「僕がエルフ? まさか! そんなふうに見えますか?」
わたしが訊ねた質問に対して、彼は笑ってそんなふうに答えた。
実際エルフの子供かと思うような相貌をしていたので、一応訊いてみたのだ。
けれどその笑い方はとても快活で、何処かエルフ族よりもわたし達と近しい存在のような感じがした。
「もしかしたらそうなのかな、って思って」
「僕だって、エルフに初めて会ったのはつい最近なんです。僕とエルフではこんなにも差がありますよ」
「うーん、じゃあ、わたし達と同じ人間ですか?」
「いいえ、僕はホビット族です」
「ああ、ホビット!」
わたしは思わず両手をぽんと合わせた。
ドラクエとかで見た事がある単語に、なるほどなあと納得する。
「僕たちのことを、ご存じなんですか?」
「少しなら……、ボロミアさんは如何ですか?」
「話に聞いたことはあるが、実際に会うのは今日が初めてになる」
微かに笑みながらそう口にする彼に、わたしは何度か肯いた。
やっぱりいろんなことをこの人は知っているんだなあ、と思う。
わたしの方の知識は非常に曖昧で、あの本に載ってたな、あのゲームに出てたな、くらいの情報しかない。
そんなことを思ううちにも、そのホビットは再び笑って言った。
「僕たちはあまり知られていない種族だと思っていました。あまり外の世界に出ることはないから」
「ホビットさんは、引っ込み思案ばかりなんですか?」
「そういうわけではありませんけれど。ホビットの多くは、平穏な毎日や日々の食事のことを何より大事に思っていて、あまり里からは出ませんから」
「では君は」
ボロミアさんが、ホビットの彼に何か言い掛けた。
ボロミアさんは大柄で背が高く、対してホビットは元々そういう種族なのか、わたしの胸まであるかないかぐらいの背丈だったため、並ぶとお父さんと子供みたいにかなりの身長差があった。言葉が続いていた。
「どうして裂け谷に? ここに住んでいるわけではないのだろう」
「ええ、そのとおりですとも」
浮かんでいた笑みが、苦笑いのそれに変じて見えた。
行く先をひらひらと、秋の枯葉がゆっくり舞って落ちていく。
「でも、それをお話するには時間がとても足りません。あなた方をガンダルフの所にお連れするまでに話し終えることはできないでしょう」
「いや……、すまない。詮索するつもりで訊いたのではないのだ」、
ボロミアさんが言うのを、彼は微笑みながら小さく肯いた。
「わかっています。……お二人は、こちらにはしばらく滞在を?」
「何日かは」
「では、またお話する機会もあるでしょう。その時には是非、あなた方のお話も聞かせてください」
彼は目の前に迫っていた建物を振り仰ぐと、わたし達の方を見た。
「さあ、ここです」
「あっ、もう着いちゃったんですね。ありがとうございました、ええと」
「フロドです。フロド・バギンズ」
改めて名乗る彼に、わたし達も名前を伝えた。
「さっきの……、えっと、あの人もホビットさんかな? あの方にも助かりましたって伝えてもらえますか?」
「ああ、ビルボのことですね? わかりました、伝えますよ」
「私からも礼を言う。よろしく頼む」
そんなやり取りを交わして、わたし達はフロドさんと別れた。
ひたひたと裸足で歩いていく後姿は小柄だけれど、会話の感じ、表情や雰囲気からすると、やっぱり年はわたしと同じぐらいのような気がする。
うーん、とわたしは小さく唸った。
エルフにホビット、今まで物語でしか触れたことのない種族にいっぺんに出会ってしまった。
そしてこれから、いよいよ魔法使いと対面の予定まであったりする。
「事実は小説よりも奇なり……」
「何だ、それは」
ボロミアさんがそんな声を上げるので、わたしは一応の説明をしながら二人で建物の扉をノックした。
以前から会うことを望んでいた人物との対峙の前にも関わらず、ひどくいつもどおりの自分だな、と思いながら。
裂け谷にも、夕闇というのは訪れるらしい。
先程まで空にうっすらと残っていた群青色も今では見当たらず、ただ雲の向こう側に月ばかりが浮いて見える。
目を頭上から下に下ろせば、辺りはそれなりに賑やかなものだった。
エルフの皆さんが夕食を振る舞ってくれているのだけれど、この裂け谷を訪れている人達皆での食事会というので来てみれば、昼間に出会った以外の種族と思しき人達も何人かいる。
人間かもしれないけれど、そうでないかもしれない。
いろんな人達がいて、めいめいに何か話をしながらお腹を満たしている。
(こんなにいろんな人達がいるなら、わたしもあまり目立たないかもしれないなあ)などと思いながらパンを千切る。
エルフもパンを焼くんだなと平和なことを考えていると、いつの間にか傍らが騒がしいことに気付いた。
「随分と大きいテーブルだなあ、僕らじゃ中央の皿まで手が届かないよ」
「おいピピン、だからってテーブルクロス引っ張ったり」
するなよ、とでも続きそうだったのかもしれない。
見れば小さな二人(彼らもホビットだろうか?)がお皿片手に目の前の料理を取り分け最中で、片方がクロスの端っこを掴んでいる。
注意していた方が「あ」、と言わんばかりに口を開けていた。
隅の料理の盛られた皿が落っこちそうになっていたのを、わたしが既の所で押し留めた。
「危ないから、わたしが取りましょうか?」
「おっと。そうしてもらえるとありがたいな、大きいお嬢さん」
窘めていた方が、そんなふうにわたしを見上げる。面白い呼び方をするなあと思う。
確かに彼らから見れば、わたしは大きいだろうけれど。
「わたし、そんなに大きいですか?」
「僕らからすれば、充分に大きいとも。それに君は人間だろう? 僕達ホビットは、人間のことを 『 大きい人 』 と呼んでいるんだ」
「そうなんですか」
「ああ、だからって僕らを 『 小さい人 』 と呼ぶのは止めてほしいな。僕らからしたら、自分たちは小さくもなんともないんだからね!」
そんなふうに彼は捲し立てる。やはり、二人もホビットであるらしい。
向こうがわたしを大きい人というなら、それもおあいこのような気がするのだが、まあとにかく。
「じゃあ、なんて呼べば……?」
「僕はメリアドク・ブランディバッグ、こっちがペレグリン・トゥック。ああ、メリーにピピンで構わないよ。どうぞよろしく!」
「ついでに言うと、敬語でなくていいと思うよ。僕らもその方が楽だからね」
いつの間にやらさっきクロスを引っ張っていた方(ピピン、といったか)が何か料理を頬張って口をもぐもぐさせながら、そう言葉を繋ぐ。
見ればどちらも巻き毛で、昼間に会ったフロドさんと同じだなあというのを思わせた。
彼らは皆、知り合いだったりするのだろうか。
思いながらもわたしも名前を告げると、「じゃあ、早速なんだけど、」、ピピンがこちらを見上げながら、言った。
「テーブルの中央にある、きのこのソテー取ってくれないかい?」
彼らとの初めての会話は、そんな内容から始まった。
食事の時間は和やかなものだった。
メリーやピピンがいろんな話をしてくれているうちに、何人かが話し掛けてきたりもする。
その中には、フロドさんや他のホビットの姿もあった。
目が合うと、おや、というようにこちらを見て、フロドさんは少しだけ辺りを見回した。
「ゴンドールからいらした、あの大きな方は一緒でないのですか?」
「少し裂け谷を見て回りたいと言ってました。もうすぐ来るんじゃないかと思ってるんですけど……」
「二人とも、そんなお堅くなりなさんな!」
脇からメリーの茶々がとんだ。
「せっかくのエルフのパンまでかたくなっちまう!」、そんな台詞を言うのでついついふき出してしまいそうになる。
ホビットという種族は元々こういうふうに面白い種族なのだろうか。或いは、メリーが単にそうなのか。
多分後者なのだろうな、とは思うけれど。
そんな時間を幾らか過ごすも、後から来ると言っていたボロミアさんが一向に姿を見せる様子がない。
それがわたしは気になっていた。
どうしたのかな、と思う。迷子にはなっていない、とは思う。
思うけれども、それにしたって遅い。あまり遅くなれば食い逸れるかもしれないではないか。
なんて勿体ないのだろう、こんなに美味しいエルフのご飯なのに!
そこそこ腹八分目になったところで、わたしは皆に断って食事の場から抜け出した。
エルフの谷だ、夜と言っても危険はないだろう。
わたしは適当に辺りを一周してみることにした。
……が、見つからない。
何処かの建物の中だろうかと、入っても大丈夫そうなところをそっと覗いてみる。
何人かエルフと顔を合わせる都度、ボロミアさんのことを訊ねてみるも成果はとんと得られなかった。
そうっと大きな建物に入り、なんとなく忍び足で歩く。
一応立ち入りが大丈夫そうなところを判別しているつもりだけれど、もし駄目だったら咎められるかもしれない。
先々に灯りは灯されていて、歩く分には問題なかった。
階段を上がったり下がったりをしているうちに、何やら大きな絵画やら像やらのある空間に出た。
幾分冷えた空気がわたしを出迎えてくれたが、そこにも誰もいなかった。
見れば、女性の像の前には何かの破片が安置されている。剣のようだったが、特に関心もないまま通り過ぎた。
一体、探し人は何処にいるのだろう? 行き違ってしまったのだろうか。
「こんな所で何をしておる」
「!」
不意に後ろから掛けられた声に、思わず背筋を正してしまった。
本当はそうする必要もなかっただろうに、こんな場所とこんな状況だと、流石にビクッとしてしまう。
わたしは胸を撫で下ろした。
「……もう、吃驚しましたよ、ガンダルフさん」
「驚かせるつもりはなかったのだがの」
少しの灯りの中に浮かび上がるかのように、その魔法使いはそこに居た。
(ミスランディアとガンダルフ、どちらの名を使えばいいのかと思ったけれど、結局は短い方にした)
昼間、ボロミアさんと共に彼を訪ねた時と同じ出で立ち。
灰色の衣に、長い杖を持つ老人の姿はわたしの想像を決して裏切らないものだった。
唯一予想と違ったものがあるとするなら、思いの外彼が長身であったことくらいだ。
確かめてはいないけれど、もしかしたらボロミアさんより大きいかもしれない。
……ああ、そう。今は、そのわたしの主だ。
「あの、ボロミアさんがいつまで経っても食事に来ないので、探しに来たんですけど。ガンダルフさんは、見ていませんか?」
「いいや」
見ておらん、と首を振るので「そうですか」と返すしかない。
やっぱり何処かで行き違ったのかと思っていると、ふとガンダルフさんがこちらを見ているのに気付く。
細められたその目は、彼が初めてわたしを見た時のそれと同じものだった。
そうしてそう思った刹那、わたしはほんの数時間前、ガンダルフさんと初めて言葉を交わしたあの瞬間に滑り込んでいる。
……ガンダルフさんに、わたしを元の世界に戻す術はない。
それを聞いた時のわたしは、ある意味で安堵していた。
これで、今すぐ中つ国に別れを告げることはない。
OK、それならそれでいい、とわたしは心から思っていた。
同時に、ボロミアさんには申し訳ないとも思う。彼こそが、この一件に期待を寄せていたことだろう。
わたしはこの時、あまり彼の方を見ることができなかったけれど、おおよその予想はつく。
ボロミアさんは割と顔に出るところがある、さぞ落胆した面持ちだっただろうな、と思う。
いっそ、もうそろそろ話してしまった方が良いのだろうか。
そうも考えたけれど、なら次はいつ向こうに戻れるのかと言われれば、相も変わらず見当がつかない。
もし帰れたとしても、それならもうこの世界にいる必要もないと言われるかもしれない。
それは、何というのか、嫌なのだ。何故ってそれは、
「」
ハッとして振り返ると、少し離れたところにわたしの主が立っている。
彼はふうと息をつくと、わたしとガンダルフさんを見ながら歩み寄った。
「ホビット達から、私を探しにいったと聞いてな。心配させたなら謝ろう」
「ええ、それはもう心配しました」、わたしは大袈裟にホッとしてみせた。
「あんなに美味しいエルフの皆さんのご飯を、食べ損なっちゃうんじゃないかって!」
「ああ、そうだな。これから頂くことにしよう」
良かった、ボロミアさんが食いっぱぐれなくて。
そしてふとガンダルフさんを振り返り訊ねれば、彼もこれから食事を取るのだという。
じゃあ一緒に、というところで、わたしはふと主の手、その指先に目を留めた。
「ボロミアさん、その指、どうしたんですか?」
言うと、彼は一瞬傷を隠すような素振りを見せた。
ボロミアさんには珍しく、何処か狼狽した様子だった。
それが何故なのかは知らない、少なくともわたしにはそう見えた。
「ボロミアさん?」
「……気にするな。ただの切り傷だ」
「でも、指先って痛いですよね。ガンダルフさん、傷を癒す魔法って何かないんでしょうか? こう、ケアルとかホイミとか」
「さて。そのような呪文は聞いたことがない」
「、大したことではない。放っておいてもすぐ治る」
そんなふうに彼は言うけれど、紙や何かで切ったような軽い浅い傷ではない。
それなりに血が滲んだと思えるようなそれなのだ、ふつうに痛いだろう。
あまり喋りたくない様子なので、どうしたのかなんてのは訊かないけれど。
じゃあ、とわたしは続けた。
「確かわたしの鞄に、絆創膏があったと思いますから取ってきます。お二人は、先に行っててください。すぐ行きますから」
そんなふうに告げて、わたしは独り、案内されていた部屋に向かった。
今は、まだこの世界を去りたくない。
だからもう少し、このままでいようと思う。これからこの中つ国がどうなっていくのかは分からないけれど。
建物の外に出て、秋の夜の裂け谷の中を歩く。
ちらと見上げた空はやはり緩やかな雲が靡いていて、その中でただぼんやりと月が光っているばかりだった。
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