「…………」

シャドウさんの部屋の前までやって来たはいいけれど、どうしようもなかった。
手元には例の大問題作。もう材料もない。時間も無い。
何処かの町で何か買ってくるといっても今は大空を飛行中のこのファルコン、世界最速とはいえど、一番近い街まで数時間ほど掛かる。それまでシャドウさんを待たせるわけにはいかない。
これを出すしか、他にない。
そう思いながら、やっぱり決心は付かないまま、こうしてシャドウさんの部屋の前でウロウロしてたりする。

「話せば判ってもらえるかな………」

自分で小さく呟いてみて、直ぐにブルブルッと頭を振った。
いやいやいや、無理だ、絶対駄目だ。
判ってもらえる云々ではなく、これがシャドウさんの目に触れること自体が耐えられない。やっぱり駄目だ、どうしても駄目だ。
わたしは煮詰まった。
「こんなものを出すなんてとても出来ない」というのと「しかし、他に出せるものがない」というのとに挟まれて困ってしまった。
しかもオムライスはまだ温かくはあるが、もう少ししたら冷めてしまう。もし出すなら今のうちなのだが。
……いややっぱり出せない、こんな……あああ、どうすればいいの、わたし。

「なーにやってんだ、?」

暢気そうな声に、どろんと目を泳がせればそこにロックがいた。
さっきまでダイニングに居たから、食べ終わって自室に戻るところなのだろう。丁度その通り道にわたしがいたという具合らしい。
手をポケットに突っ込んだままでこちらに歩みながら、ロックは思い出したように続けた。

「あ、さっきの夕食、ホント美味かったぜ!ごちそうさん。また作ってくれよな」

たぶんしばらく、もしかしたらこれからずっと、オムライスは作らないかもしれない……。
そう心で答えながら、わたしはロックを見た。腹一杯食べて、ご機嫌な様子である。
わたしはこうして悶々と悩みまくっているというのに。
ぴきぴきと理不尽な感情が湧き出し始める。
そしてその矛先は、今この時この瞬間、この場に運悪く居合わせたロックに他ならない。

「……って、……!? な、何するつもりだ、止せ!」

彼が慌て始めたのは、わたしが手にしているものをロックに投げつけてやろうと構えたからである。
エルオーブイイーなどと書かれたこの代物を、わたしはどうにかしなくてはならない。
そもそもコレが無くなってしまえば、わたしはこんなに悩む事もないのだ。
そう考えると、これからわたしがやろうとしている事に何の躊躇もなくなった。
こうする事で、今直面している問題は全て解決されるような気さえした。
一昔前のコントみたいにパイ投げよろしく、わたしはオムライスをロックの顔面に叩きつけようとした。


「ごめんなさい、この犠牲はたぶん今日明日いっぱいくらいは忘れない……」
たった二日かよ!!ていうか、何の犠牲だ!!」


喚くロックだったが、問答無用。
わたしはジャイアントフルスイングしようとした。
が。

「…………っ」

わたしはべしゃりと床に腰を落とした。オムライスはわたしの手の中にある状態のまま。
ロックはガードの構えをとっていたけど、わたしがへたり込んだのを見ておそるおそる、ガードを解除した。
わたしはロックを見ず、手の中を見ながら言った。


「……出来ない……っ、こんな……せっかく、シャドウさんに食べてもらおうと思って作ったのに……わたしの想いが籠もった料理なのに、……なのにそれを、ロックに叩きつけるなんて……、そんなの、シャドウさんに対して失礼だ、とても出来ない……」
「俺には失礼じゃないのか!!」


何かロックがまた喚いていたが、わたしの耳には入らなかった。
ああ、わたしにはこのオムライスをどうする事も出来ない…………。
この騒動、一体どう収拾つければいいのか判らない……、というかシャドウさんごめんなさい、食事の時間結構経っちゃってるし、お腹空いちゃってますよね……。
と、そこに。

「あれ、……もしかして、まだシャドウのおじさんにご飯、渡してないの?」

掛けられたその声に、わたしはバッと振り返った。
今回のこのトラブルのきっかけを作った張本人が立っていた。

「リ〜ル〜ム〜〜〜……」

怨嗟の籠る低い声で彼女に言ってやった。
リルムは空になった皿を手にしていて、どうやら言いつけ通りに食器を下げに行こうと出てきたところらしい。
そうか、食べ終わるくらい時間が経っちゃったか……ごめんなさい、シャドウさん……。

「どうしてくれる、どうしようもないじゃないのコレ」
「さっさと渡してくればいいのに」
「こんなん出せるかーーー!!」

それまでわたし達のやり取りをよく判らないままに聞いていたロックが、わたしの手にしているものをようやくまじまじと見て、思い切り噴き出した。事態がどういうことなのかをようやく理解したらしい。
わたしがじろりとロックを見ると、彼は慌ててゴホン、とわざとらしい咳払いを一つした。

「ま、まあまあ。……ああ、じゃあさ、ここは一つ、リルムが持っていけばいいんじゃないか? これ、リルムが書いたんだろ?」

おお、と思った。
なかなかいい意見かもしれない、それは。確かに書いたのはリルムだし、彼女が渡してくれさえすれば……、そうだ、色んな意味でオールオーケーなような気がする。これだ!
と、その前に一応訊いておくことにする。わたしはロックをちらと見て、言った。

「ロックが渡してくれてもいいんだけど?」
「……っ、か、勘弁してくれ!!」

青くなりつつロックは叫んだ。やっぱ駄目か。
まぁ、エルオー(以下略)なんてのをロックが持ってったら、その場でシャドウさんに刺されそうだしね。と、そんなおふざけは、さておき。

「よし、決まり! 後は頼んだよリルム、ちゃんと 『 遅くなってごめんなさい 』 って言って……」
「リルム、その役は引き受けないよ」

わたしの台詞が言い終わる前に、あっさりと彼女は拒絶した。
わたしは正直、ゲンナリした。折角いい案が出たと言うのに何故そうつれないのだろう、この娘は。

「……リルム、悪戯したんだから、そのくらいはしてくれないと」
「だって、シャドウにご飯運ぶのはの役だもん。それに、悪戯じゃないよ、正直に気持ちを書いただけだもん」
「……誰の気持ちを」
「勿論、と、それからリルムの!」

悪びれもせず、彼女は言った。続けた。

「リルム、シャドウのおじさんのこと好き! ずっと前、リルムが火事に巻き込まれた時も助けてくれたし、今だって何かあれば直ぐ来てくれるもん。リルム、シャドウの事好き!」

屈託ない顔つきでそう訴える。
わたしとロックは直ぐには何も言う事が出来ずに、ただ彼女を見つめた。
しかし「だから、これでいいの」とリルムが脈絡なく締めくくるのを聞いて黙っているわけにもいかない。
わたしはオムライスを指しながら抗弁しようとして、しかしリルムはそれを遮るように言った。


「それとも……、シャドウの事好きじゃないの? これじゃ、ダメ?」
「…………っ」


わたしは絶句した。
何をどう反応すればいいのか判らない。
硬直したまま、二秒、三秒と過ぎていった。
後から思えば、どう考えたってリルムは単純に悪ふざけを仕掛けただけに過ぎなかったし、わたしはそれに簡単に引っ掛かってしまった、ただそれだけの事だったのだけれど。
しかし思った。
この子は完全にわたしで遊んでいる。
たぶん今動けない上喋れないわたしをこうして見上げながら、こころの中では面白がっているのだ。
十歳だか十一歳になりたてのまだ子供の事、人の事をからかったり悪戯したりするのは時と場合によっては微笑ましいものだけれど、しかし……リルム、いろんな意味で君は何も判ってない、判ってないぞ……っ!

わたしの脳内でそんな思考が流れていく中。
事態は静かに、着実に動いていた。わたしの知らないうちに。

最初に気が付いたのは、リルムとロックの表情が変化したことだった。
リルムは口に手をやりわたしを見ている。
ロックは顔を強張らせたままわたしを見て──
いや。違う。
二人ともわたしではなく、わたしの背後を見ていた。
……後ろ? わたしの後ろにあるものと言えば、シャドウさんの部屋の扉くらいしか…………
ひくり、とわたしは自分の口元が引き攣るのを感じた。
振り返れなかった。
背中が、首が、頭が何かによって固められたかのように動かない。上半身が不自由になっていた。
わたしはそのままでどうしていいのか判らずに硬直し続けていた。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

説明など要らないかもしれないが、上からロック、リルム、わたし、そして最後は、今この場に一番いてほしくない人物のものである。
振り返るまでもなく、わたしは彼がそこにいることを知った。
沈黙に耐え切れずに口火を切ったのは、ロックだった。

「シャ、シャドウ……悪い、うるさかったか?」
「…………」
「そ、その…………もしかして、俺たちが話してた事、聞こえてた、か……?」
「…………」

シャドウさんは沈黙していたけれど、それはつまり肯定と言える。
というか、あれだけ騒いでいたら戸を閉めていても大体聞こえているものだ。
わたしは手にしているものを取り落としそうになった。それを受け止めたのはリルムである。
彼女はたたっとわたしの後方に回り込んだ。止める暇もなかった。

「あのね、シャドウ。これ、が作ったんだけど……」
「わあああああ!!!」

わたしは絶叫した。混乱していた。
シャドウさんを見る事など出来ず、わたしはその場から全力で逃げ出した。
そうするしかわたしに選択肢は残されていなかった。
見られてしまった。あんなものを見られては生きていけない。
ああ、終わりだ。全て終わりだ。
絶 望 だ 。






二時間後。

「なあ……、もういいかげん止めとけよ」
「…………」
「リルム、ちゃんと言ってたぜ? 作ったのはだけど、あの文字書いたのはリルムだって」
「…………」
「シャドウも何も言わなかったけどさ、黙ってそれ受け取ってたし」

果たして彼が、本当にアレを受け取るだろうか、とか。
まぁ、リルムから渡されたものなんだから、そうそう拒絶するものでもないかもしれないとか。
ぼんやりと思ったけれど、──けれど、もう、どうでもいい。
わたしはコップをロックに向かって突き出した。

「おかわり」
「飲み過ぎると腹、壊すぞ? 止めとけって」

彼はそう言って宥めようとしてくれた。
誰もいなくなったダイニングに戻ってきてテーブルに突っ伏していたわたしに、今、こうして付き合ってくれているロック。
思えば、彼はこの一件には何の関わりもないはずなのに、わたしにオムライスを叩きつけられそうになったり、こうしてわたしの面倒を見る羽目になったり。
苦労人だなぁ、と人事のように思いながら、わたしは黙ってロックを見た。
じーっと見続けていると、やがて諦めたように、コップにミルクを注いでくれる。
わたしは自棄酒ならぬ、自棄ミルクをまた呷った。もう既にお腹はガボガボだが、飲まなきゃやっていられない。そんなわたしを、ロックは心配そうに見ている。

「……落ち着いたら、食器洗っちゃうから」
流しに積み上がっている皿を指してそう告げ、ロックを部屋に帰した後も、わたしはテーブルから動けないでいた。

溜息をつきながら、思った。
なんでこんな事になってしまったんだろう。
わたしはただ、シャドウさんに普通に夕食を食べてもらいたかっただけなのに……。
手の中にあるコップの中を見ながら考えた。
ミルクの飲み過ぎで死ねないだろうかと馬鹿げたことを思ってみたけど、たぶん無理だなとも思う。
ならせめて、この白い液体が記憶も白く塗りつぶしてくれればいいのに。さぞかし楽になれるだろう。
いくら思っても、手の中のミルクはわたしの望むようにはしてくれない。
……今日は厄日だ。
ぽつりと、そう思った。






それから…………、実を言うと、そこから先は記憶があまりない。
そのまま、いつの間にか眠ってしまったみたいだった。歯磨きも顔を洗う事もしないまま。
ただ、どのくらい経った頃だっただろう。
テーブルの上で寝たままのわたしの上から、低い呟きがこぼされたような気が、した。

「まったく──」

溜息交じりの声。……誰の声だろうか。よく知っている人物の声のような気がする。
だけど、まどろみの中なので頭は上手く働かない。呟きは続けられた。

「こんな事で大騒ぎしなくてもいいだろう」

したくてしたんじゃありません、と言葉にもならないままぼんやりと思う。
そうしているうちに、そっと、何かがわたしの肩に掛けられる感覚。
誰かの気配のようなものがあったけれど、夢だったかもしれない。
わたしの意識は再び、深いところへ落ちていた。





目覚めはあまり、良くなかった。
当然かもしれない、テーブルの上というのは寝心地いいとは、とても言えないものだから。
見れば、灯りも付けっぱなし。そういえば、時間は……まだ、午前四時を回ったばかり。
早いけど、朝食の準備でも。
いつものわたしならそう思っていたかもしれないけれど、今ばかりは、とてもそんな気にはなれなかった。ティナやセリスに任せてしまおうか。
そう考えて、自室に戻って寝直そうと立ち上がった。

ばさり、と何かがわたしの肩から落ちた。

マントが落ちていた。
しかも、黒い色をしていた。
あまりに見覚えのあるものだった、それは。
……なんで、こんなところに?なんでわたしの肩に掛かっているんだろうか。
おそるおそる手に取った。そして、ふと、辺りを見回した。
一見、特に変わった様子はない。ただ、何かが違うような。一体何が?

「…………」

流しの横に、夕べはなかった食器が置かれていた。スプーンに、スープとサラダの器も一緒に。全部きれいに空になっている。黒いマント。夕べの夢。空の食器。落とされた呟き。
マントを掴む手の力が、キツくなっているのにわたしは気付いた。

──困ったなあ。
わたしは思った。一体どんな顔をして、彼にこのマントを返せばいいんだろうか。
また一つ、困りごとが出来てしまった。

そう思いながら、同時に溜息をついていた。 それは昨日のものとは違って、安堵に近いものだったけれど。
ひとまず今日のわたしの課題は、このマントを彼に返すことらしい。
ふっと息をまたついて、わたしはひとまず食器洗いを始めるために腕をまくった。





──数日後。

「ねぇねぇ! 今晩はまたオムライスにしよう!」
「やめてー!!」

わたしはリルムの台詞に悲鳴に近い声を上げた。

「いいじゃない、今度はもうあんな事しないから!」
「嫌! もう絶対に作らない!!」
「え、もう作ってくれないのか? あれ、美味かったのになぁ」

宣言するわたしに、先日の一件のことを何も知らないマッシュさんが残念そうに言う。
ロックが「何も言うな」というようにポンとマッシュさんの肩を叩いているのが目に入ったので、わたしはそんな面倒見のいいロックに助けを求めることにした。

「ロックー! この子のことは頼んだ、パス!!」
「なっ!? なんで俺なんだよ!!」
「一番頼みやすいところに居たからー!!」
「も〜、ってばオムライス作ってよー」

ぎゃあぎゃあと喚くわたし達、それを離れたところから見ていた人物が、覆面の下で小さく息を漏らしていたのをわたしは知る由もない。






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