もう、時間は残り少ない。
彼自身、それは十分過ぎるほどに判りきった事のはずだった。
──それなのに、どうしてこの人は、今に限ってそんな事を言い出すんだろう?

ジリジリと迫るタイムリミットを何処か遠くで感じながら、わたしは目の前の人物と対峙していた。






























「シャ、シャドウさん……、あの、そろそろ、下ろしてもらえますか……」


瓦礫から飛び降り、着地してからしばらく経った今なお、シャドウさんはわたしを担いだままだったので、おずおずとそう口にしてみた。

彼はその覆面の間から覗く目をチラッとわたしに落とした後、走るスピードを落とした。止まった。それから静かに下ろしてくれた。
今までずっと後ろを走ってついて来ていたインターセプターも止まって、わたし達を見上げている。




「あ、ありがとうございました」
「……ここから先は、一人で行けるな?」
「はい」




自分で歩けるな?という意味だと思って、わたしは肯いた。
まだ別ルートから来る仲間が、数人ほどいるはずだ。彼らともすぐに合流して、わたし達はここから脱出する。そのつもりだった。


シャドウさんは視線をわたしから外すと、インターセプターの方に向けた。
スッと片膝をつきしゃがみ込む彼のすぐ傍に、その愛犬が寄り添う。
主は片手を伸ばして、差し出された頭をいつもと同じように撫でた。

そのままで彼らは、ほとんど額と額がくっつきそうなくらいに顔を近付け合った。
マスクで口元が見えなくとも、シャドウさんがインターセプターに何事か小さく呟いているのは判った。何と言っているのかまでは、わたしには聞き取れなかったけれど。


そうしてそれを見守っていると、ふっと、シャドウさんが目蓋を下ろした。
その相棒もまた、同じように視界を閉ざした、ほんの数秒。
直ぐに、双方ともがそれを元通りに戻した。



シャドウさんは、立ち上がった。
「先に行ってろ」の合図を腕と指で示すと、インターセプターは──いつもなら直ぐそれに従うはずなのだけれど、少しの間、反応がなかったように見えた。沈黙しているようにも見えた。見えただけだと思う。その時は、そう思った。

何処か寂しそうに一回だけ、きゅんと鼻を鳴らすと、インターセプターは主の命令に従って走り出した。直ぐにその姿が、瓦礫の向こうに消えた。

……この時のわたしは、「どうしてインターセプターの様子がそんなふうなのか」というのを、そして、「何故彼を先に行かせたのか」というのを、あまり気に留めていなかった。



しかし、とにかく。
インターセプターに続こうと、わたしは走り出しかけた。
少しでも早く、辿り着くべき場所へ近付かなくてはいけない。そう思って。
なのですけれども。

──後ろから何かに引っ張られた。

ダッシュしかけのわたしは危うくつんのめりそうになった。
振り返って見ると、シャドウさんがわたしの腕を掴んでいる。
……何故に。どうしてこんな所でわたしをお笑いのコントばりにズッコケさせる必要があるんですか、シャドウさん。
そう目で訴えて抗議してやろうとして、彼の顔を見上げたわたしはしかし、そのまま硬直した。




シャドウさんは無言で、ただジッとわたしを見下ろしている。
色の深い虹彩と瞳がこちらに静かに向けられていて、そのまま身じろぎさえしない。掴んでいるわたしの腕を離そうともせず、ただただ、わたしを見ているだけだった。




……なな、な、何なんでしょうか、一体。
そんなふうにでも言いたかったのだけれど、言葉を発するのも躊躇われて、わたしは軽く首をかしげて見せるのに留まった。
と。
この時になってシャドウさんは、何の前触れもなく、思ってもみない事を口走った。



「……
「はい?」
「報酬を」
「…………、はい?」
「ここまでの案内代だ」
「…………」



シャドウさんが突然ワケの判らないことを言い出したので、わたしはついまじまじと目の前の人を見てしまった。
そんな事は無いかと思うけれど、もしかしてコンフュにでも掛かっているのではなかろうか(いつ何処で誰が、何の目的で掛けたのかは知らないが)。
もしそうだとしたら、一発殴れば正気に戻るだろうか。

わたしの殴打ではシャドウさんにはあっさり避けられてしまいそうな気もするなぁとか、そんなことを一瞬思ったけれど杞憂だった。

私見では、見た感じ、彼はいつもと変わらない彼であったから。少なくとも、その目に宿る光はしっかり覚醒している其れだ。寸分の狂いも窺えない、ちゃんと正常なシャドウさんそのものである。
だと言うのに。

……一体全体、何の冗談のつもりですか、シャドウさん。



「……一体全体、何の冗談のつもりですか、シャドウさん」
「俺が、冗談を言うわけなかろう?」



「そりゃまあ、そうだよなぁ」と思い、次の刹那には「それは焦点じゃない」と思い直してみたりする。
思ったことをそのまま言ってしまったのだけれど、彼はそう返してきたので、わたしは数秒停止した。

…………えーと。
彼の言ってることが、なんと言いますか、こう、本当に本気で理解不能なんですけれども。そうは思いませんか、ねぇ皆さん?

しかも今のシャドウさんの言葉と目の表情には何処か、ごくごく微かに、彼特有の笑い方のニュアンスが含まれていた気がする。わたしを揶揄いたいのか、それにしたって何だってまぁこんな時に、そんな事を仰るんでしょうか、この人は。
わたしは彼を見た。相変わらずシャドウさんは、ただ、わたしを見下ろしている。



「──どうしちゃったんですか、シャドウさん。何でいきなり、そんな」
「俺は気まぐれでな。今、報酬が欲しい」
「というか、わたし、道案内なんて頼んだ覚えないんですけど」
「此処まで来れたのは実際、俺の助力があってのことだろう」
「…………ちょっと、何を仰っているのか本当に分からないんですが」
「ほう。判らないのか?」
「…………。いえ、あの、だから」



わたしは言葉を続けようとした。
案内なんて頼んでない、シャドウさんが勝手にわたしを抱えてここまで来たんでしょう、とでも。
それより早く、此処から脱出しましょうよ、とでも。

……言えなかった。

シャドウさんが、わたしに一歩近付いてきたので。
腕は今なお、彼のその手に掴まれたままである。手袋越しにシャドウさんの熱が伝わる。
心なしか、その手に籠もる力が少しばかり強められている気がする。
ぞくり、とするものが身体に走った。

ふと、何かおかしい、と思う。
いや、まぁ、今のシャドウさんの言動は微妙に全体的におかしいのですけれども、しかし。



「俺の要求は高いぞ? 



確かに高そうだな、と一瞬思ったけれどそういう問題でもない。
思った。
……彼の意図が掴めない。

わたしは思わず一歩後ろに下がりつつ(そうすると彼もまた一歩とこちらへ足を踏み出してくるワケで)、これは本当に冗談でないなと改めて思って、今まで彼を振り返る体勢だった身体と顔を真っ直ぐに彼の方向へと相対させた。
何が何なんだかよく判らないけれど、長丁場になりそうだ、という気がしたから。








空を仰げるこの小さく開けた一角、そこでわたし達の塔からの脱出は、一時的にストップした。
風に吹かれる雲の影が時々晴れたり、また翳ったり、ゆるゆると流れていく。

もう、時間は残り少ない。
彼自身、それは十分過ぎるほどに判りきった事のはずだった。
──それなのに、どうしてこの人は、今に限ってそんな事を言い出すんだろう?

ジリジリと迫るタイムリミットを何処か遠くで感じながら、わたしは目の前の人物と対峙していた。








──しかし、何なんだ、と思う。

わたしはシャドウさんにそういう事を言われたりというのは今の今まで一回だってなかったし、この世界のお金をわたしがあまり持ってない事だって、彼はちゃんと判っているはずなのだ。

……そりゃあ、彼、孤高のアサシンであるシャドウさんが、表面上では「金次第ではどんな仕事でもこなすクールな人物」で通ってるのはわたしだって百も承知である。
しかし、何故そんな表向きの顔を今更わたしに向ける必要があるのだろう。一体どういうつもりなんだろうか、この人は。

わたしは彼を見た。相変わらずシャドウさんは、ただ、わたしを見下ろしている。







……シャドウさんは、暗殺者である。

ふと、そんなことが頭をよぎった。
冷酷非情のアサシンは、無償での仕事はしない主義。
高額をふっかけてくるワケだが、はて、それがもし仮に支払われなかったなら、その仕事の依頼者は一体どうなるのだろう。

想像がつかない事もない。
……まぁ、その流れでいくならば、たぶんわたし、今この場であっさりとこの世から消えちゃったりするんだろうな。うん。

そんなことを考えていられる分、その時までのわたしは幾分余裕があったと言っていい。
シャドウさんがそんな事するはずないというのは、ちゃんと判っていたのだから。
──しかし、それにしたって。



「あの、シャドウさん、此処ホラ危ないですし、ひとまずファルコンに戻ってから──」
「 『 今欲しい 』 と、さっき言っただろう?」



「取り付く島もない」というのは今この時、この瞬間のこの人のために創られた言葉なのに違いない。
困った。
本当に判らない。今の彼のことが、何一つ。

──シャドウさんは、素っ気無いけれど優しくしてくれたことが何度もあった。
それでわたしも、この人は本当はいい人なんだというのを知ったし、それは今でもそうなのだけれども。


……そりゃあ、いろんな話はあった。
金のためならどんな事でもやるだとか、平気で仲間を見捨てかねないだとか、冷酷無比だとか、その素顔を見た者は誰もいないだとか、固ゆで卵が好きだとか──。これは、どうでもいいか。まぁ、とにかく。

とにかく、それでもわたしはそんな噂話なんてどうでもよく、ただ、彼の傍にいたというのに。
それなのに今のわたしには、シャドウさんの考えがまったく理解できない。
わたしは彼を見た。相変わらずシャドウさんは、ただ、わたしを見下ろしている。










バラバラと、上から塵芥が降ってくる。


降ってきたものの中に、建物の一部だったらしい大きなものの固まりがあった。
それが地面に叩きつけられ、ドガシャと派手な音を上げ、地面を揺らし、埃を舞い上げて、発生した風がシャドウさんの黒装束を、わたしの髪をなびかせた。


何の部品だったのか、小さなホイールが宙に跳ね上がった。落ちてきて、カラカラと地面の上を回り、こちらの壁のほうに来る。シャドウさんの足元をすり抜け、わたしの足元をも通り抜けて、すぐに壁に当たる音がした、カシャンという高い金属音を立てて横になって、回転は止まった。










わたしは動けなかった。
微動だに出来なかった。──考えてもみて欲しい、視界はシャドウさんの装束の黒でいっぱいに埋まっている。腕をとられて、直にモロにその眼差しを当てられて、どうしてこのわたしが平静でいられるというのか。さっきからずっと頭がグラグラしてるってのに。


この崩れる山のある一帯、今わたしと彼しかいない、この場所で。
わたしとシャドウさんは、崩壊する瓦礫の中で相対していた。
いつわたし達の頭の上に何が落ちてくるかも判らないのに、シャドウさんはそんなことにはまるで頓着していないようだった。


ちりちりと、何かが焼けるような感覚がわたしの中にあった。
何かおかしい。そう感じたさっきの感覚が、再びわたしの何処かで響き、警鐘を鳴らした。

──そう、要求される事自体は、別にそれだって構いやしない。
もし彼が本当にそれを望むのであれば、いくら請求されたって後でどうにかしてその分を払ってもいい。しかし今わたしが感じている違和感というのは、それはつまり──、





何故、 今でなくてはいけないのか?





何かが頭の隅っこの方で疼くような感じがした。
しかしそれが何なのかを確かめる時間もくれないまま、シャドウさんがわたしを追い立てる。



「払えないというのか?」
「えーと……?」



頭の中が混乱しつつあるわたしはそう言われて、困って、また一歩引いた。
しかし彼もまた、もう一歩こちらへ足を進める。
更にもう一歩、と、すぐに後ろに壁があるのが判った。もうこれ以上後ろには退けない。

……えーと。
なんですか、何なんでしょうかこの展開は。この状況は。わたしにどうしろと。
手のひらにジワリと、汗が滲んでくるのが判った。


わたしはシャドウさんの目の中を覗き込んだ。彼の考えていることが少しでも判ればと思ったのだ。


ざあ、と血の気が引くような感覚があった。
彼のその目の表情は何の温度も宿していないように見えた。
いつの間にか、最初の頃にあった揶揄いのような気配さえ何処にも見当たらなくなっていた。

何も読み取れない。
シャドウさんの考えている事が何も読み取れない。
……彼が、何を求めているのか判らない。判らない。どうすればいいのか判らない。




「は、はい?」



声もまた、まったくの無温になっている。
その呼びかけにとりあえず返事をするうちに、シャドウさんの手袋を嵌めたそれ、未だわたしの腕を掴んだままの方とは別の手がスルリと伸びてきて、ビクッとする。

かまわずその手が、わたしの頬をぐいと押さえた。

痛くはなかったがしかし、その行為にわたしは軽くパニックに陥った。
逃げようと、もっとピッタリ後ろに張り付こうとして、もっと最悪になった。
シャドウさんに、壁に押し付けられていた。



「!? ひゃ……っ」



吃驚して、あまり意味を成さない声が上がった。
何か言いたかったのに、顔を上げた瞬間わたしは凍りついた。

さっきと何も変わっていない感情の判らない瞳が、決して睨みつけるでもなく、しかしやはり、ただわたしを見つめ続けている。

眩暈のようなものを覚えた。いや、さっきからそんな感じではあったのだけれど、しかし更にそれに輪を掛けて、頭はグラグラした。
そんなわたしにトドメを刺すかのように、



「払えないというのなら」



低い声で、囁くように彼がそう告げる。
……トドメを刺される。そう思った。
これ以上何かあったらわたしは立っていられない。
何も考える事が出来ず、わたしは思わず目をギュッと瞑っていた。









































柔らかくてあたたかな感触が唇から離れたのは、どのくらい経った頃だったか。









































ポカンとしながら、わたしは、その人を見た。

いつの間にか緩められた黒布の下からはっきりとその顔の輪郭が見て取れる。
加えて、上にずらされた額当ての下から覗く髪。
少し鈍めのくすんだ色彩が、しかし陽の光でキラキラと眩しく煌めいた。

風に揺れる前髪の下の目は、何処までも深くて吸い込まれそうな瞳は変わらないまま、しかしどういう加減か、光の差し方の関係か。
同じように強い色を備えていた虹彩は、まるで水に溶かし込んだかのように、ほんの少しばかり淡くなったようにわたしには見えた。

わたしはシャドウさんを形容する言葉も見つからないままで、茫然とその顔を見返していた。



「──報酬は確かに受け取った」



彼の両目がスッと細くなり、口角が上がって、はっきりと笑みを形作った。今までの様子が嘘みたいに。
何処か、悪戯に成功した子供のような表情に通じる気配がある。
なのにそれが、不思議と今のシャドウさんには合っていた。

それがすぐに、いつもの冷静な目つきに変わった。
なるほど、こうして見ると、本当にこの人はシャドウさんだなと遠い意識の中で思う。

そんな彼はさっさと覆面を元に戻すと、ぼけっとしているわたしの腕を取り、行くべき先の道へほとんど突き飛ばすような形で押し出した。



「さあ、行け! 生きろ!!」



わたしはいきなり身体を押されたもんだから、思わずたたらを踏んだ。
振り返ると、こんな一瞬のうちに何処に消えたのか、シャドウさんの姿が見えない。
わたしは慌てて、周りを見回した。



「シャ、シャドウさん……? ──シャドウさん!!」



叫ぶが、返事らしいものは一切なかった。

しかし、複数の足音が別方向から近付いてくる。
バッと見れば、一体どういう成り行きでそうなったのか、カイエンさんにゴゴさん、それにモグというよく判らない取り合わせの三人の姿が現れた。失礼だったけれど消沈した。

今まで此処にいた人物は一体何処へ行ったのか。
あんなに長いこと、ずっと此処に留まっていたじゃあないか。それなのに瞬きするような僅かな時間の間にフッと姿をくらましてしまうなんて、一体どういう了見なのだろう、シャドウさんてば。

そんなことを思ううちに、三人はわたしの方へとやって来ていた。



殿! 立ち止まっていては為りませぬぞ! 一刻も早くここから出なくては…………」
「カイエンさん、シャドウさんを見ませんでしたかっ!?」
「シャドウ殿……? いや、拙者は見かけてはござらんが」
「……そうですか」



うな垂れかけて、しかし念のため、後の二人をチラリと見やる。一応訊いてみたが、


「ごめんクポ、見てないクポ」
「……俺も、見ていない」


モグはすまなそうに、ゴゴさんは淡々と答えた。後者はモノマネで答えてくるのではないかと危惧したけれど、そうでもない様子だ。

わたしはしかし、首を振った。
何で此処で居なくなる必要があるんだろうとか何処へ行ったんだろうとか、ぐるぐるとそんな事が頭の中を回る。しかし何故か、さっきからそうなのだが、どうも上手くモノが考えられない、何故だろう。



「さぁ、今は話をしている場合では!!」
「でも、あの、……シャドウさんが…………」
殿は、シャドウ殿と一緒にここまで?」
「はい……」
「……あの御仁のこと。きっと合流できるはずでござる。殿、今は我々と行きましょうぞ!」
「う、でも……」



わたしは躊躇した。
そう、確かにシャドウさんなら、此処から脱出するまでにそうは掛かりはしないだろう。しかしそんな事より何より、何故今突然居なくなってしまったのか、それがどうしても解せなかった。
が、しかし。


「──殿」
「はい?」


不意に、カイエンさんがまじまじとわたしの顔を覗き込んで、それから言った。
それが、引き金だった。



「お顔が赤い。大丈夫でござるか?よほど全力疾走されてこられたのでしょうな」



カイエンさんがそう言ったのを最後に、わたしの記憶はブツリと途切れた。
……いや、気絶したとかそういうのでは、ないのだけれど。しかし、途切れた。

おかしな話かもしれないけれど、それまで軽く、記憶が飛んでいた。
シャドウさんと交わした会話、合わせた目と目、それらのほとんどを覚えていたのにも関わらず、ある一部分だけの記憶が僅かな時間、飛んでしまっていた。

しかしカイエンさんの言葉がきっかけで、一気にわたしの中にそれは戻ってきた。
シャドウさんに何をされたのかを思い出した直後、そこから自分がどうなったのかをわたしは知らない。
ただ、後のカイエンさんが語るところによると、次のようになるらしい。







「あの時の殿の様子、でござるか……。
さて、拙者もどうしてあのようになってしまわれたのか、よくは存ぜぬが。とにかく、拙者が一言、言葉を掛けた後のことでござった。
突然、耳までと云わず、首筋まで真っ赤になってしまわれた、あれほどまでに顔を火照らせた殿は目にしたことがない。

しかしその色、鮮やかなほどの朱で、まるで化粧を施し紅を引いたかのように真、艶やかでござ…………ゴ、ゴホン! い、いや、失礼仕った。

……か、勘違いされるでないぞっっ、せ、せせ拙者そそそそのような目で殿を見てなど断じてござらんっ!!! ……! な、なんでござるか、まままさか疑われるのかっ、な、ならばこのカイエン、かくなる上は、腹を切ってその証を…………っ!!!

う、うむ、いや、その。重ねて失礼した。


とにかく、急に赤面された殿の身体がその後ぐらりと傾き、拙者が支えようとするのにも間に合わず、思い切り後頭部を背後の壁に叩きつけてしまわれた。あれはかなり痛かったに違いない、辺りに響き渡る音がしたぐらいでござるからな。

しかし殿は、不思議なことに、押さえるべきは頭の方でござろうに、何故か口元を押さえておられた。どうしてなのか不可思議でござったが…………。

そのまま壁を背にズルズルとへたり込んでしまわれた。とにかく立たせようとしてみたのでござるが、足腰は立たずふにゃふにゃとまるきり骨抜きで、会話も出来ず、それ故に拙者が殿をおぶって参ったのだ。

さて、一体何があったのか…………、それは殿自身、或いは、それまで一緒に居たというシャドウ殿でなければ判らぬ事なのでござろうな」









そんなこんなで、わたしが次に気が付いたのは、カイエンさんに担がれ飛空艇ファルコンに乗り込んだその直後のことだった。
まあ、その時もふらふらしていて、直ぐには自分で立てないほどだったけれど、とにかく。









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