バルドさんの家は、思いの外すぐ近くだった。
娘さんに続いて中に入れば、既にドワーフの皆やビルボさんは揃っていた。
そしてバルドさんに、息子さんも。……こちらを見上げてくる小さな女の子は、初めて見る子だった。末っ子だろうか。
皆が一瞬こちらを見て、微かな安堵の表情を浮かべてくれる。けれど、何かがおかしかった。硬直するような空気が辺りを包んでいる。

「……ドワーフなら誰でも知っている」

窓の近くに立っていたトーリンさんが、ぽつりと言う。
何を?
そう思うよりも早く、バルドさんの息子さんが畳み掛けるようにこう返していた。

「じゃあ矢が当たったのも知ってるでしょう? 左の胸の鱗が剥がれた。もう一息で竜を殺せたんだ!」

何処か怒ったような言い方だった。
ドワーリンさんは「そいつは御伽話だ」と小さく笑うけれど、会話の流れが見えなかった。
わたしが不在の間に、ほんの少しだけストーリーが進んでしまったらしい。何を話していたんだろう。

(まあ、後でビルボさんに聞けばいいか)

そう思ううちにもバルドさんは外へ出て行った。トーリンさんに頼まれていた武器を取りに行ったのらしい。
けれど、戻ってきた彼が広げた包みの中を見て、ドワーフ達は不満の声を漏らした。
わたしはビルボさんと共に遠巻きに見ていたのだけれど、剣や斧ではなく漁師が使う道具がほとんどらしい。
それというのは、町にある武器庫以外ではこれが精一杯なのだとバルドさんは言う。
武器は全て、そこに管理されているのだと。
つまり、バルドさんは出来うる限りのことを尽くしてくれているのらしい。

いい人だな。
ふと、そう思う。
町に入る時の手引きもしてくれた。その間、ドワーフの皆の彼に対する態度はあまりよろしくないものだったのに、それでもここまでしてくれた。
さっきまでみたいに、町の警備の人たちから目をつけられるという相当なリスクも伴っている。
お金の受け渡しがあったとはいえ、十分すぎるくらいのことをしてもらったのだと思う。

わたしがそう考えているうちに、バーリンさんがトーリンさんを説得していた。
武器のことは譲歩することに決めたらしい。実際、目的の場所へ辿り着くまでの時間はあまり残されていないみたいだった。
ただ、外に出るのを間髪入れずにバルドさんに止められた。

「この家は見張られている。桟橋も波止場も何処もだ。……暗くなるまで待て」

その言葉に、皆に何とも言えない空気が流れる。
道を急いでいるのに急ぐことができないもどかしさ、焦り、焦燥感。
難航するにも程がある旅だったけれど、それを言ったところでどうにもできない。
わたしはふと、キーリさんのことが気になって彼の方を見る。
座って休んでいる彼は、顔を伏せている。……射られた脚の傷を、早く手当てできないだろうか?
思うけれど、薬がない。……せめて、ガンダルフさんがいてくれたらと思う。
灰色の魔法使いは、今、何処でどうしているんだろう。



「……ビルボさん、わたし、思うんですけど」
「何だい」
「これってどう考えても泥棒ですよね?」
「……僕もそんな気がしていたところだよ」

わたし達は何とも言えない顔でお互いを見合っていた。
夜の暗がりに紛れて、町の武器庫に忍び込んで中のものを拝借する行為は、流石にどう考えてもアウトでしかない。
バルドさんが家を出たタイミングで(何か用事でもあったんだろうか?)、出ていくのを押し留めようとする息子さんを振り切ってドワーフ一行は外に出た。

正直なところ、この時点でわたしは若干、いやいや結構引いていた。
目的のためとはいえ、やり方があまりに無茶というか、ゴリ押しというか、脳筋というか。
彼らのことも、いい人達だと知っている。知っているけど、いろいろと強引すぎて天を仰ぎたくなる。
バルドさんの子どもさん達に小さく(ごめんなさい)と両手を合わせてドワーフの皆を追いかけたけれど、一瞬、(自分だけでも残ろうかなあ)という気持ちになったのは否めない。
でも、ストーリーから離脱したのでは元も子もない。
とりあえず、ビルボさんも常識人として同じような気持ちではあるようだ。

それでも彼は、忍びの者だ。
皆から頼られているビルボさんは、期待に応えようと武器庫へ入っていった。
わたしはひとまず、武器庫に忍び込む組ではなく外に残る組になる。
たぶんこれで話は進んでいくんだろうけど、あまりいい気分ではなかった。

(旅の仲間が懐かしいな……)

心の奥底から、そう思う。
ボロミアさんはもちろん、アラゴルンさんやガンダルフさんがいて、ホビットの皆がいて、そしてギムリさんにレゴラスさんがいた。
何だかんだで、大所帯ながらもバランスが取れていたと思う。それぞれに意見を言い合うこともあったけど、そして無茶もなくはなかったけど、決してここまでではなかった。

出し抜けに、大きな音が響いた。――武器庫の中から。
外で待機していた皆がギクリとする。
すぐさま「走れ!!」と声が飛ぶけれど遅かった。見張りらしい人達の槍の先を向けられて全員が動きを止める。
とりあえず一応両手を上げる。出会い頭に武器を向けられるのはこの世界ではよくあることだし、ある意味挨拶みたいなものだ。
全然怖くもなんともなかった。ただ、はっきり言ってうんざりしていた。
まあ、こうなりますよね。……知ってた。
心の中でそう呟いた。


縄さえ掛けられはしなかったけれど、ほとんど引き摺るような形で広間まで連行される。
大きな建物から出てきたのは町の偉い人らしい。偉い人というか、偉そうな人というか。
こちらは罪人の扱いだったけれど、それでも毅然とドワーリンさんが声を上げて、トーリンさんの身分を明かす。
トーリンさんは引き継ぐように言葉を発した。

「我らはエレボールのドワーフ。……我らの故郷を取り戻すため戻った」

堂々とした立ち振る舞いは正に王族のそれで、続く言葉は周囲の民衆を沸かせるのに十分なものだった。エレボールからこの町に富と繁栄を運ぶと告げれば、人々は大きくざわめいた。
(演説が上手だな)と思う。
さっきまで武器泥棒をしようとしていた人とはとても思えない。こうすることで、町の人たちを味方にしようとしているらしい。

「死だ! おまえ達がもたらすものは死!」

唐突に割って入ってきた声はバルドさんだ。
人々の間から現れたのはやっぱりその人で、険しい目でトーリンさんを見つめながら言う。竜を起こせば町は滅ぼされると。
それに対してトーリンさんは「成功すれば皆がはなれ山の富を分かち合える」という。
わたしはただただ事態を静観していた。

(今、物語のどの辺りにいるんだろう)

竜の近くまでは来ているのだから、大分いいところまで来ていると思う。
ホビットの冒険は指輪物語に比べれば大分短くて、話も明快だと聞いていた。
実際に立ち会ってみると、案外そうでもない。……これから先、どうなるんだろう?
ふと、辺りが静かになった。バルドさんとトーリンさんの演説合戦みたいになっていたのを、町の偉そうな人の言葉が止めたのだ。

デイルで多くの人が死んだのはその領主――バルドさんの先祖に当たるギリオンが竜を殺し損ねたのも一因だと。

理解するのに、少し時間が掛かった。
そうしてようやく、バルドさんの息子さんが怒ったような口調で言っていた理由が分かった。あと一歩というところまで奮闘したご先祖を「討ち損ねた」なんて言い方されたら、それは頭に来るのに決まっている。
そしてバルドさんは、多くの人が死んだことを知っているから竜を目覚めさせたくないらしい。

いつしか、雪が降っていた。
細かい白がゆるやかに落ちていく中で、けれど空気は既にトーリンさんのものだった。
偉そうな人が、ドワーフ達を歓迎すると宣言したのだ。
……ひとまずは、町を忍びながら歩く必要はなくなったらしい。
バルドさんはこの後、どうなるんだろう。
重要人物の一人のはずだった。そしてそれを差し引いても、彼はいい人だった。ドワーフの我儘にも大分付き合ってくれた。……どうなるんだろう、本当に。

わたしはぼんやりと思う。
正直言って、疲れていた。今日という日の強行軍に。
良かったことと言えば、つい先程のことだ。
トーリンさんが演説する中で、誰がその人柄を保証するのかと問われた瞬間があった。
それに手を挙げたのはビルボさんだ。
このトーリン・オーケンシールドは口にしたことを必ず守ります――そう擁護する彼を見る山の下の王の目は、その時だけやわらかく細められていた。
二人は、確実に信頼を深めている。それだけが、今日という日に得られた糧だった。






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