葬儀は、エレボールの奥深くで行われた。
ひんやりとした空気の中に、いくつもの蝋燭が灯された石台が並んでいる。
その上に彼らはいた。
目を伏せられ横たわった姿はもう何も言わないし、動かないし、目覚めない。
三人とも剣を抱き、そしてトーリンさんの胸にはアーケン石があった。

こういった儀式は、わたしの世界とそう変わらない。
皆が喪に服して、列を成して静かに彼らにお別れをする。
ゆっくりと進んで、立ち止まる。
順にお別れをする際に、ふと手のひらを、彼らの横たわる石台に預けた。
触れたその温度の、何て冷え切っていることだろう。

わたしはビルボさんの後ろ、列の一番最後についていた。
そして、彼を見ることこそが辛かった。
戦いが終わって皆が戻ってきた時だって、ビルボさんは相当に堪えていた。
放心しっぱなしだとか、何も反応しないだとか、そういう感じではない。
受け答えはできる。何もできないわけでもなく、きっと声を掛けたなら「大丈夫」とさえ言ったと思う。

けれど、何処か、がらんどうだ。
それというのは少しなら理解できる。そう思った。
何故って、わたし自身、ここに来た時そうだったのだから。
指輪物語の世界を離れて、このホビットの冒険の世界へと落ちたばかりのあの時。
今になれば、あの頃がひどく懐かしい。
まだここがいつの時代かもはっきりとは知らず、そして少しずつを知って、それでも(平和なハッピーエンドを迎えるんだろう)と呑気にそう思っていた、最初のあの頃。

(ごめんなさい)

ビルボさんの背中に向けて、わたしは心の中で謝った。
わたしは、彼のことを本当に何も知らなかった。
ホビットの冒険がどんな物語か深く知らず、大冒険を経てあの指輪を手に入れ帰ってくる……そんなふうにしか思い描いていなかったのだ。
こんなに辛く悲しい思いをしているだなんて、想像もしていなかった。
ごめんなさい、ともう一度わたしは口の中で呟いた。


トーリンさんを中央に、そして左右にはキーリさんとフィーリさんが横たわっている。
人懐っこい笑顔の、あまりドワーフらしくない……と言ったら彼は怒るかもしれないけれど、そんな印象のキーリさんだった。
フィーリさんは兄らしく、キーリさんよりは落ち着いていて……でも二人が揃っていると、まるでピピンとメリーみたいだなあ、と何度思ったか分からない。
二人とも、ビルボさんやわたしに良くしてくれた。帰ってくることを信じて疑っていなかった。

そして、トーリンさん。
難しい人物だった。意固地で、仏頂面で、激しく、強く、そして圧倒的な存在感で。
彼はいろいろ、本当にいろいろとあったけれども。
それでも、最後には目を覚ましてくれた。
闇の森の牢獄で、わたしにお礼を言ってくれた。最後に別れる前に、自分のしたことを詫びてくれた。
原作を読む限りでは、最後にビルボさんとも和解し合えている。この世界でも、そこは流石に変わるまい。
……そうであってほしい。そう願っている。



葬儀が終わった後は、戴冠式だった。
トーリンさん達がこうなったことで、従兄弟にあたるダインさんが王となるという。
ビルボさんと共に、一応、わたしも式のその場にはいた。
端っこの方で、ひっそりと参加していたものの、記憶はあまり残っていない。考え事をしていたからだ。
今になるまで、何度も繰り返し思案したその内容。
それについて、もう一度考えてみる。

彼らを、……トーリンさんを、キーリさんとフィーリさんを救うことはできないだろうか?
わたしは指輪物語の筋書きを変え、ボロミアさんの生死をひっくり返してしまった。
それと同じことを、もう一度できないものだろうか?
こちらに来てからは、場面を先送りしたり戻したりするようなことは、ただの一度もなかった。
その必要が無かったからだ。
だからわたしはビルボさん達と共に物語に寄り添い、どう終着するんだろうと思いながら道を歩んできた。

けれど――。
すぐに、幾つもの障害があることに思い当たる。
その一つは、今のわたしには原作しか知る術がない、ということだ。
そもそもの話、トーリンさん達がどのようにして死を迎えることになったのか。
その描写が、原作ですらはっきりとしていない。具体的に描かれておらず、そのため、どのように行動したらいいのか判断する材料が圧倒的に不足していた。

そしてもう一つ。
ここは映画の世界の方だ。これはもう確定している。
そして、原作とは違う道筋を辿っている。
登場しないはずのレゴラスさんがいて(そういえば彼は今、どうしているんだろう?)、竜退治に向かう際に二手に別れている……完全にこれは、映画オリジナルの要素なのだろう。

だとすれば、彼らがどうして死に至ることになったのか。
それも映画なりの物語として描かれているはずだ。
しかしわたしの世界では、ホビットの冒険はまだ公開されていない。……公開日すら、発表されていなかった。
故に、どうすればこの世界の彼らが生き残れるのか、その筋道をまるで見通すことができない。

無理を承知で、自分も戦いに出る?
そして自ら、彼らがどうしてそうなったのかを確かめる?
……無茶だった。
ビルボさんみたいにあの指輪を持っているわけでもない。
そんな状態で合戦の中に飛び込んでいくなんて、無謀にも程がある。

わたしは死んでも、夢が混ざっているので(現実としては)死なない。
けれどここで死んだなら、その後の自分がどうなるか、分からない。再びここで目を覚ます保証もなかった。
彼らの辿る道が分かったところで、自分が死んだらアウトだと考えていた方がいいんだろう。
そして、対策を立てる猶予というものも、戦いの中ではきっと無い。


何度もどうにかできないか、考えた。
何か他に手立てはないのか、手段は、方法は。
考えて考えて、そうした結果出た結論がこれだった。
――彼らは、救えない。
彼らを、トーリンさん達を救うことはできない。


戴冠式が終わり、わたしは独り外を臨める場所へと出た。
戦いがひしめき合っていた跡は今なお残っていたけれど、もうそれも終わりを迎え静かだった。
空は変わらず雲が流れ、合間から覗く太陽は煌めく光を放っている。

(ボロミアさんが亡くなった時みたいだな……)

ふと、そう思う。
誰かが死んでしまっても、世界は変わらず佇んでいる。
眼前に広がる世界は何処までも静かで、美しくて、……そして驚くほど澄み渡っている。
今まで見てきた景色は、指輪物語の――六十年後の世界とそう変わらない。
わたしの世界のわたしの時代ならば、数十年も経てば景色は大きく変わってしまう。
でも、中つ国はそうはならない。
自然が豊かに溢れ、人々は気高く逞しく生きていて、生命が芽吹いては次の世代へと継がれていく。
わたしは空を見上げたまま、目蓋を閉ざした。


やっぱり、中つ国が好きだと思う。
この世界に生きる人たちが好きで、それは今も、これからもずっとそうなのだと思う。
風が通り抜け、彼らの息吹を肌で感じる。厳しくもあるけれど、優しくもあった。
ボロミアさんが死んだ時、世界は何も言わなくて、それが寂しいとわたしはずっと思っていた。
でも、そうじゃないのかもしれないと、今になって感じ始めている。
誰かが生まれ、生きて、やがて死を迎えるまでの間、いつどんな時だって。
世界はただ、いつも通りに受け止めてくれていて、最後のその時までをちゃんと見守っていてくれる。
……そんなふうに、今は思えた。


目を開ける。
もう、ビルボさんのところへ戻ろう。
そう思って踵を返しかけて……それを元に戻した。
エレボールの門前に、誰かが立っている。
さっきまで誰もいなかったはずなのに、ぽつりと一人が姿を現しているのに気付いた。
靡く長い髪、その出立ちで、すぐにエルフだと分かった。
確かタウリエルという名前だったはずだ。湖の町で、脱出の際に手助けをしてくれた女性のエルフだ。

程々の距離があった。
真っ直ぐこちらを見上げていて、けれど、何かを言うでもなければ、動くでもない。
ただ、その表情は読み取れた。ショックを受けた人に見られるような、何かが抜け落ちてしまったような……ビルボさんにも通じる、そんな表情をしていた。
そうまでを思って、ハッとする。
彼女は原作には登場していなかった。映画で独自に存在する人物なんだろう。
そして彼女は、キーリさんと親交を深めていた。……それなのに、葬儀の場にも立ち会えていない。

(今だったら)

口の中で呟く。
そう、今だったらまだ間に合う。
ドワーフの儀式の中にエルフが潜り込むのはおそらく宜しくないのだろうけれど、今は戴冠式も終わっている。
酒宴が始まる今ならば、わたしが手引きすれば、もしかしたら何とかなるかもしれない。
わたしは眼下に向かって言葉を発しようとして、

「お嬢さん」

息を呑み込んだ。
咄嗟に振り返って見れば、すぐそこにボフールさんが立っている。
キョトンとした表情でいる彼を見やって、すぐまた顔を戻す。
ほんの数秒程度だったにも拘らず、タウリエルさんの姿はもうどこにもない。
……彼女は、これからどうするんだろう。

「どうしたんだい? 風に当たるにしちゃあまだ寒いと思うが」
「……そうですよね」

言いながら、もう一度振り返る。
やっぱり、何処にも姿は見えなかった。……彼女は、わたしの知らない何処かでキーリさんにお別れをすることができているんだろうか。
そうだといい、と思った。
いつかホビットの冒険が映画化された暁には、それを知ることができるだろう。今は判らないけれど、とにかく。

「丁度、戻ろうと思ってたとこでした」
「…………」

気持ちを切り替えようと、そう言って歩み出す。
五歩目のところで、
「なあ」、
と呼び止められた。
くるりと振り返れば、ボフールさんは何か言い辛そうに、けれどすぐに言葉を続けた。

「お嬢さんは……これからどうするんだ?」
「どう?」
「その……、ビルボの家に帰るのか?」
「…………えーっと」

訊ねられて、間延びした声を出してしまう。
答えらしい答えを、持ち合わせていなかった。
物語は、終わりを迎える。
「五軍の合戦」が終わったところまでを読んで、すっかり続きを読む気力はなくしてしまっていた。
落ち着いたら、……いろいろ落ち着いたら、すぐにも読もう。最後まで。念のために。
思うけれど、残りの数ページ、そこからは大団円だと推察している。
そしてこの先、わたしはどうすればいいんだろう?

「……わたし、ビルボさんの家に居候みたいな感じでいたんです。皆さんが訪ねてくるほんのちょっと、何日か前にそういう状況になって」
「帰る家は、他にはないのかい」
「あると言えばありますし、ないと言えばない、というか……」

いつぞやみたいに袋小路屋敷のお世話になりっぱなし、というわけにもいかない。
……そもそも物語が終わったら、わたしはどうなるんだろう。
今のまま、この時代に居続けるんだろうか。
或いは、ぷつりと行き来が断絶されてしまうんだろうか。
そうだとしたら、……やっぱり、寂しい。

「お嬢さんよ」
「はい」
「……俺、山の下の王国に移住しようと思ってんだ」
「山の下の……」
「ここだよ、ここ。エレボール」
「ああ」

わたしは肯いた。
彼らは、ついに自分達の場所を取り戻したんだ。
だから、この地に住むという話になるのは、ごくごく当然なのだと思う。

「そうなんですね。良かったです」
「……お嬢さんも、ここに住まねえか?」

唐突に、彼はそんなことを言い出す。
わたしは黙ってボフールさんを見返した。
たぶん、行く当てがないならと気遣ってくれてのことなんだと思う。彼はいつだってビルボさんやわたしに優しかった。
いい人だなー、と改めて思う。
そういえば、合戦に出る直前に「言いたいことがある」と言い掛けていたっけ。
そっか、このことだったんだなあと合点がいった。

「それはそれで……楽しいかもしれませんね」
「!」

言うと、ボフールさんの顔がパッと綻んだ。
ドワーフだというのに花が咲いたかのような、そしてそれが似合ってしまうかのような笑顔だった。かわいい。

「でも……ちゃんと考えないといけないですよね。軽々しくお世話になるわけにも」
「頼ってくれよ!」

少し大きな声に、ちょっと吃驚してしまう。
笑顔が消え、心配するような表情でこちらを見る。
旅が始まってまだ最初の頃、石の巨人のいる山を越えようとしたことがあった。
あの時、ビルボさんが裂け谷へ引き返そうとしていて、それを説得しようとしたのも彼だった。
そしてあの時と同じ顔を、今もしている。

「お嬢さん……いや」、
ボフールさんはひとつ咳払いすると、
」、と改まってわたしを呼んだ。
考えてみれば、彼からはずっとお嬢さんと呼ばれていたから初の名前呼びだ。
トーリンさんといいボフールさんといい、ここに来て突然の名前呼びキャンペーンみたいになっている。
「は……」

応えようとして、
「へっくしゅ」
くしゃみでの応対になってしまう。寒い。
確かに風に当たるにはまだ寒く、若干話の腰を折る結果になってしまった。
見れば、向こうはやっぱり腰を折られたらしく、苦笑いのようなものを浮かべている。

「あー……その、……続きは中で話すわ」
「そうですね……そうして頂ければ」

というか、続きあるんですか?
思わないでもなかったけれど、彼なりに仲間としてできることを申し出てくれようとしているんだろう。
それは単純に、嬉しく思う。

けれど――わたしはこれから、どうしたいんだろう?
そもそもこれは、何だったのか。
指輪物語からホビットの冒険――二つの物語を渡り歩いて、今、おそらくその終わりに立っている。
そこに一体、どんな意味があるんだろう。

答えは、今ならば分かる。
この世界が、中つ国が好きだから、わたし自らが物語を辿ることを望んだ。
ただ、それだけのことだった。
この時代に落ちたのも、わたしがそう願ったからだ。
そしてこれから、わたしはどうしたいんだろう。

このままこの時代に残って、世界を巡ることも望めばできるだろう。
何と言ったって、ガンダルフさんもいるわけだし。彼についていくのも、面白いかもしれない。
或いは、ボフールさんの言うようにここに住まわせてもらったり、ビルボさんが許してくれるのなら、袋小路屋敷にまたお邪魔することだってできるかもしれない。
けれど、心はずっと前から決まっていた。
本当の本当に、わたしが叶えたいのはひとつしかない。

(ボロミアさんに会いたい)

そう、切に願う。
わたしの夢が、わたしの望み通りに世界を繋いでくれるのなら。
また、ボロミアさんに会いたい。
わたしはそう思った。






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