10 トランクス
あと一週間で、お兄ちゃんとミノシアが千年前に帰ってしまう。
そんな少し落ち着かない時間、その最中でのことだった。
夕食の後、皆でゲームをして遊び終わって。
だんだん寝る準備しようかなって思ってたら、おねえちゃんとお兄ちゃんに声を掛けられたんだ。話したいことがあるって。
「良かったら、トランクスの部屋で話さないか」ってお兄ちゃんが言う。
オレはいいよって肯きながら、心の中で首を傾げるんだ。
改まって何だろう。
話したいことって、何だろう。
そう思って見上げれば、二人とも、いつもよりちょっと真剣そうに見えたっけ。
だから、少しくらいなら何を言われたって平気なように、心構えっていうやつはできてたつもりだった。
だけど、そんなものは何の役にも立たなかったんだ。
「……ちょっと待ってよ」
オレは、そう言うのが精一杯だった。
顔が強張り引き攣って、上手く表情にならない。
本当なら「冗談だよね?」って、そんなふうに笑いたいのに、きっと今の自分は、全然笑えてないんだろうなってぼんやり思う。
「本当に……おねえちゃんも行っちゃうの? コナッツ星に」
「うん」
いざ切り出されたその内容は、思ってもみないことだった。
そして迷いもなく肯くおねえちゃんに、少なからずオレはショックだった。
それが何故かだなんて、一言では言い表せない。
……おねえちゃんは、ドラゴンボールの願いで元いた世界に戻るんだ。
オレは今の今まで、そう信じていた。
それは、おねえちゃんだってそうだったはずなんだ。
その願いは、今回の件で延期に延期を重ねているような状況で。けれどオレは、心の何処かでこの状況を喜んでいたかもしれない。
だって、だって、その分おねえちゃんと一緒にいられるんだから。
……だから、ドラゴンボールの次の願いの時までは一緒にいられると思っていた。
もうすぐお兄ちゃんやミノシアとは別れなければいけない。けど、おねえちゃんはまだオレの傍にいてくれる。
そう思っていたのに、どうして。
それが、正直な気持ちだった。
「……どうして?」
「行ってみたいなって。タピオンやミノシアくんの生まれ故郷に……タピオンともたくさん相談して決めたんだよ」
「それって……」
のろのろと視線をお兄ちゃんの方に投げ掛ける。
お兄ちゃんはちらっと笑んだけど、何処か困ったような、何かを申し訳なく思っているみたいな、そんな小さな笑い方で。
オレが問いたいことの意図を、お兄ちゃんは理解してくれていたみたいだった。
これが、例えば……他の大人の人だったら、話を逸らしたり遠回りなことを言って、オレを煙に巻くような真似をしていたかもしれない。
だけど、お兄ちゃんはちゃんとオレと向き合ってくれた。
「トランクス」、まるでいつもと同じみたいな呼び掛けの後に、言葉が続いた。
「俺はが好きなんだ」って。
優しいお兄ちゃんの声なのに、何故か、頬を張られたような感じがした。
その感覚に呆然としている自分とは別に、少しだけ冷静な自分もいる。そいつはオレの中で、こう呟くんだ。
ああ、……そうなんだ、って。
多分、傍から見たらオレはただポカンとしているだけに見えたかもしれない。
ただ、
「おねえちゃんも……」、
訊きたい言葉だけは口から零れてたっけ。
……変だよね。もう分かり切ってることなのに。たくさん相談して決めたって、さっき言ってたのを聞いたのに。
「おねえちゃんも、そう……?」
「……うん」
応じてから、あはは、って照れくさそうにおねえちゃんが笑うんだ。
「最初はタピオンのこと、名前を聞いてもすぐには思い出せなかったのに……不思議だよね」
うん、そうだったよね。覚えてる。
でも、……ああ、そっかあ。
おねえちゃんとお兄ちゃんが、……そうなんだ。
二人の話はごく簡潔なものだった。「おねえちゃんも一緒に行く」、ただそれだけの事実を伝えるもの。
……それなのに、頭の中ではそれを上手に消化することができない。
オレにとって二人はおねえちゃんであり、お兄ちゃんだった。まるで本当の姉と兄のような。
だから……、そんなふうな形になるイメージがどうしても浮かばなかった。それが本当のところだったんだ。
けれど二人とも、たくさん相談して決めたその内容を、オレにも正直に打ち明けてくれた。そう思おうとした。
……それでも、その日はなかなか寝付けずにしばらくベッドの中でぼんやりしてたっけ。
頭の中が、まとまらない。
シンと静まり返った夜、その暗い時間の中で、オレは天井を見つめてた。
おねえちゃんのことが大好きだった。そして勿論、お兄ちゃんのことも。
「複雑」っていうのは、こういう気持ちのことを言うのかな。そんなふうに考える。
オレは、すぐには上手く納得することができなくて。
「……初恋は実らない、ってやつなのかな」
小さな独り言は、夜の時間の片隅に吸い込まれて消えた。
時間はすぐに過ぎていった。
オレは内心を押し隠して、いつもみたいに振舞ってみせていた。もう、拗ねて駄々をこねるようなお子様じゃない。
何より、そんなことをして最後の時間を台無しにするなんて御免だって、自分でも思ったんだ。
そして、今月最後の日。
いよいよお兄ちゃん達が千年前のコナッツ星に帰る日がやってきた。
タイムマシンもスタンバイして、見送りに来た悟天や悟飯さんに悟空さん、クリリンさんやビーデルさん達といった面々が顔を揃えていた。
ママが事前に皆に知らせてはいたけれど、それでもおねえちゃんが一緒に旅立ってしまうことに今なお驚きを隠せないでいる人も何人かいたっけ。
「ちゃん、元気でな!」
「時々遊びに帰ってきてくださいね」
「うん、タイムマシンの往復分のエネルギーが溜まったらまた来るね」
おねえちゃんは、気軽に皆にそう言ってる。
お兄ちゃんも、ミノシアもその顔は晴れやかだった。
……寂しくないのかな。
皆と離れちゃうのは、おねえちゃん達にとって辛くないのかな。
そんなことをつい悶々と考えていた時だった。
「トランクスくん!」
「!」
後ろから背を両の手で叩かれて、思わず息を呑み込む。
いつの間にかミノシアが背後に回っていたらしい。まるっきり悪戯に成功したといった体でにこにこしている。
あははっ、と声を上げて向こうは笑った。
「隙だらけだったよ? 今日の勝負は僕の勝ちだね!」
「な、何を〜!?」
オレはついムキになってしまって、しんみりしていた気持ちは一気に吹き飛んでしまった。
「つ、次は絶対負けないんだからな! 今度来た時には絶対にオレが勝ーつ!!」
「うん、そうだね。楽しみにしてる!」、
そう言ってミノシアは片手を差し出してくる。そこへ、
「あっ、トランクスくんだけなんてズルイ! 僕も僕も〜!!」
悟天が口を尖らせながらも割り込んでくる。オレたちは両手をそれぞれ合わせて、また会う約束を交わした。
……そうだよな。これでお別れじゃない、またオレたちは会えるんだ。
だから、しんみりなんてしてる場合じゃないんだ。
そう思うと、自然と元気が出てきた。
おねえちゃんもお兄ちゃんも、きっと同じ気持ちなんだ。そう思って二人の方を見れば、丁度向こうもこちらを見ていて。
微笑ましいとでも言いたげな表情が、二人の顔の中にある。
……おねえちゃん達から見ればオレたちは子供だろうから、それも仕方ないかもしれない。
そんなことを思ううちに、おねえちゃんの顔が不意に真面目なものに変わった。
その目がオレを、そして皆をぐるりと見回した。
意を決するみたいな様子で、言った。
「トランクスくん。……ブルマさんに、それと皆さん。一つ、お願いがあるんですが」
「おねえちゃん? どうしたの?」
「なぁにちゃん、改まって」
ぽつりと言い出したおねえちゃんの言葉に、皆がそちらを見ていた。
お兄ちゃんやミノシアも何も知らないのか、目を瞬いてる。
おねえちゃんが続けていた。
「……次にドラゴンボールが使えるようになったら、球を集めて頂いて……『 わたしの世界の人からわたしの記憶を消してください 』って、お願いしてほしいんです」
皆が一瞬、言葉を失ってた。
当然だと思う。あまりにも、唐突な言葉だったから。
そんな……って思う。
きっと誰にも言っていなかったんだろう、皆がオレと同じような気持ちを顔に出してたっけ。
でも……、それは多分、おねえちゃんなりにずっと考えていたことだったんだろうって、今は思うんだ。
おねえちゃんはある日突然、この世界に落ちてきた人だった。
おねえちゃんには、おねえちゃんの家族や友達がいるはずだったし、きっと心配しているだろうと思う。
けど、だからって……その願いはあんまりにも寂しいものだって、そう感じたのはオレだけじゃなかったみたいだった。
「ちゃん、それはちょっとあんまりだわ」
「でも、このまま連絡も取れないままだとちょっと……家族も心配してるでしょうし……」
「それにしたって……!」
「だったらいっそ、忘れてくれた方が」
「、他にいい方法はないのか」
ママやビーデルさんがそう言って首を振るところへ、お兄ちゃんも加勢してくれた。
「君は俺たち兄弟を救ってくれた、それなのに君や家族がそんな離れ方をするのは納得できない」
「うん、でも」
「駄目だよさん、もっといいやり方があるはずだよ!」
ミノシアもそこに乗っかるような形でおねえちゃんに懇願する。
そんなやり取りの最中に、
「なあ、」
と声を掛けたのは悟空さんだった。
まるでいつもと同じの、いい意味で緊張感のない言い方。皆、毒気を抜かれたみたいになって悟空さんを見る。
その声が続いていた。
「忘れてもらうんじゃなくてよ。……遠くに嫁に行くことになって、あんまりにも遠い所なんでもう帰ってこられねえけど、は幸せにやってる……って記憶にしてもらえばいいんじゃねえか? 実際その通りだろ?」
「よ、嫁…………」
ざっくばらんな悟空さんの言葉に、おねえちゃんは赤くなったまま硬直してしまう。
それでも、そのままの状態で言われた内容を咀嚼していたみたいだった。
「……そっか、それでいいんだ」、
少しの間の後、おねえちゃんはすごく納得したみたいな様子で二、三度肯く。強張ってた顔が元通りになって、ふわりといつもみたいな笑みが浮かんだんだ。
「そうですよね、その方がわたしにとっても家族にとってもいいですよね!」
「オラはそれでいいと思うけどなあ」、
首を少し傾げながら、悟空さんは逆に問い掛ける。
「はなんで忘れてもらった方がいいって思ったんだ?」
「えーと……どうしてでしょう。それしか思いつきませんでした」
そう言って、おねえちゃんは頭を少し抱えてた。
全く、普段はしっかり者のおねえちゃんなのに、自分のことになるとこうだもんなあ。
隣でお兄ちゃんも、苦笑いっていう顔をしてたくらいさ。
そんな中でもおねえちゃんは、ポンと両手を合わせて言った。
「でも、悟空さんの案の方がずっといいです!」
「ははっ、そっか。そりゃあ良かった! ……やっぱり皆しあわせな方がいいもんな」
何気なく悟空さんが言った言葉だった。
そしてきっと、皆が本当にしあわせになるだろうって思えた。
物語は、ハッピーエンドで終わるんだ。
話はこうしてまとまって、悟空さんの提案通りにおねえちゃんの願いは皆に託されることになった。
「良かったね、おねえちゃん!」
「うん。……トランクスくん、一緒にドラゴンボール探しに行けなくてごめんね」
お願いごと、よろしくね。
そう言ってしゃがんで目線を合わせようとしてくる。
……お別れしなくちゃいけない。そう思ったら、身体が勝手に動いてた。
おねえちゃんのほっぺたから顔を離したら、向こうはちょっと吃驚した顔してたっけ。
しどろもどろに、
「お、お別れの挨拶」って言ったように思う。
すぐにおねえちゃんは、ありがとうって言ってくれて。
一瞬のことだった。ふわっとオレのほっぺたに、おねえちゃんの唇が触った。
どこか小鳥がつつくみたいな、本当に一瞬のキス。おねえちゃんがくれた、最初で最後のキスだった。
「トランクス」
そっと髪を撫ぜてくれたのは、手袋越しのお兄ちゃんの大きな手。
「元気でな」
「うん。お兄ちゃんもミノシアも。……おねえちゃんもね」
オレたちは、互いに笑って別れを告げた。
玩具の散らかる自分の部屋は、すっかり広くなってしまった。
一週間が経ち、一月が経ち、半年が経ってしまうといつの間にかそれにも慣れた。
それでも時々、寂しくなることはどうしたってある。それは否定しない。
……お兄ちゃんの剣が、すぐ傍にある。
心がすうすうする時は、それを抱きかかえていると少しだけ落ち着くような気持ちになる。
あの別れ際、タイムマシンに乗り込んだお兄ちゃんがふと、オレを呼んだんだ。
振り仰げば、いつも身に帯びていたあの剣が目の前に降ってきていて、慌ててキャッチしたっけ。
「くれんの!?」
「ああ。俺にはもう必要なくなったからな」
そう言って笑ったお兄ちゃんに、オレは大喜びしたんだ。
お兄ちゃんの、勇者の剣。……それをオレに譲り渡してくれたその意味を、この時のオレはまだちゃんとわかってなかったかもしれない。
それでも、飛び跳ねてしまうくらい嬉しかったっけ。
人心地ついて、改めて頭上を見上げればそこには目を細めるお兄ちゃんがいた。
そしてその隣には、おねえちゃんとミノシア。
基本的に一人乗りのタイムマシン、其処に三人というのは大丈夫かなと思ったものだけど、乗ってみれば案外平気そうだった。
女の人に、小柄なミノシアだからかもしれないな。
そう思っていたら、おねえちゃんが何だかちょっと感極まったような顔をしていて。
「……わたしの覚えてるシーンと、全く同じ」
「え?」
オレが、ママたちが、お兄ちゃんやミノシアが、一瞬きょとんとする。
けどすぐに、その言葉の意味がわかったんだ。
「。……君が言っていた、最後の場面というのは」
「タピオンがトランクスくんに、剣を渡してあげるところ。もう、完全に一致」
お兄ちゃんに微笑んでから、こちらに向かっておねえちゃんは言うんだ。
「トランクスくんに剣が受け継がれる場面、すごく印象が強くて。ここは、本当にはっきり覚えてたんだ」って。
ああ、そうだったんだと思い掛けたその時、
「ちょ、ちょっと待って」、
と上がった声がある。それは、他の誰でもないママの声だった。
「ずっと前から何処かで見たような気がすると思ってたんだけど……それ、もしかして未来のトランクスが持ってたのと一緒じゃない!?」
その言葉に、俄かに皆が色めき立ったんだ。
それっていうのはきっと、オレがまだ物心つく前の頃。
未来からやって来たっていうもう一人のオレの話なんだろう。ママやおねえちゃんから、大きくなったオレの話はたくさん聞いてたからね。
そしてそのオレが初めてこの時代にやって来た時、大剣をその背に背負っていたってことも。
だったら、それというのはもしかして。
「ねえちゃん、違う?」
「はっきりとは明言されてないんですけど……」
そう前置きをしながらも、おねえちゃんは続ける。
劇場版のラストシーン、オレが剣を受け継いだその後に、未来のオレが剣を振るう場面が流れるんだって。
それは、未来のその剣が、お兄ちゃんのものと示唆するものなんじゃないかって。
「未来のトランクスくんのものがタピオンの剣か、そうでないかは断言できませんが……」
「でも、未来ではドラゴンボールが使えないはずだし、オルゴールの封印を解くことはできないんじゃ」
「それなんですけど」、
おねえちゃんはそっと視線を傍らに向けた。その目は、やわらかくミノシアの方を見ている。
「……ミノシアくんの方のオルゴール、ホイは、どうやって封印を解いたんでしょうね?」
「!」
皆が、ハッとしたようだった。
それはつまり、必ずしもドラゴンボールを使わなくても、何らかの方法で封印が解かれてしまう可能性があるということ。
けれど、おねえちゃんは敢えてそれを解き明かす必要もないだろうと考えているみたいだった。
「そうかもしれないし、違うかもしれません。でも、わからないままでも、いいんじゃないでしょうか」。
確かに、それでいいように思う。それが分かったからといって、何になるわけでもない。
それでも時々、考えてしまう。
未来でも、同じことが起こっていたんだろうかとか。
もしそうだったら、未来のお兄ちゃんはどうなったんだろうかとか。
窓の外を見る。
まだ昼前の、よく晴れた空がそこにある。こんな日はよく、皆で外で遊んだっけ。そんなことを思う。
いろんなことが頭をよぎって、ごちゃごちゃになる時がある。
それでも、結局最後に思うのはいつも同じことだった。
「会いたいな……」
お兄ちゃんに、ミノシアに、そしておねえちゃんに。
ほとんど無意識に呟いていた独り言に応じたみたいに、ふっと眺めていた空に何かが光った。
次の瞬間、見覚えのある物体が中空に浮いていた。――タイムマシンだ。
「…………っ!!」
思わず凝視する。
間違いない、タイムマシンだ。大きさも形状も記憶と寸分の違いもない。そして、その中に乗っているのは。
気付けば走り出していた。
走って、走って、走って、そして。
駆け抜けた先、外に出れば、芝生の緑がゆるやかな風に吹かれ揺れている。
その向こうに、オレの大好きな人達がいた。
兄と慕った勇者が、同じくらいの年頃の友が、そして自分を本当の弟のように可愛がってくれたその人が。
物語は、ハッピーエンドで終わる。
いつかのオレは、そんなふうに思っていた。
けれど、それは違うんだ。――物語は、終わらずに続いていく。
手を伸ばしたその先の向こう、笑んで手を振る三人の元へと駆け出しながら、オレはそう思った。
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