いつの間にか、眠っていたのかもしれません。
誰かが呼んでいるような気がしましたが、すぐに反応する事が出来ません。
意識の浮上に時間がかかりました。
わたしがそのままでいると、今度は何かが肩に掛かります。
わずかに揺さぶりを掛けられて、前後に身体が揺れました。
現実に戻ってくる早さは加速しましたが、それでもまどろみの残滓はしっかりと残っています。
ひどく、ゆっくり、うっすらと、わたしは目を開けました。
固まりました。
──いや、ビックリしてしまって。
だって至近距離且つ真正面で、シャドウさんの顔が目に飛び込んできたんですから。
何の準備も心構えも、まったく無しに。
シャドウさんの片手はわたしの肩に置かれていて、揺すってくれたのは貴方なのだと知れました。
しかしその時は頭が上手く働かず、状況の処理が追いつきません。
凝固したままのわたしの目と、いつもと変わらず黒布で覆われたその顔、わずかな隙間からこちらへ向けられているシャドウさんの目。
視線と視線は、双方でばっちりとかち合ってしまいました。
「わあああ!!!」
いつもテンポ遅れの反応をするのはシャドウさんの方ですが、この時ばかりはわたしがその役を担ってしまいました。
思わず叫んで、退こうとして、ゴッ、と小気味いい音が響きました。
自分で言うのもなんですが、かなりいい音でした。
……まぁ、背後の壁に思い切り後頭部をぶつけた音なんですけどね。ええ。
「…………大丈夫か?」
「…………あんまり…………」
わたしは呻きつつ、強打したところを両手で押さえて答えました。
実際、あれは本当に痛かったですし、物理的な意味以外でもイタかったのです。
正直、情けないと思いました。
わたしには本当に、貴方にできる事が何もないのです。
あるとすればこうして、笑えもしない一人コントを披露することくらいでしょうか。
……そんなんだったら、しない方がマシですよね。
いや、まあ、この時のはやろうと思ってやったワケじゃあないんですけれども。
わたしの脇にいたインターセプターは、心配するかのように鼻先をこちらに寄せてきました。
もう平気だと手を振ると、彼にはそれが伝わったようで、ゆっくりと立ち、今度は自分の主の方に顔を向けます。
シャドウさんが「先に行ってろ」の合図をすると、それからまたゆっくりと、この出入り口内の空間から出て行きました。
頭をさすりさすり、わたしはもう一度シャドウさんを見ました。
貴方の方から、また言ってくれます。
「すまない、驚かせたな」
「いえ」
わたしは手を振って、それはいいのだという事を伝えます。
そう、そんな事はどうでもいいのです。
ただ──
「立てるか?」
と、貴方は問います。互いにまだしゃがんでいるので、目線は対等です。
わたしはそのままで、目の前の人をジッと見ました。
……傍目から見る限り、シャドウさんは、いつもと何ら変わりない様子であるように思えました。
例えば、その口調。例えば、その目の温度。
その身に纏う空気、その振る舞い。……何も変わらない、その気遣い。
──シャドウさんがやさしい人だという事を、わたしは前から知っていました。
否定されるかもしれませんね。して頂いても構いません。
否定されようがされまいが、わたしがそう感じているのは事実ですから。
とにかく。
わたしはその時、とても訝ったのです。
どうしてそのやさしさは、シャドウさん自身には向けられないのかと。
シャドウさんは、自分自身が苦しくても、傷を負うことがあっても、「それで構わない」みたいな部分があるように感じられました。自らそれを、受け入れてすらいるようにも思えました。
何故、そうする必要があるのでしょう。
何故、そうでなくてはいけないのでしょう。
わたしは黙って、シャドウさんを見続けていました。
「……どうした?」
わたしの様子がいつもと少し違うので、怪訝そうに貴方は言いました。
それに、何でもないです、と返します。それを見ていたシャドウさんは、一応納得したかのように、すぐさま立ち上がりました。わたしも立とうと、片手を床につきます。
気がつくと、かなり暗くなっていました。
此処は小さな灯りをともしてあるものの、ほんのすぐ先、皆の集まるフロアへと続く廊下は、今誰もいないので明かりは消されています。黒い空間でした。
シャドウさんは先に行って、灯りをともそうとしたのでしょう。そちらへと足を踏み出します。
けれどわたしにはそれが、闇の中へその身を投じようとしているような気がしました。
闇に乗じて、シャドウさんは何処かへと消え、戻っては来ないのではないかと。
わたしは勢いよく立ち上がったので、ずっと胸に挿していたバラの花が、ぽとりと足元に落ちました。
しかしそのことに気が付きもしないまま、シャドウさんの腰布をがっしと引っ掴んでいました。
「……?」
幾分驚いたかのような声。
シャドウさんがこちらを振り向いていました。
わたしはわたしで、自分のしたことにビックリしていました。
……あの、やろうと思ってやったんじゃあないんです。本当です。信じてください。
あの時は、すみませんでした。けれど。
わたしは何かを言いたくて、言葉を探しました。
問います。シャドウさんに。
言います。
「シャドウさんは」
次の台詞を口の中に含みます。でも、なかなかそこから先が言えません。
貴方はわたしを、静かに見ています。
時間が、流れました。
あえぐ喉からようやく声を絞り出せたのは、もう少し経ってからのこと。
「どうすれば、苦しみから解放されるんですか……?」
少し目を大きくしてわたしを見つめ続けるシャドウさん、その視線を見返すわたし。
僅かに開いた窓からの風が吹き抜け、足元のバラの花は音もなく床の上を転がりました。
瓦礫の塔に乗り込む、ほんの一週間前の、出来事でした。
……そういえば、まだ答えを貰っていませんでしたね。あの時の問いの答えを。
ああ、いえ、いいんです。今すぐとは言いません。
どのみち今はもう、時間の余裕もなくなってきたところです。
わたしの話は、ひとまず、ここまで。
いろんなところを飛ばしてしまいましたけれど、それは、此処を脱出してから。
それからでも、充分でしょう?これから幾らでも、機会は作る事が出来るはずですから。
……だから、シャドウさん。
その時までには答えを用意しといて下さいよね。宿題です。約束です。
破ったら針千本呑んで頂きますので、そのおつもりで。
──ああ、思ったよりずっと、長い話になってしまいました。
でも、きっと、飛空艇まであと少しのはずです。乗ってしまえば、何とかなるはずです。
頑張りましょう。そうして、また、わたしの話を聞いて下さい。
もっと貴方と話したい事が、本当にたくさんあるんです。
そしてもし、気が向いたなら、シャドウさん。貴方もどうか、思ったことや感じた事をわたしに話しては頂けませんか?そうしてくれたら、わたしはとても嬉しく思います。
だから、今は、これでお終いです。
さて、わたしとリルムは結構先までやってきたところなのですが……。
一番に追いついて来たのは、マッシュさんだった。
肩にストラゴスさんを担いでいる。
たぶんマッシュさんが無理矢理そうしたんだろう、なんと言ってもストラゴスさんはご老体なのだから(本人はそれを認めようとはしないだろうけれど)。
そうしていてなお、マッシュさんにはいくらか余裕がありそうだった。
「マッシュさん、バトンタッチ! お願いできますかっ!?」
「よーしきた! まとめて任せとけ!!」
「リルムはバトンじゃない〜〜〜!!」
喚いた彼女をそのままマッシュさんに預ける。
彼は二人を抱えて体勢を直すと、わたしを振り返った。
「先に行けそうなら行ってください、わたしはシャドウさんと後から行きますっ!」
「おう!」
簡潔な返事をしてくれた後、彼は気合を口から迸らせながらものすごいスピードでダッシュ。
……何度も感服してはいるけれど、なんて体力。素晴らしい。
走りながら、嘆息した。
崩壊は、なお、激しくなりつつある。
あっちでは地面が揺れてるし、こっちではドカドカと瓦礫つぶてが降る始末、いつまたさっきみたいに道が塞がってしまうか判らない。
けれど飛空艇まで、本当にあと少しのはずだった。
わたしは走るスピードを落とした、それから、止まった。
振り返った。
シャドウさんはまだ姿が見えなかった。
もしかしたら何か障害に出くわしたかもしれない、此処ではいつ何がどうなるか判らない状況だったから。
わたしはその場で、彼が来るまで待つことにして、今来た道を見続け、待ち続けた。
待ち続けた。
待ち続けた。
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