7 トランクス

すごい衝撃と揺れに、オレは飛び起きたんだ。
何か……何なのかはわからないけど、とにかく、何かが起きてるって、そう思って。
パジャマのまま部屋を出ると、おねえちゃんが廊下の向こうにいるのが見えたんだ。

「おねえちゃん!」

呼び掛けて、そうして改めて見てみれば、地震か何かにしては、特に何処も壊れていない。
何なんだよ、と思ってるうちに、おねえちゃんが走ってきてくれた。
あんなにすごい揺れだったのに、それでもおねえちゃんは、いつもとそんなに変わらない顔してたっけ。

「ねえ、これって地震? さっきすごく揺れたけど、おねえちゃん大丈夫だった!? ママとパパは――」
「トランクスくん」

オレが捲し立てるのを落ち着かせるみたいに、おねえちゃんはしゃがんでオレを見たんだ。

「取り敢えず、みんな下に集まってるからトランクスくんも行こう。待ってるから、着替えて」

おねえちゃんは言葉少なで、決して強い言い方じゃないのに、肯くしかないみたいな空気があった。
それで、やっぱり何かが起こったっていうのは分かったんだ。
言われるままに着替えて一緒に下に下りたところで、オレは目を疑った。
お兄ちゃんの――あのオルゴールの部屋が滅茶苦茶になってる。
剥き出しになったパイプや骨組みはボロボロで、破片も辺りに飛び散ってる。壊れた壁面からはもうもうと黒い煙が上がってるんだ。
それこそ爆発か何かしたみたいな……そんな状況だった。でも、それより何より。

「お兄ちゃん!!」

思わず叫んで中を見るけど、そこはもぬけの殻だった。
このオルゴールの部屋で、お兄ちゃんは眠っていたはずなのに。それなのにどうして。

「ねえ、おねえちゃんどうして……? お兄ちゃんは何処行ったの、ねえ!?」
「落ち着きなさい、トランクス」

ママがそう言うけど、落ち着いてなんていられない。
だって、その時にはオレだって、お兄ちゃんの話は聞いてたんだ。身体の中に悪い怪物を封じ込めてるって。
そのお兄ちゃんがこうしていなくなってしまって、冷静になんてなれるわけがなかったんだ。
お兄ちゃんに何かがあった、そしてそれは、多分良くないことに違いない。
だったら……、オレはお兄ちゃんを助けたい。
でも、どうすればいいんだろう?

「今はひとまず、状況を確認しないと。トランクスとちゃんはここにいて」
「でも、ママ……」
「ブルマさん!」

走って部屋に飛び込んできたのはビーデルさん。
電話の子機を片手に、
「今、悟飯くんにも伝えてきました! きっともうすぐ……」
って言った正にその時、悟飯さんに悟天、それに悟空さんが目の前に現れたんだ。
瞬間移動ですぐに来てくれた三人だけど、目の前の破壊されたオルゴール部屋にビックリしてたっけ。
ママが今までのことを話してる間、オレはオレで、お兄ちゃんの気を探ってたんだ。
近くにいるのか、遠くにいるのかだけでも分かれば……って思ってさ。
でも、駄目だった。
気を抑えているのか、消耗しているのかもわからない。
とにかく、まるで気を捉えることができなかったんだ。それが、いよいよ悪いことの前触れみたいに思えて、胸がザワザワしたよ。
まさか、って思うのを、何度も頭の中で追い払ってたんだ。

「そっか……、そういうわけだったんか」

壊れたオルゴールの部屋、その破片の歯車を拾い上げながら、ぽつりと悟空さんが言う。
……最初の頃は、みんな、お兄ちゃんの境遇を知らなかった。オレだってそうさ。
だけど、今になってやっと分かったんだ。お兄ちゃんが人を遠ざけようとしてた理由が。
早く言ってくれれば良かったのに、……って、今言ったって仕方ないけど。
でも、そういうことなら、オレは……オレたちは、お兄ちゃんの力になりたい。皆がそう思ったんだ。

「――さん」

静かにそう呼びかけたのは、それまで黙って話を聞いていた悟飯さんだった。
おねえちゃんだけでなく、なんとなく皆がそちらを見たのを覚えてる。
そのままの口ぶりで、悟飯さんは続けてこう言ったっけ。

「確か、 『 原作で扱っていない部分ですから、皆さんの生死に関わるようなことはない 』 ……って言っていましたよね?」
「…………」
「それはあくまで、物語の通りに進んだ場合、ということですよね?」
「それは、勿論」

そう言っておねえちゃんは肯いた。
もしも、物語通りに進まなかったら……。
口には出さなくても、皆、もしかしたらそんなことを思ったかもしれない。

「今のところ、物語通りに物事は進んでいるんですね?」
「……ごめんなさい、中盤の展開を覚えてなくて……。ラストしか覚えてないんです」
「じゃあ」、
悟飯さんが一拍の間を置いて、訊ねた。
「僕たちは彼を……タピオンを救うことができるんでしょうか。いえ、できますよね?」
「それは」

おねえちゃんが応じようとしたその時、唐突に物音がした。
みんなでその方向を見れば、息を切らしたお兄ちゃんが立っていて。
今にも崩れ落ちそうなくらい気を使ってしまっていて、オレと悟飯さんとで慌ててその身体を支えたんだ。

「お兄ちゃん!」
「どうしたんだおめえ!?」
「ヒルデガーンは!?」

悟空さんが、ママが立て続けに訊く。
お兄ちゃんは、息を荒げながら言ったんだ。

「何とか……上半身だけは身体の中に封じ込めました。だけど……下半身は街で暴れています!」
「何っ!?」

悟空さんが思わず言うけど、なおもお兄ちゃんは続けた。

「上半身と下半身の引き合う力が強くなってしまって……もう、打つ手がありません!」

言う傍からお兄ちゃんの身体が跳ねて、床に崩れるのを見ていながら、オレはどうすることもできなかった。

「もっと頑丈なものを作ってみせるわ!」
「もう無理です!」

ママが勇気付けるように言うけど、時間さえあればきっと実現しただろうけど、消耗したお兄ちゃんには、もう時間がなかったんだよね……?
床に両手をつきながらお兄ちゃんが言ったのは、耳を疑いたくなるような言葉だった。

「い……今のうちに、ヒルデガーンごと俺を殺してください!!」

ここにいるみんなが、絶句したんだ。
そんな言葉が出てくるなんて、想像もしてなかった。だから……。
そうする間にもお兄ちゃんは苦しんでいて、封じ込めてる怪物を身体に留めるので精一杯みたいだった。
焦りを顔いっぱいにしながら、お兄ちゃんは尚も言うんだ。「さあ、早く!」って。
でも………。
――おねえちゃんは、お兄ちゃんが最後どうなるのかを、知っていたんだよね。
お兄ちゃんを見ながら、おねえちゃんが首を横に振ってたのを、オレは覚えてる。
それっていうのは、駄目だ、ってことだよね。
おねえちゃんが覚えてる歴史では、そうはならない、ってことだと思ったんだ。
そうじゃなくたって、お兄ちゃんを絶対、死なせたくない。
絶対絶対、絶対に、死なせるもんか! って思ったその時だった。

「させてたまるかあっ!!」

響く声と一緒に地響きがして、急にビリビリする大きな気を感じたんだ。
お兄ちゃんが歯噛みしながらも立ち上がって、笛を吹こうとしたその時、電気みたいなものが走ったのを見た。
……あのオルゴールのおじいさん、いや、ホイが現れて、お兄ちゃんの笛を弾き落としたんだ。あの廃墟の時みたいに。
だったら。
オレはダッシュで、笛を拾い上げたんだ。
あの時だって、オレが笛を拾ってお兄ちゃんに返したんだ。今だって同じようにやれる。
二階が崩れてきたけど、それをかわしながら笛を投げるんだ。あの時みたいに。

「お兄ちゃん、吹いて!」
「よおし!」

お兄ちゃんは笛を受け止めて、すぐに息を入れようとした。
でも……、その息が呻きに変わって、お兄ちゃんが苦しみ出したんだ。渡した笛も取り落として、床を転がっていく。
あっという間のことだった。
その身体から何か……煙みたいな何かが出て行って。
残されたお兄ちゃんは、力なくその場に倒れたんだ。
そうして現れたのは、デッカイ怪物さ。
上半身と下半身が合体したヒルデガーンは、すぐさまオレたちを攻撃しようとしてきて。
おねえちゃんやママ、それにビーデルさんも居たからね。
すぐに離れた場所に引き付けて、臨戦態勢ってやつに入ったのさ。


……お兄ちゃんがもう一度笛を吹くけれど、それでももう、怪物を抑えられなかった。
そうでなくても、お兄ちゃんはかなり消耗してたから。
だから、お兄ちゃんには離れた場所にいてもらおうと思って、ビルの上に下ろしたんだ。
「ここから動いちゃダメだよ!」
って言ってさ。
だって、オレだって今まですごく強い奴らと戦ってきた。
だから、今回だってどうにかできるはずだって、そう思ったんだ。
お兄ちゃんに、オレだって強いってとこを見せたかった。何より、お兄ちゃんを助けたかった……。

悟天のところに合流したところで、パパが飛び出してきたのが見えたよ。
皆で攻撃を仕掛けたけれど、パパでも、悟空さんでもその攻撃が通じないんだ。
慌てて言ったさ、
「悟天、フュージョンだ!!」って。
パパたちですら押されるような怪物相手だったら、もうゴテンクスでいくしかない。
オレたちがフュージョンしてからは、そりゃもう猛攻の嵐さ。
遂にヒルデガーンは動かなくなって、正直、拍子抜けしたくらいだった。
なあんだ。あっけなかったなあ。
そう思って、実際口にもしていたら、いつの間にか上空に来ていた悟空さんや悟飯さんに言われたんだ。
「何してる、早くトドメをさせ!!」ってね。
まったく、本当にせっかちだなあ。
そう思いながら返事をして、一発お見舞いしてやったんだ。これできっと、物語はハッピーエンドで終わるんだ。
その時はそんなふうに思ってた。
……でも、そう簡単には終わらなかったんだ。
まるで、セミが脱皮するみたいな感じだった。
外側が割れて、中から生まれ変わったみたいな姿のヒルデガーンが現れて。

「うそお!?」

言わずにはいられなかったけど、次の瞬間にはそいつの一撃を受けてたんだ。
ゴテンクスになったオレたちって、すっげー強いのに、なのに一撃でフュージョンが解けちゃったんだ。それぐらいすごい攻撃で。
オレと悟天は、そのまま気を失った。……それにしたって、たぶん、ほんの何分かの間だったと思う。
笛の音が、聞こえたんだ。
目を開けて辺りを見れば、街はほとんど壊滅状態ってやつだった。
街の人たちも逃げ出したのか、音という音が消えかけ始めてた。
その中で、その笛の音はどこまでも響き渡っていくんだ。
オレは、立ち上がって、そうして見た。
お兄ちゃんが、あの笛を吹いているのを。

「バカめ! そんなものが今更通用するか!」

遠くからホイが喚くけど、ヒルデガーンが火炎を吐くけど、その炎もお兄ちゃんはものともしない。
……気付けば、ヒルデガーンは苦しみ始めて、その動きを止めていたんだ。

「勇者……」

オレは、自分でも気付かないうちに、呟いてた。
思い出したんだ。お兄ちゃんがなんて呼ばれていたかを。
千年前、南の銀河のコナッツ星を救った伝説の勇者だって。
パパやオレたちでも抑え切れないのに、笛の音だけで怪物の動きを封じるなんて、一体、他の誰ができるだろう?
オレたちは、お兄ちゃんを助けたいって思ってたけど。
お兄ちゃんこそが、オレたちを救ってくれるのかもしれない。その時、そう思ったんだ。

「お兄ちゃんはやっぱり勇者なんだ!」

……急に、怪物の姿が崩れ始めた。
編み物の毛糸が端から解けるみたいだった。
あっという間にヒルデガーンの姿は、その場からかき消えたんだ。
煙みたいなそれは、お兄ちゃんの中に溶けるみたいに吸い込まれていった。
封じ込めるのに成功したんだ。

「やった! やったあ! お兄ちゃん!!」

オレは思わず駆け寄った。
力をかなり使ったみたいで、地面に倒れ込んではいたけど。
それでも、お兄ちゃんは無事だった。良かった、本当に良かった。そう思ったんだ。
でも、違った。……そうじゃなかった。
オレは、すぐにそれに気付いた。
……お兄ちゃんは身を起こすと、その背中の剣を抜いたんだ。
そうしてこちらを見上げたお兄ちゃんの表情に、オレはハッとした。
たくさんの汗が伝うその顔には、苦痛の色が滲んでいて。
抜いた剣をオレに差し出しながら、お兄ちゃんは言うんだ。

「トランクス……、ヒルデガーンと共に俺を斬るんだ」

お前が地球を守るんだ、って。
まるで殴られたみたいな衝撃がオレの中にあった。
――できない!!

「で、できないよそんなこと!!」
「斬れ!! お前も勇者になりたいだろう!」

叫ぶオレに、お兄ちゃんは一喝を返した。
でも…………。
オレは首を振った。
頭では、少しずつわかり始めてた。
パパや悟空さん、オレたちのフュージョンでも歯が立たない。
そんな怪物を倒すのは無理だから……、だからお兄ちゃんの星の人たちは、封印するって手段に出たんだ。
もう、お兄ちゃんを封印してたオルゴールは存在しない。
だったら……他に手段があるとするなら、それは……。
気が付いたら、目の前がぼやけてて、オレは自分が泣いてることにようやく気付いた。

「で、できないよう……」

語尾が震えて、上手く声にならない。
そんなオレに、お兄ちゃんはそっと目を閉じてゆっくりと言うんだ。
たった一人で怪物を押さえ込んでいて辛いはずなのに。一番苦しいのはお兄ちゃんのはずなのに。

「トランクス……、このままでは地球が滅ぶ……」

わかってる。
時間がないのも知ってる。だけど。

「頼む、俺を勇者のまま死なせてくれ!!」

奴がもう一度復活したら、もう止められない。
頼む、って。
そうお兄ちゃんはオレに託した。
溢れた涙が頬を伝った。
……本当にこうするしか、ないんだろうか?
葛藤がオレの心をメチャクチャにしそうだった。
……ねえ、おねえちゃん。
おねえちゃんの知る歴史では、きっと、物語はハッピーエンドなんだよね。
だったら……何処かで、オレは間違ったのかな。どうすれば良かったのかな。……もう、本当に、こうするしか、ないのかな。
わからないよ、オレ。どうすれば良かったのか、教えてよ、おねえちゃん……。
喉と鼻の奥がツンとして、息が苦しい。それでも。
オレは、差し出された剣を手に取った。重たい。ひどく重たい。
あの時の自分の気持ちを、なんて言い表せばいいんだろう。
なのに、お兄ちゃんは笑ってくれたよね。

「……ありがとう。おまえに会えて、良かったよ」

オレもだよ。お兄ちゃん。
口には出さなかったけど、自分の中でそう言って。
託された剣を振り上げたその時、遠くからおねえちゃんの声が聞こえた気がしたんだ。






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