一、二、三を、口の中で繰り返していた。
教わった通りのステップを踏み、エオウィンさんの剣をゆっくりながらも受け止める。
刃の交差する甲高い音、一瞬の静寂の後に、いくつかの喝采があった。
見れば、少し離れたところで座ってこちらを見ていたローハンの男の人達が、肯きながら拍手をしてくれている。
わたしというより、エオウィンさんのその剣の腕前への賞賛なのだろう。
けれどわたし自身、今のは自分の中では、まあまあ良くできた方だと思う。
彼らに乗じて、笑って小さく拍手した。
姫に向けて、それから、自分自身へのちょっとした自画自賛の意味も込めて。

ナイフを下ろして、傍らで見守ってくれていたボロミアさんを振り返る。
どうでしたか、というのを目だけで訊ねた。
真剣な面持ちでいたその表情が、こちらと視線が合うと、徐にやわらかいものに変わった。
悪くはなかった、とでも言いたげにその口元が笑んでいる。それだけでわたしはちょっと、否、すごく嬉しくなる。
思わず口角が持ち上がりそうになるのを、刹那、引き結ぶ。
ボロミアさんがゆっくり歩を進めると、時たまそうするように、その手をわたしの頭に伸ばしたので。
髪がぐしゃっとなるのをガードしようとするのと、彼のその行動がほぼ同時だった。
思わず互いを見合わせて、どちらからともなくふき出すように笑ってしまう。
頭への防御を解くと、ボロミアさんはその大きな手でわたしを軽く撫ぜてくれた。穏やかな時間だった。

「一日でここまで上達したなら、大したものだ」
「教えてくださる方々に恵まれましたから!」

思ったままをそのまま答える。
実際に、ほんの僅かな時間とはいえ師に恵まれたのは事実だと思う。
ただ正直なところ、実際に上達しているのかどうか、その点は自分ではよく判らない。
ボロミアさんは今のように言ってくれたけれど、そしてさっきは少しばかり自画自賛してみたものの、さて、それは調子に乗ってみただけの話、たった一日という時間を考えれば、まだまだ何とも言えないだろう。
エオウィンさんはわたしに合わせて、ゆっくりしたテンポを終始保ってくれている。
けれどそれは、彼女にしたらどうしようもない程の超スローモーションなのに違いない。

わたしは握っているナイフを見下ろした。
初めの方こそ、
「最初は模擬剣の方が良いだろう」と言われてそれを使ってはいたものの、先程からは真剣だ。
手解きを受ける残り時間を考えて、僅かにでも実戦に近い経験を望んだのはわたしだった。
けれど実のところ、普段手にすることのない得物は(ちょっと怖い)というのが拭えない。
そしてそれを練習とはいえ、人に向けるのも憚られた。二人にそれを言うことはなかったけれど。
……自分一人の時間にでも、習ったことを復習しておかないといけない。そう思った。


わたしはちょっと上を見上げて、高い屋根の向こうを見透かすように目を細めた。
届く雨風の音は、昨日より一層激しさを増している。
二人に剣を習い始めてから、一度ずつの日没と夜明けを迎えていた。丸一日以上が経過している。
嵐は今夜通り過ぎるだろうというのが、ここローハンの人達の見解らしかった。
わたし達が出発するなら、明朝以降が良いと言われている。
もしその通りなら、今日でエオウィンさんから剣術を教わるのはお終いになる。
それを少し、残念にも思う。
姫の剣の腕は本当に確かなものだったし、何より彼女はすごくいい人だった。
何の心得もないわたしに一から剣を教えてくれた、そして其れを、寧ろ楽しんでくれさえしていたようにも思う。
とりわけ残念なことは、エオウィンさんとの時間はそのほとんどを剣の練習に費やしてしまっていたから、然程の会話をわたし達が重ねていなかったことだ(休憩の時に、少しは世間話のようなものをしたけれど)。
時間があったなら、もっと彼女とは、多くの言葉を交わしてみたかった。
……姫様相手に、これはちょっと、思い上がりも甚だしいと言われてしまうかもしれないけれど。

無意識に頭を振っていると、不意に、劈くような大音量が館を揺らした。
辺りに居た人たちが思わず天を振り仰ぎ、何処かから女の人達の悲鳴が上がったほどだ。
近くに雷が落ちたらしい。

「あらまあ」
「大きいようだな」

わたしが言うのに次いで、ボロミアさんが天井を仰ぎながら口にした。
エオウィンさんもそれに肯いて、
「今日はここまでにしておきましょう、直に夜の時間が近付いてくるでしょうから」、そう言いながら剣を鞘に収める。
わたしは改めて彼女に向き直った。

「エオウィンさん、ありがとうございました」

頭を下げると、姫は目を細めて静かに微笑んだ。

「疲れたでしょう? 今日はゆっくりお休みなさい、出立に支障があってはいけませんから」

彼女は言って、ボロミアさんとも挨拶を交わし先に部屋を出て行った。
ぽつりと、何とはなしにわたしは言った。
ほとんど独り言のようなもののつもりだった。

「エオウィンさんに剣を習えて良かったです。もっと色々教わりたかったな……」
「…………」

ボロミアさんは、何の反応も見せなかった。
わたしは特にそういったものを期待していなかったから、どうというわけでもない。
けれど彼は、わたしを振り返った。
その目がこちらを捉えて見下ろしている。言葉を選ぶように、ゆっくりとその人は言った。

「私で良ければ、裂け谷に着くまでの間に折を見て、引き続き指導しよう」
「あ、本当ですか?」

嬉しいです、と思わず破顔しそうになる。
迷惑でないのであれば、ボロミアさんに教えてもらえるなら何より嬉しい。
心からそう思ったのだけれど、すぐに、わたしは首を傾げた。
目の前の人が、微かに曖昧な笑みを浮かべているのに気付いてしまったので。
何か憂いているのを隠しているような、そんな表情が彼の中に潜んでいるような気がした。

「ボロミアさん?」
「……なんだ?」
「……いえ、何でもないです。ボロミアさんも昨日と今日は、ありがとうございました。続き頑張りますので、よろしくお願いします」
「ああ」

わたしが「約束ですからね」、と念を押すと、ボロミアさんは笑って肯いてくれる。
その時にはもう、その奇妙な感じは消えていたので、わたしは気のせいだと思い込もうとした。
だから、
「――裂け谷に着くまでの間、な」、と呟かれた彼のその言葉の意味も、今は深く考えずに聞き流すことにした。
鞘に収めた短剣が、わたしの疲れのせいかいつもより重たく感じられた。



秒針が、規則正しい動きで時間を刻んでいる。
見れば、時刻は夜の八時を回ったばかりだった。今日の夜の食事は、広間で皆が集まってのものだという。
音だけでも、その広間での賑やかさはここまで届いてくる程だった。
お酒の席でもあり、それなりに盛り上がっているらしい。

どうしようかと思う。
わたしはやりたいことがあったので、ボロミアさんと離れて(「少し、休んでから行きますから。ボロミアさんはどうぞ、皆さんとお先に」)、そしてこうして今ひとり、別の部屋に佇んでいる。
食事はあとで、軽いものを貰えればありがたい。ボロミアさんのところへ赴くのは、今日は控えておこうか。
そう考えながら、辺りを見回す。
昼間、彼やエオウィンさんらと過ごした場所。
今はほとんど人が居なくて、わたしの他には武具の整理をしているローハンの男の人が数人だけだった。
ほとんどの人は、広間に集まっているんだろう。人が少ないのは好都合だった。
少しでも教えてもらったことを反芻しておきたかった。
わたしは腰のナイフを抜くと、練習の時のテンポを思い出しながら一歩踏み出した。
この世界で見知ったことのほとんどは、きっと何がしかの役に立つのに違いない。
いつまたどんな状況に陥って、この世界の禍々しいものと相対するかもわからないのだ。
その時には、最低限の心得が必要になるだろう。

教わったことを頭の中で繰り返しながら刃を振る。
休憩時間でのひと時、エオウィンさんが「剣を振るっている時間は、何も考えずにいられる」と口にしていた。
ボロミアさんもそれに肯いていたけれど、正にその通りだと思う。
嵐の音も人の声も全く気にならず、自分の動きに集中する事ができた。
もし今わたしが何かを考えることがあったとするなら、それは――

わたしは振り向きざま体勢を変えて、もう一度同じステップを踏み直そうとした。
その時になって初めて、すぐ近くに見覚えのない男の人達がいるのに気が付いた。
他のローハンの騎士さん達と同じように、皆、長い髪の毛から雫が滴り、出で立ちも立派だけれど、全身バケツの水でもかぶったみたいにずぶ濡れだ。
この雷さえ伴う雨の中、外から戻った人達だろうか。
だとしたら、この部屋は武器庫も兼ねていると聞く、装備を解くのにわたしが居たら邪魔かもしれない(まあ、そんな心配の必要もないくらいの広い一室ではあったけれど)。
どうしようかと思いながらその人たちの挙動を見ていると、その中で特に一人、真っ直ぐに視線を投げ掛けてくる人物がいた。
こちらを初めて見る異国の人間のように(実際そうなのだけれど)見やっている。
あんまり直球な視線なので、思わず真顔で見返してしまったほどだ。
彼とわたしとの間に何秒か流れかけた沈黙をやんわりと破ってくれたのは、武器の整理をしていたローハンの騎士さんの一人だ。

「彼女はボロミア殿のお連れの方です。旅の途中に立ち寄られました」
「ボロミア殿の……これは無礼を」

そう言って彼は小さく礼をしてくれた。
よく見れば髭を生やした顔は精悍で、けれど思ったより若い男の人だ。
わたしよりは年上だろうけれど、ボロミアさんよりずっと下だろう。
こちらが改めて名乗り終えると、彼は自分のことをエオメルと名乗った。
しばらくこの館を離れていて、今宵ようやく戻って来たばかりだという。
はて、何処かで聞いたような名前だったけれど、この世界は似通った名が幾つもあるから記憶違いかもしれない。
そう言えばなんとなく、エオウィンさんと似た響きの名前だと思った。

「して、殿は何故ここに? 聞けば、広間では皆宴の最中だとか。あなたは行かれないのか?」
「あの……、剣の練習がしたかったもので」
「剣の?」
「はい。昼間、ボロミアさんとエオウィンさんに習ったのを、忘れないうちにと思って……」

言うと、彼は一つ息をついた。
ごくごく小さく、エオウィンが、と呟いたような気がしたけれどはっきりとは聞き取れない。
「あなたが今この場で剣を学ぼうと考えるその理由を、私は知らぬが……」、一旦そこで、言葉が区切られた。
すぐに、続いた。

「まだ詳しくは聞いていないが、嵐が過ぎればここを発つと?」
「ボロミアさんは、そのつもりです」
「ならば、おそらく今日がここで過ごす最後の夜になるだろう。私もボロミア殿にお会いしたいと思う。殿も、ローハンの夜を楽しんでいかれては如何だろうか」

わたしは何度か小さく肯いて見せた。
本当はもう少し復習をしたかった。
けれど、確かにこの国で過ごす最後の夜なのだろうし、きっとボロミアさんは後でまた剣を教えてくれるだろう。

「お言葉に甘えて、そうさせて頂くことにします」
「そうか。私も着替えを済ませたら広間に向かう、また後程」
「はい」

着替える、ということらしいので、どうあれわたしは外した方が良さそうだった。
そそくさとその場を後にしようとしたところに、「殿」、とエオメルさんの声が後ろから掛かってくる。
振り向くと、彼は腕の篭手を外そうとしていたその手を止めて、こちらを見ていた。
短い言葉が一言、続いた。

「剣を学ぼうというのであれば、まず自らの刃を恐れぬことだ」

少しばかり、ぎょっとした。
わたしが不慣れな剣に内心怖々としている事を、彼に見破られている!
さっきまでのわたしのナイフの振り方を見られていたんだろうか。
彼らがここにやって来た時のことも知らずにわたしは練習を続けていたのだから、そんなような気がする。
わたしは内心でギャフンと呟いた。
まだレベル低いのに見られてただなんて恥ずかしい! 折角人少ないところで練習してたのに!
エオメルさんは既に目をこちらから逸らしていたけれど、わたしは取り敢えずお辞儀して、その場から逃げるように身を翻した。
恥ずかしさのあまり何も考えずに走った。
そんなんだったので、気付いた時には広間と真逆の方向の通路に迷い込んでしまい、元来た道をすごすごと引き返す羽目になったのはまた別の話。



広間は、外の嵐の音に負けない程の賑やかさに満ちていた。
宴の場の空気というのは、どの世界でもあまり変わらないものらしい。
卓上には食べ物やお酒の瓶が所狭しと並び、皆杯を手に楽しげに話をしている。
思ったよりもたくさんの人達が集まっていた。ところどころで大きな笑いが起き、そこかしこで互いの杯を乾杯させている。
給仕の女の人が忙しそうに、人と人の間を器用にも大皿を持ったまま擦り抜けていく。
そんな彼女たちさえ、何処となく楽しそうに仕事をしているように見えた。

一瞬、このまま部屋に戻ってしまおうかという気分になった。
人が多すぎて酔いそうかもしれない。
立ち尽くしたのはほんの少しの時間だったというのに、そしてそれなりの距離があったというのに、右側奥のテーブルでお酒を飲んで笑っていたボロミアさんが目敏くこちらに気付いてしまったらしい。
片手を上げてわたしに振ってみせられては、今更見なかった事にもできない。
わたしは端っこの壁沿いの通路から、ボロミアさんの座るテーブルに近寄った。
椅子なんて無くても良かったのに、さりげなくローハンの男の人が席を譲ってくれたので座らざるを得ない。

ボロミアさんの隣に腰を下ろすと、お酒を一口嚥下した彼が
「思ったよりも早かったようだが、やりたい事というのは済んだのか」、と訊ねてくる。
ええ、まあ、と無難に答えるのに留めておいた。説明するような内容でもない。
わたしが傍に置かれた水差しから透明な中身を空の杯に注いでいると、その間にもボロミアさんには他の人の声が掛かってくる。
見れば、彼の周り(=わたしの周辺でもあるのだが)は一際ローハンの人達が多く集まっていた。
皆ボロミアさんと話すのが楽しそうだったし、それはその当の本人も同じようだった。

もしかしたら、ここにいる全員と旧知の仲なのだろうか。
そう思ってしまう程だったので、ふと彼らの会話が途切れた一瞬の隙に訊ねてみる。
けれど、そういうわけではない、とボロミアさんは言う。初めて会う人も多いのだと。
それなのに、ずっと前からの友人同士のようにすっかり打ち解けた様子で杯を交わし合っている。
それというのは、ボロミアさんの人柄故なのかもしれない。
笑顔で相槌を打ちながら相手の話を聞くその人を見ながら、わたしはそんなことを思った。
彼はそういう人だった。
ゴンドールでそうだったように、皆から慕われている。
高潔でいて、同時に裏表のない真っ直ぐなところや、何に関しても真面目に誠実に向き合うところだとか。
ボロミアさんはそういう人だったから、だから皆、彼に惹かれるのかもしれない。
すぐ目の前に出されていた、今までテレビでしか見たことのない真ん丸の大きなチーズを切り分けて皿によそっていると、再び誰かとの会話を終えたらしいボロミアさんが、わたしの水の杯にお酒を注ごうとした。

「あの……、わたしは結構です」
「飲めないわけではなかっただろう?」
「それは、そうなんですけど……」

わたしは曖昧に言葉を濁らせた。
ここに居る誰もが皆楽しそうだったし、決してこの場に居合わせたくないわけではない。
けれど、何となく居心地の悪さがあった。
わたしはボロミアさんのように振る舞うことなどできそうにもなかったし、わたしが会話を交わすことができそうな人は今彼しかいなかった。
けれど、ボロミアさんが他の誰かと話をしている間は手持ち無沙汰だ。
決してそんな事はないのに、何故か、この広い空間で独り、取り残されたみたいに思えてきてしまう。
誰か他に知っている人がいれば良かったのだけれど。
食事を済ませてしまったら、先に部屋に戻ろう。
そう思いながらチーズを齧っていると、視界の端にウェーブのかかった長い金の髪が映り込んだ。
見ればエオウィンさんが、遠目にも笑みをこぼしながら誰かと談笑し合っている。
わたしが黙って彼女を見ていると、ボロミアさんがわたしの視線の先を辿った。そしてこちらに目を向け直すと、
「どうした?」と訊ねてくる。

「姫が、どうかしたのか」
「いいえ。……エオウィンさんに、何も御礼できていないなあって、今ふと思ってしまって」
「礼?」
「ええ。あんなにたくさんのことを教えてもらって、滞在まで許してもらって。……なのに、わたし何もお返しができなくて」

それが何だか申し訳ないと、わたしはぽつりと漏らした。
まあ、何もお返し出来ないのは、今までずっとわたしを庇護してくれているボロミアさんに対しても同じなのだが。
わたしがもう席を立とうかと思い始めていたところで、しかし、ボロミアさんは言った。

「なら、今礼をすればよい」
「はい? でも、どうすれば……、わたし何も持ってませんし」

今すぐ元の世界に戻れたら、何か贈り物になるものを買ってこられるのに。
なんて思っている間にも、彼は続けた。

「何も持っていないことなどない。……そうだな、の国の歌を姫に贈ってはどうだ? あの不思議な旋律は、姫もきっと聴いたことがないはずだ」
「はあ、どうでしょう……。喜んでもらえるならわたしは構いませんが」

わたしは曖昧に首を傾げてみせた。
ミナス・ティリスでもそうだったけれど、わたしの世界の歌はさすがに中つ国では珍しいものらしい。
それが御礼になり得るのかどうかはよく分からないけれど、わたしが取り敢えず肯きを見せると、ボロミアさんは、よし、と言って立ち上がった。わたしの腕を取ったままで。
必然的にわたしは、彼と共に立ち上がる格好になる。

「ボロミアさん?」
「私達はローハンの民皆に世話になったのだから、エオウィン姫ばかりにでは皆から不満の声が上がるかもしれぬな」
「はい? ……え?」

きょとんとしていると、ボロミアさんはその場にいるローハンの人達に向かって声を張り上げた。

「皆、聞いてくれ! 私と共にゴンドールの地より参ったこのが、皆に滞在の間の礼をしたいという。彼女と私からの礼を、どうか受け取ってはもらえまいか?」
「え、えっ?」

わたしがぎょっとしている間にも、周囲から俄かに歓声が上がっている。どうしてこうなった。
少し離れたところに居たエオウィンさんと目があったものの、それはそれだけだった。
ボロミアさんが続けていた。

「私も以前に聴いてはいるが、音楽のわからぬ私も彼女の歌は好きだ。皆にも同じように感じてほしい」
「ちょ、待っ……」


背に、ボロミアさんの手のひら。
彼は少しだけ身を屈めると、そっとわたしに耳打ちした。

「ローハンで過ごす最後の夜だ。皆と私に、の歌を聴かせてはくれぬか?」

……なんてずるい言い方なんだろう。
わたしは内心で歯噛みした。そんなふうに言われては、断ることなんてできやしないではないか。
例えこんな状況でなくても、ボロミアさんにそう言われては。
わたしは辺りを見渡した。
そこに居るのはこの数日、突然の来訪ながらもあたたかく迎え入れてくれたローハンの人達だ。
エオウィンさんも、微笑んで静かにこちらを見守っていてくれる。
わたしは彼女に肯いて見せると、ゆっくりと深く息を吸った。






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