8 タピオン
俺は悄然と立ち尽くしていた。
トランクスがヒルデガーンの元へ飛んでいくのを見ていながら、それを追おうとして、しかし思いの外体力を消耗していることに気付く。
……幻魔人の封印、共鳴し合う上半身と下半身。
そして、それに抗するために振り絞った気力。
最善を尽くしたつもりだったが、それでも、奴は復活してしまった。それも、最悪の形で。
何より、動きを封じる音を奏でるこの笛が通用しなかった。
それというのは今思えば、おそらく、地球人のエネルギーを吸収し力を増幅させていたためなのだと思う。
俺は戦慄した。
あの時の――コナッツ星の時とは違う。
……俺たちが封印を施した時は、俺とミノシアとで笛を奏でて力を押さえ込み、動きを封じたその上で、神に仕える神官がヒルデガーンを両断した。
しかし、動きを封じることができなければ、もはや為す術はない。何故なら。
「勇者さん!」
聞き覚えのある声が、存外近くから上がった。
見れば、幾らかふらつきながらも、が宙にその身を浮き上がらせている。
まだ君は、この頃、空を飛ぶ練習中だったと言っていたな。
トランクスが俺を下ろしてくれたのはそれなりの高さがある建物だったが、それでも君は、ふわりと俺の目の前に降り立った。
言った。
「避難しましょう、わたし、案内します!」
「しかし」
「トランクスくん達なら」
そう言って君の見る先の向こうでは、ヒルデガーンと戦いを繰り広げるトランクスたちが遠目にも見えた。
……正直なところ、その力量には俺も驚かされた。
相手が幻魔人でさえなかったなら、きっと苦戦することはなかっただろう。
しかし、ヒルデガーンへの物理的な攻撃は、どれだけ強大なものであっても意味をなさない。
何故なら、
「あっ」
思わずも、声に出していたな。
煙のように消えた奴がすり抜けていったのは、攻撃を放った金色の光を放つ戦士の背後。
すぐさまその反撃を受け、金の光が吹き飛ばされていく。
「ヒルデガーンは、攻撃の時だけ実体となる。そうでない時に力をぶつけても無意味だ」
「……悟空さん達なら、大丈夫です」
だから今は、ひとまずここを離れましょう。
そう君が言うのは、が、この先どうなるのか事の顛末を知っているからだろう?
けれど。
……君は言っていたな。
「歴史が変わったりしない限りは大丈夫」だと。
しかし、今、この瞬間に。
歴史が変わらない保証がどこにある?
何より、今目の前で、傷付き倒れていく人達がいる。
そして。
この物語がどう終幕を迎えるのか、知っているのは、君だけだ。
戸惑ったようにが俺を見返したのは、その片腕を俺が掴んだからだ。
「どうすれば」、言うが早いか、そう口に出していた。
「俺はどうすれば、より多くの人を救えるんだ……?」
「……勇者さん?」
困惑の表情を浮かべる君の遥か向こうで、ヒルデガーンは燃え盛る火炎を吐き出している。
この時代のこの星の人達に、これ以上犠牲になってほしくなかった。
しかし自分が知る術は、もはや通用しないのだ。
だが。
もう片方の腕を掴む。
ぎくりとしたような君の様子にも構っていられず、俺は喘ぐように声を絞り出した。
「、教えてほしい。どうすればこの惨劇を終わらせられるのか」
「……あの、ごめんなさい、本当に最後しか、覚えてなくてっ」
「思い出してくれ!!」
びくりと君の肩が跳ねるのを見ながら、ああ、と思う。
何をしているのだろうと。
俺は自分には何もできない苛立ちを、にぶつけてしまっていたんだ。
……。
あの時は、すまなかったな。
…………。
ドラゴンボールがあれば、人々も生き返り、街も元通りになる。
そんな夢のような話を、俺は君から確かに聞いていた。
けれど、だからといって……今傷付き倒れていく人達が苦痛を強いられ、恐怖に慄かなければならない理由にはならないだろう?
だから俺は、このおぞましい悪夢を早く終わらせたかった……。
…………。
何もできない自分への苛立ち、そしてそれを君へとぶつけてしまったことへの後悔。
感情は自分自身を打ちのめし、俺は目を閉じ、頭を垂れた。
ヒルデガーンは俺の時代の俺の星に存在したもの。
やはり、自分がどうにかしなければならないのだ。しかし、どうすれば……。
「……どうすればいいのかは」
遠くから上がる悲鳴や爆音といった喧騒の中、とても静かな声だった。
そっと顔を上げれば、は声と同じように静かな顔をしていた。
同時に、悲しそうにも見えたし、辛そうにも見えた気がする。
「……それはきっと、わたしより、勇者さんの方がわかってるはずです」
ハッとした。
それは、つまり。
腰に括り付けていた笛が、微かに重みを増したような気がした。
生ぬるい風が辺りを駆け抜けていく。
やはり、それしか無いのだ。
思うが、しかし畏怖はなかった。
何故なら、最初からその覚悟は自分の中にあったのだから。
ふと、まだの両腕を掴んでいたことに思い当たり、そっと手を離した。
「すまなかった。……ありがとう」
「あっ」
消耗していた身体も、僅かではあったが飛べる程度には回復していた。
俺は身を浮かべると、遥か先を見据えた。
ヒルデガーンはもはや先程までの姿ではなく、更に進化を遂げた異形の怪物と成り果てていた。
かつては、魔神像であったもの。
もうあれを止めるには、これしかないのだ。
俺はを振り返った。
何か言うべきだったかもしれない。これまでの礼を、或いは、別れの言葉を。
思ったが、上手く口が回りそうになく、微かに笑って見せたつもりだった。
……口が回らなかったのは、君も同じだっただろうか?
何か言い掛けたように見えたが、声は、音にならなかったようで。
俺はもう一度微笑むと、空中に飛び出していた。
街は、荒廃していた。
俺の時代と同じだ。
建物は崩れ、人々は地に伏し倒れ、煙と何かの焼ける匂いがする。
俺はまだ崩壊していない一つの建造物に降り立った。
人々の悲鳴や啜り泣きも、先程までより少なくなっていた。……それだけの犠牲が出たのだろう。
けれど、それももう終わる。
俺は意を決し、笛に息を入れた。
旋律は流れ、喧騒の薄れつつあった街に響き渡る。
最初は動じていない様子だったヒルデガーンも、徐々に後退り始めた。
それというのは先程までのトランクスたちとの攻防で、奴なりに力を幾分消費していたところなのだろう。
フルパワーの時とは違い、笛の音に対する抵抗力が落ちているのだ。
今なら。
いや、今しかもう機会はないのだ。
……やがて、ヒルデガーンが粒子のように解け、身体の中に入ってくるのを感じた。
「馬鹿な!!」
遠くでヒルデガーンの暴れる様を見ていたのだろう、魔導士ホイの動揺した声が聞こえた気がする。
しかし。
「…………っ!!」
凄まじい衝撃だった。
身体の中に奴を封じ込めるのは初めてではない、しかし、それは上半身だけの話だ。
合体し、更には進化を遂げたヒルデガーンの力は恐ろしく強く、まるで今にも内側から身体を喰い破られそうだった。
骨が軋み、血が泡立つようなおぞましい感覚に目が霞む。
これは、長く持ちそうにないな。
汗が全身を伝うのを感じながら何処か他人事のように思う。
「やった! やったあ! お兄ちゃん!!」
遠くから駆けてやってくるのはトランクスだ。
封印に成功したように見えただろうが、仮初めの封印だ。すぐにそれは破られるだろう。
だが、そうはさせない。
俺はどうにか起き上がると、背中に携えていた剣を抜き、懇願した。
「ヒルデガーンと共に俺を斬るんだ」と。
……トランクス。
すまなかったな。まだ小さいお前に、俺は大変なことをさせようとしてしまった。
あの時の俺は……ヒルデガーンを押さえ込むのに精一杯で、自分で始末をつけることなどできそうもなかった。
今となっては言い訳でしかないが……。
…………。
最初は拒んでいたトランクスも、けれど、わかってくれた。
俯き差し出した剣を手に取ってくれた時、俺は……心から感謝していた。
「……ありがとう。おまえに会えて、良かったよ」
トランクスは、勇者の心を受け継いでくれるだろう。
ならば、何の悔いもない。
人々も、ドラゴンボールで生き返るのだろう。……これでいい。
トランクスが剣を振り上げるのが、気配でわかった。
いつでもいい。早く。そう思っていた。
これが正しい終幕だったのかどうか、もはや知る術はなかったが。
しかしその時、
「やめろおおおおお!!」
「やめてえええええ!!」
魔導士ホイの、そしての声だった。
直後、身体が限界を迎えた。
力が抜け、もう奴を抑えていられない。
風が舞い上がり、身体からヒルデガーンが擦り抜けていく。
そしてあろうことか、手にしていた封印の笛が粉々に砕け散ってしまった。
奴の強いエネルギーに晒され、もはや笛そのものが耐えられなかったんだろう。封印する術さえ、これで失ってしまった……。
「馬鹿め、お前には完全体のヒルデガーンを封じ込めておく力などないわい!」
ホイの言う通りだった。
体力をほぼ使い果たし、顔を上げることさえままならない。
呼吸をただ繰り返していると、
「おねえちゃん!」
というトランクスの声。
ようやく首をもたげれば、駆けてくるのは確かにだ。
「……どうして来た、早く逃げるんだ」
「…………」
君は俺を見たけれど何も言わず、ただトランクスと共に幻魔人を見ている。
宙に差し出された片腕は、まるで俺を庇うかのようだ。
どうして。君は戦士ではないだろうに。
頭の片隅で思うがそれどころではない、眼前にはヒルデガーンがいて、俺たちに狙いを見定めているのだ。
しかし。
思わぬことだった。
金色の光を放つ戦士――悟空さんの変身した姿、か――が、凄まじい力を発して宙に浮かんでいた。
それに気付いたヒルデガーンが身を翻し、悟空さんに向かっていく。
そして気付いた時には、トランクスが飛び出していた。俺の託した剣を持って。
……トランクスは驚いたことに、奴の尾を両断してしまった。
流石のヒルデガーンも絶叫していたな。
続けて攻撃を仕掛けられれば、そのまま倒すこともできていたかもしれない。
けれど、
「トランクス!!」
俺は思わず叫んでいた。
追撃しようとしたトランクスが、振り返った奴の反撃に弾かれてしまったからだ。
「トランクスだけでは力不足か……!」
悟空さんが応戦しようとするが、幻魔人の攻撃を受け止めるだけでも消耗するものだ。
せめていつもの半分でいい、俺の体力さえ回復することができたら……!!
「……!?」
不意のことだった。
が俺の傍に膝をつき、手を取っていた。
「受け取ってください」
何をと問う間もなく、何かあたたかなエネルギーのようなものが彼女から流れ込んでくるのを感じたんだ。
何が起きたのかわからなかった。
しかしすぐに、身体から疲労感が抜け、力が沸くような感覚に驚く。
俺は、を見た。
君が、微かに笑っていたのを今でも覚えているよ。
「……わたしの気を分けておきましたので、多分程々には元気になってると思います」
「しかし、君は大丈夫なのか……!?」
「平気ですよ、飛ぶのは無理ですけど、歩いて逃げますから」
「だが……」
「タピオンさん」
言って、は真っ直ぐ俺を見た。
「今こそ、勇者の力が必要な時です。トランクスくんを……皆を救ってください」
そういう君は大部分の力を俺に託してくれたのだろう、すぐに立ち上がれない程に。
俺はをほんの僅かな間見つめていたが、肯き、トランクスの元へと駆けた。
……君が名を呼んでくれたのは、この時が初めてだった気がするな。
その時は、思う暇もなかったが、とにかく。
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