風が吹き抜けていきます。
雪の降るナルシェに近いとだけあって、その風は冷たいものでした。

エドガーさんに貰ったバラの花が揺れたので、ひとまずそれは胸ポケットに突っ込みました。
なんだか気取った格好みたいでアレでしたが、手に持ったまま風に晒すのもどうかという感じでしたから、まぁ、とにかく、とりあえず。

辺りを見回そうとして、西日のオレンジが目に入り込んできて、思わず目を瞑ってしまいます。




時は、すでに夕刻。
陽は傾いて、空はその色に染まり、逆の方向の空はしかし濃い青に沈みつつありました。
もうすぐ、夜がやって来ます。




わざわざ見つけに行かなくとも、シャドウさんはきっと直ぐに戻ってくるのだろうと思いましたけれど、でも、わたしはもう一度目を開けて、ぐるりと周囲を見渡しました。
しばし、その場にて考え込みます。


「ナルシェに行った……のでは、ないような気がする」


独り呟きます。
なんとなくそう思いました。シャドウさんがそこへ行く理由が浮かびません。
なので、この辺の何処かで、何かをしているのではないかと考えました。

何かって何だ、というツッコミはなしです。わたしだって判りません。
ただ、漠然とそう思ったのです。
少しの間思案して、とりあえず、歩き出します。
夕暮れの散歩も兼ねて、てくてくと足を進めることにしました。

降り立ったその大地は荒れていて、自生の草木は僅かにしか存在していないようです。
世界がこのまま死に向かえば、その残り少ない植物たちも全てが消えゆくのだろうか。
わたしはそんなことを思いながら、シャドウさんを探しました。









水音がします。
河が流れています。
程なくして、わたしは朽ちかけの石橋へとやって来ました。

きっと以前は、ナルシェの人達が行き来していたんでしょうね。

けれど今は、まったく見る人影もなく、ひゅうひゅうと冷たい色の風がただ吹くばかり。
ひび割れたその橋は、渡してはあるものの、今はその機能を果たす事もなく、ただそこに在るというだけの存在のように思えました。

……なにかの拍子に崩れるんじゃあなかろうか。

わたしは正直にそう思いました。
なので、向こう側へ渡るのはしないことにし、けれどその橋の端っこのところまでは、とりあえず来てみました。そこから目に入る範囲をただ見遥かすだけのつもりでした。


かなり高度の低い太陽が水面に反射しています。
眩しくないように手で顔をガードし。
そのままぐるりと見渡して。


そうして、わたしは、あっさりと見つけてしまったのです。


シャドウさんは、河のほとりで独り、佇んでいました。
夕の色彩が世界に満ちゆく中、ぽつりと立っているシャドウさん。
黒装束が横風にはためき、光の当たっている部分は太陽の色になっていました。




……わたしの居る場所の方が高く、いささか急勾配の土手を下った辺りがシャドウさんの立つポイントでした。位置の関係で、わたしは、シャドウさんの斜め後ろ姿を見下ろす格好となっていましたし、距離も十数メートルは離れていました。

だからたぶん、貴方はまだ、わたしのことには気付いていないはずでした。
わたしはそこから声を掛けようとして──、ちょっと考えて、それを留まり、わたし自身もそこまで下りていこうとしました。
下りて、近付いて、話し掛けて、続けて。
自分の言うだろう台詞が、頭をよぎります。


シャドウさん、捜しましたよ。どうしたんですか、お独りで。
いつもインターセプターと一緒じゃあないですか。寂しそうにしていましたよ。
……寒くは、ないですか? よければ、一緒にファルコンへ戻りませんか。
今日の夕飯は、わたしとしては結構美味く出来たつもりなんです。だから──


自分のしていたであろう行動、口にしていたであろう言葉です。
そうする事に、何の躊躇もないはずだったのです。
なのに、それが実践されることはありませんでした。



わたしは貴方に声を掛けることが出来ませんでした。近付くことすら出来ませんでした。



今のシャドウさんに、接触してはいけない。
何故か、そう感じたのです。
それが何処から来るものなのか、一体何故そう思ったのかは判りません。
ただ、そうその時は感じ、それに従うしかなかったのです。


わたしは、その場でどうしたらいいのか判らなくなりました。
ただ、離れたところからシャドウさんを見ていることしか出来なかったのです。
磁石の同極を向き合わせた時のような、何か近寄る事を許さないものが辺りに発生しているのではないかとさえ思えました。


不意に、貴方が何かを手にしているのが視界に入りました。目を凝らします。
皮袋でした。
どうやらそれは、いつもシャドウさんがお金を入れるのに使っているもののようです。
だからきっと、そのパンパンに張った皮の中には、この世界の通貨であるギルがいっぱいに詰まっているのに違いないと想像しました。

──けれど、それを一体、こんなところでどうしようと?
わたしはただジッと、シャドウさんの様子を窺っていました。
だから、貴方の取った行動に、わたしは少なからず目を見張りました。



シャドウさんは袋の紐を解くと、何の迷いも躊躇いもなく中身をすべてこぼし落としたのです。
思ったとおり、中身は大量のギル。
硬貨特有の、触れ合う時の金属音はわたしのところまで聞こえました。
太陽の斜光を撥ね返して、キラキラとまばゆく光り、しかしそれらは瞬く間に、水の流れの中へと吸い込まれていきました。



今まで稼いできたお金だったのだと思います。
シャドウさんの本業で得た分もあるでしょうし、コロシアムで手に入れた分も含まれていたかもしれません。とにかく。
ほんの数瞬の間の事でした。

眩く輝く河の水は、確かにそれらを受け取ったはずです。
けれど流れはまた元に戻り、何事もなかったかのように在り続けました。
今見たことが本当にあったことだったのか、わたしにはもはや判らなくなっていました。



わたしには、その行為に何の意味があるのかを知り得ませんでしたし、そして本当はそれは、おそらく、見るべきものではなかったのだということも、漠然と感じてはいました。
それなのに、目を離すことがどうしても出来なかったのです。
わたしは息を詰めて、ただ、離れたところからそれを見つめ続けていました。



いつの間にか陽は落ちかけ、空と、地と、河が、みんな赤く燃えます。
よく、血のような赤と例えられたりしますが、正にその通り。
光浴びるもの、影帯びるもの、すべてが紅く、暗いその色に染まって見えました。

そしてそれに照らされるシャドウさんもやはり、その色彩に染まりゆきます。
それまで微動だにせずに水を見ていたシャドウさんが、ゆっくりと顔を上げ、太陽の方に視線を投げました。横顔と、その目の表情。その奥にある感情。

わたしの中に、それは強く焼きつきます。
身体に震えが走ったのは、夜の空気を纏わせ始めた風のせいばかりではありませんでした。







ファルコンまで戻ってきたわたしは、本当は部屋に戻ろうと思っていましたがしかし、入り口の階段を上りきったところで足を止めました。
インターセプターが静かにこちらを見上げていました。わたしが独りで戻ってくるのを判っていたのかもしれません。少しの間彼を見つめ、それから傍に膝をつきます。
また、わたしは、わしわしと両手で彼を擦ってやりました。


「……賢いね、インターセプターは」


言って、擦るのをやめ、わたしはそのまま腰を下ろして、すぐ傍の壁に寄りかかります。
インターセプターも鳴き声一つ立てないままに、わたしの横に身体を置きます。
彼の熱い体温を半身に感じながら、わたしは、シャドウさんのことを思いました。

さっきの姿が頭に浮かびます。
紅く染まった貴方に、わたしは儚さすら感じていたように思います。

不意に、わたしは貴方のことを何も知らないんだなぁと思いました。
シャドウさんはご自分のことを話してくれることはほとんどありませんでしたし、わたしも訊くことはありませんでした。
けれども、それはそれでいいのだとわたしは考えていました。


貴方の過去や今までの事に、とりわけの興味があったわけではなかったのです。
わたしの興味は現在のシャドウさん、そしてこれからのシャドウさんでした。だから、これまでの貴方の事を知らなくたって構わないと漠然と思っていたのです。けれど。



今の貴方を形作ったものは、一体何だったのでしょう。
貴方を苦しめているものは、それは一体何なのでしょう。
わたしはその時、少しだけ知りたいと思いました。



インターセプターがあの時、あの場を動こうとしなかった理由が、ようやくわたしには判ったのです。
彼は、ちゃんと自分の主人のことを理解していたのです。

貴方の抱えるものの重さ、その無言の苦しみ、圧倒的な寂しさ。

一体誰が、立ち入る事ができたというのでしょう。
シャドウさんが唯一心を許している愛犬ですら、自らその身を引いたのです。
ましてや、わたしなんかに何が出来たでしょう。


わたしはシャドウさんのことを、そして自分自身のことを思います。
わたしはいくらかの間、貴方の近くにいたはずでした。これからもそうであればいいと思っていました。 けれども、それ故に、わたしは気付いてしまったのです。


シャドウさんがあまりに遠い人であるという事に、気が付いてしまったのです。


わたしは膝を抱えこみました。
そうしてまた、思います。



──それでも、わたしは貴方を助けたい。



そう願うことはもしかして、いえ、もしかしなくとも思い上がりでしょうか。分不相応でしょうか。
けれどもわたしはその時、確かにそう願っていたのです。
揺らぐ事のない想いが、確かにわたしの中に存在していたのです。
一体どうすれば、それは叶うんだろう。わたしはそれを、ただただ考えていました。









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