どうして、こうなったのだろう。
目の前の鏡台、その中に映る自分は珍しく不機嫌そのものである。
黙りこくって憮然としたわたしの傍らには、正反対の表情のオルガがいる。
あれこれと様々な小物をわたしに宛がったり、首筋に何か液体を擦り込んできたり、髪に何か飾りを差し込んできたりする。
彼女自身はとても楽しそうで、キラキラした装飾品の詰まった箱の中を物色していたりする。
わざと盛大な溜め息をつこうが、向こうはお構いなしである。

始まりは、彼女とのいつも通りの会話だった。
わたしは中つ国に来たその日から、此処での衣類を借りて着るようにしていた。
自分が着ていたものは今のところ、畳んでしまっている状態にある。
そして普段の着替えは全て、彼女にお願いして拝借しているものである。
先程も、オルガに新しい着替えを借りようと声を掛ければ、今日に限って向こうはこう提案してきた。

「たまには違うものを着てみたらどうかしら。いつも同じものでは、つまらないでしょう?」
「丁重にお断りします」

わたしは薄く笑って拒絶を示した。
これまで借りていたものは、ごくごく簡素なものである。
オルガが最初に持ってきてくれたものは、正直袖を通すのが憚られた。
ここの女性が身につけそうなものはどうしても長い丈の装束になり、動き辛くて仕方なさそうなのだ。
そもそも論だが、わたしに似合うとも到底思えない。
故に、男の人用のズボン、その中で小さなサイズのものを、適当に丈を詰めて履くようにした。上は合いそうなものを適当に。
このスタイルで通すようにしていたので、今自分が着けているものが定番といえば定番の衣装である。
楽ちん且つシンプルで、わたしは其れを気に入ってもいた。

そんな経緯があったので、わたしはそれ以外を身につけることに拒絶を示した。
しかしオルガは首を捻って、ほんの少し思案しているように見えた。
すぐに、「後での部屋に着替えを届けるわ」と言って出ていった。
その時は安易に、諦めてくれたものと思い込んでいた。
そしてものの数十分で、わたしの部屋にやって来た彼女が持ってきたものがこれである。
何枚もの長い裾のドレス、髪飾りやら何やらの煌びやかな装飾品、香水やら化粧品やらその他諸々、エトセトラ、エトセトラ。
これのどの辺りが、わたしのお願いした着替えなのだろう。
ドレスというチョイスとか、一体どういう事なの。そうわたしは問いたい。
けれど向こうは、此方が一瞬唖然としたのを見逃さず、わたしを鏡台前に引っ張り込んできた。
場面は冒頭に戻る。
どうして、こうなったのだろう。
わたしはげんなりした。

「オルガ」
「何かしら」
「いつもの着替えが欲しいんですが」


そこまで言うなり、彼女は急にわたしを遮った。
何故か、有無を言わせないような妙な空気があった。
彼女は果たして、こんな娘だっただろうか。普段はもう少し控えめな、大人しい子のはずなのだが。
そう考えている間にも、彼女は何事かをわたしに語って聞かせた。
概要を言えば、
「普段から化粧もせず、服もまるで殿方のようなものを着て歩いているわたしを一度、どうにかしたいと思っていた」
ということらしい。
友人の中にも、化粧っ気のないわたしのようなのを弄りたがる子がいたりする。彼女はそのタイプのようだった。

「さあ、まずはドレスを選びましょうか」
「いや、無理」

首を振って、再度の拒絶。
にも拘わらず、オルガはやたら裾の長いヒラヒラしたのを手にして、わたしの身体に合わせてくる。
日本人形がリカちゃん人形のドレスを着るようなものである。絶対に似合わない。
しかもよくよく見ないまでも、ドレスにしろ装飾品にしろかなりの高級品だと察しがついた。自分には分不相応にも程がある。
そう言って遠慮しようとすれば、にっこりと彼女は微笑んだ。言った。

「平気よ。ボロミア様とファラミア様に許可は頂いているもの」
「ファー!?」

わたしはぽかんとした。
一瞬何を言われたのか理解できない。
ややあって、わたしは反芻するように彼女が言ったことを繰り返した。

「……ボロミアさんとファラミアさん、何を許可してくれたの?」
を綺麗に装うための、このドレスや飾り物を使わせて頂くことへのご許可よ」

ごくごくあっさりとオルガはそう言ってのけた。
その顔は高揚感に満ちていて、自分がやろうとしていることが楽しくて仕方がないといった様子がだだ漏れている。
……何勝手に許可してくれてんの、あのお二人。
何故に、わたし抜きにそんな話になっているのだろう。
わたしはいよいよ仏頂面になってそんなことを思った。それより何より、此処はひとつ逃げる算段をしなくてはならない。
着せ替え人形にされるのも化粧させられるのも、正直どちらもごめんである。
今度は化粧箱の中の何かの小瓶を見比べていたオルガの様子をそーっと窺いながら、ドアの方へと足音を忍ばせた。

「お二人とも、出来上がったら是非の姿を見たいと仰っていたわ。頑張らないと!」

ピタ、と足が止まる。
今、何て? と心の中で呟く。
ボロミアさんやファラミアさんが、果たしてそんなことを言うものだろうか。
わたしを綺麗にしてみたところで、どうひっくり返ってもたかが知れているというのに。
そもそも、許可なるものが出ているというのは本当だろうか。
いい様に彼女に言いくるめられているのではないだろうか、どうなのだろうか。
思う所はあった。けれど今この瞬間するべきことは。
くるりとオルガが此方を振り向くその刹那、わたしは脱兎のごとく部屋を飛び出した。
そのまま全力でのダッシュ、背後から彼女の叫ぶ声が聞こえたけれど構わず無視し、わたしは館の中を疾走した。





「ファラミア様、先日の小隊編成についてまとめたものです。明日までにお目通し頂きたく存じます」
「承知した」

幾数枚の紙の束を受け取って、私はその場を後にした。
明日までということだが、すぐさま済ませてしまいたかった。自室に戻って、そこで一通り目を通すことにしようか。
そのように考えながら階段を上り、上り、通路を早歩きに行く。
書斎に着き扉を開けようとしたところで、駆ける足音がすることに気が付いた。
遠くからこちらへと近付いてくる足音、その方向を見ると、

「……?」

真っ直ぐにこちらへ向かってやって来るのは、見紛うはずもなくの姿である。
向こうも私に気付いたようだが、表情を変えるでも口を開くでもなく、ただ自分の方へと走ってくる。走る早さを緩めようともしない。
しかし目の前まで来たところで、彼女はピタリとその場に停止した。
よくあの速さで走ってきていて、急に立ち止ることができるものだ。そんなことを思っていると、彼女は呼吸を整えながら
「ファラミアさん」 、とまず一言言った。

「お忙しい中、申し訳、ないのですが、……少しよろしいですか」
「ああ。どうしたのだ、一体」

私は首を傾げながら訊ねた。
見れば、いつも私や兄などに接する時にある微笑みは今の彼女に存在しなかった。何処か無音を思わせる表情。
そうして間近に目にしてみると、それとはまた別に、いつものとは異なっている点が幾つかあるのが判る。
微かな柑橘のような、何か清涼な香が彼女からする。
香水のようなものだろうか、今までの彼女には、そういったものを付ける習慣などなかったように思うが。
それだけに留まらず、華美ではないがの黒髪に映える銀と透き通る色の石の髪留めが付いている。
そこまでを認めて、なるほど、これはオルガの施したものなのだろうと合点がいった。
ほんの僅かな間に顔を覗かせて、彼女がある願いを告げたのはつい先程のことだ。
何故最後まで仕上がらないうちにが此処に居るのかは知らぬが。
さらにはオルガが脱がせようとしたのか、僅かに襟元が乱れている。そのことには気付いていないのだろうか。
どう指摘したものかと思う間にも、彼女は言った。

「ボロミアさんとファラミアさんが許可されたっていうのは、本当ですか」
「許可……、装飾具のことか」
「そうです、それです。オルガに許可を出されたって、本当ですか?」
「ああ。それは、確かにそうだが」

そう告げた途端、の首は折れたかと思う程にガクリと下に下がってしまった。
そのまま頭を抱え、しゃがみ込んでしまう程だった。
私は驚いて彼女を支えてやろうかと思ったが、すぐに、すっくと立ち上がる。
こちらを見上げた目には心なしか、圧力のようなものが籠っていた。

「ファラミアさん……」
「ど、どうした?」

の声は、低く絞り出されたように私には聞こえた。
一体どうしたというのだ、本当に。
すっと細まったその目の視線を近い距離で受け止めた、次の瞬間。

「ごめんなさい、ファラミアさん」
「……?」
「体当たり、いきます」
「な」

何のことか意味を図りかねたほんの一刹那の後、私は本当に彼女に体当たりされていた。
予告されたにもかかわらず、一瞬のことに身構えきれずまともにその一撃を受けて思わずよろめく。
思った以上に強力な一撃であった。

……な、何を……」
「それはこっちの台詞ですっ、どうしてそんな許可出しちゃうんですか、というか何でわたしが 女装 しなくちゃいけないんですかー!!」
は女性だろう!!」

私達はよく判らないやり取りを交わした。
は頬を膨らませ、ようやく彼女らしい表情の一片が現れた、そう思った時には向こうは身を翻しかけていた。
また走り出そうとする彼女の腕を慌てて捕まえる。一体何だというのだ、わけが判らぬ。

「待て、!!」
「誰が待ちますかーーー!!」

ジタバタと逃げ出そうとするを何とか宥めようとするが、なかなか抵抗が強固である。私は少し手間取った。
そうするうちに、ふと遠巻きに此方を見ている通りがかりの兵や侍従たちの目に気が付く。
私がそちらを見ると目を逸らすが、幾数名の者が如何にも私達を気にしている。
私は改めて自分たちを見た。
僅かとはいえ着衣の乱れた彼女、その腕を取っている今の自分は、彼らの目にどう映っているのだろうか。
私は手加減していた力を強め、慌てて彼女を自室に引き入れた。
その姿もまた、見ていた者たちにどう映ったのかは判らなかったが。



は髪から飾りを無造作に引き抜くと、溜め息をついて机の上に置いた。
その姿に内心苦笑してしまう。余程、着飾るのが苦手と見える。
確かに私と兄二人でいたところにオルガがやって来て
「彼女をめかし込むための道具を貸してはもらえないか」、
と願い出てきたところに許可を与えたのは自分たちだ。
ただそれは、自身が了承したのだろうと漠然と思い込んでいた節もある。
そのことについて詫びると、彼女は「いえ、此方こそごめんなさい」と頭を下げたが。体当たりなんかして。と付け加えて。

「しかし、それほど飾り立てるのは嫌いか」

私はそれとなく思ったことを訊ねる。
も女性であるので、少なからずそういったことへの関心はあるのではないかと思っていたのだが。
彼女はあからさまに顔を顰めて、そのまま首を何度も振った。

「わたしがドレス着て化粧したって、似合うわけないじゃないですか」
「そんなことはないと思うが」
「あんなビラビラしたの着てたら、走れやしないし階段も一段抜かし出来ないし裾踏んづけて転ぶのがオチですよ……」

考えただけでさも嫌だというように、彼女はまたも溜め息をついた。
思い返してみれば、初めて会った日のが身につけていたものも、今のように動きやすいものだったように思う。
そういった点に加え、彼女はどうも、自分には女性らしい服装が似合わぬと考えているらしかった。
惜しいことだと思う。
その黒髪を梳き先程の飾りを付け、このミナスティリスの白のような装束を纏い静かに佇んでいたならと想像する。
決して似合わぬことなどないように思うのだが。
そう思いを巡らせていると、扉をノックする音が響いた。
「オルガかも」、と困った顔をするが私の袖を引いた。さて、どうしたものか。
私はひとまず彼女に肯いてみせてから扉を開く。相手はやはり、が今恐れている友人である。
は私の背中に隠れたまま、服の端を握っている。
成人しているという彼女がまるで子供のようで、またしても内心で小さく笑ってしまいそうになった。
にとってはそれどころではないのだろうが。

「……オルガ。ファラミアさん達はわたしが身拵えさせられるのを了解しているのなら、っていうのを前提に許可してくれたのであって、わたしが嫌だって言えばそれは無効なのでは」
「あら、いけないわ、そんなことを言うなんて」

オルガは笑顔を絶やさずにの言葉を遮った。
続けた。

「折角お二人からお許しが出たんですもの、今を逃したら次いつを綺麗にできるか判らないのだし」
「うーん、じゃあ、ドレスじゃなくて鎧ならわたし是非着てみたい! 一回鎧コスプレしてみたかったし」

コスプレとは一体何だろうか。
思いながら様子を見守るが、当然ながらそれでオルガの気が済むはずもない。
二人は互いに退くことなく、私を挟んで言い合った。

「もう、そんなにわたしをどうにかしたいんなら、今度大学の卒業式で袴着る予定だからいっそその時見に来ればいい!!」
「行けるわけないでしょう! もう、ファラミア様からも何か仰ってください!」
「ファラミアさん、この娘に一言言ってやってください、何か一発こう、ビシッと!」

双方が私に助けを求めてくる。
本当のところで言えば、の嫌がりようからも彼女の方を支援してやりたいところである。
しかし私はオルガの性質も幾らか理解していた。
慎ましく心優しい娘であるが、意外なところで意固地な面もあるのだ。そしてそれは滅多な事では折れる事がない。
今ここで諦めさせても、ゆくゆく先でまたこのような話になるともしれぬ。
私はそのように考えたが、それとはまた別に違うことも思った。
先程自分が思い描いたものだ。普段の姿からは想像し難いが、例え控えめにでもそれらしく装った姿のは、実際どのようなものなのだろうか。
微かな関心は、好奇心とも言えるのかも判らぬ。
私は悪いと思いながらも、口を開いた。

「……そうだな。一度、の着飾った姿というものも見ておきたいものだ」
「ちょっ……、ファラミアさんー!!?」

が唖然としてこちらを見た。
彼女にしてみれば、私が援護してくれるものと信じていたのかもしれぬ。
そのことを思えば申し訳なかったが、口にしたことは正直な気持であったし、今を少しだけ我慢すれば丸く収まる。
ここで抗っても、後々大変なのは自身なのだ。
私は総合して、をめかし込ませる方に一票入れた方が良いと判断した。

、ここは一度折れろ。の気持ちも判らぬではないが、ほんの数刻耐えれば済むことだ。それに」

私は硬直している彼女の顔を覗き込んだ。
半ば呆然としている濃い色彩を宿した目がこちらを見ている。
言った。

「――きっと美しくなる」

固まっていたの頬が見る見るうちに紅に染まった。
彼女はしばらく言葉無く強張り続けていたが、徐に何かが聞こえた。何事かを、彼女が呟いている。
耳を近付けようとしたその時、
「……………ミアさんの」
「……?」
まだ小声で聞き取れないが、それでも言葉の端を拾うことができたような気がした。
その次の瞬間。



「ファラミアさんのぶぁかーーーーーっっ!!!」



耳を劈くような絶叫が上がった。
思わずのけ反ってしまうその一瞬に、はその場から走り出していた。
罵られるとは思わなかったが、しかし行動はすぐに読めていた。オルガも同じだったようで、先に扉の前に立ち塞がろうとする。
しかしは、今度は思いもよらない方向へと向きを転じていた。
扉からの脱出が不可能と悟った瞬間、あろうことか彼女は出窓の方へと向かったのだ。
オルガがその袖を引こうとしたが、後少しのところで逃れていた。
はそのまま出窓に上ろうとする。馬鹿な、飛び降りる気か!

「よせっ、此処を何階だと思っている!」
「見くびらないでくださいっ、何階だろうとわたしならキャラ的に大丈夫です!!
「何を訳の判らぬことをっ」
「わああ!」

私はを引き摺り下ろした。
床に倒れ込んだ彼女を何とか立たせようと試みながら、オルガの方を見やる。
ほとほと手を焼く、といった様子で互いに首を振ってしまいそうになった。

「これは少々、大変な仕事になるやもしれぬぞ、オルガ」
「……まったくですわ」

私達はそれぞれに、小さく息をついた。
も同じ動作をしていた。
もっとも、彼女の場合は我々の其れとは趣の異なるものであったが。






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