の係もいない。誰もいない、静かな通路の一角だった。
「エドガー、ちょっといい?」
「何だい、改まって」
「……がね。おかしいの」
じくりとした痛みが、胸を刺した。
……はあの長い戦いが終わった後、リルムとストラゴス、それにインターセプターと共にサマサの村に身を置くようになった。
ある日突然、別の世界からこちらへと迷い込んだ、黒髪の娘。
あの旅路の中、飛空艇こそがの仮住まいだったと言えるだろう。
もし良ければフィガロに、とも思っていたが、リルムが彼女を姉のように慕っていたこともある。
それというのは、世界が崩壊したあの時からに由来する。
自分たち仲間が散り散りになり、そして再び結集するまでの間、二人は共に旅をしていたという。
「世界が破れた日――、飛空艇から皆が投げ出された後のこと。私が話したこと、覚えてる?」
「ああ。……君は、気付いたら波打ち際に倒れていたんだったね」
「うん。傍にもいた。インターセプターちゃんも。……が魔法でどうにか守ってくれたんだと思うけど、まー大変だったよね、あの時は」
皆そうだったろうけどさ。
あの頃を思い出すかのように目を閉じ、それはすぐに開かれた。
透き通った瞳が、こちらを真っ直ぐ見上げてくる。
「はずっと一緒にいて、私のことを守ってくれた。今だってそう。……たぶん、私が大人になるまではってつもりで、面倒みてくれてたんだと思う」
「……さっき、がおかしいと言ったね。それは、どういうことだい?」
「上手く言えないんだけど……」
そう言って僅かに黙り込む。
「ここに来る前にね」、
と呟くように言う。言葉が続いた。
「村の皆に、毎年私たち挨拶してくるの。ちょっと留守にするからよろしくって。特にここ最近は、おじいちゃんのこともあるし。……でも、今年のはなんて言うんだろう……すごく、私には不自然な挨拶に見えたの」
「不自然」
繰り返すと、リルムは腑に落ちないような表情で肯く。
「そう。……別に言葉がどうとかじゃないの。ただ、なんて言うか……もう村には戻らないみたいな、最後の挨拶みたいな。そんな感じに見えて」
「…………」
「それに最近、よくぼーっとしてるの。遠くを見てるみたいにしてて、話し掛けても気付いてくれない時もある。逆に、ジッと私のこと見てる時もあるの。それで」
「それで私に相談してくれたのかい」
「……うん」
あの頃、リルムは子供扱いされると憤懣やる方ないといった様子で怒って見せていた少女だった。
今では子供らしさも抜け、素直に応じるところもあるようだ。
「はあんまり怒ったり泣いたりしないの。……インターセプターちゃんが死んだ時だって、涙ひとつ流さなかった」
「…………」
「でも、それにしたって……やっぱりなんとなく、おかしいの。セッツァーが飛空艇で迎えに来てくれた後、フィガロに着くまでの間にそれとなく訊いてみても『何でもない』しか言わなかったけど」
「…………」
「何だか、私にも何も言わないまま、何処か遠くに行っちゃいそうで……」
リルムが少しずつ、自身が感じている違和感を伝えてくる。
自分には言えない何かを隠しているように思えてならないと、彼女は言う。
もしかしたなら、それは、別の誰かになら言えることかもしれない。
だから、私に頼み事があるのだという。
決して聞き出せなくてもいいから、と話をしてみてほしいと。
「それは、私のことを買ってくれているということかな」
「茶化さないでって言いたいとこだけど……、うん。まあ、そんなとこかな」
エドガーなら、ってそう思って。
そんなふうに彼女は言う。
……自分とて、仲間として過ごしてきたこともある。のことは、それなりに理解しているつもりだった。
決して感情の起伏の激しい方ではない。
六年前にインターセプターが死んだことは手紙で知っていたが、確かに彼女なら泣くこともなかったかもしれない。
冷たい、などと言うつもりは毛頭ない。
ただ何処か、淡々としている。それだけのことだ。
――けれど、そんな彼女の感情が大きく揺れ動いた瞬間。その時を、自分は確かに覚えている。
「わかったよ、レディ」
聞き得る限りのことを聞いてから、肯いて見せる。
「私もと話してみるとしよう。……戻ったらすぐにでも」
「そうして、お願い」
真剣にそう言うリルムに目配せしてみせれば、向こうはくるりと踵を返した。
「スケッチブックは明日でいいでしょ?」
「もちろん」
冷えた通路の空間に、そんな声の音が木霊した。
大した時間でもなかったはずだが、広間は先程と打って変わってひどい有様だった。
げんなりしたロックをセリスが介抱し、セッツァーはソファに座り込んで大分静かになっている。
心配げなティナが水を差し出すも、動くに動けないようだった。
……いつものことながら、学習というものをそろそろしてほしい。
「毎年毎年、何やってんだよオッサン達」
リルムが呆れた声を出したが、全く以って同意見だ。
だが、ある意味丁度いい。
彼女に目をやれば、向こうは心得顔で小さく肯いた。
ティナやセリスを促して、酔い潰れた面々を引き摺り部屋を出ていく。後はそのまま、上手く立ち回ってくれるだろう。
そうして広間に残されたのは、自分とだけだった。
彼女は両手でコップをさも大事そうに包み込みながら、静かに今の茶番を眺めていた。
「……エドガーさんは」、
ふと、の方から声を掛けてくる。
「もう休みます?」
「君はどうだい」
「わたしは、これを飲んだらと思ってました」
そう言うコップの中身は、まだなみなみと琥珀色の液体が残っている。
毎年、必ずはそれを飲んでいた。
最初こそ皆が、少しばかり驚いていた。何故ならそれは、かなり度数の強いアルコールだったのだから。
あの十年前の旅路の中で、彼女が酒を嗜むのを誰一人見ていなかった。驚くのも無理はない。
けれど、がそうするのには理由があった。
「シャドウさんが、このお酒をよく飲んでたと思うんです」
たぶんですけど。
そういう彼女に、誰が何を言えただろう。
あの、魔大陸で別れてから今日までの間、ずっと行方の知れない仲間の一人。
彼女が言うに、彼が嗜んでいたのがおそらく、この銘柄なのだという。
確証はない。こちらの文字がまだ解せなかったが記憶しているラベル。それと、似ている気がするのだという。
それでもは、毎年欠かさずこの集まりの場でその酒を口にするようになった。
きっと彼女は、彼にもここにいてほしかったのだろう。
口火を切ろうとして、しかし、私はあの瞬間に滑り込んでいる。
崩れゆく魔大陸の端、切り立つ崖に吹き付ける風。
冷えた空気は凍てつくようだった。ぼろぼろと足場が朽ちて、どれだけ保つかも分からない。
時間を作ってくれたシャドウを待ちたかったが、下で待機しているブラックジャックにもバラバラと崩れ削れた岩肌の一部が落ちていく。
下で待とう。
彼なら、戻ってくる。戻って来れるはずだ。そう思った。
そうして飛空艇へと飛び降りる。
甲板には、既に皆が顔を揃えていた。
着地を確認したセッツァーが、すぐさま舵を切ろうとする。そうするのを大声で制止しなければならなかった。
「待てセッツァー!! まだシャドウが上にいる!」
「えっ」
そう息を呑んだのは、甲板の上でこちらを見守っていただった。
彼女は魔大陸には上陸していなかった。だから今の今まで、シャドウと自分たちが行動を共にしていたことを、は知らなかったのだ。
彼女の顔色が変わり、強張っていたがとにかく、叫んだ。
「彼は戻ってくる! だからまだ出すな!!」
「厳しいこと言いやがる!!」
歯噛みの表情でその舵を握りしめていたセッツァーが、どうにか降り注いでくる大陸の破片を避ける。
勢いで身体が持っていかれそうになる中、
「掴まってろ!」
そう叫んだ操舵手の声は、けたたましい轟音にかき消された。
甲板が裂け、強い突風が轟く。
全てが引き裂かれたあの瞬間を、今でも鮮明に思い出せる。……覚えている。
シャドウとは、それっきりだった。
明確に死んだという情報もなく、かといって生きているともつかない。
生死不明という状況、しかし、彼は確かに自分たちの仲間だった。
あの絶体絶命の中で我々を助けてくれた。世界を守れと言った。
だから毎年、この集まりを催す際には広く呼びかけていた。皆には個別に手紙を送っていたが、それとはまた別にシャドウに向けて。
街に張り紙を出し、ビラを撒き、新聞には広告を打った。でき得る限りの手は尽くしているつもりだった。
しかし、彼は今日まで現れなかった。
それが残念でならない。
仲間としてはもちろん、のことが痛々しかった。
彼女が「こちら」へとやってきたばかりの頃、本当に初めて出会ったのがシャドウだったという。
街まで案内してくれたという話を最初に聞いた時には訝しく思ったものだが、今思えば信頼に足る人物であったし、そう不思議でもない。
もっとも、今だからこそ言えることだが。
そしては、時折シャドウのことを話してくれるようになった。
その口ぶりを聞いていれば、彼にどんな感情を抱いているかは想像するに難くない。
……だからこそ、彼女のことが痛ましかった。
「エドガーさん?」
声に、私は今へと引き戻される。
が、首を傾げてこちらを見上げている。
「どうかしました?」
「いや」、
一瞬、立ち尽くしていたことに気付く。
そっとその向かいに腰を下ろして、近くにあったボトルを示す。
「頂いても?」
「どうぞ」
言いながら、彼女が酌をしてくれる。
どう切り出したものだろう。
考えてはいたが、に限っては率直に訊ねた方がいいのかもしれない。
彼女は本質的には素直で、正直に話してくれる女性だ。
そう思いながら彼女を見る。
十年経ったというのに、ほとんど造作は変わらない。
リルムが大人へと成長したのとは対照的に、彼女にはまるで時間が経過していないような錯覚に陥りそうになる。
そんな考えを頭の隅に追いやり、口火を切った。
「……リルムが君を、心配していたよ」
「心配」
表情を変えるでもなく、は繰り返す。
「ああ。……君が、何処か遠くに行ってしまうのではないかと思っているようだよ」
「そうですか」、
言って、一口コップの中身を嚥下する。
「まあ、そのつもりでしたから」
「……そうなのかい」
「わたし……サマサには戻らないつもりで来たんです」
彼女はそっと微笑んで言った。
「色々、整理もしてきましたし。リルムにそう見えてても、不思議じゃないですよね」
「サマサを出て……何処へ行くんだい」
「そうですね……」
「もしかして君は」
「はい?」
ふと思いついてしまったことを確かめたくて、けれど続きを言っていいものかどうかを一瞬迷う。
けれど、訊ねた。
「君は……シャドウを探しに行くつもりなのかい」
はぽかんと、こちらを見返す。
全く想像もしていなかった問いかけだったのか、しばらくただただ、見つめてくるだけだった。
やがてふっと、向こうは笑った。
「違いますよ」
「……そうなのかい」
「エドガーさんからは……そんなふうに見えたんですか?」
わたし、シャドウさんを探しに行きたそうにしてました?
そう言って小さく笑う彼女は、ごくいつも通りに笑んでいるのに何故か寂しげに見える。
「もしかしたら、と思ってしまってね」
「エドガーさん」
「うん?」
「シャドウさんは、亡くなりました」
ごくごく、いつもの口調で彼女はそう言った。
まるで普段通りのその具合に、すぐには内容が呑み込めない。
は、また一口杯を傾ける。こちらが次の言葉を発するまで、幾らかの時間が必要だった。
「……いつ、それを知ったんだい」
「十年前には。……ごめんなさい、今まで言っていなくて」
「どうやって」
「本人から聞きました」
「……どうやって」
同じ言葉を繰り返す。
どうすれば、シャドウ本人からその生死を聞くことができると言うのだろう。
が少しだけ何かを懐かしむように目を細め、テーブルの上に視線を落とした。
すぐにその目がこちらを捉える。
言った。
「エドガーさん、蘇りの秘宝のこと、覚えてます?」
「蘇り……」
ハッとする。
それは、もしや。
彼女はすぐに肯いた。
「フェニックスの魔石ですよ」
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