――ひとつ、話をしましょうか、シャドウさん。


ああ。いえ、知ってますとも。貴方が今、傍に居ないことくらい。
それでも構いはしません、これはわたしの独り語りに過ぎませんから。
シャドウさんという存在が近くにないのに、わたしがただこうして、勝手に語りかけているだけの事です。其れだけの事なんです。


……だって、頭がひどくグラグラしています。
口の中はとても乾いていて、喉もカラカラで。
自分の心臓の音がうるさくて、他に何も聞き取る事が出来ません。

わたしは今、何処に居て何をしているのか。
それすらはっきりと認識する事はとても困難な事のように思えました。
本当はこんなふうにぼうっとしていてはいけない筈なのだと自分の中では理解しているのに、身体とこころは上手く連携を取ってくれないみたいです。
ただ、周囲では物事が目まぐるしく立ち回り、慌ただしく時間が過ぎていくのを朧げに感じていました。


そんな状態でしたから、わたしに出来ることと言えば、脈絡ない記憶と想いの波に身を任せるくらいの事です。
……今からする話は、今までもこれからも、聞いて頂くつもりのないものでした。そんな大層な内容でもありませんし。
いいんです、今、聴衆など誰も居ないのですから。

わたしの話も、これで、本当に最後です。
数週間前――もうそんなに経つんですね――の事を伝えさせてください。
よく晴れた朝を迎えていた日のことです。








いくらか肌寒かった一日でした。
その頃と言えば、暦の上では春を謳歌しているはずの時季です。
本来なら自然、こころの浮き立つような気分になっても不思議でないですよね。

もっとも、今のこの世界に四季など無いに等しかったので、草木が芽吹いたり鳥が囀るような事もありませんでした。
あの日からずっと同じ色を留め続けている赤茶けた大地。焼けた空。暗く淀んだ海。
それらだけがただ有り続けていたので、暦などあまり気にする必要もないように思えていました。少なくとも、わたしはそんなふうに感じていました。

世界中に散っていた仲間たちも全員が顔を揃え、各々が自らを高めるために日々精を出していた頃でしたし、振り返ってみても特にこれといった大きなきっかけなどなかったように思います。
いつもと、何も変わりない日でした。


だから最初、セリスに話し掛けた際に
「ごめんなさい、少し急ぎの用があるの」とやんわり席を外された事などどうとも思っていなかったんです。
素直にああそうなんだ、と思うだけで。わたしは気にしていなかったんです。

なんですけど、でも徐々に、変だなあというのがわたしにも解り始めました。

ロックが、わたしと目を合わせなくなりました。
マッシュさんがわたしを見ると少し困ったような表情をするようになりました。
カイエンさんがわたしに対して言葉少なになりました。
セッツァーさんがわたしにあまり笑い掛けてくれなくなりました。
いつも優しいエドガーさんですら、にこやかながらにそそくさと何処かへ足早に去ってしまうんです。
何か余所余所しく、妙に態度がおかしいというか。



あれですよね。
つまりまあ、要約するなら其れは、「皆に避けられている」と。



そう感じました。
シャドウさんやガウといった一部の数名だけはそうではなかったんですけど、でも、彼らを除いたほとんどの人にわたしはそんなふうに接せられているというか。
腫れものにでも触れるような、って云うんですか。そんな態度のように思われたんですよね。
……始めのうちは思いすごしだと思いましたし、そうだと思い込もうともしたんですけど。それでもだんだん、そうではないという確信に変わりました。



その日の正午過ぎ頃、流石に変だと思い誰かに訊いてみようと思い立ちまして。
甲板上でスケッチブックを抱え込み、風に吹かれながら画用木炭を紙の上で滑らせているリルムの後姿を見掛けたときに意を決し、彼女の名を呼んだんです。

バン、と大きな音を立ててリルムは勢いよくスケッチブックを閉じました。
次いでパタパタと数秒のうちに近くに散らばっていた筆記用具をまとめると、そのままくるりと身体を反転させわたしの脇をすり抜けようとするんです。あまりにも、あからさまじゃあありませんか、ねえ?


「リルム!」


思わず片手を彼女の目の前に突き出して制止していました。
流石に向こうも立ち止まりましたけど、でも、
「何?」とこちらを見上げるその顔に、表情らしいものは何もありませんでした。何も。
初めて見る其れに、自分の何かの温度が下がるのを感じながら、わたしは問を掲げました。



「何か今日、皆おかしくない?」
「何が?」
「何って……、うーん、その」
「……リルム、今描いてる絵の仕上げがしたいの。部屋に戻りたいんだけど」
「うん…………ごめん」



彼女を制していた手を退けると、リルムは急ぎ足で出て行ってしまいました。振り返りもせずに、ただ、そのまま。





わたしは何か、皆に嫌われる事でもしただろうか。
そんな事を考えて振り返ってみます。
判りません。これといった覚えなどあまり無かったけれど、気付かないうちにそうしていたかもしれないです。知らないうちに誰かを傷付けているというのは、よくある事ですから。

或いは、ただ単にわたしを驚かせようとして皆で共謀しているのかもしれないです。
わたしはその予想を少し具体的に考えてみました。
でも、そのように仕掛けられる理由に思い当たりません。
サプライズとしては割りと話に聞く常套手段の一つのようですけど、大体そういうのって、その人の誕生日だとか何がしかのお祝いの際のものみたいです。其の日のわたしの場合、それには当てはまりませんでしたし。

それともやはり、わたしに何かしらの落度があって、それ故の事なのかもしれません。
考えて判るような事でもありませんでしたし、リルムとのやり取りの以後、彼らに訊く事もありませんでした。
訊ねようにも、向こうはこちらを見ると直ぐ何処かに居なくなってしまいますし、もしそうでなかったとしても面と向かって問う事はおそらくしなかっただろうと思います。決定的な何かを聞かされるかもしれないというのはイヤでしたから。


どちらにしても、彼らには彼らの考えがあって、その為なんだろうと考えました。
それに、わたしは皆が好きでしたから。皆がそんな事をする筈がないという事も判っていましたから。
だからわたしは、今迄通りに振る舞うつもりでいました。
ただ――。



「……
「はい?」



振り返るとシャドウさんが立っていて、深い色の碧眼がわたしを静かに見下ろしています。
その人は、いつも通り何も変わりありませんでした。それがわたしに平静を与えてくれました。シャドウさんさえ今まで通りでいてくれるのなら、わたしは其れだけで十分に生きていられる。そう思いました。



「……顔色が悪いぞ。大丈夫か」
「そうですか? シャドウさん程じゃあないと思うんですけど」
「…………」
「やだ、冗談ですよー、怒らないで下さいね? ……えっと、普通に元気ですからご心配なく」



わたしが小さく親指を立てたグーを掲げてみせると、貴方は微かに肯くように首を振りました。
そうか、という意味だと解釈しました。
そのままでわたし達はその場で一旦別れましたが、シャドウさんが居なくなってから、少しでも顔色が良く見えるようにとわたしは頬を両手で軽く何度か擦りました。





――ただ、ほんの幾ばくか、自虐的な考えがあったのは否めません。
元々わたしはこの世界の人間ではありませんし、今になって拒絶されたとしても、それも仕方のない事なのかもしれないと。
それにいつかは、この生活にも終りが来るのだと知っていましたから。それが幾らか早まっただけなのかもしれないと。

……なんて云うんですか、まあ、多少テンションも下がりますよね。流石に上がりはしないんですよね。以前にもお話した事ありませんでしたっけ。わたし、結構ヘコみやすいですから、こう見えて。まあ、それはともかくとして。

思えば、この世界に来てからのほとんどをシャドウさん、若しくはこのパーティーメンバーと共に過ごしています。この旅が終わったら皆はどうするんだろうというのを考えてみます。
多くは、其れまであった生活に戻っていくんだろうなぁと想像しました。
皆にはちゃんと家族や友人、居るべき場所がこちらに在るんですから。


……わたしはどうすればいいんだろうって、今迄に思慮した事がない訳ではないんですよ。
ただ漠然と、今のような皆と一緒の生活が続けばいいなぁと何処かで思っていました。
ずっとそうする事は出来ないと判っていて、それでも、思っていました。

今のうちに、一人で暮らしていく素地を何処かに作っておくべきかもしれない。
ぼんやりとそんな事を思考します。
実際どうなるかは知り得ない事ですが、この先いつかは皆、此処を離れるでしょうから。
勿論わたしも、シャドウさんも。
――シャドウさんはどうするんだろう、この闘いが終わった後も旅を続けるんだろうか、と考えました。


ファルコン内の通路を歩いていると、曲がり角の出会い頭、ティナに遭遇します。
向こうはこちらを見てギクリと足を止め掛けました。
わたしが微かに笑んで其のまますれ違うと、彼女はぎこちなく口端を持ち上げ、直ぐに、居心地悪そうにその場から駆けていきます。
わたしは気にしませんでした。





夕食の準備を済ませ、それを伝えに機関室へ向かった時も状況は変わりませんでした。
わたしを目にした瞬間、中に居た数名の動きは固まりました。皆して、ストップを掛けられたみたいに凝固してます。朝からの事を思えば、十分に想像の範囲内の光景でした。わたしは気にしませんでした。

「ご飯、できましたから」

わたしは其れだけをいつものように伝えると、直ぐに踵を返しました。
ダイニングに戻る頃には随分と暗くなっていました。明かりを付けようとスイッチを探します。
そんなんでしたから、テーブルの上にあるメモの存在には直ぐに気が付きませんでした。
見れば、小さなカードが置かれていて何か文字が刻まれています。

……わたし、この世界の文字、あまり読めないんですけどね。
ただ人の名前や簡単な単語程度なら読み取れるようになっていました(全く同じではないんですけど、元いた世界で言う英語という言語にかなり近いものでしたから)。

其処にある単語から、どうも「遊戯室に来てほしい」といった旨が書かれているらしいと解ります。
特に署名はありませんでした。
何か嫌な予感がして、しばし立ち尽くします。けれど行かないワケにもいきません。
わたしは極めていつものペースで遊戯室へ向かい、扉に手を掛けます。開けます。その瞬間。



何かが盛大に弾ける音と同時に、火薬の匂いが鼻をつきました。
棒立ちになっているわたしに何やらびろびろに長いものが巻きつき、思わず硬直します。
そのまま直立不動になったわたしに、何故か大喝采が浴びせられました。

見れば、仲間達全員が揃っていてこちらを見守っています。
その目は決して余所余所しいものなどではなく、いつものあたたかいものに相違ありません。
何人かの手にクラッカーがあり、そこからのテープだの色紙の細かい紙片だのがこっちに向けられていて、わたしは其れまみれになったままただ皆を見返していました。



「ふふ、驚いた?」



と柔らかく笑みながらセリスが言います。わたしは反応も返せないまま彼女の顔を見返しました。
わたしはただ茫然とテープまみれになっているしか出来ません。
そんなわたしを見て彼女はまた少し笑いました。



、今日は何の日か知ってる?」



ティナがにこっと微笑みながら言いますが、わたしには見当がつきません。
見れば全体的に祝賀ムード満載なのですが、そしてそれがわたし自身に向けられたものであるのは判りますが、誕生日などではないことは認識していました、後他に何があるだろうと思います。
首を振る事もないまま質問者を見やり、でも次に口を開いたのはセッツァーさんでした。
小さめサイズのカレンダーを手に、空いた片手の指の先である一点をペシペシと弾いてみせます。
赤いペンで今日の日付に丸がしてありました。



「今日は、が初めてこの世界に足を踏み入れた日だ。覚えてるか? 丁度、一年前の今日の事」



わたしは彼に視線を移しながらただただその言葉を受け取り、反芻します。
そのままゆっくり全員を見回します。
隅っこの方には、横を向いて腕を組んでいるシャドウさんの姿もあります。

大体の事を無意識のうちに把握しました。
「このこと」については、シャドウさんにも声が掛けられていたんでしょうけど、口外しないように言われていたんだろうなぁと想像します。
ぼうっとしているわたしを見て、まだ事の理解が出来ていないと思ったのらしいマッシュさんが続けます。



「だからさ、今日は記念日って訳さ。俺たちとが初めて会った日でもあるんだしな。だから、皆でお祝いしようって事になって。ごめんな、を吃驚させようってんで、今日は朝から不自然な態度になっちまって」
は神経太そうだから、コレくらいじゃまだ驚かすには足りないかと思ってたんだけどな……って、おおい、ちゃんと話について来れてるか、?」



ロックが茶化すようなノリで割って入り、わたしの目の前で手をヒラヒラさせています。
わたしは立ち尽くしたまま、ああやっぱりそう云う事だったんだなと思います。
一度は、いえ、本当のところは何度も思い描いた結末の其れです。

皆して揃いも揃って態度おかしいから、なあんか変だと思ったんですよね。
それにしても、わたし、何か悪いことでもしたかなぁと思って頭ん中グルグルしてたってのに、神経太い?
この繊細なわたしを掴まえておいて、なんて事を。

冗談めかしてそんなふうにでも言って、笑い飛ばしたいと思いました。
だって色んな想像の中でも、特に一番大きな可能性のひとつでしたから、この結果は。
わたしには判っていた事でしたから。


それに、わたし自身が忘れていた日なんです。
何をどう間違ったかは自分でも判りませんが、元居た世界からこちらへとやって来てしまった日。
それを皆が覚えていてくれて、しかもこんなふうに祝ってくれるなんて思ってもいませんでした。

だから、わたしは祝福を心から受け入れようとしたんです。
何の色にも彩られていない自分自身の表情に、自然、笑みが浮かびそうになります。
口の端が持ち上げられそうになった、その瞬間。



しかし、わたしは凍りつきました。



わたしは睫毛一本動かす事も出来なくなりました。
顔も身体も心も、全てが一気に絶対零度に晒され氷漬けにされたように、凍りついてしまったのです。
彼らのあたたかい温度と共に安堵が生まれましたが、しかし同時に、恐るべきものがわたしを蝕んだのです。



が用意してくれた食事とは別に、私たちこっそりケーキと焼き菓子を焼いたの。皆で食べられるように沢山ね。ほら見て、すごいでしょう?」



繰り返しになりますが、わたしは本来この世界にいる筈のない人間でした。
だからあの崩壊の日、この世界が引き裂かれた時も、目の前で起こっていたことを何処か少し離れた視線で見ていた気がします。皆は、こちらの人たちは、少なからずあの時に何かを――家族や友人を、生きる糧や希望を、或いは世界そのものを失っていましたけれども、其れに比べればわたしは然程何かを失くしたわけでもなかったのです。
幸いにもシャドウさんという存在に恵まれ、そうして此処まで来られたのです。今まで。


わたしは、 『 失う 』 というのがどういう事かを知らなかったんです。


そして、考えてしまったのです。
わたしは失ってなどいなかった。彼らを、失くしなどしてはいなかった。その安らぐような念は同時に、けれど、と言葉を繋いだのです。

自分は今、何の事はなく彼らを取り戻したけれど、しかしもし別の形で、本当の意味で彼らを失くす事があったら。
わたしが今、確かにこの手に掴んでいるはずのものを――今いる場所を、皆を、そしてもしかしたなら、シャドウさんまでをも――いつか、失くしてしまったとしたら。

その時にすれば、其れは仮定のことでしかありませんでした。
でも其れは、一日中脳裏にこびりついて離れなかった想像でもあったんです。
わたしは、それを、安息の時間が戻ってきた正にその瞬間に、考えてしまったのです。
再びその事を思ったその時、先程浮かび上がった一欠けの安堵は別の感情に無惨にも押し潰されました。



「リルムね、の似顔絵を贈ろうと思って。昼間話しかけられた時は見られちゃったかと思って焦ったんだけど……ごめんね、冷たくして。はい、コレ。最っ高の出来だから、大事にしろよ!」



皆がそうであるように、わたしにだって家族や友人、そしてそれまでの生活が在ったのです。
なのに、全てを置いてわたしは此処まで来てしまった。
今のわたしに有るのは、彼らだけだというのに。それなのに。

…今日のことなど、真に何かを失くしてしまう事に比べればその予告編にすらなりません。
けれど、あれだけの事でも本当はこころの中で畏れていました。独りになるのではないかと怖がり、慄いていたのです。皆の態度を気にしなかったなんて嘘です。本当は叫び出したいほど恐ろしかった。



「すまなかったな、。今朝はつれなくしてしまって。それも今この瞬間のためと思って許してほしい」



自分の中で何処までも黒く彩られたその感情は突然膨れ上がり、わたしをその色に染め上げました。
同時に、目の前の世界はほとんど光無い濃いグレーに染まり、音が遠ざかります。
まるで自分の感情が外にまで溢れ出たかのようにすら思えました。

決して離れることはないと信じていたものが何の前触れもなく消え、この手にその感触すら残さず永遠に失われる――。
そんなイメージと共にわたしの中を満たした感情の名は恐怖でした。失うことへの恐怖。

わたしは初めて、失くすという事がどういう事なのかを強く意識し、そして心から畏れました。
同時に窒息しそうな程の息苦しさと凍てつく様な冷たさを併せ持ったその途方もない負の感情が、わたしのこころを打ち拉ぎ自分という人間を滅茶苦茶にしたのです。

気付けば目の前でエドガーさんが恭しく跪いていて、そして立ち上がります。
彼は、言葉を紡ぎました。




「私たちは、君がこの世界に来てくれた事を嬉しく思う。――君を、心から歓迎するよ、




微笑むエドガーさんの顔が、皆の笑顔が、わたしの視界の中でぐにゃりと歪みました。
嫌だ。わたしは、彼らを失くしたくない。
そう思うのに、目の前の光景は離したくないものだったのに、失う事をやっと知りかけたわたしにとって其れは恐怖の対象でもありました。
皆が、わたしが笑うのを期待しこちらを改めて見て、直ぐに怪訝そうな顔になります。

わたしには、もう余裕などなく二、三歩後ろによろよろと後退りました。
ドアに身体をぶつけガクガクと笑う膝を床に落とし、けれど必死に立ち上がります。
それでも後から後から湧き上がってくる感情は止めようもありませんでした。


声のない叫び声を上げ、妙にふわふわと頼りない足を引き摺りながら、わたしはその場から全力ダッシュで逃げ出しました。









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