キーリさんの容体が、急速に悪化していた。
全身に汗が噴き出し、息は荒く、絶えず口から漏れる呻きは苦痛の色に満ちている。
オークに射られた矢の毒が、その身を蝕んでいるのは明白だった。
竜の居る山に向かうより、此処に残った方がまだ役に立てるかもしれない。
そう思ってそうしたものの、実際には何の手伝いも出来ていなかった。
沸かした湯を器に注ぎボフールさんに渡すと、彼はベッドに走っていった。
「何とか出来ないのか」
「薬草が要る、まずはこの高熱を下げなくては!」
床に臥せるキーリさんの傍で、フィーリさんとオインさんが応酬する。
わたしは背後を振り返った。
バルドさんが手早く幾つかの包みを広げている。
薬の類だろうけれども、庶民の家にある常備薬で、果たしてどれだけの効果があるだろう。
頭の片隅で、微かに焼けるような怒りが一瞬沸いた。
この町の偉い人の元へ最初に駆けつけたが、大層な冷遇ぶりだったのを思い出してしまったので。
ああいう所に腕の良い医者や薬が集まりそうなものだけれど、またお伺いを立てたところで無駄に違いない。
それに比べて、この人ときたらどうだろう。
わたしは改めてバルドさんを見た。
一晩のうちにいろんな事があり、それは彼にとって、決して面白い出来事ではなかったはずだ。
それだというのに、その大元ともいえるドワーフの彼らを彼は今、可能な限り助けてくれようとしている。
並べた包みや小瓶を手に、その人は声を上げていた。
「ナツシロギクならある、頭痛に効くはずだ」
「そんなんじゃ駄目だ! 王の葉はないのか!?」
オインさんが言下にそれを退け訊ねるけれど、バルドさんの答えは「ノー」だった。
「あれは雑草だ、豚に食べさせるものだ」
……そうなんだ。
正直、心の中で、そう思った。
確か、「王の葉」と言ったように聞こえた。空耳ではないと思うけれども。
そう思ううちに、よし、と肯いたのはボフールさんだ。
そうしてキーリさんに向かって一言、
「そこを動くな」 と言って出て行こうとする。外に取りに行くのだろう。
ここに居てもどうしようもない、なら、一緒に探しに行った方がいいかもしれない。
自分も行くことを皆に告げ、バルドさんに頭を下げ、わたしは慌ただしく玄関を出た。
夜の冷たく冷えた空気の先で、灰色に淀んだ空が湖面に反射している。
妙に辺りが静かだ。
思ったけれど、一刹那のことだった。
階段を駆け下り、わたしとボフールさんは、湖の町を走り出した。
王の葉、……アセラスならば、見た事がある。
アラゴルンさんが時々、用いていた薬草だ。間近でも目にしている。見れば、きっとわたしでも判るだろう。
一度ドワーフを受け入れた町は、もうわたし達を見ても大きな反応を示さない。
夜の町を駆けるうちに、豚舎とも呼べないような小さな一角を見つけた。
「ボフールさん!」
振り返って、向こう側を見回していた彼を呼ぶ。
まだら模様の豚が食んでいた草を見て、ボフールさんが肯いた。
無造作にアセラスを奪い取ると、すぐさま彼は踵を返す。わたしもそれに続いた。急がなければ――
「「!!」」
突然のことだった。
バルドさんの家まであと少しという所で、わたし達は頭上を見上げ、何とか一撃を避けた。
真上からオークが降ってきたのだ。
何だってこの、今というタイミングで、と思わないでもない。
悪い事に、わたしもボフールさんも武器になるようなものを持ち合わせていなかった。
何しろアセラスを取りに、町中を歩き回るだけのつもりだったのだ。オークと遭遇するだなんて、折が悪いのにも程がある。
向こうはといえば、当然、装備はそれなりだ。
態勢を立て直そうとしていたボフールさんを後ろから掴むと、オークはそのまま力任せに彼を近くの壁に叩きつけた。
もんどり打って倒れるボフールさんに刃を振り上げたところへ、傍らに積まれていた木の板の一枚を取り敢えず見舞ってみた。
駄目だった。
僅かに怯んだものの、流石に歯が立つような代物ではない。
そのまま振り下ろされた刃を何とか飛び退ってやり過ごしたけれど、武器らしい武器がなくては――
不意に飛び出してきたのはそれこそ、倒れていたボフールさんだ。
一瞬呆気にとられたけれど、
「逃げろ!!」
の声に我に返った。
どつっ、と鈍い音がしたのは直後のことだ。
見ればオークの身体には矢が生えていて、すぐにその身が傾き倒れた。
矢羽は整ったもので、決してオークらが使う粗野なものではない。仰ぎ見るけれど、辺りに他の誰かの気配はなかった。
「……助かったのか、俺たち?」
「そう……みたいですね」
ボフールさんとわたしは、戻ってきた夜の沈黙の中でそんなやり取りをした。
しかし、町中で敵と遭遇すること自体、何かがおかしい。
「……早く戻りましょう!」
「ああ、キーリの坊ちゃんも心配だしな」
そう互いに肯いて、わたし達はアセラスを手に、再び駆け出した。
走り出してから、その身を盾にしてまで助けようとしてくれた御礼を言っていない事に思い当たる。
(戻って、落ち着いてから言おう)
そう思ったものの、実際には、それが実行に移されるのは大分先の事になる。
何しろ、その後は嵐のような時間が訪れることになったので。
アセラスでのキーリさんの治療、その後こそが一番良いタイミングだった。
けれども改めて言おうとすると何とも言い出しにくく、結局はズルズルと後回しになってしまっていた。
そうしてようやく口に出して言えた頃には、この旅は思いも寄らない方向へと向かい始めていた。
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