歩く、進む、止まる、そしてまた歩く。
そんな普通の行動が、今の自分にとっては何処かしっくりと来ない。
身体の勝手が違うので、何をするにも違和感が伴う。何だか変に、落ち着かない。
それはいま少し時間が経って身体が慣れてくれば、自然と気にならなくなるだろうか。
チラと思ったけれど、深く思考している暇はない。
わたし達は台所に到着すると、ひとまず朝食の準備に取り掛かることにした。
わたしが簡単にものを切ったり火を通したりして、シャドウさんには盛付けや卓上の整えをお願いする。
フライパンに火をかけている最中に彼の様子をふと見ると、思ったよりずっと手際よく準備を進めていてくれる事に少し驚く。シャドウさんにはおそらく不慣れな事を頼んでしまっていると思っていたのに、わたしより事を推し進めるのが上手なようだ。
シャドウさんは、わたしの身体にもう慣れたのだろうか。
こんがり焼き目の付いたたまご焼きをフライパンの上でひっくり返しながら、そんな事を思う。
シャドウさんと入れ替わって早数刻、しかし少なくともわたしの方は、未だに彼の身体に適応しきっているとはおおよそ言い難かった。
例えば調味料を取ろうと手を伸ばせば、腕の長さの違いに。
頭上の棚からザルを下ろそうとすれば、背丈の違いに。
フライパンを握れば、その手のひらの大きさと厚さの違いに。
そういった細かい点に、今の状況をむざむざと思い知らされる。殊に、距離感が掴みづらい。
何度か物を取ろうと伸ばした指先をぶつけそうになったり、或いは実際にぶつけていた。
元のサイズとはほんの数センチ、或いは数十センチ程しか違っていないというのに、こうも感覚というものは変わってくるものか。シャドウさんは、同じように感じてはいないだろうか。使いづらい身体だと、思われてはいないだろうか。
わたしの方はそんなんで、些か普段よりスピードが劣ったかもしれない。
でもシャドウさんが想像よりずっと動いてくれたので正味、プラスマイナスゼロといったところか。
いつもより準備を始める時間が少し遅かったけれど、何とか皆の起床までには間に合いそうなのでホッとする。
「あ、シャドウさん……」
彼の傍のサラダボウルを取ってもらいたくて話しかける。
と、突然シャドウさんは素早い動きでグイとわたしの腕を引っ張ってきた。腕を掴んだままでわたしの耳元に口を寄せてくる。
もしこれが普段の場合なら飛び上がりそうになるところだけれど、今のシャドウさんはわたしの顔なので微妙と言えば微妙なところだ。あ、いや、そういう問題じゃないんだけど。
彼はそのまま、囁くように言った。
「、今の俺をそう呼ぶな。気付かれるかもしれんぞ、いつ誰が見ているか判らん」
「あ、……ご、ごめんなさい」
「……」
「え、えーと…………す、すまない」
「それでいい」
彼は肯くとスッと腕の力を抜いた。思わずこちらも息をつく。
──シャドウさんと話した結果、今日一日は経過を見ることとなった。
この状況が一体いつまで続くか判断出来ない、もし暫くこのままなら、皆にも話しておかないといけないのは当然の事だ。
ただ、もし直ぐに元に戻れるなら、それに越した事は無い。
まずは、一日。
一日、様子を見てみて、それでもこのままなら、皆に告げよう。そんなふうに、ひとまず決めてある。
……本当は早く、他のみんなに現在のわたしとシャドウさんの事を伝えるべきなんだろうけれど。
しかしそれは、かなり気の重いことだった。正直、気が進まない。
心配してくれるのと同時に、面白がられそうな気が大いにする、想像がとても容易く出来るほどに。なので、取り敢えず一日の猶予をもらうのだ。
今日は、わたしはシャドウさんとして振舞い、彼はわたしとして振舞う、そう二人で決めた。
見た目も声もシャドウさんである今のわたしが、口調だけ普段の彼と違っていたら確かにおかしい。
シャドウさんコスをしている間は、喋りも本人と同様にしてなりきるべきだろう。
もっとも、その本人に対してそういう口を利くのは抵抗があるけれど。
皆に気付かれないうちに、何とか早く、元に戻らなくては──。
そんな事を思っていると、ふと、エプロンの肩紐がねじれているのに気付く。
わたしのじゃなくて、シャドウさんの。
………あ、ええと。服が汚れないようにわたしもシャドウさんもエプロン着けてます。
普段はわたしも着けないで料理とかしちゃう方なんだけど、今の身体はシャドウさんなので彼の服を汚すワケにはいかないし。同時に向こうは向こうで、わたしの服はどうなっても別にいいけれど、中身がシャドウさんだと思うとやっぱり汚れてもらいたくない。
そんな理由で着用してもらっているソレの肩紐がおかしくなっている。
うーん、こういうのって結構気になる。
「シャ……じゃなくて、ええと。……」
彼が動きを止めて振り向く。
わたしは黙ってその肩に手を掛けて、直してあげようとした。
と。
「──あら、シャドウもいたの」
不意に、声が掛かった。
その方向を見るとセリスが入り口のところに立っていて、少し驚いたようにこちらを見ている。
時々当番でない時でも顔を出して朝食の支度を手伝ってくれる事があるけれど、今日もそのつもりだったんだろうか。
彼女はわたしとシャドウさんを交互に見た。
……ああ、シャドウさんがこんな所に居るのはかなりレア光景だから、それに吃驚してるんだろうな。
そんなふうに思っていると、
「お邪魔だったみたいね……」
と心なしか低い声色で彼女はボソリと言った。
ツツツと後ろに下がり、今にもこの場から立ち去ろうとしているのは何故ですかセリスさん。
手伝いに来てくれたんじゃあなかったのか。
「待て、セリ……」
「いいのよシャドウ、何も言わなくてもいいの。私、判ってるつもりだから。だから安心して、思いきり二人の朝のひとときを楽しんで頂戴。──ごめんなさいね、水入らずのところ失礼して悪かったわ。それじゃ」
言っている意味が理解出来ない。
折角シャドウさんの口調をわたしなりに再現してみようとしていたのに、彼女ときたら一方的にそれだけ告げるとヒラヒラと手を振って居なくなってしまった。ああ、お手伝い要員が理由も判らないまま退場。
「……セリスってば、どうしたのかな」
シャドウさんへともなく言い、わたしは彼の方へと首を向き直す。
と。向こうは何故か、いつもと少し違う調子の平板な表情をしている。
何か言いたげなようにも見えるけれど、決してその口は開かれる様子がない。
「?」 と思い、改めてわたしはシャドウさんと自分を見てみる。
そういえば、エプロンの紐を直そうと彼の両の肩に手を置いていたのを今になって思い出してみる。
てことはええと、傍目にはシャドウさんがわたしの肩に手を掛けつつ至近距離で見つめてくれてるように見えるワケで。
……え、此れ、もしかしなくても何かヘンかな。他の人が見たらどんなふうに目に映るんだろう。というか寧ろわたしも第三者の視点で見てみたい。
しかしさっきのセリスの様子からすると、何だかよく判らないけど変な方向に勘違いされたような気が……。
「…………」
「…………」
わたし達は互いに沈黙したままで、静かに朝食の準備を再開した。
朝の7時になると、ぽつぽつと人が集まり始める。
中には多少寝坊するのもいるので、全員が一度にダイニングに並ぶ事はない。
ローテーションのような形でめいめいに朝食を取る。
今日もその通りのようで、カイエンさんにティナ、次いでマッシュさんにロックという順に席に着いている。
……本当はあまり人数が集まらないうちに、わたし達は部屋に戻りたかったのだけれど。
まぁ、あとほんの少し。食卓に上るものは出来ているので、あとは人数分の盛付けさえすれば完了だ。
それが終わったら速やかにここから居なくなろう。自分らの分の食事を部屋に持ち帰って。
和やかに食事が始まる中で、わたしはカイエンさんを見た。
昨日の彼を思い出してそっと窺ってみる。その表情は今まで見るどのカイエンさんの顔よりも静かで穏やかなものだった。
……良かった。
わたしは心の内で、ホッと安堵した。
「そういえばとシャドウ、調子はどうだ? どっか具合悪かったりはないんだろうな?」
いきなりマッシュさんがそんな事を言うので、わたしの安堵気分は一気に何処かへと吹き飛んだ。
それどころか咽返りそうになって、慌てて下を向いて誤魔化してみる。
口の端についたご飯粒を自ら拭いながら、問いかけてきた本人はこちらの方を見ている。
「昨日は何だかフラフラしてたろ、あんまり無理すんなよ?」
「……」
「…………へ、平気だ」
「そうか?ならいいんだけどな」
シャドウさんは黙って肯いたので、わたしも精一杯彼のフリで一言、告げた。
あああ、マッシュさん心配してくれるのは嬉しいんですけど。その、出来ればあんまり突っ込まないでください……心臓に悪いです……。
「でもよ、昨日のは凄かったな! 何の前フリも無しに魔物にブリザガぶつけるなんてさ」
「へー、そんな事したのか、?」
わああ止めて下さいマッシュさん〜……というかロックも食い付かないで……いや普段のわたしなら全く問題ないんだけど、今のわたしはシャドウさんでシャドウさんはわたしで…………ああもうややこしい、本当に。
「ああでも、前にもそんな事してたよな。確か一年前のナルシェで……」
「何だ、それ俺聞いてないな」
「ああ、あの時マッシュはパーティーに居なかったからな」
何故かロックが勝手にわたしを種に話をする展開になっている。いや、ホント、止めて……。
「確かモグが、こそ泥オオカミに人質……いや、モーグリ質に取られちまった時だったな。普通、ああいう状況だと下手に相手に手出し出来ないモンじゃないか。なのにときたら、向こうが 『 動いたらこいつの命は…… 』 って言ってる傍から、ファイラぶっ放して」
マッシュさんだけじゃなく、聞いていた他の面々も爆笑した。
ああそりゃそんな事もあったかもだけど。
でもあれはウケ狙いとかじゃなくて、それに別にそのモーグリがどうなろうと知ったこっちゃないとかは少しあったかもだけど(だって当時わたしモグと面識なかったし)………じゃなくて、ロックめ、今そんな話を掘り返さんでも。シャドウさんがリアクションに困るじゃないか。
わたしは目の端でジロリとロックを見やった。相変わらず笑いながらその時の事を話し続けている。
憶えてろ、次の食事当番時にはキノコ尽くしメニューにしてやる。キノコ入りオムレツにキノコのグラタン、椎茸のチーズ焼き、キノコご飯になめこの味噌汁。出汁もキノコから取って超丁寧に作ってやる。
「……朝食の仕度が済んだので、部屋に戻ります」
隣から声がして、見れば、シャドウさんがさっさとエプロンを外し畳んでいるところだった。
いつの間にか盛付けも終了している。流石シャドウさん、素早い。
というか丁寧語のシャドウさん、初めて見た! (いやそりゃ見た目も声もわたしなのでアレなんだけど)
そんなある種の感動(?)をじっくり味わう暇もなく、彼がクイとわたしの袖を引っ張ったので、わたしも続いてダイニングを出る事にする。
背後から、
「やっぱり調子悪いのかな、達」とか
「そうかもな、表情硬かったし、シャドウはいつもだけど」とかそんな無遠慮な声がしていた。
……朝から妙に、疲れてしまった。と思ったのも束の間のこと。
「おはよう、。それにシャドウ」
個室へ向かう途中、通路の先で挨拶がされる。
その声の主を見て、わたしは内心ギャフンと呟いた。
悪いことに出くわしてしまったのは、今日も朝からご機嫌麗しい砂漠の国の若き王エドガーさんである。
マズい。これはマズい、非常にマズい。
わたしの中の何処かで危険信号を示す黄色いランプが点灯し、警告音が発せられた。
シャドウさんは何だか判らないけど、わたしがエドガーさんの話をする都度機嫌が悪くなる事が多い。
それが寄りによって、わたしとシャドウさんとエドガーさんだけ。
他に第三者がいればまた話も違ってくるが、しかし今回は最悪のパターンである。
此処は何事も起こらないうちに撤退するべし、わたしはそう判断した。
判断した直後、しかしエドガーさんは(見た目シャドウさんの姿の)わたしに小さく優雅に一礼すると、(見た目わたしの)シャドウさんに向き直っていた。言った。
「今日は君が朝食の用意をしてくれる日だったな。の手料理をこれから味わえるというその幸せに、心から感謝させて頂くよレディ」
そう言ってニコリと柔らかくいつものように微笑む。
相変わらず、周りでバラが咲き乱れそうなその笑顔、その気品、その煌めき。
これがテレビか何かだったなら、きっとソフトフォーカスがたっぷり掛かっているのに違いない。
あ。と思ったその瞬間、ずおんと重い何かがシャドウさんから発せられた。
わたしの中の危険信号のデジタル色が、黄色からけたたましい赤に変わった。
半径数メートルにわたって重力が狂い、空気はまるでグラビガが発動したかのように重苦しく呼吸が出来ない。
気温は急に下がり、何か凍てつくようなビリビリした、喉を刺すような温度となった。
きっとここに居ては、心身ともに果ててしまうのは時間の問題だろう。
わたしはシャドウさんを見た。
微かに強張った表情の奥で、ギンと鋭くなった瞳は目の前の人物を射抜かんばかり。
エドガーさんのキラキラオーラに対し、こちらは何か闇よりも尚暗いオーラが辺り一帯を塗り込めようとその手を伸ばしている。
このままでは死者が出そうです。寧ろ本気で目で殺せそうですシャドウさん。
わたしはシャドウさんの腕を引っ張ると、そのまま通路を駆け抜けた。何処かギョッとした様子のエドガーさんを残したまま。
こんな調子で、一日持つのかなわたし……。
走りながら、ふと、そう考えてしまっていた。
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